応援コメント

◇5月16日 校門前(1)」への応援コメント


  • 編集済

    前話の誤字発見。
    >ひとり身内を震わせたのだった。
    「身を震わせた」

    ちょっと引っかかったのは、場面転換後の前と後、つまり前話と今話が同じ主人公かということです。

    前話では主人公の名前が出ていないですし、性格や口ぶりも特徴的ではないので、もしやヒロインに惚れる複数の男で視点が入れ替わるタイプの話なのかな?という疑問が浮かびました。結局最後まで、同じ人物という確証は得られませんでしたし。

    叙述トリックなら申し訳ないですが、そうでないなら、どちらもハルキだとすぐわかる描写が欲しいところです。

    追記:
    身内については、なるほど。そういう意味もあるんですね。
    これは知りませんでした。率直に申し訳ない。私の指摘ミスです。

    ただ調べたところ、この使われ方は現代ではほぼされていないとのこと。
    加えて、この小説は一人称なので、現代の高校生がそんな言葉遣いをするかという意味では、やはり不適切かと思われます。

    作者からの返信

    梶野様
    有言実行でお越し下さり恐縮です。

    >>ひとり身内を震わせたのだった。

    ご指摘ありがとうございます。
    申し訳ない。「身内」は身体の内側の意だったのですが、違和感を持たれるくらいなら分かり易い表現を変えた方がよさそうですね。

    話者の同一性についてですが、まさかそこでそんな深読みをされるとは思ってもみませんでした。
    でも、タグなどで散々「信頼できない語り手」だとか煽っている以上、確かに叙述トリックとしてはなくはなさそうな展開ですよね。
    読み手を無駄に疲弊させたくもないので、紛うことなき同一人物であると分からせる表現を考えてみます。

  • >だが、今はやめておこう。

    解説でもありましたが、一人称の作品ではどこまでの情報を開示すべきか難しいですよね。
    事実情報の描写はさておき、心情描写はどうしても思わせぶりになる事があります。
    叙述トリックの為にとか、印象付けの場合以外にも、意図的に言及を避け来たるべきカタルシスの落差を狙うなんてのもありますね。
    私も実によく多用します(笑)
    でも、読者に対してフェアである必要があるのか?という問いもありますが、やはり「してやったり」という感情を想起させたいと思うのは物書きの業なのかもしれません。

    作者からの返信

    本当にそのとおりです。
    塩梅が難しいです。さりげなくし過ぎても、それはそれで。

    この作品は先に読み進めることで、何かの仕掛けを見せてもらえそうだぞ、注意して読むに足る作品だぞ、という期待感を抱いてもらうためにも、匂わせは必要ですからね。

    身近に担当編集みたいな便利な人がいて、都度意見をもらえるのなら良いのですが、カクヨムの場合、それなりの量の感想コメントをいただかないことには、自分で仕掛けの効果が推し量れないのが本当に困っているところです。