空白の三年、危うい均衡Ⅲ
「こちら、今回の依頼者の安藤くん」
「ちっす」
団長に紹介されて軽く会釈をしたのは頭の割に大きなヘルメットを被った小柄な女。ゴーグル付きの軍事用ヘルメットからは中性的な顔立ちがのぞいている。女と分かったのは声が高かったからだ。
「安藤くんはSIGの銃器取扱係で銃器調達とその管理を担っていてね。今回はそれに関する任務」
団長に紹介され、安藤は片手を上げて軽く挨拶をした。その手には作業用のグローブがはめてある。
「どーも、後方支援部銃器取扱係でーす。普段は海外の武器商人の相手とか国内の銃器製造・密売の取り締まりもしてまーっす」
「……ということは、ずいぶんと身内の仕事っすね」
まぁね、と海斗の言葉に応えたのはその安藤だった。
「SIGは特定の武器商人からしか武器を調達しない方法をとっているんだ。でも、そいつが急に取引を止めると言い出してさ。どうやらうちより良い値で取引してくれる相手が現れたらしいんだけどその邪魔者を弾いて欲しいって仕事。別にわざわざ優秀な梟さんに任せなくてもいいとは思うんだけど、どう?」
馬鹿にする気なのか挑発的な視線を送ってくる安藤に対し、茜がケッとそっぽを向き海斗は軽く口をとがらせた。
「それ、その武器商人とさっさと縁切って新しい取引相手探した方が早くないですか?」
「だめだめ、そんなことしたら武器商人の間で波風立っちゃうでしょう?うちはあくまでも政府非公認の秘密組織。存在を知る者は極力減らしたいんだよ」
団長が腕を組みわざとらしく頭をひねる横で、朱本が無言で顔写真の表示されたノートパソコンを海斗達の前に置いた。黙っていながら不機嫌そうに見えるその顔はデフォルメらしい。
「これはあたしらが事前に調べた報告書。大したことは書いてないけどね」
安藤が指したそこには暗い倉庫で向かい合う男女の写真と簡単な情報が映されていた。一人は上海武器商人。女の方は日本人にしては目鼻立のはっきりした顔だった。ハーフといったところか。
「この女性は?」
深矢が問うと安藤は肩をすくめた。
「多分貿易会社の人間じゃないかな。最近噂でTCCとかいう貿易会社をよく聞くんだ。何でも裏で日本のヤクザなんかと取引してる商人に片っ端から取引持ち掛けてるみたいでさ、日本の武器密輸の窓口になろうとしてるらしいんだよね。まったく窓口業務はあたしらが裏で管理してるんだからやめて欲しいんだよなぁ。でもこっちの調査じゃ残念ながら詳しいとこまでは手が届かなかったよ。なんせあたしらは君ら本職のスパイと違って後方支援部の人間だからさ」
SIGの構成員は大きく四つの部署に分かれる。工作本部、情報本部、科学技術部、そして後方支援部だ。中でも一番の大所帯が工作本部でありその規模は全構成員の六割を占めるという。この工作本部がいわばスパイの巣窟で、その他三部署は情報解析や開発業務などすべて内勤となる。特に後方支援部は一般人出身者が殆どで、特殊な知識や能力を必要としない業務を主とする雑用係の扱いだと聞いたことがある。
安藤の仕事内容も聞いた限り「銃器に関する仕事全般」のようだ。そして今回、後方支援部内では解決しきれない案件が浮かんだ。内部の案件を解決する部署は設置されておらず、回ってきたのか団長が回収したのか落ち着いた先が梟というわけだろう。
大体の情報は頭に入った。あと知りたいのは——
海斗はそのノートパソコンを手元に引き寄せ、キーボードに手を置いた。
「まずはこの女性が誰で、どうやってコンタクトを取るか、だな」
海斗が口を開く前に隣に座る深矢が呟いた。三年間離れていても思考回路は鈍っていないようである。果たしてそれは天性の能力によるものなのか、それとも鈍らないだけの仕事をしていたということか。
海斗は一旦口をつぐみ、探るような視線で深矢を横目に見た。深矢は顎に手を当てて考え込んでいる。
「会社ぐるみの計画なら下っ端の社員に任せることはない……となると重役か社長付近のしかも女性、か」
そこで突然、深矢は顔を上げて海斗を見た。深矢を観察していた海斗は咄嗟に目を逸らす。
「海斗、会社名が分かってんならサーバーに潜り込むのも簡単だよな」
「……そうくると思ったよ。ちょっと待ってろ」
深矢への疑心を脳の隅に押しやり、海斗は映し出された画面に向き合う。重役か社長付近の人間の女となると数も限られているし、一般企業のハッキングなど訓練を受けた工作員にとっては造作もないことである。
「それで?その女の付近に潜り込むのはどっちにするよ?」
待ちきれないように茜が深矢の方に身を乗り出す。茜はジッとしているのが苦手なタイプだ。
「三年間のブランクで鈍った奴に潜入させて失敗するわけにはいかないから。適材適所でいきたいとこだけど。できんの?」
隠すことなくどストレートに挑発する茜に、深矢は肩をすくめて笑った。
「リハビリくらいさせてくれよ」
じゃあ任せた、とあっさり引き下がる茜にとってはやはり任務のスムーズな遂行が第一優先らしく、深矢に対して特別な疑いを持っているわけではないらしい。
一方の深矢は口元に薄い笑みを浮かべたままでその本心は見て取れない。そんなところは昔と変わらなかった。
リハビリなんか必要ないんじゃないか、とカマをかけようとしたところで団長の咳払いが横入りした。
「水を差すようで悪いんだけど、君たちはまだ正式採用されたわけではなくてね。この件が君たちにとっての最終試験になると思っていて欲しい。二週間あればカタつけてくれるよね?」
二週間もあれば十分すぎるくらいだ。おそらく一週間もあれば片付くだろう。
自信ありげな反応を見せる海斗達に、団長の脇から朱本が口を挟んだ。
「それと、試用期間ってことであなた達にはこの施設の利用権限に制限が出てくるから気を付けなさい。この部屋にあるものは構わないけどデータベースには正式な構成員しかアクセスできないわ……間違っても不正ログインなんかやめなさいよ」
つまりデータベース内の深矢の登録情報を見るには高難度のセキュリティを突破しなければならないということか——とまで考えたところで、ジロリと睨まれた先は海斗である。この面子で情報担当は海斗と読まれたらしい。
「……俺、無謀なことはしない主義なんで」
一応断りを入れるも、朱本はすべて見透かしているようにため息を吐いた。
「どうでしょうね、成績優秀な候補生とは聞いてるけど素行が良かったとは聞いてないわよ。もちろんあなた達全員の話だけど」
茜が知らぬ存ぜぬとでもいうような態度を示したその前で、深矢が笑いを漏らした。
「筆頭は俺ですか」
あら、と朱本が腕を組んだ状態で深矢を見下ろした。
「自覚はあるのね、でもあなたは規格外。殺人の容疑がある上に青嶋から脱走して姿を消したような危険人物を採用するなんて異例中の異例よ」
へぇ、と深矢が隣で低く呟いた。「やっぱりあの事件、俺が犯人になってるんだ」
三年前、深矢が青嶋を脱走した後は暗殺事件などなかったかのように時は流れた。志岐大学には当然のように新しい学園長が就任し、青嶋学園長の件は暗殺事件として、深矢のことは伏せられて終息した。深矢が第一容疑者だったと知るのは一部の関係者だけだ——が、なにせここはスパイ組織だ。情報を扱うプロに対して、この事件の全容は公然の秘密だ。きっと、全構成員が深矢が容疑者だと知っているだろう。
「今回の人事で上層部と団長がどれだけ揉めたことか……」
「揉めたことなんてあったかな?なかなかスムーズな事運びだったと自画自賛していたよ」
「それは団長が周りの反対意見を総無視してねじ込んだからでしょう?!」
「まぁまぁ、そんな上層部全員を敵に回すような逆風の中通った人事ってことで、団長としての立場を守るためにも君達には下手なマネをして欲しくないからね。頼んだよ」
「下手に畳めないでください!大体、団長が無茶押し通すから梟が疎まれるんですよ。自分で自分の首絞めてどうするんですか!」
この朱本という人物は基本冷静でサポート役としては最適なのだろう。だが団長と絡むと一気に枷が外れる——などと観察しながら、横目で深矢を探る。
深矢の憂げな表情は三年前を思い出してのものか、はたまた何かを隠している証拠か。
どちらにせよ、何かしら探りを入れない限りは憶測に留まるだけだ。
やっぱりあの事件、俺が犯人になってるんだ。
その呟きが海斗の頭にこびりついて離れなかった。
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