◆7月15日 放課後デート
俺と鷹宮が交際を始めてから早くも二週間が過ぎようとしていた。
うちの全校生徒の公式見解としてはそういうことになっている。
無論、彼らが噂するような健全な男女の交際ではないのだが、ある種の交流が続き、親睦が深まっていることに違いはなかった。
俺たち二人の目的は、彼女の身に起きた出来事の真相を探ることにある。
二人の本当の関係はそのための同盟──共同で捜査に挑むバディのようなものだといえる。
その活動の舞台は平日の放課後に限られていた。
鷹宮が読書部への入部届を提出するまでにはおよそ一週間のラグがあったが、その用紙の保護者の欄には、ちゃんと彼女の養父である鷹宮道実のサインがされていた。
その日を境に、鷹宮を迎えに来る高級車の到着時刻が後ろ倒しになり、放課後の限られた時間が俺たちの自由な活動時間として
さてそれでは、読書部の活動といえば……?
そう。買い食い、ゲーセン、カラオケ、
学校の授業が終わると、俺たちは街へと繰り出し、如何にも都市部の高校生らしい放課後の遊びを満喫したのち、送迎車との約束の時間までに急いで学校に帰ってくるというのが主な行動パターン。
何故、そんな忙しなくも自堕落なルーチンを日課としているのか──?
それは、鷹宮が話す途方もなく現実味の乏しい話に白黒を付ける方法として考えたのが、彼女が失くした(らしい)記憶を取り戻すというアプローチだったからである。
そのための具体的な手段が、鷹宮に様々な経験をさせることによって、彼女の脳の記憶野を刺激しようというものなのだ。
信じて欲しいのだが、決して俺が鷹宮との放課後デートを楽しみたくて画策したわけではない。
その証拠に、というのも変な話だが、俺たち二人には沢山のお供が付いていた。
学校からの外出に目をつぶる代わりに監視役として同行することになった昭島由里亜がまず一人。それに奈津森、澤井、吉野の女子三人組の固定メンツ。あとは、矢部たち男連中や読書部の女子がいたりいなかったり。
こんな集団行動をしていては、しっぽりとした雰囲気になどなりようがない。
付き添い連中の中で特に乗り気だったのは奈津森だ。奈津森は、住んでいる屋敷と学校を往復する以外に外の世界を見たことがないという鷹宮の話を聞き
奈津森たちは、これを単純に、世間知らずの箱入り娘である鷹宮に、いまどきの女子高生らしい経験をさせるためのミッションだと思っているようだった。
まあ実際、案外とそれが真相なのかもしれない。
ちょっと躾けが厳し過ぎる家庭環境で育ったお嬢様──ただ少し記憶が混乱して、自分が本当は男だったのではないかという尖った妄想をしているだけの年相応の女の子──それを庶民の遊びに連れ回しているという構図……。
うん。なくはない。少なくとも、超最先端の医療技術によって、交通事故の傷を綺麗に直し、
今日も学校近くの繁華街に足を延ばすと、奈津森が率先して鷹宮を引っ張り回し、クレープを食べたり、プリクラを撮ったりといった女子高生らしい遊びに積極的に誘っていた。
事あるごとに「これ知ってる?」と鷹宮の手を気安く引く奈津森。
多少戸惑いながらも、奈津森の話を真剣に聞き入っている鷹宮。
丈の短いスカートに茶色のショートボブの奈津森の姿と、膝下まであるスカートに黒髪ロングの鷹宮の姿は対照的だが、性格も含め、お互いを補い合うような関係が俺には妙にハマって見えた。
少し離れた場所からそんな二人を眺めていると、その俺の隣に澤井が立った。
「不満?」
澤井は学校にいるときとは違い、胸元を広く
しかし不満とは……?
鷹宮と奈津森がじゃれ合う、あの華やいだ絵面に対しての感想を問われたのだろうか。だとしたら不満などあるわけがない。見ているだけで幸せになる微笑ましい光景だろうに。などと思いながら俺は素っ気ない
「なんで?」
「うわ、余裕。普通付き合いたてっつったら、もっとイチャつきたいもんじゃん」
「ああ、そういう話か。そういう話ね。……うん、実はな。まだなんだ」
「セックス?」
「ばか」
俺は一年の頃に戻ったようなノリで澤井の額をペシリと叩く。
「もっと前段階だよ。イチャつきたくても、本当は、告白のオーケーすらもらえてないの。今まさに攻略中ってやつ」
「マジぃ? ハルキ、あの女にキープされてんの?」
「キープっつーか……、複雑なんだ。この話、言い触らすなよ?」
俺たちが付き合っているという公式見解は鷹宮にちょっかいを出す連中を遠ざけるのに一役買っていた。反面、俺が皆から冷やかしを受けるというウザさとトレードオフではあったのだが。そうだな……。キープというなら、俺の方が鷹宮を口説き落とすまでの間キープさせていただいているのだ。
「マジか……。なんか裏があると思ってたけど、思った以上に腹黒だなぁ、あのお嬢」
確かに裏はあるが、そういうことじゃないんだよなー。
「ハルキ、あの女はやめときなよ。短い高校生活棒に振るって」
「短い……高校生活ねぇ」
「あんなの典型的な構ってちゃんだろ? チヤホヤされたいだけなんだよ。アタシの女を見る目は確かなんだから」
澤井はいつになく真剣だったが、残念ながら俺の心には響かなかった。
今日に限らず、こいつの話はいつも微妙に芯を外してくる印象がある。女を見る目は確かでも、男を見る目はどうだろうか。などと考えてしまうのは、俺も鷹宮の妄執に毒されつつある証拠かもしれない。
「たぶんさあ、ハルキは最初っから目ぇ付けられてたんだと思う。ハルキが最初に告る前から、なんか目線が怪しかったもん」
「最初って、いつ頃だよ?」
そんな都合のいい話があるかと頭で否定しつつも、幾らかの期待を込めて聞き返してしまうのは男の
「転校初日からだよ。自己紹介で前に立ったとき」
「初日ぃ⁉」
ないない。転校初日といえば鷹宮が最高にツンツンしていたときだ。自分以外の人間が無機物かゲームのNPCにでも見えているのではないかというような、冷え冷えの表情で教壇の横に立っていた鷹宮の様子を思い出す。
「まあ、いいや。お前らにサポートでも頼もうかと思ったけど、いいっ。自分でやる」
俺は急に面倒臭くなって、シッシと澤井を追い払う。
「ミユーゥ? ミユ、ミユ、ちょっとー。作戦会議ぃ!」
澤井も澤井で、俺との会話にさっさと見切りを付けると、奈津森に向かって声を掛けながら大股で歩き去ってしまった。
あいつ……、俺が言い触らすなよって言ったこと、ちゃんと覚えてるか?
澤井たちが奈津森を強引に連れ去ったせいで、一人浮いた形の鷹宮が俺の方に近寄ってきた。
お目付け役の昭島由里亜は、少し離れた場所で矢部たちに囲まれて迷惑そうな顔をしている。立場上、鷹宮の側を離れる訳にはいかないから絡まれ放題。さすがに少し可哀そうだ。
まあ、こういうチャンスを作るために、できるだけ昭島に構ってやってくれと、矢部たちに頼んだのは他ならぬ俺なのだが。
俺は鷹宮と二人きり、向かい合い、お互いの靴の先を眺めながらボソボソと呟き合う。
「どうだ?」
「どうだとは?」
「思い出したことはあるかって」
「ないな。それ、本当に効果があると思って言ってるとは思わなかった」
「効果がないと思ってるならなんで大人しく付き合ってるんだよ?」
如何にも女子が好きそうなキラキラした小物やコスメの類を、あんなに熱心に見入っていたのに。するとあれは他意のない、鷹宮の素の反応だったということか?
「まあ、あの屋敷にいるよりは、よっぽど気が紛れるからな」
「…………」
──まあ確かに。こんなふうに偶然記憶が戻ることを期待するというのが迂遠な方法だということは俺も認めよう。だが、そうではない直接的な方法を嫌がったのは鷹宮なのだから、そんなふうに言われるのは些か心外だった。
ここでいう直接的な方法とは、例えば、事情を知っていそうな屋敷の人間を脅して真相を聞き出すとか、屋敷や鷹宮家の関連施設(傘下にはそれなりの大きさの病院まであるのだ)に侵入して何らかの証拠を探す、といった方法である。
俺は以前それとなく、そういう方法を提案してみたのだが、どうやら彼女的にその手の手段はあまりお気に召さないらしい。
鷹宮は今でも自分が鷹宮遥香本人ではなく、現代科学では説明できない不可思議な力で別人(しかも男)が成り代わっている状態ではないかと強く疑っている。
ただし、絶対にそうだとも言い切れない微妙な心境でいるのだ。
乱暴に騒ぎ立てた挙句、やはり自分は鷹宮遥香で間違いなかったと分かれば、その過程で
それに、仮に他人の身体と入れ替わっていたという話が本当で、その真実を暴き出したとしても、そのことは必ずしも元の身体に戻れることを意味しない。
戻れないとなれば、どのみち残りの人生は鷹宮遥香という女性の身で過ごすしかなくなる可能性が高く、つまり、少なくとも真相が判明するまでは、今の鷹宮遥香の生活や人生設計を損なわないように留意せざるを得ないというわけだった。
鷹宮が主張するそういう理屈は……まあ、分かるのだが、すべてを疑っている俺目線で言わせてもらえば、強引に真相を探れば鷹宮が俺についている嘘がすぐにバレてしまうから……。だから直接的な方法を嫌がっているのだとも取れる。
だから、どちらかといえばその設定に則って付き合ってあげているのは俺の方なのだがなあと思わないでもないのだ──。
「本気で記憶を取り戻すつもりなら、元の俺がやってたような体験に絞って記憶を刺激しないと意味がないんじゃないか?」
「元のって……、記憶を失くす前は一体どんな遊びをしてたんだ? 何か当てはあるのか?」
その記憶がないから困ってるというのに、おかしなことを言う。案の定、鷹宮の態度はすぐに自信なさげなものへと変わった。
「いや……、でもこういう女子が喜んでやるようなことじゃなくてだなあ、もっと男らしいことをした方が確率は上がるだろ?」
鷹宮の主張には納得できないが情状酌量の余地はある。
そもそも鷹宮が俺に悩みを打ち明けたのは自分が男であるという自信を失いたくなかったからだ。
養父や屋敷の使用人たちの思惑に付き合っていると、男であった自覚が希薄になってしまいそうだと恐れて、その認識を共有する相手が欲しいという動機からだった。
女性らしさの方向性は違えども、女子高生が喜ぶ遊びをしていては本末転倒ということになる。
「男らしい遊びっつってもなあ。ゲーセンとかカラオケとか、大して変わらんだろ」
サッカーとかバスケとかも試そうと思えばできるが、このクソ熱い夏にやるもんじゃないしな──あっ……。
「海かプールにでも行ってみるか。もう夏休みだし」
我ながら良いアイデアだとテンションを上げたが、反応を窺うために顏を上げると、鷹宮はどんより曇った渋い顔でこちらを見つめ返していた。
「それは却下だ」
「なんで? 水着になるのが嫌だとか?」
「分かってるならわざわざ口に出して聞くなよ」
「そうか……。鷹宮の水着姿、見てみたかったのに残念だな」
俺はそのとき、自然と湧いて出た正直な気持ちを口にしただけだった。
それに対し鷹宮は何も返さず会話が途切れる。
その沈黙によって、俺は自分が何か失言をしてしまった可能性に思い当たる。
鷹宮が水着を嫌がる理由が何かを考える──。
順当に考えれば鷹宮自身は自分のことを男だと思っているのだから、女物の水着を着るのが恥ずかしいといったところだろうが。
だが、仮に鷹宮が言うとおり、彼女が男の精神を宿した別人なのだとしても、そうなってからもう三カ月以上経つのだ。いい加減自分の姿に慣れてもよいのではないか。
事実、下着だって女モノを身に着けているはずだし、スカートだって……。
そんなふうに、真面目に鷹宮の身になって考えてみると……、いや、もう一歩進めて、仮に俺が女になって女性用の下着や制服を身に着けると置き換えて仮定すると、それが思った以上に居た堪れない行為である気がしてきた。
そうしていることを知り合いに……、例えば矢部などに知られたらと想像してみたら余計にそうだった。自分のことを男だと知っている人物の視点を想定するだけで途端に羞恥心が何倍にも増す。
そういうことか。
鷹宮は、実は自分は男であると打ち明けた相手の前で、如何にも自分は女子でございと主張する衣装を身に着けてみせることに気後れしているわけか。
鷹宮は男友達のような関係性で話せる相手がいると気が休まるとも言っていた。先ほどの自分の言葉が失言のように感じられた感覚の正体はそれであったのか。
しかし、そう考えるとやはり……、互いに男同士であるという前提で合意した二人が、ここからいい感じになるのは相当ハードルが高そうだぞ──。
そんなふうに気まずくして黙りこくっていた俺たち二人のもとに、奈津森たち女子三人組が戻ってくる。俺たちの間の問題など何も知らない弾むような足取りで。
奈津森が陽気な声で切り出した。
「ねえ、今から水着見に行こうよ! 今度みんなでプールにでも──」
「行かない! 俺は行かないぞ!」
鷹宮が食い気味で示した過剰な拒否反応に、事情を知らない奈津森たちが呆気に取られる。ちょっと空気が重くなる。
「……ああ、じゃあいいじゃん。嫌がってる奴は別に無理に誘わなくても。なあ?」
澤井が明るい声で場を取り成し、奈津森に振った。
「う、うん。そうだね。ハルキはどう? 夏休みになったら行かない? 海とか」
「え? 俺は鷹宮が行かないなら別にいいかな。矢部たちを誘ってやれよ」
「はあっ⁉ 空気読めや、スカシィー。台無しやろがい」
「アッホッ! 台無しはお前ぇだよ、ヨシィ」
何故か急に澤井と吉野の間でコントのようなやり取りが始まった。
賑やかになった俺たちを見て遠くから矢部たちも寄ってくる。そこからの会話はグタグタになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます