駆け引き


「……あはは、そうさ」


 空きビルに連れ込み、拝島を椅子に縛り付けて直ぐに聞くと、彼はあっさりと答えた。


「君らの言う通りだよ。秋本深矢、君をあの時気絶させ、先代殺害の罪を着せるよう工作したのは俺だ」


 しかしそれ以外のことは何も答えなかった。


「実際に殺したのもお前か?殺しを指示したのは?SIGの『権力者』ってのは誰なんだ?」


 いくら聞いても、圧力をかけても、ニヤリと笑みを浮かべたまま黙っているだけ。


 拝島は何かに固執しているように、口を閉ざし続けた。

 そうなると、熟練の工作員スパイから情報を聞き出すというのはそう簡単なことではなかった。


 拝島を監禁してからもうすぐ四十八時間が経とうとしている。その顔は立て続けに受けた暴行で歪に赤く腫れ上がっていた。


「……朝だ。一旦休もう」


 深矢の提案に拝島の頭を鷲掴みにしていた茜が乱暴に手を離した。見るも痛ましいその頭が項垂れる。


 拝島が最後の砦。

 頑固に寡黙を続ける姿にそう感じているのは深矢だけだろうか。


「次は爪だ」


 そう宣告して部屋を出る。

 隠れ家代わりの古い空きビルの扉を閉めると、埃臭い部屋の真ん中で海斗が真剣な面持ちで腕を組んでいた。


「あいつが爪一枚で吐くとは思えない、となると一枚も十枚も同じことだぞ」


 冷静なその言葉に顔を顰める。


「……何も爪は十枚だけじゃない。手で駄目なら足の爪。それでも吐かないなら指の骨を折っていくまでだ」

「過激だな」


 真実を知るためならどんな事でも厭わない。

 そう決めたから。


 しかし、そう言い聞かせつつも、海斗の言う事が正しいことは感じていた。


 喋る気があるならとっくに話している。拷問をして分かったことは、拝島はカメレオンとは違って協力的でない、ということだけだ。


「あいつを脅せるネタがあればいいんだけどな……」


 海斗の声にも憤りが見え隠れしていた。姉の情報網が使えない今、情報不足に苛ついているらしい。


「……これ以上は無駄かもね」

 フラリ、と海斗の背後から由奈が姿を現した。


「だとしたらどうするんだよ?」

 茜が返り血の付いた手を伸ばしながら視線を深矢に向ける。


 最後の砦が崩せなかったら。その時は——

「……もう少し考える」


 今ここで一歩でも行き急いだら、全てが振り出しに戻ってしまう気がした。

 まるで今自分達は、双六の「ふりだしにもどる」マス目の手前にいるかのような。


 ……嫌な予感だ。


「見張り、交代するよ」


 重い沈黙を破るように、由奈は部屋に向かって行った。


「みんなは休んでなよ。多分これ、集中力が物言う駆け引きになるから」


 ギィ、とドアを軋ませて扉の向こうに消えた由奈に、海斗もやれやれと首を振った。


「……由奈の言う通りだ。焦ったって仕方ないな」


 そして海斗が由奈の後ろについて行こうとした時——深矢のスマホが鳴った。


 非通知である。

 それを確認して電話を取ると、団長の芝居かかった声が深矢の耳に飛び込んできた。


『やぁ調子はどうだい?知りたい真実は知れたかな?』


 咄嗟に、静かに、と海斗と茜に合図を送る。


「……シフトの相談なら後にしてもらえると助かるんすけど」

『ふむ……やはり手こずっているようだね。ところで手間を取らせるようで悪いのだけれど、店まで来てもらえるかな。急ぎの用事なんだよー』


 仰々しく困った風な声を出す団長。


『あぁ、そこに居るであろう他二人にも伝えてくれるね?』


 当然のように深矢達の動きは見透かされている。


「分かりました」

『頼んだよ』


 観念して返事をし、他二人に向かって肩をすくめた。


「団長のお呼び出しだ。間が悪いな」

「まぁ、由奈に見張りは任せて休憩しようってことでいいんじゃないか?」


 この場を離れることで、何か状況が変わればいいが。

 深矢達は拝島のいる部屋の扉に後ろ髪を引かれながら、団長のもとへ足を向けた。


 ***


「この顔に見覚えはない?」


 茜が扉を開けようとすると、中から淡々とした由奈と絶え絶えの拝島の声が聞こえた。


「……なまえ、は」

「高城……」


「由奈」

 口を挟む形で扉を開ける。

 驚いたように振り向いた由奈の向こうで、拝島の腫れた顔が恐怖に強張るのが見えた。


「……あれ、茜。呼び出しは?」


 由奈の疑問に茜は自分の両手を上げて見せる。


「こんな血だらけで行ったら何事かと思われるからさ」

「そっか、そうだね」

「あとは、個人的に気になったことがあったから」


 そして威圧をかけるよう、あんたさ、と拝島を目の前で見下ろす。


「どうして黙ってる?いくら待ったって、組織の奴は助けに来ないんだろ」


 拝島を監禁して四十八時間。

 先日のエージェント暗殺の件では、深矢が査問会に連れて行かれたのはわずか数十分後のことだった。


 このタイムログには意味があるはずだ。つまり——


「あんたは組織に見捨てられたんだ。ここに助けは来ないし、逃げる場所もあんたには無い。そうだろ」


 拝島は答えない。

 それがただの意地なのか、それともまだ何か救いがあるのか、茜には判断できない。


「話せばあんたは五体満足で解放されて、好きなように生きていけるはず。黙ってたって何の得もしないってのに、話さないのはあれか?『組織の権力者』って奴がいるからか?」


 詰め寄ると、拝島が微かな声で「そうだな」と呟くのが聞き取れた。


「確かに俺は捨て駒らしい……けど、ヌルい頭は君もだろう……」


 バカにされたようで、思わず眉を顰める。

 同時に痣だらけの顔でククク、と笑われた。

 間違いなく、バカにしているのだ。この圧倒的不利な状況下で。


「……身近な奴の異変にも気付きやしない」

「あ?何だって?」

「そうか、地獄の使いか……俺は餌……前から決まって……」


 気が触れたのだろうか。誰に話す訳でもなく独り言をブツブツ呟いている。


 茜はそれに不穏な様子を感じ、一歩身を引いた——その途端。


「離れて!」


 火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか、拝島が縛りつけてある椅子ごと、噛み付かんばかりの勢いで前方に飛んだのだ。


 そこは今の今まで茜の腕があった場所だった。

 ……こいつ。


 茜が反射的にいきり立って睨むと、拝島は倒れ込んだ床から茜を睨み上げ、ニヤリと笑いながらペッと何かを吐き出した。


 一本の釘だった。どこで仕込んだのか——あれで噛み付かれていたら相当な痛手だ。


「てめぇ……五体満足のままじゃ物足りないみたいだな……!」


 いくら反撃を試みようと、拝島の状況不利は変わらない。

 情けは無用と再確認し、茜はその顔面を思い切り蹴飛ばした。

 拝島がむせ、歯のかけらのような白い物が吐き出される。もう一度蹴ると、拝島は意識を失ったようでむせることもしなくなった。


「……茜、やり過ぎ」


 他に何か仕込んでないかを確認していると、由奈が汚い物を見るような目で拝島を見下ろしながら言った。


「腕は曲げるし歯は折るし……顎の骨やってたら喋れないじゃん」

「挑発したこいつが悪い」

「そうかもしれないけどさ……」


 拝島が武器を隠し持っていないことを確認し、時間を確認する。少し急がなければ。


「由奈。気を付けろよ」


 由奈が神妙な面持ちで頷いた。

 拝島にはまだ何かある。そう感じるのは由奈も同じらしい。


 ふふっと由奈は緊張を和らげるように笑った。


「早く行った方がいいよ。私は大丈夫。顎の骨も折らないようにするから」


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