ストーカーならお好きにどうぞ Ⅴ

 まただ。

 深矢は背中でその気配を感じていた。

 お前はどうして、俺を尾ける?


 深矢は志岐大学を出てからずっと、追跡者と鬼ごっこをしていた。圭と歩いている間も、秘密基地を出てからもずっと。

 どうせ監視か観察のためなのだろうから勝手に尾けさせておいてもいいのだが、今の自分には知られたくない事が多過ぎる。

 だからといって逃げ続けても、不毛な鬼ごっこが永遠と続くだけ。それもまた明らかだった。


 深矢は圭と一旦別れた後、郵便局へ行くわけでもなく、もう一度駅前まで戻り小さなコーヒーショップの店内へと向かった。

 昼間の閑散とした店内へ入り、アイスティーの一番小さいサイズを頼んでから二人がけの席の壁際へ腰掛ける。正面は駅前ロータリーに面した一面ガラス張りのカウンター席で入口もその席からは視界に入る。

 追跡者あいつなら、深矢の意図が分かるだろう。

 そして目論見通り、海斗は現れた。


「どうしてお前が俺を尾ける?」

 二人がけのもう一つの席の横に立った海斗に、見上げもせず深矢は問いかける。

「団長に俺の監視でも任されたのか?」

 海斗は何も答えずに深矢の正面に座った。


「田嶋陽一」

 そして、試すようにその名を呼んだ。

 真意は分からない。

 だが深矢の膝上置いた手の指先はピクリと反応した。海斗には見えていないだろうが。

 なのに海斗の目は細められた。


 茜にも海斗にも、『田嶋陽一』の名を話したつもりは無い。どうしてその名を知っているのか——訓練を受けた工作員スパイにとって、たかだか一般人の情報収集は容易いことなのだろう。


「田嶋陽一、十一月十七日生まれの十八歳。高校卒業後は青嶋学園駅付近のカレー屋で働くフリーター。両親共に海外赴任で一人暮らし。他に兄弟はない。学生時代の成績は優秀と呼ばれるに相応しいものだった」

 まるで脳内に台本があってその台詞を読み上げているかのように、スラスラと情報を暗唱する海斗。一通り言い終えると、深矢を吟味するようにテーブルに片腕をついて身を乗り出した。

「これだけの経歴なら大して不審な部分はない。強いて言うなら成績優秀なくせして大学進学しなかったってことくらいだな」


「親が学費を払ってくれなくて」

 深矢はかぶりをふった。海斗はそれを無視した。


「けど、実際の田嶋陽一の行動には不審な部分が多すぎる。その正体が例え工作員スパイだったとしてもだ」

 海斗の言う言葉の真意を見抜こうと、深矢はその瞳の奥を真っ直ぐに見つめる。しかし同じような目で見据えられては逸らして逃げる他はない。裏仕事に始まり圭のことや昔の事件のこと、海斗に知られたくない事は多すぎた。


 この状況は、一騎討ちだ。

 深矢が口を割るか、海斗が諦めるか。

 合図のように、カラン、とアイスティーの氷が溶けて音を立てた。

 同時に、黙秘を貫こうとする深矢に海斗が攻撃を仕掛けた。

「深矢お前、さっき大学で何してた?」

「友達と待ち合わせ」

「いや違う」


 海斗は即座に嘘を見抜いた。「ぶつかった教授から、何を盗った?」

 ——バレてたか。

 あの教授は、表こそ頼りない老教授だが裏ではSIGの構成員エージェントの一人だった。構成員といってもおそらく協力者レベルの人間で、SIGの根幹に関わる情報は持っていないだろうが、SIGの内部情報を得るには十分すぎるほどの手掛かりだ。松永組と手を組んで教授の情報を集めていたのはもちろん、圭にあの教授の授業を受けるよう勧めたのもそのためだった。


 当然、今日圭があの教授の授業に出ることも知っていた。

 だからわざわざ大学まで出向き、

「財布だよ」

 ——構成員の持つIDカードを盗った。

「あのオッサンのポケットから財布出てんの見てつい、な」


 本来SIGの構成員がIDカードを持つということは、SIGの存在の隠蔽のためにも禁止されていることだろう。しかしそれはSIGの根幹に関わる情報を持つ構成員だけの話で、一般人に近い協力者には発行されている。もちろん普通に警戒心を持っていればIDだけを記憶し、カードは破棄するなり隠すなりするだろうが、あの教授はまるで無防備だった。だから標的になったのだ。


「フリーターの趣味はスリかよ」

 海斗は呆れたように息を吐く。

「結構良い拾い物になったよ」

 本当のことを言う義理はない。盗ったIDはSIGのデータベースに潜り込むために使うのだ。あの教授にいくら警戒心が無いと言っても、協力者としての仕事をする上でIDカードを紛失したことには直ぐに気がつくはずだ。


 だから忍び込めるのは一度きり。

 青嶋学園長暗殺事件の関係者、カメレオンについて調べるための切符だ。


「じゃあその後だ。田嶋陽一の親しい友人、奥本圭」

 その名前を聞いた瞬間、深矢は射抜くような視線で海斗を睨んだ。

「あいつとは何——」

「放っておいてくれ」

 語気を強めて言う。今度は深矢が攻める番だ。

「圭には関わるな」

 有無を言わせない深矢の口調と姿勢に、海斗は少したじろいだようだった。

「……何かやましいことでもありそうだな」

「むしろその逆。圭は全くの一般人だ。それを、裏社会とは全く無縁な友人の身辺を、工作員スパイなんかに探られたくはない」


 これだけは深矢の本音だった。圭にしろ沙保にしろ、この三年近くで田嶋陽一として関わってきた人間を、裏の人間にまさぐられたくなかった。

 攻めあぐねるように、海斗が苦笑いを浮かべる。

「そりゃまた随分な物言いだな。それもそうか……」

 海斗が何かを言おうとした。しかし口を噤んで、負けを認めるかのように小さく首を振った。


「まぁいいよ。俺は深矢、お前の行動心理が読めればそれでいいからな」

「俺のストーカーしたいなら好きなだけどうぞ」

「お前が一週間にどれだけスリを働くか報告書にまとめて団長にでも出してやるよ……盗みばっかしてないで仕事しろよな深矢」


「その事なら、俺の分担はもう済んでる」

 深矢は言いながら、ポケットの中のSDカードをテーブルの上に出し、海斗の手元に滑らせた。

「社長秘書のメールアカウントに侵入したら全部出てきたよ。ヴィジュネル暗号だった」

「……ヴィジュネル暗号?随分古い、そんでもって有名な暗号を使うもんだな」

「もしかしたらその道齧ってるかもな、社長秘書は」


 要件は済んだ。

 深矢は立ち上がり、海斗の脇をすり抜けようとした。

 待てよ、と海斗の声が深矢を呼び止める。

「侵入から暗号解読までで一日もかかってない。お前一人でやった仕事には思えないな」

 海斗はよほど深矢のことを疑いたいらしい。

 懐疑的とも言える海斗の態度に、深矢は思わず笑みを零した。

「仕事が早い分には文句ないだろ」


「そうじゃない。深矢お前……本当にこの三年間、一般人として普通の生活を送ってきたのか?」

「もちろん」

 ニヤリと口元を歪めてみせる。

「俺的普通の男子高生を演じてたよ」

「……そりゃあ凄いな」


 対抗するよう、海斗の表情もより挑発的になる。

「三年間何もしないで腕が鈍らないんだな。俺だったら絶対に無理だ。そもそも、青嶋で習った事が外の世界でどれだけ通用するのか、試さずにはいられない」

 ……さすが、よく分かってる。


「そんなことしてたら、とっくにSIGにバレて俺はいなくなってるよ」

「俺の知ってる秋本深矢はそんなに無能じゃないし、なんなら無茶して冒険するタイプだ」

「人は居場所が変われば変わるもんさ」

 そう言い残し、海斗の横を通り抜ける。


 正直、限界だった。これ以上面と向かって話したらボロが出そうだ。

 背中に感じる、海斗の訝しげな視線を置き去りにし、深矢はその場を立ち去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る