奥様は社会復帰話しておばちゃんになる
高台苺苺
第1話 奥様おばちゃんは幸せになれないと気づいた
1
「定年退職した夫と、平日に山梨の方にドライブに行きましてね、葡萄狩りをしてきましたの。美味しいシャインマスカットを皆様に少しですがお裾分けです。よろしかったらどうぞ」
東京23区内の庭付き駐車場付き一戸建てが連なる、瀟洒な住宅街のど真ん中。涼やかな秋晴れの穏やかな秋の日。
幸せそうに笑うご近所の奥様。綺麗に手入れされた手が差し出すシャインマスカットは大粒な実がみっしりとついて輝いている。スーパーなどで売られている物とは一線を画す新鮮な物。
仲のいい複数のご近所の奥様達は皆、にこにこしながら上品に微笑みながらお礼を言う。
もちろん私もにこやかに微笑みながら、丁寧にお礼を言い葡萄を受け取る。
幸せ色の葡萄。綺麗な葡萄。
家庭円満と順風満帆な老後生活を表すかのような高級葡萄。
でもその時、私は雷に打たれたように震えながら確信し愕然としていた。
そうか・・・
私は夫といる限り・・・絶対に幸せに離れないんだ。
こういう穏やかな老後は過ごせないんだ。
と。
ずっとずっと心の中で思っていた。モラハラの権化のような夫との全ての愛のない生活。子供達の為に歯を食いしばって頑張ってきた。この高級住宅街で「奥様」の仮面を被りながら、でも実態はおばちゃんの中身で頑張ってきた。
この苦労は報われる。
今は大変でもきっと夫も世の旦那様達のように「家庭愛」に目覚めてくれる。
そして必ず穏やかな老後を過ごせるのだ。
と。そう信じてきた。
でも違うんだ。今までが違っていたのが、老後になった途端に理想の人生になどになるわけないのだ。
夫は変わらない。
こんな風に私をブドウ狩りに誘い、幸せな顔で高級葡萄をご近所に配るようなことはさせてくれない。
絶対に。
私は彼女達のような幸せは…掴めないのだ。
私はずっと目隠してきた現実に向き合い苦笑し、そして幸せそうに笑う彼女達を見回して、奥様微笑みを固定した。
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気づいたらおばちゃんになっていた。
20代の時、あんなに嫌悪していたブルドック顔になっていた。
手も顔も手入れはしているけど、年齢に負けた現実がそこにある。
20代の頃は、それは本人がだらしないからだと固く思い込んで、そうなる「おばさん」を嫌悪していた。
そうなるまい。私はそんな無様な人生は歩まないわ。
でも「おばさん」になって気づいた。
このブルドック顔はね、一生懸命無我夢中出生きてきた勲章なんだよ。と。あの頃の馬鹿で世間知らずの自分に言い聞かせたい。
あれはバブル絶頂期の頃で、世界も将来も輝く未来に包まれていた。
努力すれば全て報われると思い込んでいた。そういう時代だった。なんでも右肩上がりに上がる時代だった。
私が育った家は所謂中堅家族で、両親は共働きをしていたので、小さいころから家族全員で協力し合っていた。
家族なんだから、助け合い、励ましあい、そして慈しみあうのが当たり前なのだと思っていた。
蝶よ花よとまではいかないが、大事に愛情を注いで育てられ、普通の今でいうJK生活を堪能していた。
当時は高卒が主であった時代に私は短大に行かせてもらい、卒業後は父のつてで大手銀行に勤務した。当時は結婚相手を探すために就職するのが当たり前で、就職して早い子は1年で会社の中で結婚相手を見つけて寿退職していく。腰掛と言われ、それが当たり前の時代だった。
私も直ぐに結婚相手となる今の夫と出会い、当然のように寿退社をし、支店長の仲人で盛大な結婚式を挙げた。
バブル時期だったので、新婚旅行はヨーロッパ。
夫は頑なに英語を話そうとしないので、仕方なく海外旅行が趣味だった私が、飛行機のチェックインから搭乗手続きに、タクシー手配にホテルチェックイン手続き、レストラン予約に膨大な数のお土産購入ナドナド…まるで旅アテンダントみたいな事をした。
夫は某有名国立大学を卒業しているが、英語に自信がないのか?もし失敗して笑われるのが訂正されるのが沽券に触るらしく、頑なに話そうとはしなかった。そして喋れる者が喋ればいいんだからと、私に対して感謝の言葉はなかった。
今思えば…その頃から…いや、結婚する前から…
そういう主従関係な夫婦だったと思う。
帰国しての住まいは3LDKの都内一等地高級住宅街にある社宅。
社宅なので一等地だが、家賃は夫の小遣いと同じ額。
同じく100円単位の月額料金の駐車場付き。
本当に大手企業の社宅は凄いと思う。
社宅の挨拶はまずは長年住んでいる長老ともいえる方へ、大手菓子店の菓子を風呂敷に包んで持っていく。好みは事前リサーチ済み。
挨拶に行くお宅は順番が決まっていて、向こうも待ち受けているので時間厳守で夫と回る。社宅のルールだ。
住まいの近隣は同じく大手企業や国家公務員の社宅が混在する。なので自然と大手企業勤務の奥様達と交流することになる。
成程。こうして妻も人脈を広げるという事ね。
夫の実家は都内23区内、表参道から古い大小様々な家が混在した住宅街の中にある。ごみごみしているが高級住宅街だ。
夫家族全員が国立大学出身なので、大変プライドが高い。
言葉の端々に近隣県に在住の私の実家を卑下する言葉が出るが気にしない。事実ではないし、私は実家の家族を愛しているし誇りだから。何を言われても右から左に流せた。
だけど、義母は私と同じ短大出なのに、神奈川県か都内かで違うとやはり私を卑下する。ランク的には同じなのに、どうしても他人とは違うとランク付けしたいらしい。
セオリー通りに翌年に妊娠し、長女を東京都内の大きな大学病院で産んだ。
義両親と夫はあからさまにがっかりし、最初に顔を見に来たきりその後は無関心を貫いた。
今で言うワンオペで育児がスタートした。
東京から片道約2時間掛けて、1週間に数回交替で手伝いにきてくれる両親が救いだった。
夫は育児で自分の世話や家事が疎かにになるのは許さなかった。
それは同じ社宅在住者への、また近隣在住の他社への外聞があるからだった。
育児と家事と夫の身の回りの世話。
都内に住む義両親からの雑用の呼び出し。
嫁としての仕事をくるくるくるくるひたすら無心にしていた。
3年後に長男を産んだ。
長女の時と違い、夫と義両親は大層喜び、嫁としての仕事をやっとしてくれたと嫌味たっぷりに言われた。男の子を次々と産めないなんて出来損ないの嫁だと、産院で大きな声で言ったために大層顰蹙を買った。
婦長と担当医から義両親と夫に速攻で指導が入ったらしいが、馬耳東風だったと実両親が呆れたように報告してくれた。
「時代錯誤な義両親で大変ね」と、同室の他の母親達に同情され、看護師からそれとなくDVがないかを聞かれ…
それでやっと自分が虐げらえていることに気付いた。
でももう遅かった。
理想の妻、理想の母親、理想の嫁。
食事は全て手作り。
子供のおやつも手作り。
冷凍食品や市販の菓子やパンなのどあり得ない。
夫のYシャツは毎日洗い、毎日妻がアイロンをかける。クリーニングに出すなどとんもないと言われた。
家中はいつ誰が来てもいいように、整理整頓清潔に清掃されていることが当たり前。
深夜に帰宅する夫を常に妻は待つ。
家計管理は夫。
妻は毎月、生活費を貰い、それでやりくりする。
そして子供の教育。
周囲と同じ幼児教育に通わせ、一流幼稚園に行かせて上流階級の子女達と交流させる。人脈を作る。
ピアノ、テニス、水泳、絵画教室。毎日毎日子供為に付き添う。
小学校は近隣の国立か区立の小学校に受験した。
合格を得るまでは、芳しくない子供達の成績で毎晩夫になじられ、時々義両親宅に呼びつけられなじられる日々。
合格した時は、その場で号泣して喜んだ。
そして23区内に庭付き駐車場付きの1戸建てをローンで購入。大きな邸宅を壊した跡地に大手住宅メーカーが建築した物。不満はなかったが、家を選ぶのに自分の意見は採用されなかった。
全て義両親と夫で決められた。
それと同時に夫の浮気が発覚。
同じ支店の高卒のテラー。
髪を振り乱しながら育児をする私に、同じ支店の昔の同僚が教えてくれた。
夫は不義を認めず離婚騒動にまで発展したが、結局双方の両親も交え、もう二度としない事を前提に、子供達の為に離婚をしないことにした。
そこから夫に対しての私の愛情も信頼は完全に枯渇し、ただ単なるお金を運んでくる人間に、子供達の為の家族という器を守る為のパーツにしか見なくなった。
子供達は有名公立、国立中学、高校に進学した。特に長男の頭の良さは他から抜きんで居て、義両親と夫の自慢になった。
だが問題が発生する。
長女の大学進学に夫と義実家が難色を示したのだ。
何故?
理由は女に学問は必要ない、無駄だと言う時代錯誤な考えだった。
愕然とした。その頃は男女でどうのという時代でもなく、女性も普通に4年生の大学に行く時代になっていたというのに。
何故?
大学進学を反対された娘は、あり得ない時代錯誤の理由に打ち震え泣いて泣いて、そして意を決した顔で私に「大学に行きたい」と覚悟を決めた顔で言ってきた。
だから私は、
初めて夫と深夜まで口論をした。生意気だとぶたれたし、大声で恫喝されたし、何度も何度も湯飲みを壁に叩きつけたり、テーブルから払い落されて怖い思いをした。
でもあまり我儘を言わない娘の願いを叶えるために…私は必死に食い下がった。
結論として、娘の大学進学は認めたが、塾費用は一切出さないと言った。
理由は、自分は塾に行かず某最高学府に進学できたからだと言う論理だった。
長女は高校で禁じられているバイトをして塾代を捻出すると夫に啖呵を切ったが、私が止めた。絶対に共倒れになるからだ。
塾代を出せないほどの給料ではないはずだ。生まれた時からしている学資保険があるから、大学入学時のお金は大丈夫だから、塾代は出してあげましょうと懇願する私に、
夫は嘲るように言った。
「だったらお前が働いて捻出すればいいだろう。碌に働いたこともないばばあの女が!金の無心をするなどおこがましい!!
恥を知れ!」
私は驚いた。
今まで働きたいと言っても夫が夫の外聞が悪いからと反対していたからだ。なのにこんな簡単に働いてもいいというのかと驚いた。だけど夫は私の驚愕の顔を、違う意味で受け取り、意地悪く勝ち誇ったように優越感に満ちた声で言った。
「できるものならやってみろ!」
私は即、人材登録に片っ端から登録し、申込をし、電話をかけまくった。
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