第2話 夜の公園で深いキスをする


公園のベンチで一人座っていた。とくにする事もなく、ただぼんやり街灯を見つめていた。

夜の公園は人がいなくて少し寂しさも感じたが、誰の事も気にしないで物思いに耽る事が出来た。私は何を考えていたのだろう。


「やあ。」


声が聞こえてパッと横を見ると『彼』が隣に座っていた。いつもの白いシャツと黒いズボン。そこで私は自分が夢を見ている事に気づいた。いつの間に眠ってしまっていたのだろう。


「今日も会いにきてくれたね。」


『彼』の声が弾んで聞こえたので聞いてみる。


「私に会えるのが嬉しいの?」

「もちろん。綾乃が僕の世界だからね。」


嬉しそうに大袈裟に手を広げて私においでと声をかけてくる。抱きついてこいって事なのかな?そう思ってその腕の中に飛び込んでみる。大きな体は私をすっぽりと包んで抱きしめてくれる。こんなにリアルに感覚があるのに夢なんて信じられない。


「ねえ、本当に名前はないの?」

「うん。本当に名前はないよ。」


名前がないっていうのは不便だった。『彼』は現実世界では誰なんだろう。私の理想の姿ならそれに似た人物はいるはずなんだけど……。顔を上に向けて下から『彼』を見上げてみる。やっぱりモヤがかかった様になっていて顔が見えない。口元だけは見えるけど、その一部だけじゃ『彼』が誰かだなんてわからなかった。


「呼ばれたい名前とかはないの?」

「特にないかなあ。名前が必要だったら綾乃が好きにつけてくれていいよ。」

「えー、じゃあ……夢人ゆめひとさんとか?」

「はは、そのまんまだね?夢人か……、うん、いいね。夢人。」


夢の中の人だから夢人なんて簡単すぎたかな?でも、何も思いつかなかったし。夢人さんも何度もその名前を反復して呟いて満足してくれたみたいだった。


「さて、もっとこっちおいで。」

「わ!」


いきなり夢人さんが脇の下から体を掴んで私を自分の膝の上に乗せた。軽々と持ち上げられた私は夢の中でなら羽の様に軽いのかもしれない。夢人さんの膝の上に乗せられて、顔との距離が近くなる。けれどもやはかかったままで一向に顔は見る事が出来ない。ためしに夢人さんの顔に触れてみる。


「どうしたの?」

「どんな顔なのかわからないから、触って確かめようかなって。」


輪郭ははっきりわかる、唇も。そのまま上に手を滑らせてみる。一応鼻はある?鼻筋はしっかり通っていておそらく高い鼻。目の当たりは危なくない様にゆっくりと触れる。


「夢人さんもしかして、目を瞑ってる?」

「うん。だって目の中に指入れられそうで怖いから。」


夢の中でも怖いとかあるんだと思って面白くて笑ってしまう。夢人さんは不服そうに唇を少し尖らせた。表情は見えないけど、そんな顔してるのかな。目の当たりは触ってもどんな感じかは全くわからなかったけど、まつ毛は長そうだった。


「もう気が済んだ?」

「うん、ありがとう。あんまりわからなかった。」

「顔なんて気にする事ないよ。唇さえあればキスはできるし。」


そう言って夢人さんは私に顔を近づけてくる。私は両手で唇を隠してそれを阻止する。


「だめっ!」

「どうして?」


むすっとした顔をしてる。多分。唇がまたむっとしているから。私は夢人さんの肩を押して顔を離す。


「だって、キスしたら起きちゃうんだもん。」

「綾乃は起きたくないの?」

「せっかくだからもう少し話しがしたい。まだ起きたくないの。」


それにずっとキスをしなかったらどうなるかも気になる。私はずっと夢から覚めないのか。それとも普通に何事もなく目覚める事ができるのか。夢人さんは少し首を傾げて考える素振りを見せて、納得してくれたのか私のことを抱きしめた。


「いいよ、もう少し話そう。」


抱きしめられると安心できるのはなんなんだろう。そして夢の中のはずなのに全身の感覚がしっかりある。夢人さんの体の体温もしっかり伝わってくる。暖かくて少し硬い胸板に耳を当ててみる。ドクンドクンと心臓の音もしっかり聞こえていた。


「どうして私が夢人さんの夢を見るかわかる?」

「前にも言ったけど、綾乃が僕に会いたいって思ってくれるから僕の夢を見るんだよ。」

「でも、最初はどうして?私夢人さんに会った事もないのに。」

「それは僕にも分からない。だって、僕は綾乃の夢だから。」


初めて夢人さんの夢を見たのはいつだったかな。思い出せるのはここ1週間はずっと夢に夢人さんが現れている事。もしかしたら忘れているだけでその前にも見ていたかもしれない。


「私が起きている間は、夢人さんはどうしているの?」

「どうもしていないよ。その間は何もないから、消えているんだと思う。」


夢人さんは手持ち無沙汰に私の髪を撫で始めた。あまりこの話には興味がなさそうだった。


「どうして私たちキスをするようになったの?」

「どうしてだろう、したいって思ったからなんじゃないかな?僕はただ、今もずっと綾乃にキスしたくてたまらないよ。綾乃がキスをする夢をみたいって思っているのかもしれないね。」


優しく笑いながら私の唇を親指で撫でてくる。

私がそんな破廉恥な夢をみたいって思ったからーー?私の深層心理が理想の男性をキスをしたがっているって事?

唇を優しく撫でられると私もキスをしたくなってくる。だけどせっかく夢って気づけたんだからもう少し話をしていたお。


「ゆ、夢人さんには自我はあるの?私の夢って言ってるけど、私の思った事ならなんでも出来るって事なの?」

「僕だって多分ある程度自分で考える事はできるよ。けど、それが本当に自分の意思なのかは分からない。そんなの綾乃だって分からないでしょ?」

「そうだね。」


ためしに私の事を思いっきり叩く夢人さんを想像してみた。全身の感覚があるって事は痛覚も存在しているのかそれも試してみたかった。しかし一向に夢人さんは動く気配がない。


「僕はそんな事したくないよ。」

「待って、考えてる事わかるの?」

「なんとなくね。あ、じゃあ、僕は綾乃の考えてる事に逆らう事も出来るってわけだ。」


私の夢なのにいう事を聞いてくれないのはどうなんだろうか。夢人さんの口元はニヤリと口角が上がっている。


「もういいでしょ、僕は綾乃とキスしたい。」

「ええ、待ってまだ、もう少しーー。」

「もう待てない。」


逆らう事を覚えた夢人さんは私の頭と顎を捕まえて逃げられない様にして口付ける。今日はもう仕方ないか、私は諦めて夢人さんの首に手を回してキスに答えた。


「起きるまでキスしてよ?」

「えっ、んーー、っぁ。」


夢人さんの口が開いて、私の唇を軽く舐めた。深いキスを求められるのは初めてで、びっくりして思わず流れで唇を開いてしまった。口の中に夢人さんの熱い舌が入ってきて舌同士が絡まる。


「ぁっ、ゆめ、ひとさ、んっ。」


何度もわざとらしく音を立てながら唇を重ねて舌を吸われて、私の頭がぼんやりしてきた頃に空が明るくなってきているのに気づく。


「はぁ、もう、お別れだね。」


熱い息と共に寂しそうな声色で囁かれる。そんな寂しそうに言われたら切なくて胸が苦しくなってしまう。私は安心させる様にゆっくりと夢人さんにキスをして言った。


「また来るから。」

「うん、待ってる。」


世界が明るくなって私たちは光に包まれて、眩しすぎて目を開けていられないぐらいになるとーー。目を覚まして私は部屋のベッドで横になっていた。カーテンの隙間から光が差し込んでちょうど私の顔に当たっていた。それを避ける様に布団に潜って、先ほどの夢を思い出して悶える。


自分の心の奥ではあんなキスしたいって思ってたって事!?私欲求不満なのかな!?


恥ずかしすぎてしばらく布団から出ることが出来なかった。

落ち着いた頃に布団から顔を出して起き上がって夢人さんの事を思い出す。いつもは普通にキスして終わるのに、今日は長めだった気がする。自分の唇に触れてみる。お互いに貪り合う様にキスをしていた、それはとてもーー


「ーー気持ちよかった。」


ハッとなって唇から手を離す。夢人さんがあんなキスをするから頭から離れなくて困ってしまう。きっとあれは夢人さんが勝手に私の考えに逆らってした事だきっと。次会ったらなんか仕返ししないと。って……あれ。私次も夢人さんの夢を見ようとしていた。私は頭を左右に振ってその考えを捨てようとする。


あれはただの夢。私の妄想。悠太がいるのに他の人とキスをする夢を見ようとするなんて良くない。


「はぁ。」


吐いたため息が思ったより大きく出てしまった。私はどうしてしまったんだろうか。夢の中では悠太の事は忘れてしまって、夢人さんにまるで恋人のように触れ合ってしまう。今までは夢なら仕方ないって思っていたけど、今日の夢は完全に覚醒していた。自分の意識で夢人さんに触れた。


これは心の浮気になるのだろうか。


スマホの画面を見ると悠太から今からバイトー。とメッセージが入っていた。もう1時間前に来たものだったので、終わる頃に返信しようと私は出かける準備を始める。今日の講義は3コマ目だけなので時間には余裕があったが、最近夢をみすぎているせいで頭がスッキリしないため湯船にでも浸かろうと思う。湯船を洗って湯を張っている間に簡単な食事を作り適当な動画を見ながら口に入れる。


意外と早くお湯が張り終わったので、食後の入浴は体に良くないと分かっていたけどあまり気にせず入る事にする。少し熱めのお湯に全身を浸からせる。気持ちよくてため息が出る。湯船の淵に頭を乗せて今日の予定を考える。

まずは準備して大学に行って、講義を聞いてーー。悠太は4コマ目も受けるはずだから私はその間は買い物でも行こう。その後は一緒に夜ご飯を食べて、悠太今日は家にくるかな?明日は私が昼からバイトだからゆっくりは出来ないけどーー。

あんな夢を見た後だから少し人肌が恋しくなっていた。夢人さんに抱きしめられると安心したし、キスをされると心が疼いた。確かに私は欲求不満なのかもしれない。それが解消されれば夢人さんの夢はもう見なくなるかな?


だけどそれはちょっと寂しい気もする。


またそんな事を考えてしまって、何を考えてるんだと私は頭の先まで湯船に浸かった。

その瞬間にバタンと大きな音がしたと思ったら勢いよく体を湯船から引きずり出された。そして乱暴に顔を掴まれて唇を押し付けるだけのキスをされる。一瞬何が起きたかわからなかった。びっくりして心臓が大きく音を立てて鳴っている。


「早く起きて!」


取り乱して声をあげる夢人さんは珍しかった。こうやって目の前で必死に私にキスをして起こそうとする様子を見て、やっと私は夢を見ている事に気づく。


「え、あれ、私寝てるの?」

「どうしてこんな所で寝るんだよ!あぁ、もう早く起きて!」


声色から相当焦っている様子がとれる。いつからが夢だったのか私には分からない。もしかして湯船に浸かったまま寝ちゃった?


「起きる、起きるから。落ち着いてっ!」

「死なないで、お願いーー。」


痛いぐらいの力で抱きしめながら夢人さんは縋る様に囁く。どうしてただの夢なのにこうも胸がざわつくんだろう。落ち着かせる様に夢人さんの背中を撫でる。大きな体が小さく震えていた。


そのまま意識が遠くなっていって、私はぐったりと湯船の淵に腕をかけていた。慌てて湯船から出ると頭がぐわんと揺れてしばらく動けなかった。バクバクと心臓が大きく鳴っていて、脱水症状を起こしているのか口の中が酷く乾いていた。なんとかシャワーの蛇口に手を伸ばして水を出すことが出来た。冷たい水で火照った体を冷やす、そのまま口に水も含む。シャワーの水をそのまま飲める日本で本当によかった。


しばらくしてやっと動ける様になった頃には体はすっかり冷えてしまっていた。もう一度湯船に浸かろうかと思ったけど、また寝てしまうかもしれないと思って怖くて入れなかった。私は暖かいお湯をシャワーから出して体を温めてから浴室を出た。頭がクラクラとして、頭痛もする。こめかみあたりが脈打つ様に痛みを感じる。心臓も動悸が激しいままだった。少し動くと胃の中のものが逆流仕掛けて、私は走ってトイレに駆け込んだ。食べたものを全て吐き出してしまった。


スマホの画面を見ると私は長い間湯船に浸かっていたみたいで、時間は昼を過ぎていた。今から準備しないと講義に間に合わない。しかし、このフラフラとした状態で大学に行けるとも思えなかった。冷蔵庫から水のペットボトルを1本取ってちびちびと飲んで体に水分を戻していく。


頭痛はまだ治らない。今日の講義は出席を取らないものだから休んでも問題ないだろう。私は水を持ったままフラフラと布団に飛び込んだ。頭も痛いし体もだるい。スマホの画面を見るのも目が痛くてつらかった。悠人には後で連絡してーー、夢人さんには感謝しないと、な。

私のことを必死で起こそうとして取り乱す夢人さんの姿を思い出して顔が綻んだ。私は布団に体を預けそのまま目を瞑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る