第28話 『催促』について
夕方の衆議院議員第一会館。
中尾事務所の事務室である。
壁の時計は十五時三十分を指している。
高木が電話をしている。
応接室のドアーが閉まっている。
応接室では政府委員室の植松(植松行政)が明日の「臨時国会予算委員会」の本会議場での質疑応答について中尾先生にレクチャーしている。
「最近、大臣の失言が多いですから慎重に、『調子に乗らない様に』お願いしますね」
「大丈夫だよ〜。私はいつも冷静だ」
「どなたもそうおっしゃるんです。でも、熱が入るとつい『トバして』しまったり、『本音(ホンネ)が出たり』。そこまで私は責任を持てませんからね」
先生は苦笑(ニガワライ)いをして、
「じゃ、松野サンや石田サンみたいにずーっと下を向いてペーパーを読んでるか」
「は?」
「いや。責任なんて持ってもらわなくても良いよ〜。私は副大臣だ。私の言動は晴天一点の雲無し!」
植松は先生を睨(ニラ)み、
「兎に角、そこに書いて有る通りに答弁して下さい」
「良いから、早く内訳を説明しなさい」
武智が事務所のドアーにスライドキーを通し静かに開ける。
高木が電話をしながら振り向く。
武智が首を縦に振りながら(癖)事務所に入って来る。
後(アト)に続く伴。
武智が緊張した表情で自分の机の脇にカバンをそっと置く。
伴も自分の机の椅子を引いてカバンを置き、そっと座る。
高木が電話を終え、受話器を置く。
「お疲れ様です」
武智は小声で、
「おう」
武智は応接室を指差し、
「何やってんだ?」
高木が小声で、
「明日の本議会の打ち合わせです」
武智が思い出したように首を縦に振りながら、
「うん、うん、そうだった! 明日、答弁だったな」
「はい。三番目です」
武智は親指(代議士を表す)を立てて、
「何か答えるんだよな。質疑者は誰だ?」
「立民の大塚先生です」
武智はバリスタのボタンを押し、自分でコーヒーを入れながら、
「大塚?」
「はい」
「うるさい男だな・・・」
武智は椅子に座り机の上の『本日の来客者名簿』を広げる。
伴も武智の真似をして湯呑みにお茶を入れて席に着く。
突然、応接室のドアーが開き植松と先生が出て来る。
武智と伴が急いで身を繕(ツクロ)って起立する。
「じゃ、明日は宜しくお願いしますね。良いですか、大塚さんが突っ込んで来ても軽く交わしてくださいよ。そのペーパーから外れない様に。落ち着いて」
先生が確認する様に、
「ハコ(答弁用紙)の漢字にはルビ(カナ)を符ってあるね」
「符ってあっても間違う先生が居ますから」
「ハハハハ、私は前の総理の様なバカではない」
植松は神経質そうな目線でメガネの縁から先生を見る。
「じゃッ!」
高木と武智、伴が不動の姿勢で、
「お疲れ様です!」
植松は三人を見て軽く会釈。
事務所を出て行く。
先生は応接室に戻りドアーを閉める。
高木が急いで、お茶を下げに応接のドアーをノックする。
ドアーを静かに開ける高木。
高木はテーブルの上の水コップと湯呑みを盆に載せる。
先生が咳払いをして優しい声で、
「武智くんと伴くんが戻ってたね」
「ハイ」
「ちょっと呼んでくれる」
「ハイ」
高木がテーブルを拭いて急いで応接を出て行く。
高木は机に座っている武智と伴に向かって、
「先生がお呼びです」
武智と伴が椅子を立ち、先生に聞こえるように、
「ハイッ!」
武智と伴が急いで応接室に入って来る。
先生は二人を見て優しく、
「ご苦労さんね。そこに座ってくれる」
武智と伴は先生を囲んでソファーに座る。
高木は盆の上のコップに水を、武智と伴にはコーヒーとお茶を入れて、開いたドアーを軽くノックする。
武智と伴がソファーに姿勢を正して座り、先生の説法を聞く準備をしている。
高木はテーブルの上に水入りコップ、茶、コーヒーを置いて応接室を出て行く。
先生は書棚を見て、
「素晴らしい! たった二つ変えただけでこうも事務所の品格が上がる! この位な発想が出来なくては一流の秘書には成れませんよ」
「は?」
「ハ?とは何だ。書棚の中が変わったとは思わないのか」
「あッ! 綺麗に纏(マト)まりましたねえ〜」
「綺麗に纏まりましたね? バカ者ッ! オマエ達がやる仕事だ」
「すいません! ちょっと忙しくて」
「イソガシイ!?」
「いや、気が付きませんですいません」
先生はきつい目で二人を見る。
武智と伴は緊張した顔で俯(ウツム)く。
先生は急に優しい声になり二人を見て、
「で、ど~お? 最近は」
先生は懐から手帳と老眼鏡を取り出す。
メガネを掛けてページを捲り始めると武智が、
「ハイ。百二十は・・・」
「ダメッ! 話は最後まで聞くッ! 私は伴くんに質問しょうとしているだ。だいたい君は勇み足過ぎる」
「あッ、ハイ! すいません」
伴は声をはって、
「ハイッ! 三十です」
「三十?」
「あ! いえ、三十から始めてます」
先生は手帳の前のページをめくって、
「パーティーは終わってしまったし・・・? あ〜あ、そうだった。君の場合は地元で私の運転手をやっていたんだ。で、武智くんは?」
先生はメガネをズラし上目使いで武智を睨(ニラ)む。
「あ、はい! 六十です」
「八十ね。間違えないね! 通帳を覗(ノゾ)くよ!」
武智は焦って、
「いや、あの~、入金は少し遅れて入ります」
先生は突然、語気を強め、
『催促しなさい! パーティーは終わっているんだよ。催促しないと相手は忘れてしまう。絶え間なく、優しく、均等に催促する事! 集金は川の流れのごとく、ゆったりと大きく、またある時は激流のごとく激しく!』
「ハイッ! 勉強になります」
伴は怯(オビエ)えながら聞いている。
中 先生はまた口調を変え、
「伴くん、あの名刺の件は?」
「ハイ! 本日、武智さんと動いて参りました」
「ほう。で?」
先生はまたコップの水を一杯飲み、二人を睨(ニラ)む。
「ハイ! 稲大の事務局長は先生をよくご存知でした」
先生は不気味な笑いを浮かべ、
「そう。・・・で?」
「理事長に近々お会いするつもりです」
「理事長? 大島か? アイツはダメだ。使えない男だ。文教振興会の浦口(浦口 剛・ウラグチ・タケル)の所に行きなさい」
武智が口を挟む。
「浦口は補助金の箇所付けの時のパイプ役です」
「キミは黙ってなさい。私は伴君と話してる」
「あッ、ハイ!」
先生は議員手帳の間から名刺を一枚抜き走り書きをする。
「これを浦口に見せなさい」
伴が先生から名刺を受取る。
「ハイ」
「二件は付けると言いなさい。良いですか、『二件』とね」
「は?」
「いいから、『ニケン』と言えば良いのだ!」
「あ、ハイッ!」
武智は二人の会話を聞いて、急いで席を立ち応接室のドアーを閉める。
先生は武智が席に着いた所を見計らって、
「武智くん」
「ハイ」
「一緒に行ってやりなさい。伴くんには荷が重いかもしれない」
「ハイ。分かりました。さっそくアポをとって」
「そうね。その時、杵屋のカステラを持って行きなさい。アイツは甘いモノが大好きだ。蟻(アリ)の様なオトコだからね」
「アリ? あッ、ハイ」
「それとね」
先生は改まって、
「ちょっと・・・」
武智と伴は先生の顔の近くに「顔」を寄せる。
先生は小声で、
「・・・秋月クンの所に司直の手が回った」
二人は驚いて、
「え! アキズキ!?」
「シチョク?」
先生は二人を見て、更に小声で、
「搾り過ぎだ。良いか、私がいつも言ってるように無理はいかん。取引は根回しが第一! 良いんだよそんなモノは。ワタシは一度も要望した事はない。放っとけば良いんだ。ましては事務所内でレンガを二つもテーブルに積むなんて。それを受ける方も受ける方だ。その特殊法人はそれ以外に秋月クンの後援会まで作って、ついでに地元事務所の燃料代等を全(スベ)てその会社が支払っていたと聞いている。まさにガバナンスの欠如! 秋月クンも、よっぽど人に言えない事情が有ったんだろう。武智くん、君は若干強引な所があるから気を付けなさい。『広く、浅く、澱みなく、地味に、弛(タユ)まぬ努力と前進!』 この『五つ』を忘れない事。あ、それから名刺には必ず『番号』を符っておきなさい。中には渡した名刺に足が生(ハ)える事が有るからね。兎に角、搾(シボ)り過ぎはいかん。後で私が搾られてしまう。お互いに十分、気を付けないとね。・・・あの本屋(週刊誌)はどこからそんな情報を仕入るんだろうねえ」
先生は腕を組み宙を睨む。
「まあ、とにかく、気を付ける事に越したことは無い」
武智と伴は力強く小声で、
「ハイッ!」
「で、今夜は高輪の宿舎の方に泊まる。夜は皆さんと一緒に軽くメシでも食おう。高木く~ん!」
高木が応接のドアーを開ける。
「ハイ!」
「君は今夜は空いてるの?」
「ハイ。何も予定は有りません」
「そう。じゃ、いつもの中華屋を予約しなさい。たまには皆なでメシでも食おう。あ、文豪も呼びなさい」
高木は嬉しそうに、
「えッ、文豪さんも! ハ〜イ!」
つづく
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