空白の三年、危うい均衡
『盗みを働くのは辞めなさい』
団長の忠告は、杭のように胸に刺さっていたらしい。
先日受け取った報酬を圭に渡した時、「おっしゃー!脱・金欠ーッ!」と喜ぶ圭を前にして、素直に喜べない自分がいた。
裏仕事を辞めたら。描いてしまうのはそんな仮定の未来だ。
裏仕事が無ければ、圭とこの狭い部屋で——隣町にあるトランクルームだ。裏仕事に使う道具なんかを置いている——コソコソと会うこともなくなるのだろう。
そんなことを考えながら部屋を見渡していたら、ふと視線が気になった。
圭が不思議そうに首を傾げていた。
「よっち、どした?」
「……あ、いや。この部屋やっぱり狭いなってさ」
さり気なく誤魔化せば、圭はうんうんと窮屈そうに頷く。深矢よりも長身の圭が目の前に座ると、部屋はより一層狭く感じるのだった。
三帖分の部屋に三方向がびっしり道具の詰まった棚で包囲されていて、二人とも大きく身動きは取れない程のスペースだ。
「引っ越しするにも、外に持ち出しにくいモンばっかだもんなー」
側の棚に置いてあった暗視ゴーグルをつまみながら圭は笑う。
その棚の上には、写真立てが並んでいる。圭と裏仕事を始めてから、その報酬で何度か旅行に行った時の写真だ。
それを見た圭は、そうだ!と声を上げた。
「今回の報酬でさ、ゴールデンウィークにでもまた旅行行こうぜ!」
「あぁ、」
いいな、と答えようとして、再び団長の忠告が頭をよぎった。
「……偶には、沙保を連れてってやれよ」
口をついて出たのは、どこか弱気な答えだ。
案の定、圭は不満気に唇を尖らせた。
「えー、よっちと稼いだ金なのに?そんなら三人で行こ!……あでも、沙保に手ぇ出されんのは困るな……」
途端に圭が気難しそうに頭を抱える。
圭は妹の沙保を溺愛している。五つ下の妹が可愛くて仕方ないのだ。
「手ぇ出すなんて、お兄ちゃんが怖くて出来ないよ」
そんな圭を見るといつもどうしても笑ってしまう。
「ん?!なんだその言い方、俺がいないところなら手ぇ出すつもりか!それは許さ……でも待てよ、沙保がよっちに惚れる可能性も……よっちモテるからな……うん、やっぱダメだ!」
「ダメか。沙保の彼氏になるのはハードルが高いんだな」
「旦那が大泥棒は良くないだろ!それ以外だったら合格してるけど!」
「彼氏を飛ばして旦那の心配かよ」
コロコロと表情を変えて、最終的には過保護に終わる。いつものパターンだった。
能天気というか平和ボケというか、あっけらかんとしたその性格は、出会った頃からほとんど変わらない。
変わったといえば、初めて会った三年前の圭には少し影が差していたことだ。小さな闇を抱えていそうな雰囲気に、当時青嶋を抜け出して鬱屈していた自分は惹かれたのだ。
「……よっち?」
思い出に耽っていると、腕を組んだままの圭がその長身をくねらせて深矢の顔を覗き込んでいた。その表情は打って変わってどこか心配そうである。
「やっぱなんかあったろ。今日のよっち、なんか別人みたい」
——冴えた直感か、単なる馬鹿の当てずっぽうか。
一瞬だけ、背筋を冷たいものが走った。
「んー……あ、報酬が思ったより少なかったから?だから松永のおっちゃんから掠め取ってやろうか考えてるとか?それともあれか!本気で沙保狙ってたのに俺がNG出したから凹んでるのか?!」
——馬鹿の当てずっぽうだったらしい。
「だから、お兄ちゃんが怖くて口説けないって」
「ならいいけどさぁ……」
気掛かりな様子の圭に、何でもないよと笑って誤魔化すことしか出来なかった。
***
バイトへ向かう圭に対し、残って作業すると″嘘を吐き″、圭を見送る。
疑うことをしない圭は能天気にカレー屋へ走って行った。
そんな圭の気配が完全に去ってから、深矢はその部屋を出てすぐ隣の扉に鍵を差し込む。
——圭にはこの部屋の存在を教えていない。
隣の部屋と同じ間取りの室内。しかし物が少ないために広く感じる。
その代わりに、壁面には壁が埋め尽くされるほどの紙やら写真が。
百は軽く超える量の資料が、蛍光灯に不気味に照らし出されている。
物々しさを感じさせるこの部屋は、どこか狂気じみている。
——狂気じみているのも、強ち間違っていない。自分は普通じゃないのだから。
深矢は扉を後ろ手で締め、報酬の入っていた茶封筒から一枚の写真を取り出す——松永からもらった、SIGの情報だ。
一人の男性にピントが合ったその写真を、壁の隙間に貼り付ける。その隣にもう一枚、蔵元から貰ったメモも貼っておく。
そのメモを指先でなぞりながら、意識を鎮めるように目を瞑る。
自分は今、秋本深矢だ。
『田嶋陽一』は、ただの″偽の姿″。
偽者の人間関係など、取るに足らないもののはず——なのに。
哀しいかな、奥本圭は取るに足りない存在だなんて、誰に脅されても、どんな拷問にかけられても言えない。
圭と距離を置くのを、躊躇う自分がいる。どうしても足踏みしてしまうのだ。
——ダメだ。上手い答えが出ない。
鬱憤を吐き出すように一息吐き、靄かかった考えを振り切る。
そして今度は部屋の隅に置いてある道具箱の前にしゃがみこんだ。深夜にはもう一つ、気掛かりなことがあった。
「由奈」
小さく、その名前を呼んでみる。
蔵元に『仲良かった同期』と言われ、深矢が想像していたのは三人の顔だった。
海斗と茜、そして——高城由奈。
野良猫のような子だ。人見知りで警戒心が強く、でも深矢にだけは心を開いてくれていた。
青嶋を抜け出す前、深矢の隣にはいつも由奈がいた。
隣にいるのが当たり前だった子。
必要不可欠だった存在。
やっと再開できると、期待していたのに。
胸元の羽根型のネックレスを握りしめる。三年前、別れ際に由奈にもらったものだ。
『私の代わりに、持っていてほしい』
そう言った時の切実な由奈の表情は、今でも鮮明に覚えている。
だから田嶋陽一の姿になっても、肌身離さず身に付けていた。これを目印に、またいつか会えるかもしれない、なんて願掛けを込めて。
なぁ由奈、今どこにいる——?
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