下克上には程遠い

古人

山岸志郎

 天は二物を与えずという言葉がある。だが、山岸志郎はそんな言葉など全く信じていなかった。

 いや、彼だけではない。恐らく彼女を知る者であれば誰もが口を揃えて天は誰かを愛し、依怙贔屓することがあると言うだろう。

 眉目秀麗。文武両道。天に愛された美少女。彼女の名は望月凛奈。志郎にとっては幼稚園の頃からの大事な幼馴染だ。


(……尤も、凛奈からすれば俺は大したことない存在だろうけどね)


 今日も今日とて可愛い幼馴染がスクールカースト上位の女子たちに囲まれているのを横目で見ながら志郎は内心でそう呟く。

 彼女たちの機嫌次第でクラスの雰囲気が決まると言っても過言ではない集団の中心に鎮座している幼馴染は志郎のことを気にした様子はない。当然のことだ。協調よりも利己を重んじ、クラスの中でも浮いている志郎など、今を時めくスクールカースト上位勢にとっては歯牙にもかけない存在だろう。

 いや、上位勢どころか普通に青春を楽しんでいるボリューム層にとっても彼はどうでもいい存在に違いない。皆が自分の楽しいことに熱中しているのにわざわざ関係のない人物に絡みに行こうとする人はいないのだ。

 互いに必要がある時だけ輪に入って来る存在。それが志郎に対する評価でその評価で本人もいいと思っている。そんな存在だからこそ、志郎の秘密を知る者はおらず、彼の行動を咎める者もいない。それこそが彼の薄暗い青春にとって重要だった。


(さて、さっさと先生来ないかな。早く帰りたいんだけど……お、来た)


 担任教諭が入って来て始まった退屈な帰りのホームルーム。クラスメイト達と教員の軽口の応酬などは聞き流し、事務連絡と終礼の言葉を聞き届けた志郎は一人足早に席を立つ。


「あ、凛奈~! 今日、どう?」

「ごめ~ん、今日はパス。また明日ね~」


 離席後、後ろから聞こえてきた凛奈と同級生たちの会話を聞いた志郎の口角が少しだけ上がったが、そのことに気付く者はいない。やっと訪れた放課後の自由な時間に興味のない人間の顔色を窺うほど青春の虜たちは暇ではないのだ。


 クラスメイト達に挨拶することすらなく志郎は一人帰路に就いた。


(さて、今日は何をしようかな……)


 誰もいない自宅に着いた志郎だが、彼はすぐに手洗いとうがいを済ませると自室に籠る。退屈な授業を真面目に受けたご褒美である今日のお楽しみまではまだ時間があった。それまでの妄想が彼が高校に上がってからの最大の楽しみだ。


 程なくして、インターフォンの音と共に彼のお楽しみの時間がやって来る。志郎はすぐに部屋から出て来客を笑顔で出迎えた。


「いらっしゃい」


 そこにいたのは望月凛奈。その人だ。教室内では楽しそうにしていた彼女は志郎の家の前で無表情のまま何も言わずに立ち尽くしていた。だが、志郎の言葉が聞こえていない訳ではないようだ。彼女は志郎に誘われるままに室内に入るとそのまま彼の部屋に入った。

 二人で部屋に入るなり志郎は部屋の鍵を閉める。両親は共働きで19時まで帰って来ることは滅多にないが念のためだ。そして志郎は凛奈に言う。


「凛奈。今日もただいまのキスから始めようか。恋人みたいな熱いキスを」

「はい……」


 抑揚のない声で返事をした凛奈は志郎に近付き、そのままキスをした。同級生には信じられない光景だろう。しかし、志郎にとっては当然のことだった。


(よし、今日もちゃんと催眠が効いてるな……)


 熱烈なキスをしてもらいながら志郎は内心で笑う。あの望月凛奈を自分の思うままに操れると知ったのは中学を卒業する頃だった。

 細かい経緯は覚えていないが、高校受験のために会えて勉強をする必要がない凛奈が暇なのでということで遊び半分で催眠術を試してみたいと言い出して志郎に怪しげな本を渡して自分に試すように言い出したのが発端だ。

 対象人物の深層心理に働きかけ、意のままに操る。誰もが一度やってみたいと思うことを志郎は実現した。そして彼はすぐに凛奈に他の催眠にはかからないように催眠を重ね掛けし、彼女を独占して放課後に偽りの恋人関係を結ぶように洗脳したのだ。


「じゃあ、次は抱きしめてくれるかな? そしてまたキスだ」

「はい」


 至近距離に凛奈の美しい顔がやって来て志郎を愛おしそうに口づけする。それだけで志郎の虚栄心が満たされていく。本音を言えばキスやハグだけでなく、恋人同士がすることは全てやってみたいと思っているが、流石に本人の同意もなしに取り返しのつかない真似は出来ない。本来であれば言葉を交わすこともない間柄の人間なのだ。万が一のことがあれば自分ではどうしようもない。


「じゃ、今日も宿題教えてくれるかな? 側で密着して」

「……はい」


 だから、自分にはこれで十分。気持ち悪いのは自覚しているが、それでも自分の心に正直に生きる志郎は凛奈の唇や身体の感触、体温などを感じながら今日も個人的な幸せを享受するのだった。



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