◆7月27日 水族館デート(1)

 夏休み。俺たちは放課後の課外活動からさらに活動範囲を広げて、いかにも高校生の夏休みらしい遊びにいそしむ計画を立てていた。

 もちろん鷹宮に色々な経験をさせることで彼女の記憶を刺激するためという体裁ではある。だがまあ、もう正直に白状すると、俺としては別にその成果が出なくとも、鷹宮と大っぴらにデートができるというだけで目的は達成できているといってよかった。


 今日などは、まさに恋人同士の定番のようなイベント。水族館デートである。例によって同行者がゾロゾロ付属した集団デートもどきではあるのだが。


 開館と同時に入場できるように、朝早くから水族館の入口に集合した今日のメンバーは、俺と鷹宮、矢部と奈津森、それに昭島とミノ先輩という六人だった。


 俺たちより一つ上のミノ先輩(本名、篠田しのだみのるの下の方を取ってミノ先輩)はなんと昭島由里亜にご執心で、矢部を通じてどうにか彼女とのデートに漕ぎ付けようと以前から画策していたらしい。

 昭島は常に鷹宮を監視する目的で付いてくるので、彼女を誘い出すなら鷹宮の方を動かした方が手っ取り早い。ということで、矢部が先輩のために一計を案じ、俺に今日の水族館デートを提案してきたわけだ。


 だからこれは、俺たちのデートにミノ先輩が付いて来たというよりは、ミノ先輩のデートをお膳立てするために俺たちが駆り出された図式ともいえる。


 俺としては当然、ミノ先輩を応援することにやぶさかではない。

 ミノ先輩が昭島を口説いていれば……、あわよく彼女を口説き落とすことができれば、それだけ昭島による鷹宮へのガードが弱まることが期待できるからだ。

 矢部の粋な計らいにより、今日の人数は丁度六人だし、流れによっては鷹宮と二人きりでムードを出せる展開に持ち込めるかもしれない。


 とはいえ、水族館に入る列に並び始めてから観察している限り、ミノ先輩はかなり苦しい戦いを強いられそうな雲行きだった。

 昭島は明らかにミノ先輩を警戒している様子で、何度話し掛けられても一言も言葉を返そうとしなかった。

 右手で左の二の腕をつかみ、顔を伏せるようにする鉄壁防御の構え。

 未成年の彼女にとって、鷹宮の監視や護衛が仕事といえるのかどうか分からないが、あれだけウザそうにしていても職務放棄せずにこの場に留まり続けるのは大した忠誠心である。


 初めて見る私服の昭島は、デニム地ながらカッチリとした印象のトップスに七分丈の白いパンツルック、涼し気なサンダルという出で立ち。肩を出さないところはお堅い昭島のキャラらしいが、ふくらはぎを出したボトムの着こなしは少々意外だった。

 終始顔をうつむかせてその生足を心許こころもとなく見ているのは、ミノ先輩のような存在を想定していなかった自分を悔いているのかもしれない。


 一方、彼女が逃げだしたり場を壊したりしないことを心得ているミノ先輩はグイグイ行く。どれだけ話題が空振ってもめげない。ドラマ、音楽、アニメ、小説、男性アイドル、少女マンガ、女子高あるある。

 これまでミノ先輩が付き合ってきたであろう女性遍歴が透けて見えてしまうのではと危惧しないでもないが、それにしても凄いガッツだ。

 これは俺も見習わなければなと感心しながら、俺は入場前の行列の中でミノ先輩の繰り出す豊富な話題に聞き耳を立てていた。


 あ、昭島が顔を上げた。聞いてる。効いてる。頑張れミノ先輩。


「──ねえっ、ハルキ聞いてる?」

「えっ⁉」


 おっと、しまった。

 奈津森が俺に話し掛けていたらしい。

 驚いて首を横に振ると、身体を前に折り曲げた奈津森が俺の顔を下から覗き込んでいる姿が目に映った。


 さすが奈津森。私服のセンスにも間違いがない。

 夏らしいカジュアル系のコーデで、透け感のあるブラウスの下に鮮やかなオレンジのインナーが覗いて見えるのがなかなかにセクシーだ。短めのスカートで攻めてくることの多い奈津森が、今日に限ってスキニーパンツを選択したのは立体的な展示がウリのこの水族館について調べてきた結果だろう。


「もうっ。やっぱり聞いてなかった。入場料。本当におごってもらっていいのって」

「あ、ああ。全然。ここの入場料まあまあするだろ? 俺から誘ってるんだから気にすんなよ」


 そういう建前になっているから、女性陣の入場料は全部俺持ちの約束だ。


「前から聞こうと思ってたんだけど、ハルキの資金源て謎だよね。放課後遊んでたときも鷹宮さんの分、出してたのって全部ハルキだったじゃない」

「しょうがねーだろ。鷹宮は小遣い一円も持たされてないみたいだし」


 俺は後ろで黙って並んでいる鷹宮のことを気にしつつ少し声を潜めて答える。

 そんなことで気を遣わせたくなかったから、鷹宮の前であまりそういう話題は出したくなかったのだ。


 ちなみに、鷹宮の私服はいかにもお嬢様を思わせるレースやフリルを多めにあしらった水色のワンピースだった。

 ちょっとしたドレスっぽくも見える。足元がほとんど隠れているせいで、視線はほっそりと伸びた白い腕の方に誘導される。上から羽織った薄手のカーディガンは彼女なりの抵抗だろうか。あれさえなければ、その下はノースリーブだったのではないかと口惜しく思う。

 そうして立っているだけでどこか浮世離れして見えるのは、小さめのバッグを肩に掛けている奈津森や昭島と違い、完全に手ぶらで現れたせいでもあるだろう。


「じゃなくって。ハルキのこと言ってんのっ。もしかしてハルキんちって結構お金持ちだった?」

「あー、俺もそれ思った。一年の頃はよくカツカツだーみたいな話してたのになあ」


 矢部め。今回はあまり気が回らなかったな。そこ突っ込むなっつーの。


「なんか実入りのいいバイト始めた?」

「まあ、そんなとこだ」


「ほんとかー? そんな気配全然ないけど。裏でヤベーブツさばいてたりしてねーか?」

「ヤベーのは矢部だろーが。お前、黒咲くろさき商の奴らとあんまりつるむなよ? あいつらマジでイカれてるからな。友達としての忠告だ」


 ちょっとムッとしたので思わずこの場で言うつもりのなかったことを口走ってしまった。

 矢部の方も思ってもみなかった話題が出たことに虚を衝かれた顔になった。

 途中で条件反射のように「矢部だけに?」と茶化してきた奈津森も、俺と矢部の間の微妙な空気に気付いて次の言葉をなくしている。


「なんで? 俺、その話ハルキにしたっけ?」

「バーカ。俺の情報網舐めんなよ?」


 ベーッと俺が舌を出して威嚇し、それでこの話は立ち消えになった。


 開館時間を過ぎて五分ほど経つと、俺たちが入場する順番が回ってきた。

 さあどこから回ろうか、と皆がテンションを上げたところに鷹宮がいきなりトイレに行きたいと言い出し出鼻を挫かれる。

 仕方がないので全員でトイレを探して移動し、鷹宮を待つ間、近くの長椅子で休憩することになった。


「なあ、ハルキ」


 矢部が内緒話めかして身体を寄せてくる。俺はさっきの話の続きが来るのかと構えながら聞く姿勢を取ったが、その予想は外れていた。


「お前、ホントに鷹宮狙い一本でいいの?」

「は? 愚問すぎるぜ。当然いいに決まってるだろ。他に誰を狙うってんだ」


「奈津森だよ」

「なつっ……!?」


 驚いて前後左右を見回した。

 ……大丈夫だ。奈津森も鷹宮と一緒にトイレに入っているのだった。


「気付いてないとは言わせないぜ? あいつは絶対お前狙いだろ?」

「そう……か。……んん? そうかぁ⁉」


 そんなはずはないがなあと首をひねる。

 そんな俺に対し矢部はヤレヤレという感じで首を振った。


「今お前がコクれば奈津森は絶対オーケーすると思う。けど、いらないっていうなら俺が行くぜ? 俺は今日決めるつもりで来た。奈津森にハルキの了解も取ってあるって話を漏らせば俺にもワンチャンあるって思うんだ」

「お、おう……」


 そうか。実は矢部は奈津森のことが好きだったのかと考えると感慨深いものがあった。

 少し前まで何もかもが灰色に見えていた世界も、一皮剥けば、こんなにも色とりどりの、俺の知らない恋愛模様が隠れていたのだなあなどと、気もそぞろに頷く。


「いいんだな?」


 そう言って念押しされたとき、まったく心が揺れなかったといえば嘘になる。

 客観的にみて奈津森はめちゃめちゃいい女だ。長い付き合いの中で俺が彼女とどうにかなりたいと空想したことも一度や二度ではない。


 自分は男だと言い張る頭のおかしな女と、元々学校でも一、二を争うルックスで明るい性格の同級生。どちらを取るのが健全かと問われると……、普通に難問だ。こんな、彼女たちが手洗いから戻って来る僅かの間に決められることではない。だが……。


「ああ、いいぜ」


 俺のその答えは我ながらよそよそしく響いて聞こえた。

 確かに自分の喉から出たはずのその声に、俺は感情というものが擦り切れ、矢部や奈津森に対する興味を完全に失ってしまったかのような空疎な自分を連想する。まるで鷹宮に出会うまでの昔の自分に戻ってしまったようだった。

 そんなはずはないと自分に言い聞かせるように俺は慌てて言葉をぎ足す。


「頑張れよ? 俺も頑張るから」


 少しの間のあと、矢部が表情を和らげる。

 

「そうか。頼むぜ。お前たちが付き合ってるっていう前提がないと、俺の奈津森攻略は絶対無理だからな」


 俺たちが互いに肘を曲げて手首を縦に起こし、おとこの握手を交わしていると、話題の渦中にある奈津森が一人でトイレから戻って来た。

 早速そこに矢部が駆け寄り、あれよあれよという間に奈津森を連れ去ってしまう。

 奈津森は「えっ、ちょっと、何?」という感じで戸惑っていたが、気合十分の矢部が勢いで押し切った感じだ。


 俺も頑張るから……か。


 そのためには、あと二人だな。

 と思いながら、俺は向かいの長椅子に並んで座る昭島とミノ先輩のペアに視線を向けた。

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