◆7月27日 水族館デート(8)
「なるほど。それはきっと昔の開発者が作ったお遊び機能だな。ハルキは
俺の話を聞いた鷹宮は事も無げにそう断じた。
「この世界モジュールはオープンソースを下地にしてるから、デザインにはいろんな人間が関わってるんだ。だから、AIの自動生成じゃないスクラッチの要素も無数に含まれてる。
〈マハ・アムリタ〉ってゲームは、今でもマニア層から支持される往年の名作と言われる作品だからな。そういう遊びを仕掛ける奴がいたとしても全然おかしくはない」
「へ、へぇー」
鷹宮がいる上位世界にも〈マハ・アムリタ〉というゲームは存在していて、それは伝説のレトロゲーム的な扱いを受けているという。それを聞いた俺の中で〈マハ・アムリタ〉をプレイしてみたいという欲求が俄然高まるのを感じた。
なにしろ購入したのは良いものの、毎回オープニングムービーとキャラクリエイト画面しか見ておらず、実際にあのゲームで遊んだことがないのだ。
世界をループさせるキーアイテムとしての畏怖が、そんな俺の欲求を抑え込んでいたのだが、実際にプレイできるゲームとして存在し、なおかつそれが名作と呼ばれるほど面白いというお墨付きがされているとなれば興味を引かれないわけがない。
「教えてくれ、鷹宮。俺が知りたいのはこの世界に先があるのかどうかってことだ。あの空間を体験して……、繰り返される世界を知ったときからずっと考えてたんだ。同じ一年間を何度も繰り返しながら、自分の意思でループを断ち切る誘惑に何度も駆られていた。
結局、怖くて一度も実行できてないんだが、もし、あのゲームを起動するのをやめたら……。それか、〈いいえ〉の方を選択したとしたら、俺が高校三年になった新しい一年が始まるんじゃないかって……」
口に出し始めた瞬間から、俺は自分の言葉をどこか空々しく感じていた。
鷹宮を問い詰めながら、実は自分の中ではその答えがとっくに出ていたことに気付く。
ここがいわゆる仮想現実の中で、鷹宮が俺たちとは違う、外の世界のプレイヤーであるという事実を受け入れたときからだ。きっと、動転した鷹宮がうっかり口を滑らせ、俺のことをNPCと呼んだあのとき。
俺が長年考え、悩み、夢想し、焦がれていた未来の世界──高校三年の春、あるいはそれより先の世界は──存在しないのだと。俺は半ば無意識のうちに確信してしまっていたのだろう。
俺が話しながらそんな確信に至ったことには鷹宮も感付いているようだった。だからこそ、この世界に先があるのか、というあまりにも自明な問いには直接の答えを寄こさなかったのだ。それが鷹宮なりの気の使い方だったのかもしれない。
「ハルキの迷い込んだ場所は、本来は存在しない仕様外の場所。俺たちが〈グリッチ〉、あるいは〈プロンプトルーム〉と呼んでいるものだ。
身をもって体験したなら分かると思うが、ハルキがその空間にいる間にこの世界は丸ごと初期化され、記憶や物理的な事象は全てシミュレーションのスタート時に巻き戻っている。君だけがその
おそらくキャラメイクの手順やパラメーターがキーになっているんだろうが、特定の日時や場所が条件になっている可能性もあるから、念のためそこも変えない方がいいだろう。下手をすると再現しない可能性がある」
「それは、俺にずっと繰り返せってことを言ってるのか?」
「そりゃな。仮想世界に存在する限り、再構築時の走査線からは誰も逃れられない。サイクルの終わりに〈グリッチ〉の外にいたら、間違いなく全て忘れる。この一年間を十数回繰り返したという記憶も。今こうして俺と話している内容も。全部だ。完全に、スッピンの〈鷲尾覇流輝〉として再構築されるはずだ」
ゾクリと背筋が冷える感覚があった。
いま鷹宮が言ったことは間違いなく俺の存在に関わる深刻で重大な宣告だといえた。
たとえ身体や性格は俺本来のものと変わらず再構築されるのだとしても、そんな客観的な評価など、今の俺にとっては何の慰めにもならない。俺自身の主観で言わせてもらえば、記憶を失くした俺はそこで死んだも同然なのだ。連綿と続き、積み重なっているという約束の下に存在する記憶。
それこそが自分を自分足らしめるものであると、俺の〈自我〉はそう訴えていた。
「取引をしようハルキ」
巨大な水槽と、その中を今が何周目かも知らずにぐるぐると回遊する魚たち。それを背景に鷹宮が言う。
「俺がもし、才川の手を逃れて現実の世界に戻ることができたなら、この仮想世界を維持し続けると約束する。
この世界が一年周期で繰り返されているのは、俺が最初に研究環境を整えるときにそういう設定にしたからだ。強制的にシミュレーションを止めているからそうなるというだけで、その設定さえ変えてやればシミュレーションは自動的に続くことになる。
ここが作り物の世界だと宣告された君にとっては複雑な心境かもしれないが、そうすれば、普通に、一生分の人生を送って、……終えられるはずだ」
そう提案する鷹宮の表情は意外なほど暗かった。
協力を仰ぐつもりなら嘘でもバラ色の未来を語るべきだろうに。
シミュレーターの中のただのデータに過ぎない俺に対する憐みの感情がそうさせるのか。あるいは、聞こえよく取引と言ってみても、実際には実現できる見込みが極めて薄い空手形であることを後ろめたく思っているのか……。
俺はそんな鷹宮とは逆に、努めて楽観を装い、頬が引きつるくらい口角を上げ、愛らしい姿の相棒に向かい右手を差し出したのだった。
「いいぜ。分かった。そしたら俺も、念願の〈マハ・アムリタ〉を思いっきり遊べるってことだろ?」
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