第18話 記憶の封印

 部屋に戻ったイーアは『友契の書』を取り出し、ラシュトを呼び出した。

 ティトは現れるなり、しかめ面であたりを見わたした。


『なんだ? ここは。トカゲ臭い場所だな』


 イーアはティトの正面に移動しながら言った。


「ウェルグァンダルっていう塔の中だよ。ティト、聞きたいことがあるの。わたしの<真の名>っていうのを知らない?」


 ティトは即答した。


『知らん』


「誰かが封じたらしいの。ティト、おぼえてない? なんか儀式とか、魔術とか、昔、誰かがわたしにかけなかった?」


 ティトは、数秒間沈黙した。

 イーアはその間、ティトの表情をじっと見ていた。

 イーアには読み取れた。

 ティトは何か思い当たることがあるようだ。

 ティトは、ぼそっと言った。


『……それを聞いてどうするんだ』


「封印を解かないと、ウェルグァンダルに入門できないんだよ。入門できないと学校をやめなきゃいけなくなっちゃうんだよ」


 ティトは不機嫌そうに言った。


『やめればいい。なんで魔導士の学校になんて行きたがるんだ』


 イーアは力強く言った。


「だって、魔導士になりたいんだもん!」


 魔導士はみんなのあこがれの職業だ。「魔導士になりたい」って言えば、みんな「当然そうだよね」という反応をする。

 でも、ティトはそうじゃなかった。ティトは唸るように言った。


『やめろ。魔導士なんて。あいつらが何をしたか……』


 イーアはティトの怒りに満ちた顔をじーっと見た。


「何をしたの?」


 ティトはゆっくりと視線をイーアからはずした。


『……何でもない。気にするな』


 まちがいない。ティトは何かを隠そうとしている。


「やっぱり、ティトは何か知ってるんだね! わたし、ちっちゃい頃のことが思い出せないんだけど、ティトは何があったか覚えてるんだよね? 教えてよ!」


 ティトは頭を横に振った。


『むりだ。おれは教えない。教えても、どうせイーアはおぼえられない。おまえの母親が記憶を封じたからだ。おまえを守るために……』


「どういうこと? お母さん……?」


 イーアが想像もしなかったことを、ティトは言っていた。


(お母さんが、記憶を封じた……?)

 

 イーアは、お母さんのことを何も知らない。何一つ思い出せない


(思い出せないのは、記憶が封印されたから……?)


 そして、何より重要なこと。

 ティトが、お母さんのことを知っている。

 今まで、イーアは両親のことなんてわからないと思いこんでいた。ティトが知っているなんて、思いもよらなかった。だから、ティトにたずねたこともなかった。だけど、ティトは知っている。


「ティトは、わたしのお母さんのことを知っているの!? お母さんは、どこにいるの?」


 ティトは、ぽつりぽつりと言った。


『もう、どこにもいない。死ぬ前に、術をかけたんだ。イーアが、ぜんぶ忘れるかわりに安全に生きられるように……』


 そこで、突然ティトは毛を逆立てドアの方へ身構えてうなった。

 ドアの傍から暗い声が聞こえた。


『その時に魂の名を封じたな』


 いつの間にか、ドアの内側の壁ぎわにガリが立っていた。

 ティトはガリに向かってもう一度低い声でうなった。

 ガリはイーアがよく聞き取れない言葉で早口で言った。


『ラシュト。その娘の魂の名の封印を解け』


『人間ふぜいが。おれに命令するな!』


 ティトは吼えるようにガリにむかって怒鳴った。

 ティトはガリの言うことを理解できるようだ。


『やはり、お前が封印の鍵を持つのか。不思議なやつだな。なぜ人間を守ろうとする?』


 よく聞くとガリは精霊語を話しているように聞こえた。ただ、とても聞きとりづらい。


『バカ言うな。おれは人間を守るわけじゃない。おれはイーアを守るだけだ』


『ならば、封印を解け。約束しよう。これからは俺が師としてその娘を守り導く』


 ティトは鼻を鳴らした。


『信じられるか。盗み聞きする人間なんかを』


『お前達が、俺が来たのに気が付かなかっただけだろう』


 ガリは無表情のままイーアに視線をうつすと、いつもの人間の言葉で言った。


「そのラシュトに<真の名>の封印を解かせろ」


 バタンとドアを閉め、ガリはいなくなった。

 ティトは怒ったようにガリが消えたドアの方へ一声唸った。


 ガリがいなくなると、イーアはティトにたずねた。


「ガリはなんて言ってたの?」


 ティトは鼻を鳴らしてから言った。


『聞き取れなかったのか? あいつはトカゲなまりが強いからな』


「トカゲなまり?」


『ドラゴンはもったいぶって竜語と言ったりするけど。要はドラゴンどもが話す言葉さ。基本はおれたちの言葉と同じだ。トカゲなまりが強いだけで』


 ティトは今、精霊語を話している。つまり、ガリが話すのはドラゴン風の精霊語ということらしい。

 イーアはリグナムが言っていたことを思い出した。

 ガリはドラゴンに育てられたという話を。


「あ、そっか。ガリはドラゴンに育てられたから、ドラゴンの精霊語を話すんだね」


 ティトの耳がぴくっと動いた。


『ドラゴンに育てられた? 道理で、あいつは人間っぽくなくて、人間のくせにトカゲなまりでトカゲみたいにえらそうなわけだ』


 ティトはまた鼻をならした。ティトはドラゴンが嫌いなのかもしれない。ずっとドラゴンをトカゲ扱いしている。

 そこで、イーアはいまさらながらに気が付いた。


「あれ? そういえば、ティトって、人間の言葉をしゃべってない……精霊語をしゃべってる……?」


 小さなころから自然にティトの言葉を理解していたので、イーアはティトが何語を話しているのか気にしたことがなかった。

 でも、よく考えると、ティトがしゃべっているのはいつも精霊語だ。


 そして、よく考えると、イーアは学校では一度も精霊語を習っていない。

 初等魔学校では精霊語の召喚呪文を丸暗記するけど、精霊語の会話は習わない。

 グランドールでも、まだ精霊語は習っていない。


 なのに、イーアはなぜか最初から精霊語を理解していた。

 ティトの言葉も、クーちゃんの言葉も、自然に理解できた。

 そして、しゃべろうとすれば簡単な精霊語なら自然に話せた。


 ティトは言った。


『人間の言葉? おれがそんなものしゃべるわけないだろ。そんなことより……』


 それを聞いて、イーアも重要なことを思い出した。


「そうだ! そんなことより、ティト! わたしの記憶は封印されちゃってるの? だから小さい頃のことが何も思い出せないの? お母さんのことも? お父さんのことも?」


 ティトは渋々認めた。


『ああ。そうだ』


「その時に<真の名>……『魂の名』もいっしょに?」


 ガリがティトに<真の名>の封印を解かせろと言ったってことは、たぶん、そういうことだ。

 たぶん、イーアを守るためにお母さんは、イーアの<真の名>も正体もわからなくなるような術をかけたのだ。

 でも、今はもうイーアは<真の名>なんてどうでもよかった。

 そんなことよりも、お父さんやお母さんのことを知りたかった。

 ティトはそっぽを向いて言った。


『たぶんな』


「ティトならその封印を解けるんだよね?」


『たしかにおれは封印を解けるけど……』


 口ごもるティトに、イーアは勢いよく言った。


「じゃ、その封印を解いて!」


 でも、ティトは低い声でうなるように言った。


『だめだ。封印を解いたら、あいつらに見つかるようになってしまう!』


「あいつらって、誰?」


『敵だ。~~の民を……いや、なんでもない。とにかく、敵だ。危険なんだ』 

 

 イーアはいきなりティトのほっぺたを両手でつかんで、ティトの大きな丸い目を真剣に見た。


「ティト。わたしは何があったのか全部知りたい。だから、封印を解いて。このままじゃ学校に行けなくなっちゃうのも困るけど。それより、今は、小さい頃の記憶がないのがイヤなの。わたしは、お母さんのこともお父さんのことも何も思い出せないんだよ? いままで、小さすぎておぼえてないんだと思ってたけど。違うんだよね? 記憶を封印しちゃったから、思い出せないんだよね? お母さんのことも思い出せないなんて、ひどいよ」


 ティトは困ったような顔になって、それから、イーアの手を振り払うように頭を左右に振ってうつむいた。


『この世界には、もっとひどいことがある。思い出さないほうがいいことがあるんだ。それに、おれはお前を守るって約束したんだ』


 イーアは力強く言った。


「守ってもらわなくていい。わたしは自分のことは自分で守る。ティト、お願い。わたしは真実を知りたいの。思い出したいの。大事な場所のことを。大事な人たちのことを。忘れたまま安全なのよりも、危険になっても思い出せるほうがいい! わたしはわたしが誰だか知りたいの!」


 ティトは長い長いため息をついた。


『そこまで言うなら……。あのトカゲ臭い人間に言え。決して裏切らないという竜の誓いをたてろと。ドラゴンは嘘をつかないんだ。人間は嘘をつくから、信用できるかわからないけどな』


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