第12話 落ちたリーベルと飛行

 リーベルは、リスタルドが魔法を使ったところを初めて見た。いや、実際にはもう使った後だったが。

 リスタルドって、本当にちゃんと魔法が使えるんだぁ。

 彼が聞けばがっくりしそうな感想を、リーベルは抱いた。結界内に入ったら、リスタルドに頼るつもりでいたくせに。

 彼が間違いなく竜だということは知っていても、魔物の群れをここまであっさりと退けられるとは思っていなかったのだ。

 しかし、以前に「飛ぶ以外のことは、ぼくにもだいたいできるんだよ」と聞いていたから、できても当然。

 リーベルが、リスタルドのことを過小評価しすぎなのである。

「テーズ、傷付けちゃ駄目だ。仲間が怒ってますます収拾がつかなくなる」

 へたすれば、それを見た鴉以外の魔物達までが、彼らを敵とみなして襲ってくる可能性もある。

「だけど、こんなの相手にどうしろって言うの。風に巻き込んでも、魔物なんだからすぐに立ち直るわよ」

 実際、地面に落ちてしまった鴉は、すぐに宙へと舞い上がっていた。ダメージは少なく、やる気は失せてないようだ。

「それはそうだけど……。あ、次に来たら傷付かない程度に水を当てて。羽が重くなるのをいやがって、近付いて来なくなるはずだから」

「水、ね。魔物相手に効くかしら」

 言われた通り、向かって来た鴉にテーズは水をぶつける。

 水をかけられた鴉達は落下こそしなかったが、ダメージはそれなりだったらしい。ふらふらと後退してゆく。

「なるほど、これなら何とかうまく片付きそうね」

 そうは言っても、数が多い。さっきのように一気に向かって来たら一気に片付くのだが、まるで編隊でも組むように、数羽ずつのグループであらゆる角度から飛んで来る。

 ただでさえ、鴉は知能が高い。魔物になれば、さらに狡猾になるのだろう。

「や、やだっ」

 その声にリスタルドが振り向くと、彼を狙うのとは別の一群がリーベルに向かっていた。それに気付いたリーベルが、必死に逃げて。

 リスタルドは、すぐにその鴉達に向けて水を放つ。しかし、すぐに別方向から次が現れ、リーベルも方向転換して逃げた。

 それが何度か続く。

 不意にリスタルドは、リーベルの逃げる方向から風を感じた。魔物の息吹、ではない。吹き抜けてゆくような……。

「リーベル、止まって!」

 彼女を追っていた魔物を退け、リスタルドが叫ぶ。

 しかし、勢いづいたリーベルの身体は、そう簡単に止まらない。

「え……」

 突然、目の前が開けた。同時に、リーベルの足下に地面がなくなっている。

 あっと思った時には、遅かった。

「きゃああっ」

 傾斜でもなく、穴があるでもなく、そこは完全に崖だった。

 周囲にあった木やツルのたぐいを掴む暇もなく、そのままリーベルの身体は落ちて行く。

「リーベルッ!」

 彼女が消えた方へ走り、何も考えずにリスタルドはそのまま身を躍らせる。

 数羽の鴉が未練がましく頭上を飛んでいるのも、置いてくる形になってしまったテーズのことも、今のリスタルドの視界からも頭からも完全に消えてしまっていた。

 その目に映っているのは、リーベルの姿だけ。

 いっそ真っ直ぐな断崖絶壁ならよかったのだが、所々に突き出た岩がある。リーベルの身体がわずかながらそこにかすったのが見えた。

 さっきとは違う、短い悲鳴。

 しかし、そのために落下速度がわずかに落ちた。

 同時にリスタルドが風を起こし、リーベルの身体を押し上げるように仕向ける。一瞬だが、リーベルの落下速度が緩くなった。

 そこへリスタルドが手を伸ばし、リーベルの指を掴まえる。さらに少女の腕を掴み、自分の方へ引き寄せると、そのまま彼女を抱き締めた。

 しかし、彼自身は落ちるにまかせているので、リーベルは再びリスタルドと共に崖下へ落ちて行く形になる。

 このままだとぼくはともかく、リーベルが……。

 リーベルは落ちる恐怖か、岩にかすった衝撃でか意識を失っていた。右腕は服が破れ、血に染まっている。

 地面ははるか下。暗い谷底だ。川が伸びているのが見えた。いくら落ちる場所が地面でなくても、このままこの高さから落ちれば、リスタルドもある程度のダメージは受けてしまうだろう。

 それでも、竜である彼が命を落とすまでには至らないし、すぐに回復できる。

 しかし、リーベルは間違いなく死んでしまう。

 リスタルドがどういう形で彼女を抱き締めて守ろうとしても、人間に耐えきれるショックではない。

 たとえ落ちた場所が水の中であっても、大きなケガをしているリーベルには大した慰めにならないだろう。今でさえ、危険な状態だ。

 駄目だ、このままじゃ……飛ばなきゃ……飛ばなきゃ!

 飛ぶことだけを考えた時、リスタルドは身体が熱くなるのをはっきり感じた。

 次の瞬間、浮遊感を覚え、まっすぐ落下していた身体は緩やかなカーブを描き、地面と水平に移動を始める。

 あれ、ぼく……飛んでる? 風に乗っただけじゃなく、翼を動かして……え? 翼? ぼく、竜に戻ったつもりはないのに。

 確かに、リスタルドは飛んでいた。眼下を流れる川面には、翼を現わした自分の影がしっかり映っている。

 しかし、それは竜の形ではなかった。人間の姿のままで、翼が加わっただけの影。

 人間の姿の時は、全然できなかったのに……。

 カルーサやプレナから聞いて、人間の姿でも飛ぶことができるとは知っていた。練習もしようとした。

 しかし、今までは飛ぶどころか、翼すらも現れてはくれなかったのだ。

「人間の姿なら、身体が軽いし小回りも利くから飛びやすいとは思うけれど……翼を出すまでが大変だからね。竜が人間の姿で飛ぶ状況なんて、ないとは言わないけれど、あまりないから。つまり、竜にとってはちょっと不自然な形になるの。不自然なことをしようとすれば、その分魔力も必要になるわ。リスタルドにすれば、どっちにしても大変なことに変わりないわね」

 以前、プレナにはそう言われた。なので、練習の時は竜の姿でやることの方がほとんどだったのだ。

 それなのに、まさかここでいきなりできるとは思わなかった。状況に追い詰められての結果だろうか。

 確かに、風の抵抗なども小さいので、大きな竜の姿よりもコントロールはしやすいように思える。今はリーベルがいるので腕に多少の不自由さはあるものの、それでもリスタルドは今までで一番調子よく飛んでいた。

 風の流れに乗っているだけではなく、確かに自分の力で飛んでいるのだ。

 ずっと川の上を飛んでいると、やがて小さな滝が現れる。それを見下ろしながら飛ぶのは気持ちがよかった。

 すごい。飛ぶって……こんなに心地いいんだ。今までこんな気持ちで飛んだこと、なかったよね。

 滝を落ちた水は川幅を広げ、流れを緩めてさらに川下へと向かう。太陽はすでにかなり傾き、川面は朱色に染まって。

 それを見ながら飛んでいたリスタルドは、ふわりと何か柔らかい物を突き破った……ような気がした。

 今のは……しまった。竜の結界!

 歩くより断然スピードは速いのでゆっくり認識する暇がなかったが、竜の結界を突き破ったのだ。せっかく結界の中へ入り込んだのに、外へ飛び出てしまったことになる。

 それに、いつまでも飛んでいる場合ではなかった。

 腕の中には、負傷したリーベルがいるのだ。早く彼女の手当をしなければ。

 リスタルドは上昇し、身体をひねらせて方向転換した。急いで今飛んで来た方へと戻り始める。

 さっき抜けた結界を再び突き破って中へ入ったものの、逆方向へ飛んでしまったと気付くのが少し遅かったらしい。

 高度がどんどん下がってきた。

 翼を動かそうとするが、さっきまでとは違い、思うように動いてくれない。身体が重くなってきた。飛ぶ力の限界がきてしまったのだ。

 このまま下手に墜落するよりは……。

 無理をして飛び続けていれば、そのうち完全にコントロールを失って落ちる。

 これまでの経験で、それはいやという程わかっていた。そうなる前に、少しでも自分で方向が決められるうちに降りた方がいい。

 少しでも元の位置、リーベルが落ちたあの崖付近まで戻りたいが、リスタルドは無理をするのはやめた。

 ルマリの山で練習しているのとは訳が違う。今は自分だけではないのだ。

 あれこれ考える間もなく、リスタルドがどうこうする前に飛行力の方が勝手に落ちてくる。

 やがて、さっき通り過ぎた滝の手前まで来て、リスタルドは着地した。できれば滝の上まで戻りたかったが、無理に飛んで滝へ落ちても困る。

 今は川岸に無事「着地」できただけでいい、としておいた。

 背中の翼が自然に消え、その両足に自分とリーベルの重みがかかる。

 リスタルドはリーベルを抱いたまま周囲を見回したが、ゆっくり休めそうな場所はなさそうだ。

 これ以上、リーベルを動かさない方がいいな。……ごめん、リーベル。ぼくが調子にのって飛んでたりしたから。いや、反省してる場合じゃない。それは後だ。

 川岸は砂か砂利しかない。川から離れ、森へ入ろうかとも考えたが、休める場所があるとは限らないのだ。

 今はこれ以上、リーベルを抱えたまま動き回ることはしたくない。

 かと言って、砂利の上に少女を置くのに抵抗があったリスタルドだが、石と石の間から顔を覗かせた根性のある雑草を見付けた。

 それに自分の力を注ぎ、一気に増殖させる。それは毛足の長い緑の絨毯のようになり、リーベルの寝相がどんなに悪くても、何度寝返りを打っても落ちないくらいの面積にまで広がった。

 リスタルドは、その上にリーベルを横たえる。

 苦しげな表情。意識は戻りそうにない。岩で切れた右の上腕部。服はもう吸い取れない程に、血でぐっしょり濡れている。

 リスタルドは傷に触れないようにして、袖部分を引きちぎった。血の臭いを嗅ぎ付けて魔物が寄って来ないうちに、燃やしておく。

 骨は……大丈夫、かな。人間の傷なんて今まで治したことはないけれど、ためらっていたらリーベルの具合がどんどん悪くなる。

 リーベルが拒否したとは言え、出会ったあの場で帰らせなかった点はリスタルドにも非がある。

 彼女の傷は、リスタルドのあいまいな態度が招いた結果だ。責任を持って治さなければ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る