ようこそ、梟へⅡ

 とても簡素な部屋だった。コンピュータ類が並んでいるわけでも、実験機器がひしめき合ってるわけでもない。

 単に部屋の中心に大きなステンレス製の作業用テーブルと左手にパソコンが二台、右手には応接用なのかソファとテレビ。テーブルの上はまっさらだしパソコンのあるデスクもソファも使われた痕跡がない。


 何をする場所なのだろうか——そこには場所を特徴付ける物が欠けていて、多目的に使える部屋、つまり何にも使えない空間だった。


「団長、候補生です」

 朱本が左手奥にある扉をノックする。言わずもがなこの部署の一番上の者の部屋であろう。団長、といった呼び方が気になるが。


 しかしいくら待っても返事はなく、代わりに中から内線電話の呼び出し音が聞こえ、朱本がため息を吐いてから扉を開けると、

「……あの道化……どこ行ったのよ……!」

 部屋に踏み入った朱本がそう恨めしく呟くのが聞こえた。それも束の間、電話を一瞬で切るなりすぐに朱本は出てきて茜達に見向きもせずこの部屋を飛び出していく。その時見えたこめかみに浮かぶ青筋からは、彼女のストレスフルな日常が伺われた。


 一つ分かったのは、二人の新しい上司が人を振り回すタイプの人間だということだ。

 残された二人は互いに顔を見合わせる。

「何ていうか、茜とは気が合わなさそうな上司だと思う」

「私も今そう思ったよ」


 職場の善し悪しは人に依ると言う。この時点で茜にとってはあまりいい職場とは言えなさそうだ。

 二人して肩をすくめた、次の瞬間だった。


 発砲音が響き渡る。二発。

 二人は咄嗟に身を低くする。火薬の匂いがした。

 チラリと海斗を見やると、見ろよとでも言うように作業用テーブルの下に向かって視線を送っていた。


 足が見えた。それも男の。そこには今の今まで誰も居なかったはずだ。

 もう一度目を見合わせ、茜は小さく頷く。敵と鉢合わせた場合、先に立つのは茜の役割と決まっていた。


 茜はゆっくりとテーブルの上を覗いた。

 やはり男だ。小柄でも大柄でもなく、細身とはいかないが筋肉質である。そしてその両手に握られているのは——


「……は?」

 眉間に皺を寄せたと同時に、目の前にカラフルなテープが落ちてくる。

 その顔のまま男を見上げると、三十歳とも五十歳ともとれる年齢不詳顔が泣き顔のような笑みを浮かべて立っていた。


「君達の入隊を歓迎するよ。驚いてくれたかな?」

 両手にクラッカーを持ち、マジックショーのように突然現れた謎の男。

 茜も海斗もたっぷり十秒凝視した後、声を揃えて言った。「誰?」

 すると男は高らかに笑い声を上げた。


「いい質問だねぇ。でも単に名前を言うのはつまらない。そうだね、ワタシはSIG工作本部特殊部隊、通称『梟』をまとめる団長です。これから君達の上司に当たる者。これでどうかな?ちなみに朱本君は部下、梟の副長だよ」


「……梟?特殊部隊?」

 何だそれ、といった顔の茜の隣で、海斗は「あぁ」と心当たりがあるような表情を見せる。

 どういうことだよ、と視線を移すと海斗は視線を横にずらしながら言葉を選ぶように言った。


「ずいぶん前に聞いた噂だけどな、組織のエージェントの中で何というか……一風変わった奴を集めたチームが結成されるとかなんとか」


 工作員スパイの仕事は基本は単独行動である。数人でチームを組んで任務を行うことは稀で、ましてや固定のチームなど聞いたことがない。


「俺もおかしいと思って全くの噂だと思ってたんだけどな……」

「その噂は事実そのものだねぇ、流石だよ」

 誰を褒めたのか分からないが、団長と名乗った男は満足そうに大袈裟に頷くと、芝居掛かった動きでテーブルの周りをゆっくりと周回し始める。


「組織所属のエージェントの中で、目立って優秀な人材を集めた者の集まりがここ、梟なんだよ」

 優秀な工作員の集団に配属——そう捉えた茜が内心ほくそ笑んだ隣で、海斗が納得いかないように眉をひそめた。確かに海斗の聞いた話とは食い違う部分がある。


 海斗のその仕草を見た団長は眉尻を下げて笑った。この男は笑うと泣き顔のようになるらしい。

「本当のところを言うと、上層部が扱いに困った異端者の末路って言いかたが正しいかな」

 そして小声で付け加える。


 正確に言うなら、梟は上手く扱える人間がいないほど優秀な能力を持つ工作員の集団ってところかな。我々のことを変人奇人の集団と見下す輩もいれば、慧眼を持ってエリート集団と敬遠する輩も一部いる。まぁ後者の考え方をする人には出会った試しがないけどね。配属された自分達がどっちに判断されるかは君達に任せるよ。


「つまり。君達は能力を買われたんだよ、この団長にね」

 そう自慢気に言った団長はウインクをしてみせる。

 ……気が合わないという海斗の見立てはやはりその通りだったらしい。

「ふふっ、本部行きと言われて釈然としなかっただろうけど、これで納得できただろう?まさか青嶋でトップクラスの優秀な成績を収めていた君たちを、内勤に回すわけがないじゃあないか」


 ふと、団長のその言い草に違和感を覚えた。

 隣に視線を移すと、海斗も同じような表情を浮かべていた。きっと頭にあることは同じだろう。

「……おや、納得いかなかったかな?」

 わざとらしく目を丸くする団長を余所に、海斗が肩をすくめる。

「まさか。ただ……」


 もちろん茜も海斗も、(よく言えば)生え抜き集団だという梟に配属されたことには納得しているし、それだけの成績を収めてきたと自負している。


 しかし『トップクラスの優秀な成績』というフレーズで括るには欠けるものがある。

 あと二人、足りていない。一人は、茜とルームメイトだった高城由奈。青嶋での六年間で、格闘技以外の成績で何一つ彼女の上をいったことはなかった。青嶋で成績が良いということは直結して優秀な工作員スパイになれるということで、彼女もまたそうだった。高等部に進んですぐの成績上位者二名によるフィールドワークにも選ばれていたほどだ。


 そしてあとの一人は、そのフィールドワークに参加したもう片方の成績上位者だった。その彼の能力は他の同期と比べたら頭二つ分は抜きん出るような成績で、茜や海斗でも彼の上を行くことは滅多になかった。


 だが彼はそのフィールドワークで問題を起こし、その直後に刑務所並のセキュリティを誇る青嶋から逃走した。それ以来彼の消息は不明のままだ。


「……いや、何でもありません」

 ここに居ない二人のことを言いかけた海斗は、首を振って諦めたようだった。

「さて、そろそろかな?」

 ふと団長が指をパチンと鳴らした。それと同時に部屋のドアがノックされ、失礼しますと朱本の落ち着いた声が聞こえた。団長の口角がニヤリと上がる。

「三人目の新入り君の登場だ」


 音もなく扉が開き、茜と海斗はそちらを振り向く——素っ頓狂な声を上げたのは海斗の方だった。

「……あんた、」


 朱本の後ろに立つ、細身で端正な顔立ちの男。少し長めの前髪からは切れ長の目が覗いている。


「よう、久しぶり」

「……深矢か?!」

 海斗が絞り出したようにその名を呼んだのに対し、彼はまるでこの展開を知っていたかのような素振りで答えた。


 彼こそ、青嶋でトップの成績を収めながらにして事件を起こし消息を絶った同期だった。

 秋本深矢。その印象は昔と変わらず、冷たい表情の目の奥に底知れぬ自信と余裕が隠れていた。


「ショーにサプライズは付き物だからね」

 驚く茜と海斗を見て、団長はマジックに成功した手品師のようにニヤリと笑うのだった。

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