猫の仕業


 ——翌日——


 深矢のアパート前に停めた車の中に、ゴツンと痛そうな音が響いた。


 頭をドアにぶつけた監察官はその拍子に目を覚ました。

 うたた寝をしてしまったらしい。

 その音でもう一人の監察官もハッと目を覚ます。

 二人は目を合わせ——弾かれたように、同時に時間を確認した。


 23:01:14。

 ホッと、胸をなで下ろす。

 意識を失ったのは、どうやらほんの数分のようだ。


 秋本深矢の自宅を監視するカメラの映像を見ても、何も変わった様子はない。

 異常はない。


 組織への反逆の疑いをかけられ、謹慎を命ぜられた男がこのタイミングで脱走などしたら、それは反逆を認めることとなる。


 さすがに今脱走する馬鹿ではないだろう。

 二人はそのまま監視を続けた。


 そして一時間ほど経った頃——


 静かだった住宅街に、ブロロロ……とバイクの音が鳴り響いた。


 嫌な予感がした。

 窓を覆うカーテンを開けると、ちょうどバイクが通り過ぎるところだった。


 白いヘルメットを被り、後ろには紙束を積んでいる——新聞配達だ。


 もう一度時間を確認する。0:14:38。

 おかしい。まだ夜中だというのに……


「注意深く監視しなさい。秋本深矢は脱走の名人らしいですから」


 監察課の上司に渋い顔でそう忠告されたのを思い出した。


 まさか……寝ている数分の間に何かあったのか?

 だがカメラの様子は確認した。寝ていた数分間、動きは見られなかった。

 いや、そもそも寝ていたのは本当に数分だけだったのか?


 それに監視の任務を与えられた人間が、二人揃って同時に寝ることなど……睡眠薬でも嗅がされていたのではないか?


「……見てきます」

 もう一人の監察官に告げ、秋本深矢の自宅へと急いだ。


 ドンドン、と力強くドアを叩く。

 返答はない。

「……おい、おい!」

 焦りが募り、ドアノブをガチャガチャと回す。鍵がかかっていて、開けることはできない。


 ——まさか。

 ポケットから預かった合鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。


 そして勢いよく扉を引き開ける——前に、中から押し開かれた。

 反動で数歩、よろめく。


「……安眠妨害、嫌がらせですか?」

 不機嫌そうに、秋本深矢が睨んでいる。


「……いや」

 面食らったように、監察官は首を振る。逃げてはいなかった。

「異常がないかの確認だ」

 そう言って戻ろうとした監察官は、はたと振り向いた。


「ところで今は何時だ?」


 秋本深矢はさも不思議そうに——ともすれば芝居がかったように——首を傾げて答えた。


「……もうすぐ三時半ですけど」


***


「ふむ……二人で、それも一晩でここまでやってのけるとはな」

 大学長ボスが感心したように呟いた。


 その視線の先には、その日発売の週刊誌のとある一ページ。

 大きく見出しに『大麻に違法ソープ経営に武器取引……大手貿易会社の若手社員に一体何が』と打たれている。


 武器取引は会社ぐるみの裏事業だったはずだが、問題のあった若手社員にしわ寄せがいったのだろう。

 そう考える監察官の隣で、団長がニッコリと笑顔を浮かべた。


「お褒め頂き光栄です」

「あぁ、厳しい状況だったろうに素晴らしい。まるで分身でもいるかのような働きだ」

「本人達にも伝えておきましょう」


 本当にこれを全て、冴島と茜崎のでやってのけたというのか——そう疑問に思うのは監察官だけではなかったらしい。


 しかし団長の笑顔が崩れることはない。


「もう一人の方も問題は無かったようだな」

 諦めたように、大学長ボスが監察官を見上げる。監察官はえぇ、と頷いた。

 団長は相変わらず人形のように笑顔を浮かべている。


 大学長ボスの片手には報告書が握られている。秋本深矢の謹慎処分中に監視をさせた者の報告書だ。


 報告書には、特に目立った異常はなかったと書かれている。


「……文面上は、とでも付け加えておくとしよう」

 大学長ボスが試すような視線を団長に向ける。

 監察官はまさか、と嘲笑した。


「秋本深矢も自分の置かれた立場は理解しているでしょう。今ここで何かするとは……」


 監察官も大学長ボスと同じように団長に視線を向け——その口を噤んだ。


「……お前、何か知っているのか?」

「はて、何も存じ上げませんよ?ただ……」


 団長は芝居がかった動きで顎に手をやった。

「彼は探求者ですからねぇ……気になることがあれば追いかける。まるで獲物をめがけて走る犬の様に」


 その含み笑いは何を意図するのか。

 団長の表情の裏を見抜ける者はいない。


「その犬を、君には飼い慣らしてもらわないと困るのだが」

「どうでしょう。野良犬にリードは付けることはできません」


 そう言って団長は笑う。

 泣き顔のような目元に、口元だけは異様につり上がってている。


 ——気味が悪い。


「では君に、保健所の職員の役目を与えよう」

「……御意に。いざとなれば殺処分も厭わない心意気で、勤めさせていただきましょう……」


 監察官はその笑顔を横目に、なぜか背筋に悪寒が走るのを感じた。

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