第13話 思いがけないこと
帝都士官学校の訓練場の隣には
帝都士官学校では、戦場での騎乗戦闘や移動には馬を用いることも多い。そのための乗馬訓練である。
乗っている馬がやや逸ってしまい、騎乗しているアルマ自身がバランスを崩しそうになる。
「おっとと! どうどう……!」
手綱を少し引いて馬を止めると、アルマは馬の長い首筋をさすった。
「アルマ! どうやって止めたら良いの!?」
とヒルデグントの困った声が聞こえてくる。馬の扱いになれないヒルデグントは馬に
「手綱を引くんだよ〜!」
アルマは遠くから助言するが、ヒルデグントの馬は止まらない。むしろ速度を上げつつ、中央にある障害物の柵に向かって突っ込んでいく。
「あっ!?」
アルマは異変に気がついたが、自分もまだ馬をあまり上手に扱う自信がない。
その時、一騎が素早く駆け出して来てヒルデグントの馬に並走した。
アリサの騎乗する馬だった。
「手綱を下ろして! 引っ張りすぎ!」
「アリサ!?」
ヒルデグントは驚きつつも、言われたように必死に引っ張っていた手綱を緩める。
「アルベルト! 止まって! お願い!」
アリサは並走を維持したまま、器用にヒルデグントの馬の首をたたいて呼びかける。すると、馬は落ち着きを取り戻して徐々に減速し、障害物手前で止まった。
息を呑んで見守っていた周囲の生徒たちが思わず拍手をした。
(昔からあれだけは上手いのよね……)
と生徒たちのなかでシエルが苦笑している。
その日の夕方、アリサは全ての修練、講義が終わった後、いつも通りシエルと鍛錬を行った。
最近はシエルの動きにも慣れて、まともに戦えるようになった。
もちろん、シエルが本気を出せばそうはいかないが、最初の頃を思えばかなりの進歩だった。
「切り上げましょう」
闇が深くなってきた空を見上げて、シエルは言う。
「うん……」
アリサは肩で息をしながら答えた。
「今日は、この後、彼とやるのね?」
シエルは確認するように言う。
アリサは頷いた。
彼、とはロマンのことで、シエルとは別に戦闘の細かい機微を教えてもらう予定だった。
「お姉様、お顔を」
と訓練場の端で待っていたマリアナが、ささっと寄って来てシエルにタオルを手渡す。
「遅くならないように帰りなさい。良いわね?」
シエルはタオルで汗を拭きながら、背中に訓練用の槍を背負う。
しかし、シエルは汗を拭き終わっても、タオルを手に持ってぼうっとしたまま去ろうとしない。
「シエル?」
アリサは不思議そうにシエルの横顔を見る。
シエルの視線はうつろで、何もない訓練場の端の方に向いている。
「……退学圏を、抜けたみたいね」
シエルの白い頬がほんのりと紅潮している。
アリサは声を殺して笑う。
幼い頃から父に、ブランドード家を任せると言われていた長女のシエルは、常に自分に厳しかった。
その性格のせいか、他人に対しても厳しく接することが多い。
今、シエルは柄にもない、人を褒めるということをしようとしているのだ。
「正直、あなたには無理だと思っていたわ。だから、その、おめでとう……」
「うん、シエルやみんなのお陰だよ。ありがとう」
アリサは満面の笑顔を姉に向ける。
「ちょ、調子に乗らないで! あなたの今の順位も、来月にはまた退学圏よ」
シエルは恥ずかしそうに背を向けて、訓練場を去っていく。
残されたアリサが向かいのマリアナを見ると、彼女も同じような笑顔でアリサを見ていた。
マリアナもシエルとの付き合いが長いだけに、性格をよく知っているらしい。
「マリアナ! 置いていくわよ!」
「あ、お待ちになって! お姉様ぁ!」
シエルの声が飛んできて、マリアナは急いでシエルの後を追った。
「何? しばらく中止? 何故だ?」
訓練場に来たロマンは怪訝そうな顔で聞いた。
アリサが、しばらくはロマンとの鍛錬をしないと言ったからである。
「ちょっと、ついて来て」
とアリサはロマンを連れて、馬場の馬たちを収容している
「あ、ローズ!」
アリサは
身を屈めて柵の下をくぐり、中へ勝手に入っていく。
「……何をしている?」
ロマンは
「この子、病気みたいなの」
アリサは話しながら、座り込んで馬の頭を膝に乗せた。
苦しそうだった馬は呼吸の通りが良くなり、少し安らいだ顔をした。
「ロマンは馬が嫌いなの?」
アリサは目を閉じて休む馬の頭を優しく撫でながら言う。
厩舎に入ってから、ロマンは馬に近づこうともしなかった。
現に今も壁際にもたれかかったまま話しをしている。
「嫌いではないが、苦手だな」
すました顔で言ったロマンを、アリサは何か可笑しそうに笑う。
「ふふ、こんなに可愛いのに。怖がってると余計に馬に嫌われ……」
「怖がっているのではない。苦手なだけだ」
ロマンは言うと、取り繕うように咳払いをした。
「……それに馬の体調管理は飼育係に任せれば良い」
「だけどこの子、日中辛そうなの。きっと息苦しくてちゃんと眠れてないんだと思う」
「全く、お前は……」
ロマンは呆れ顔をする。半年近く何かと彼女を見て来たが、こういうお人好しなところがある。
結局、馬の病気が治るまでの数日間は、アリサとの鍛錬は中止することにした。
翌日、夕刻。
帝都士官学校内、庭園。
日中の修練が終了し、ロマンは庭園をレオニート、オレクと共に歩いていた。
「でさ! そのエリカさんっていう年上の女の人がお淑やかでめっちゃ可愛いんだよ! 今度デートする約束なんだけどさぁ。やっぱ俺には年上のカノジョが合うと思うんだ!」
オレクは聞きもしないのに楽しそうに最近の色恋の話をしている。
「あれ、兄貴、どした?」
レオニートが心ここにあらずという顔をしているので、オレクは心配そうに顔を覗き込んだ。
ロマンはハッとしてオレクの背後から頭頂部にチョップをかました。
「馬鹿! そっとしておけ」
「へっ?」と鈍感なオレクは目を丸くして振り返る。
レオニートが思いを寄せていた女子生徒、ルフィナが士官学校を去った。流石に昨日今日の話で、気持ちを切り替えるというわけにもいかないだろう。
しかし、察しの悪いオレクは頭に「?」を浮かべたまま、その話題は流れた。
庭園を抜けようとした時、急に飛び出して来た女性にロマンは腕を取られた。隙の少ない彼には珍しいことだった。
「ロマン!」
「なっ!? ここで何をしている!?」
リヴだった。不思議なことに隊の制服ではなく、私服だった。後ろに結んでいた長い髪を下ろして、化粧もしている。
さすがは隠密、斥候などを主な任務としていることもあって、ロマンでも直前まで気配に気が付けなかった。
「何って、私たち恋人同士じゃない。休みに会いに来ちゃダメ?」
女として完全武装のリヴは、小首をかしげてあざとい表情をする。
「……!?」
ロマンは唖然とリヴの顔を見つめた。
(何かの暗号か?)
あまりに脈絡が無さすぎる挙動に、ロマンは彼女の表情の中から何か読み取れないかと探った。
しかし、状況が把握できる前に、リヴはロマンの身体に手を回して身を寄せた。
(おい! 一体何を考えている!?)
ロマンは抱き寄せるふりをして耳元で言う。
(学内に私が居るのを自然な状況にするにはこれが一番早いのよ。貸しにするから私に合わせて、お願い!)
リヴは耳元で囁く。
「えっ? あの、これ……どういう……?」
オレクがリヴを指差して言う。
「リブだ。精鋭『魔神部隊』の一角、
「ロマンの恋人ですぅ」
見たこともないような愛想の良い笑顔を浮かべ、リヴが代わりに続きを言う。
「えっ……この堅物のロマンが……恋人? いやいやいや、うそぉ……」
オレクはロマンとリブを交互に指差しながら言う。まだ頭が追いついていないらしい。
「本当よ。ロマンとはもう【規 制】とか【規 制】とかしちゃってて……。やだ、私ったら言っちゃった」
リブは熱った頬に両手を当てがう、という純情乙女ムーブをかます。
隣でロマンは開いた口が塞がらない。
よくもまぁ、こんなにありもしないことを次から次へと並べられるものだ。
「とにかくロマンったら私のことが好きすぎて毎日大変なの!」
暴走気味のリヴを止めるためにロマンはリヴの身体に手を回し、抱いた肩をめきめきと握りしめた。
(おい、調子に乗るなよ)
(いたたたたたた!)
内心痛がりながらもリヴは表情を崩さず、恋人を慈しむようにロマンを見上げる。
ロマンからは、その表情がひどく
(ちっ、この女……。楽しんでいるな)
(うふふっ、この私に生意気言うとどうなるか、しっかり教えてあげないとね)
目の奥から殺気を含んだ二人の視線が交錯し、無言の意思疎通がなされる。
この間、コンマ一秒。
「隠していてすまない、二人とも……」
とロマンがすました顔で再び正面のレオニートとオレクに視線を戻す。
「……!?」
しかし、二人の身体からドス黒いオーラがどっと溢れ出しているのが見えた。二人とも目元に深い闇が落ち、瞳は殺気でギラギラと光っていた。二人のこんな凄まじい表情は見たことがない。
「おい、ロマン、貴様ァ……。人の色恋に散々口出ししておいて自分は陰で好きな女とよろしくやっていたのか?」
「で、殿下、お待ちを……こ、これは……」
「そうだぞ、ロマン……! お前なに抜けがけしてんだよ!? しかも俺の憧れの年上カノジョじゃねぇかこの野郎! あぁ、羨ましい!!!」
「お前は慎みを覚えろ」
三人の間で不穏な空気が渦巻く中、その原因を作ったリヴは
「なんか、私、邪魔しちゃったかしら? ロマン、また後で会いましょ」
と可愛らしくウインクを投げて立ち去って行く。
「あ、おいっ!」
ロマンが振り返った時には、リヴは姿を消していた。
結局、一人で怒り狂った二人に延々と屁理屈を言ってその場を収めることにした。
ロマンは二人をなだめながら、こめかみに青筋を立てている。
(あ……あの女ァ……。後で、覚えておけよ)
庭園内、女子寮。
寮室でアリサは退学圏を脱したことをアルマに話していた。
「え、ホント!? 良かったね、アリサ!」
それを聞いたアルマはアリサの手を握って我がことのように喜んでくれた。
二人で飛び跳ねたり、抱き合ったりしてひとしきり喜んだ後、アルマは自らに気合を入れるように両の拳を身体の前に握りしめた。
「私もあと一試合、『決闘』を頑張らなくちゃ!」
「えっ? まだあるの? もうすぐ前期が終わるのに……」
アリサは不思議そうに首を傾げた。
「うん、今週いっぱいまでは毎日闘技場で『決闘』があるよ。私は今期二戦して、あと一試合残ってる……」
「そうなんだ? 半期で三回は必ずあるの?」
「この話、前にも説明しなかったっけ……? 『決闘』の日程によっては最後まで気が抜けないから気をつけた方が良いよ? 人によっては日程が多い人も居るし……」
アルマは眼鏡の下の目を細め、呆れた顔をする。
「とにかく、私、忙しくてまだ組み合わせ見てないから、今日の修練前に掲示板のところへ行かなきゃ!」
「あ、待って! 私も一緒に行く!」
とアルマについてアリサは寮の部屋を出た。
夏のからりとした晴天が広がる庭園。
全土が寒冷な地帯である帝国では、それほど気温が高くなるわけではない。
朝方の気温は涼しく、ちょっと歩くにはむしろ快適と思えるくらいである。
庭園内にある湖畔を、士官学校の校舎につながる渡り通路へと向かって歩いていく。
湖面に浮かぶ真っ白な羽毛の水鳥たちは、しきりに頭を水面に突っ込んでは気持ちよさそうに水浴びをしている。
「それにしても半年、あっという間だったね」
庭園の道すがら、アルマは感慨深そうに言った。
「うん、色々あったよね」
アリサは苦笑する。
間違いなく人生の中で一番大変な半年だった。
「そういえば、アリサは士官学校でやりたいことはあるの?」
「え?」
思いがけない質問に、アリサはアルマの方を見る。
日々のことに必死で、そんなことは考えてすらいなかった。
「ほら、帝都士官学校って将来のために学ぶには最高の環境だから。私、ここでやりたいことがたくさんあるんだ! それでも、一日一日が大変って思う事が多いから、アリサはどう考えてるのかなって」
「えっと、私は別にやりたいこととかは……」
なりゆきでここに来てしまっただけのアリサは困ってつむじを掻いた。
「アルマは、何がしたいの?」
と聞くと、アルマの大きな眼鏡がきらりと光って、目の色が変わった。
「私はね! 魔術の研究がしたくてここに来たの! 帝国には最先端魔術の各分野を研究するすごい人たちが世界中から大勢集まってるの! 実は、帝都士官学校でもその研究者の一人が教師をしてるんだよ! 魔術学にルシアン先生って居たでしょ? あの人とか!」
「ルシアン先生が……?」
よく怪我をするアリサは、講義だけではなく医務室でもしょっちゅうお世話になっている。そう言えば、魔獣狩りをした時にも同行してもらっていた。
「私、まだちゃんと話が出来てなくて、本当は魔術の学術論文の話とかたくさんしたいんだけど、日々の講義や修練で忙しくて……。あ、それから! 帝都の街は世界で一番魔術を街造りに取り入れてる街なんだ! ほら、通りの魔力灯とか、台地の上の街と下の街を繋ぐ昇降機とか! だから、本当はもっと外出したいんだけどね……」
アルマの口から泉のように止めどなく、言葉が溢れてくる。それほど、彼女の人生にとって帝都士官学校に来ることは有意義なことだったようだ。
「あっ!? ごめん、私、一方的に話しちゃってた……」
絶え間なく話していたアルマは、我に返って照れ笑いを浮かべる。
「だからね、アリサは何かないのかなって思って……」
アルマに聞かれて考えたが、アリサにはそれほど熱中できるものはなかった。この帝都士官学校で生き残ろうとしているのも単にシエルに強く発破をかけられているからで、自分に何か確たる物があるかと言えば、それは思いつかなかった。
唯一思いつくとすれば、ここに来てから色々な出会いがあったことだ。
ヒルデグント、チカコ、マリアナ。
長らく離れて生活していたシエル。
なぜか自分を何かと助けてくれるロマン。
そして、最初の友達になってくれたアルマ。
「……私、周りに流されるがままにここに来たけど、今はアルマや皆に会えたから、来て良かったって思うんだ。だから、少しでも長く、皆と一緒に居れたら良いなって……今は、それくらいかな」
アリサは照れたように頬を人差し指で掻きながら言う。
「えへへ、なんか照れちゃうなぁ」
庭園を歩く二人の間を涼しさを含んだ風が過ぎ去っていく。
夏は終わりに向かっている。
それは同時に、帝都士官学校の前期の終わりを告げる合図でもあった。
湖の
アルマは成績表とは別に張り出されている、「決闘」の組み合わせ表を覗き込んでいる。
「えっ!?」
とアルマが突然、大きな声を上げた。
「どうしたの?」
アリサはアルマの後ろから組み合わせの表を覗き込んだ。
彼女の視線の先にアルマ・フォルバッハの名前を見つける。
“アルマ・フォルバッハ 対 アリサ・ブランドード”
確かにそう書かれていた。
「え……?」
アリサがアルマを見ると、彼女も呆然とアリサを見つめ返していた。
今、アリサも思い出したのだが、彼女もまだ二回しか「決闘」を戦っていなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます