第4話 イレギュラーな


お互いに入浴を済ませ、いつでも寝れるように身支度も終わらせて、眠くなるまでの時間を各々スマホを触ったりテレビを見たりして過ごした。久しぶりに外に出た疲労から、私はいつもより早い時間にうとうとまどろんでしまっていた。


「もう寝ようか?おいで。」


そのまま地べたで寝かねない私を悠太はベットまで誘導してくれる。


「ごめん、今日は疲れてて……。」

「気にしないで。病み上がりなんだからゆっくり休もう?」


シングルのベッドに2人で横になる。そして悠太は優しく抱きしめて大切なものを扱うように私の髪を撫でる。身体を動かした時に当たってしまった悠太の少し大きくなっていたソレには気付かないフリをして、私は腕の中で寝返りを打ち背を向ける。今日は本当に疲れてしまっていたし、明日のバイトは昼のシフトだからしっかり寝ておきたかった。


「おやすみ。」

「うん、おやすみ。」


悠太の腕の中はあまり寝心地が良くなくて、もぞもぞと寝やすいように何度も体制を変えてしまう。当たらないように腰を引いてくれているけれど、それでも狭いベッドの上では少し体を動かすだけでもお互いに触れて気まずい思いをしてしまった。


「本当はしたかったよね。ごめん。」

「大丈夫だから。俺はこうやって一緒に居られるだけだ幸せだよ。」

「うん、ごめん……。」


なんだかスッキリしない気持ちのまま私は眠りに落ちていく。朝起きたら悠太にたくさん甘えよう。そして寂しい思いをさせてごめんと謝ろう。最近は外にデートする事がなかったから、週末予定が空いてたら映画にでも誘ってみよう。悠太の見たいって言っていた映画がそろそろ公開だったはず。今日こそ夢を見ないほど深い眠りに落ちる事が出来そうだった。


「んーー。」


眩しい光で目が覚めた。カーテンの隙間から光が差し込んでいて顔に当たっていた。私は寝返りを打って悠太の方を向いた。しかしそこにはいるはずの悠太がいなかった。起き上がって部屋を見回してもどこにもいない。スマホの画面を見ても連絡すら入っていない。


「悠太?」


私の声だけが部屋に響く。予定があって帰っちゃったのかな?そうだとしたら連絡ぐらい入れてくれると思うけど。スマホのロックを外して、悠太にメッセージを入れる。


『帰ったの?』


その内連絡が返ってくるだろう。そう思って私は伸びをして立ち上がった。

久しぶりに夢を見なかった。そのおかげか頭がスッキリしている。スマホの時計を見ると朝の5時を表示していた。久しぶりに朝の散歩にでも出かけてみようかな。この時間なら誰にも会う事はないだろうと、ギリギリ外に出る事が出来そうな服に着替えてサンダルを履いて外に出る。


マンションの外はまだ薄暗く肌寒かった。ついこないだまで夏だったのにすっかり秋に変わってしまっていて、半袖では鳥肌が立ってしまうほど寒かった。戻って上着を取りにいっても良かったけど、そこら辺を軽く散歩するだけだったのですぐ戻るから我慢しようとそのまま歩く。近所には大きな川が流れていて、川が見渡せる広い道はよく犬の散歩やウォーキングで人が歩いている事が多かった。

今日はまだ朝が早いからなのか人の姿が見えなかった。少しだけ歩いて家に帰ろう。そう思って朝の冷たい空気を吸いながらゆっくり歩き始めた。


やっぱり少し寒いかもしれない……半袖で外に出た事を後悔し始めた。両手で冷え切ってしまった腕をさする。もう大分歩いたしここら辺で引き返して家に戻ろう。私は踵を返して家に戻ろうとした。


「あれーー。」


いつの間にこんな所を歩いていたのだろう。すぐ側には川が流れていて知らぬ間に河川敷に降りていたらしい。天気が悪くなってきて空気も急に冷たくなった。段々と薄暗くなっていく道を早歩きで進む。足場が悪くて歩くのも一苦労だった、とにかく早く帰りたくて歩いてきたはずの道を戻り続けた。歩き続けていると、目の前から見知った白いシャツの男性が歩いてくるのが見えた。私はその姿を見て安心した。


「夢人さんーー!」


夢人さんに駆け寄ってその胸に飛び込むと優しく抱きしめてくれた。冷たい体に夢人さんの温かい体温が心地よく感じた。夢を見ないと決めたのに、忘れようって決めたのに、また夢を見て夢人さんに会えて喜んでしまっている自分がいる。夢人さんの腕の中はどこよりもなによりも心地よくて温かい気持ちになれた。


「こんなに冷たくなって、かわいそうに。」


自分の体温を私に分け与えるかのように全身をぎゅっと抱きしめてくれて、さっきまで冷たかった体がぽかぽかと熱を持つ。一生この腕の中に居たいーー。それは絶対に叶わない想いだった。彼は夢の中の人で現実には存在しないし、これも全部私に都合のいい理想の男性を想像して好き勝手夢の中で遊ばせているだけの夢。単なる妄想でしかない。夢の中にずっと居たいだなんて馬鹿げた考えだ。でもそうだと分かっていても、私は自分の理想の男性に惹かれている。それを裏付けるようにドキドキと心臓が高鳴る。


「私夢人さんが好き。」


言葉にしてしまえば簡単だった。


「うん、僕も好きだよ。」


抱きしめてくれる腕も、大きくて温かい体も、この大きくて骨ばった男の人らしい長い指も、触るとサラサラな髪も、低く胸に響く声も、その声が発せられる薄い唇も、笑った時にニッと口角があがる所も、たまに拗ねて口を尖らせる所も、必死に私を守ろうとしてくれた所も、死なないでと縋り付くように囁かれた言葉も、キスをする時に初めは私の下唇に吸い付く癖も、夢中で唇を貪る時に溢れる吐息も、息をさせてくれない熱いキスも、全部全部好きな所だった。


夢に見てしまった自分の理想の男性を好きにならない方がおかしい。この気持ちは抱いて当たり前の感情。


「これは夢だから、何してもいいよね。」


そう、これは夢だから何をしても私の勝手だ。妄想の世界で何をしようと悠太に負い目を感じる必要はない。絶対に叶うことのない想いなら夢の中だけでは夢人さんを好きでいさせてほしい。


「もうキスするの?」

「ーーまだしない。」


無意識にキスをしようと夢人さんの首に手を回して背伸びをして顔を近づけいた。それを見て夢人さんは意地悪に口角を上げて聞いてくる。どうしてか夢の中だとお互いにキスをしたくて仕方なくなってしまうみたいだ。これは目覚めが近くなるほどその気持ちが大きくなっているんだと思う。今はまだ我慢が出来る程度で、まだまだ現実の私は目を覚まそうとしていない。


「僕もまだしたくない。」


それは言い換えればもっと一緒に居たいだった。低く心地よい声色で優しくそんな事を言われればドキッと心臓がざわついてしまう。そしてこれが自分の見ている妄想で、私がそう夢人さんに言わせているのだとしたらとても恥ずかしい事でもあった。つくづく自分の都合のいい夢で笑ってしまう。


「どうして笑っているの?」

「ふふ、夢の中って何でも思い通りになるなって。」


全て私の頭の中で起こっている事だし。実際に頭で考えてなくてもきっと心の奥底ではそうなってほしいと思っている事のはず、だからこの世界は私に優しくて居心地がいい。


指を絡めてあてもなく道を進む。1人だと心細かった道も夢人さんと一緒なら何も怖くなかった。夢人さんは私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれている。


「そっちには行かない方がいいよ。」


気がつけば私は水辺を渡って向こう岸に行こうとしていた。片足が水に浸かっていて冷たかった。夢人さんは強めに私の手を引いて水から遠ざかるようにして歩く。私は振り返り、水辺を見ると白い手が手招きしていた。背筋がゾッとした。


「あれは何?」

「よくない者。気にしなくていいよ。綾乃は僕が守ってあげるから。」


良いものではないのは見ただけで分かった。もしあのまま水辺に居たらどうなっていたのだろう。私は怖くなって考えるのをやめた。夢人さんに手を引かれ歩き続けると見知った道に出た。帰り道だ。そのまままっすぐ歩いて行けば家に辿り着くけどーー。


何故だか家には帰りたくなかった。


「ねえ夢人さん、別のところに行こう?」

「どうして?」

「わかんない。だけど、今こっちに行くのはダメな気がする。」


今度は私が夢人さんを引き止めた。あたりはしんと静まり返り、私と夢人さんしか存在しない空間。そのはずなのに、向かいから誰かがゆっくり歩いて近づいてくる。黒いフードの人が一歩一歩向かってくる。私は引き換えそうと夢人さんの手を引いて振り返ったーー。


「綾乃、そいつ誰だよ?」


振り返った先には手を伸ばせば届く距離に黒いフードを被った、悠太が立っていた。驚きのあまり心臓がギュッと締め付けられ、私は夢人さんの手を強く握った。今までも夢の中に悠太や友達が出てくる事はあったが、誰も夢人さんの事は認知すらしていない様子だったのに、初めて悠太が夢人さんを憎悪のこもった目で睨みつけて居た。


「悠太、どうしてーー。」

「誰だって聞いてんだろ!」


初めて悠太に怒鳴られて萎縮してしまって何も話せなくなる。こんなに怒り狂っている悠太は見た事がなかった。なんて言えば落ち着いてくれるのかわからず黙ってしまう。


「綾乃大丈夫だよ。これは夢だから。」


夢人さんが1歩前に出て私を背に隠すようにして悠太との間に入ってくれる。一瞬これが夢だという事を忘れてしまっていた。私は深呼吸をして夢人さんの後ろから悠太に声をかける。


「この人は夢人さんだよ。私の夢の中だけにいる人。」

「ふーん随分仲が良さそうじゃん?手なんか繋いでさ?こんな所でコソコソ浮気なんかしてたわけだ?」

「ち、ちがっーー」

「違わねえだろ!!俺に連絡よこさない間、そいつと一緒に居たんだろ!?」


怒りで我を忘れてしまっている悠太にはもう何を言っても届かないのかもしれない。青筋を立てて苛立ちを含んだ声で大きく怒鳴りつけてくる。私はふとその手に持つ物に気づいてしまった。鈍く光を反射するそれを見た私は夢人さんの腕を軽く引いた。


「そうやって、そいつを選ぶんだ。」


すっと悠太の顔から表情が消えて、無表情になった瞬間背筋が凍りついた。頭の中に警報が鳴り響く。私は考えるより先に夢人さんを両手で突き飛ばした。


「っ、綾乃っ!!!」


世界がスローモーションのようにゆっくり流れた。胸が燃えるように痛い、悠太の手に持った刃物は夢人さんのお腹を狙って振り上げられ、私が彼を突き飛ばした事によってそのまま私の胸を貫いた。倒れる私を夢人さんが受け止めて、悠太は刃物を握りしめたまま私を見下ろしている。


「ーーが、のが。綾乃が、俺を……裏切るから……、綾乃が悪いんだ。」

「綾乃っ!何で、僕は大丈夫なのにっ!!」


ポタポタと顔を濡らすのはーー、夢人さんの涙。ぼんやりともやが掛かっているその顔の奥が少しだけ透けて見えてきた気がする。白いシャツが私の血で赤く染まっていく。泣いている夢人さんに何か声をかけてあげたかったけれど、口から出るのは小さな喘ぎ声だけだった。


「ぁ……、ッ。」

「綾乃っ!ーー綾乃っ!!」


段々と身体から熱が引いて意識が遠くなっていく。私は静かにゆっくりと目を閉じる。

最後に見たのは私の名前を必死に呼び続ける夢人さんと、その後ろに立って再び刃物を振り上げている悠太。


「そんなに好きなら、お前も一緒に死ねよ。」


その顔はニヤリと口角を釣り上げ不気味に笑っていた。



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