第4話 皇太子の週末/先輩後輩/殺意

 週末は帝都士官学校の修練も休みとなる。多くの生徒はそれでも自己鍛錬や自習に勤しむのだが、中には息抜きに街中へと出かける者も居る。

 この帝都は皇帝の居城や帝都士官学校がある台地上の街と、台地を取り囲むように広がる市街地で構成されている。

 その街の一角に私服のレオニート皇太子の姿があった。

 人気の少ないひっそりとした路地の道脇で、鉄製のベンチに足を組んで座っている。


「それで、あの娘は見つかったのか?」

 レオニートは気だるそうに背もたれに両腕を広げて寄りかかり、天を仰いだ。

「ああ、この先にパン屋がある。そこに住み込みで働いているらしい」

 ベンチのかたわらにはロマンが立っている。

「よし。ものは大丈夫だな?」

「ああ、ここにある」

 ロマンは小脇に抱えていた綺麗な絹布の包みを見せる。

「よし、では任せたぞ」

「自分で渡さないのか?」

 不思議そうに見るロマンに、レオニートは苦い顔をする。

「……俺が行ったらあの娘に何事かと思われるだろ。ここはお前が行け」

 言い終えるとレオニートは組んでいた足を下ろし、ベンチから腰を上げる。

「俺は折角だからこの辺を散策させてもらう。あとは頼んだぞ」

 ひらひらと手を振りながら、レオニートは去って行く。

「おい、あまり遠くに行くなよ」

 遠ざかっていくレオニートの背中に向かって、ロマンは言う。

「分かっている。お前は俺の母親か……」

 ボヤきながら去るレオニートを見送ると、ロマンは少し歩いて雑踏あふれる表通りへと出る。路地を出てすぐに一軒のパン屋があった。これが先ほど話していたパン屋だ。

 ドアを開けると上に吊り下がっていた鈴の音が鳴り響き、店の奥に来店を知らせた。

 奥からエプロン姿の小柄な少女が出てくる。先日、レオニート皇太子と口論になった女子生徒、ルフィナである。

 手を拭きながら奥から出て来た少女は顔を上げて、こちらを見る。

「いらっしゃ……」

 ロマンの顔を見た瞬間に「あっ」という顔をして言葉が止まった。どうやら顔を覚えていたらしい。

「失礼、客ではない。君に用があって……」

 と説明をしようとした瞬間に、ルフィナは奥へと引っ込んだ。

「あ、おい!」

 後を追いかけ、奥を覗き込むと店主と思しき無愛想な感じの小太りの男が唖然とこちらを見ていた。パン生地をまな板の上に広げ、手には木のローラーを持ったまま停止していた。

「失礼、先ほどの少女に用事があるのだが、どちらへ?」

「……出て行ったよ」

 と店主の男が後ろ指を突き立てる。その先には、けっぴろげられたドアがあった。

 ロマンは苦笑いを浮かべる。

 

 一方、店から飛び出したルフィナは血相を変えて裏路地を走っていた。

 彼女の頭の中では、皇太子に無礼を働いたために彼が自分を拘束しに来た、ということになっているらしい。

「絶対そうに決まってるわ! 捕まったら最後、きっと酷い目に……」

 ルフィナは猛然と路地を走る。しかし、いつも人気がない筈の路地から誰かが飛び出て来て激しくぶつかってしまった。後ろに倒れて石の路上に尻を打ちつけてしまい、顔を歪める。

いた……」

「お前は……!」

 ぶつかった相手は、こちらを見下ろして言った。

 周辺を散策していたレオニート皇太子だった。

 状況を把握したルフィナの顔は、みるみる血の気が引いていく。

「皇太子様!!!」

 ルフィナは勢いよく足元にうずくまり、頭を石畳に擦りつける。

「先日は、えっと、ご無礼を致しまして……。その……どうか、し、し、死刑だけはお許しください!!!」

「は!? 死刑!? 一体、何の話だ……?」

 謝罪されたレオニートの方が困惑している。

「え……? 不敬罪で私を捕まえに来たんじゃ……?」

 ルフィナは少し顔を上げ、涙ぐんだ瞳で見上げる。

「どうやったらそんな思考になるんだ……」

 レオニートはやれやれと頭を掻いた。

「……先般せんぱんの詫びをしに来たのだ。知らずとは言え、制服を買えないお前を皆の前で無神経に笑ってしまい……その、すまなかった」

 改めてレオニートは手を差し伸べた。

「あ、ありがとう……」

 安堵したルフィナはほっとして、何も考えずに彼の手を握る。

「……ございます!」

 手を借りて立ち上がると、ハッとした顔で付け足す。レオニートは嫌そうな顔をした。

「止せ。今の身分はお前と同じ帝都士官学校の学生だ。それより、従者に詫びの品を持って行かせたはずなのだが……」

「あ、逃げて来ちゃった……」

 レオニートの言葉にルフィナは苦笑いをする。

 

 その後、ルフィナはレオニートと共に店へと引き返した。

 飛び出した裏口から戻ると、店主が気がついてこちらを見た。

「ルフィナ、どこに行ってたんだ? さっきのボウズが何かの小包をお前宛だとか行って置いて言ったが?」

 と店内の方を指差した後、ルフィナの背後に居るレオニートを見て眉をひそめる。

「んで、そいつぁ誰だ?」

 店主も皇太子がこんなところにお忍びで来ているとは思っていない。

 ルフィナは後ろに居るレオニートを振り返り、慌てた顔をする。

 レオニートは「気にするな」と小さく首を横に振る。

 表情で意図を察したルフィナは、店主へ向き直る。

「あ、えっと、友達……です」

「そうか。そりゃ結構だが、早く仕事に戻ってくれよ」

 言うと店主は、またパン生地をまな板の上でこね始めた。厨房を抜けて店内に行くと、カウンターの上に店主の言った包みが置いてあった。

「え!? これ……」

 開いた瞬間にルフィナは驚いた顔をする。

「ちょ、外出て!」

 小声で言うと、ルフィナはその小包を抱えたまま出て、店の隣の細い路地に入る。

「ただのお詫びでこんな高い物受け取れないわよ!」

 ルフィナは小包をレオニートに突き返す。小包の中にはブーツを除く制服が一式入っていた。おおむね帝都の一般的な借家の家賃二ヶ月分に相当する額になる。

 さらにそれを包む絹袋の小包も艶やかで上質そうだ。

「別に気にするな。詫びだと言っているだろう」

 レオニートはルフィナの手を押し返す。

「それにお前に必要な物のはずだ」

 レオニートの言葉にルフィナは根負けした。

「……なら、分かったわ。ちょっと待ってて!」

 小包を胸に抱えると店内へと小走りで戻った。

「はい、これ」

 レオニートの元へ帰って来たルフィナは、紙の小包を突き出す。

「ん?」

 レオニートが包みを受け取ると、中から甘い香りが漏れ出て来た。

「タダでもらうのは申し訳ないから。それ、私の焼いたパン。アンタの家の料理と比べたら、大したことないと思うけど……」

「ははっ! 頂こう」

 レオニートは愉快そうに笑う。

 常に邸宅で退屈しているレオニートには、この娘の予想外な行動は愉快そのものだった。

 

 最初に居たベンチまで戻るとロマンがそわそわとして待っていた。

「どこに行っていた!? 遠くに行くなと言ったはずだ。もし、お前の身に何かあれば……」

 戻って来たレオニートを見つけるなり従者ロマンの説教が炸裂した。

「ええい、うるさい! お前が本当に母上に見えて来たわ」

 レオニートは鬱陶うっとうしそうな顔をしながらロマンの前を通り過ぎる。

「ついて来い。帰るぞ」

「……なんだ、その小包は?」

 追いついたロマンは、レオニートの手元を見る。

「うむ、あの女からもらった」

 レオニートは包みからパンを取り出すと、それにかじり付く。

 そして、急に足を止めた。

「なっ……!?」

「どうした?」

 ロマンが振り向くと、レオニートは驚いた顔で停止していた。

「……賊でも出たか?」

 ロマンは警戒してレオニートの視線の先を見る。台地の上の街と違い、下の街は場所によって犯罪が頻発する地域もある。

「……恐ろしく美味い」

 レオニートは言った。パンのことだ。

「は?」

 ロマンはぽかんとした顔で振り返る。

 

 街が週最後の宵闇に浸かっている。城の高い尖塔が、月明かりに白く照らされている。尖塔の最上階の窓にリヴの姿があった。窓と言っても風を遮るようなガラスの戸はなく、吹きさらしである。

 塔は標高の高い台地の地表から、さらに百メートル以上高くそびえている。 吹き込む夜風が冷たい。

 しかし、リヴは目を閉じて集中した様子のまま、両手を身体の前に組んでいる。

 魔法陣の上に立ち、身体に紫電を帯びている。

「ヴィクトリカ、どうだった?」

 リヴは目を瞑ったまま、背後の階段を上がって来た部下に聞いた。

「いいえ、何も手掛かりはなかったです。そちらはどうです? センパイ」

「丸一日、街を観測していたけど、不審な出入りはなし」

 身体の周囲を取り巻いていた紫電の発光が消え、リヴは振り返る。

「……」

 ヴィクトリカと呼ばれた女はリヴの顔をまじまじと見つめたまま黙っている。

「……何?」

 リヴは眉をひそめて見つめ返す。

「いいえ。今日は、センパイの顔が綺麗だなって」

 ヴィクトリカが満面の笑顔で言うので、リヴは困惑する。

「は……? あんた、そっちの趣味でもあるの? それとも上司の機嫌を取ってるつもり……?」

 隊長のリヴは、動揺を誤魔化すように凝り固まった体を一度伸ばす。

「……どっちにしても、今日は、って言い方は逆効果よ。いつもって言いなさい!」

 伸びが終わるとヴィクトリカの額を小突く。

「あ、すいませーん……」

 ヴィクトリカは苦笑しながらつむじの辺りを掻いた後、窓へと歩み寄った。眼下には台地上の街の灯りが広がっている。

「それにしても、塔の上から台地上の街全体を感知術式で二十四時間監視するなんてよく考えますね。体力は認めますけど、いい加減ぶっ倒れますよ?」

「別にまだまだイケるわよ。ちょっと眠いけど」

「いいえ、ダメですよー。夜更かしはお肌の敵ですから、先輩の綺麗なお肌が荒れまくりますよ? ワタシ哀しい……」

 ヴィクトリカはわざとらしく両手で目元を拭う仕草をして、泣き真似をして見せる。

「あんた、ほんとに私のこと狙ってるわけじゃないよね……? 先に言っとくけど私、女はいけないわよ……?」

「ていうか、恋愛経験もないですもんね。センパイは」

 ヴィクトリカは「やれやれ」と肩をすくめる。

「あんたっ……! 何で知って……!?」

 リヴは慌ててヴィクトリカの顔を見ると、意地の悪い笑みを浮かべていた。

「あ〜、やっぱりしたことないんですね?」

「馬鹿にして……! 覚えてなさいよ!」

 リヴは部下にしてやられたことに赤面しながら身体を震わせる。

「すいませーん。とにかくセンパイは休んでてください、後はワタシに任せて」

「ふん! 心配されるほどヤワじゃないよ!」

「ワタシとしてはぁ、センパイと夜の塔でこうして二人でお話ししてるのも嫌じゃないんですよぉ?」

 甘い猫撫で声でリヴの両肩にねっとりと手を滑らせて、ヴィクトリカは言う。

「……やっぱ、休むわ」

 身震いしたリヴは、逃げるように階段に向かう。

「ええ、ごゆっくり♪」

 ヴィクトリカは満面の笑みでリヴの背中に手を振った。

 

 塔の階段を下りるリヴは、悔しさに頭から湯気を立てていた。

「全く、部下のクセにこの私を手玉に取るなんて。ああああ、生意気なヤツ! ムカツク!」

 長い石の回廊を下り続け、やっと塔の最下層へと着くと、階段の先に人影があった。

 ロマンだった。

「あーらぁ……

 リヴが引きつった笑みを浮かべ、皮肉を言う。不機嫌な時に会いたくない人間が現れた。

「……ひとつ気になることがあった。少し、話せるか?」

 腕組みをするロマンは後ろ指を立てると、リヴを城の中庭へと連れ出した。

 庭の人気のないところでロマンは止まった。周囲を何度か入念に見回して、人が近くに居ないか確認している。

「何? これでも私、あんたから引き継いだ裏方の仕事と隊の仕事の掛け持ちで忙しいんだけど?」

 リヴは不機嫌そうに皮肉を言うが、ロマンは気にするそぶりもない。

 彼は周囲に人が居ないと見ると、振り返って肩をすくめた。

「忙しいわりに、成果は上がっていないようだな」

(こんのクソガキ……!)

 と胸中穏やかではなかったが、小さく舌打ちするに留めた。

「……要件を言いなさいよ」

「謀反の調査の件だが、帝都士官学校内部に気になる動きがある」

 リヴが塔の上に居たのも、街に謀反に関わる人の不審な動きが無いかを特定するためである。

「本当なの……?」

 リヴの目つきが変わる。煙を掴むような状況の中で、一つでも情報が欲しかった。

「例年、帝都士官学校に入学する留学生には、皇帝陛下が直筆で招待状を書いて送付する。そして、留学して来る生徒は全員、国を代表する優秀な者ばかりだ。しかし、今年は間違いとしか思えないような生徒が一人居る」

「その生徒は……?」

「アリサ・ブランドード。ラヴァンディエ王国の重鎮の娘だ。姉のシエル・ブランドードはずば抜けて優秀だが、妹の方は……正直、並の生徒以下だ」

 ロマンは首を振って言い直した。

「と言うか、最下位だ。この意味、帝都士官学校を出たお前ならわかるだろう」

「でも、なぜか帝都士官学校に入学した……?」

 リヴは腕組みをして呟く。

「つまり、学内の人物が勝手な関与をしている可能性がある。意図までは分からないが……」

 ロマンが続きを言った。

「今、私もそれを言おうとしていたとこ! 勝手に続きを言わないでよ!」

 リヴは噛み付くように言う。内心、悔しい。

「でも、それ、発想する人間が手違いに気付かずに招待状を送っちゃっただけってことは考えられない?」

 リヴの言葉にロマンは首を振る。

「いや、それはない。皇帝陛下の送る書状には全て公式の文書ということで皇帝一族の印で封印がなされる。しかし、アリサ・ブランドードに聞いたところ、その封印はなかったと言っていた。つまり偽の書状ということになる」

「……その子の記憶は確かなの?」

 リヴはロマンの顔を訝しげに覗き込む。

「さあな。だが、状況からして不自然なことが起きている。それが事実と仮定して調査を進めてみても良いと思うが? 現時点で他に何も報告出来る手掛かりが無いのならな」

「……」

 生意気な年下の言葉が胸に突き刺さる。実際、他に報告出来るような事項は無かった。ラディクに何の手掛かりもなく報告をしようものなら、裏方の仕事の腕を疑われかねない。

 ぐぅの音も出なかった。


(ほんっと生意気なやつ! マジで覚えてなさいよ!)

 リブは肩を怒らせながら一人、中庭を戻った。

 

 翌週、帝都士官学校の訓練生たちにあるものが配られた。

「勲章……?」

 朝、寮に来た学校側の職員からそれを受け取ったアリサは、封筒の中身を見ると言った。封筒の中には布に金の刺繍ししゅうの勲章が入っていた。

「うん、そうだよ! 帝都士官学校の生徒の証でもあるの! 今後はこれがないと校舎内に入れないんだってさ!」

 同じように職員から別の封筒を受け取ったアルマは言う。

 校舎がある湖の中央の浮島へと伸びた渡り通路の入り口には帝国軍の兵士が立っている。出入りを厳重に管理され、特例を除いて部外者は入れないことになっている。

「あと、これは他の意味もあって……」

 と言いかけたアルマが封筒から勲章を取り出して気まずそうな顔をする。

「あれ……? アルマの勲章は、色が違う?」

 アリサはアルマが手にしている勲章を見ると言った。

 帝都士官学校の勲章は、中心に盾。その後ろに剣と、魔法を表す古の杖が斜めに交差する絵柄が金色の糸で刺繡ししゅうされている。

 色が違うのはその下地の布である。

 アルマの持つ勲章の下地は黒。

 黒の下地に、刺繍の金色が際立って見える。

「私のは下地が青色だけど……」

 アリサは手にした自分の勲章をまじまじと見る。

「えっとね……、帝都士官学校では、最初に生徒を成績ごとに三段階に分けるの。階級によって勲章の下地の色が違って……」

 黒が「強者」を表し、上級ランク。

 赤が「闘争」を表し、中級ランク。

「……で、青は……一番低くて『見習い』を表すんだって……」

 アルマは気まずそうに説明した後、思い出したように付け加える。

「あ、でも! もちろん半年ごとに成績の状況に応じて階級が変わるから、途中で色が変わる人もたくさん居るの! だから失くしちゃダメだよ?」

「うん……」

 アリサはげんなりとした顔でその勲章を制服の上着の左胸につける。

 部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 ドアを開くと、シエルが居た。いつもの如く後ろにはマリアナが背筋を伸ばし、優雅に立っている。二人とも左胸には「強者」を示す黒の勲章がつけられている。

「もう勲章は受け取ったわね?」

 シエルはアリサの左胸を見る。当然のように「見習い」の青の勲章が付いているのを見て、苦々しい顔をする。

「……朝の鍛錬に行くわよ。付いてきなさい」

 シエルはアリサの手を捕まえると、寮の部屋から引っ張り出した。

「い、行ってらっしゃい……」

 アルマが呆気にとられた顔で手を振って見送っていた。

 

「……良い? 優秀な士官の育成を目的とした帝都士官学校では、勲章は己の身分を表す指標よ。今後は何かにつけてこの勲章で判断されることになるわ。覚えておきなさい」

 訓練場へと向かいながら、前を歩くシエルは言った。

「ブランドード家のあなたが下級ランクの青を着けるなんて……」

 シエルの言葉は重いため息に終わった。

 不穏な空気を察して、マリアナは話題を変えようとする。

「あぁ! 因みに今週から始まる『決闘』では同じ階級同士の戦いはありませんの。格上か、格下のどちらかと対戦ですわ。そして、『決闘』は半期の間にほんの数回しかありませんの。ですから、一回の勝敗で成績が大きく左右されるのですわ。つまり、手抜きは許されないのですわ」

 二人が静かに歩く中、マリアナはつらつらと説明していく。

 そして、説明が終わるタイミングでちょうど訓練場の入り口に着いた。

 早朝だというのに多くの生徒たちがあちこちで自主鍛錬を行っており、活気に満ちていた。

「帝都士官学校の生徒の将来は、どこまでこの士官学校に在籍出来るかで大きく分かれるの」

 シエルは手に持っていた訓練用の槍を、アリサに押し付けるように寄越よこした。

「だから、相手も本気で来る。今のあなたは下級だから、『決闘』の相手は全員格上ということになるわ。生半可な覚悟で行くと大怪我をするわよ。」

 アリサは青い顔でシエルの差し出した槍を抱えると頷いた。

 

 数日後。

 広い訓練場の端に、円形に五、六メートル低く掘り下げられた場所がある。その場所が「決闘」の行われる場所である。士官学校ではここを「闘技場」と呼んでいる。

「決闘」は自由に観戦が可能なため、時間の空いている生徒が神妙な顔で観戦している。

 円形の中央にはこの帝都士官学校の顔であるラディクが立っている。彼が勝敗の判定や万が一の場合に戦闘を止めに入るとのことだった。


「決闘」

 この士官学校で最も由緒正しき儀式だった。

 かつて戦乱の時代を収めた初代皇帝が、戦場での戦いを忘れ去られないように「決闘」という慣習を作ったそうだ。

 目まぐるしく情勢の変わる戦乱の時代は、同じ釜の飯を食った仲間でさえ、時に敵となりうる。

「兵士は、いかなる相手に対しても、その磨き抜かれた知性と技術を全て戦闘に発揮するべきである」

 という初代皇帝の哲学のもと、この慣習が作られた。

 故に帝都士官学校の成績の中で最も評価されるのがこの「決闘」の勝敗なのである。


 闘技場の両端に階段が向かい合って作られており、下へと降りられるようになっている。

 訓練用の鎧に着替えたアリサが姿を現した。下へと降りる階段の入り口にシエルとマリアナが立っていた。

「ブランドード家の家紋に泥を塗るような真似は許さないわよ。分かっているわね?」

 シエルの瞳が鋭い眼光を放ってアリサを睨んでいる。

「う、うん……」

 アリサは緊張した面持ち頷く。

 ふと、視線をシエルの背後に向けると、アルマとヒルデグントが居て、二人してこちらに手を振った。おかげで緊張が少しだけ和らぐ。

 アリサは階段を下りていく。

「訓練でしたことを忘れないで」

 シエルの声が最後に後ろから聞こえた。正直、手酷くしごかれたことしか覚えていない。

 アリサの降りる階段の向かい側にも同じように階段がある。対戦相手であろう訓練生がむかいの階段を下って来た。

 マリアナはその相手の生徒を見て「あっ」と声を上げた。

「あの時の……!」

 マリアナは生徒を睨みつける。

 男子生徒にしては背が低い。長い髪は雪のように白く、幼さの残るその顔は少女と言われても気が付かないような美形である。胸には中級を示す「闘争」の勲章。

 マリアナと庭園内でぶつかっていさかいを起こしたあの男子生徒であった。


「ルカーシュ・チェルベンカ。到着したよ」

 先に中央に着いた男子生徒は、ラディクに名乗った。

 少し遅れてアリサが着く。

「アリサ・ブランドードです」

 ここに至って開き直ったようで、既に緊張している様子もない。

「よし」

 闘技場中央で後ろに手を組んで立つラディクは二人を一度見ると小さく頷いた。

「では、これより帝都士官学校の伝統である『決闘』を開始する。武器はお互い殺傷能力のない武器を使用するが、魔術に発動制限は行わない。上級魔法だろうが、何だろうが好きに使え。戦闘継続不可とみなした時点で俺が終了を宣言するが、前もって降参することを認める。実力差が明らかである場合は余計な怪我をしないように自己判断で宣言しろ。兵士たるもの己の身は己で守ると心得るべし」

 簡潔に説明を終えるとラディクは咳払いをする。

「いいな」

 と再び交互に二人を睨む。二人は頷いた。

 ラディクは頷き返して後ろに退いた。

「……それでは、始め!」

 宣言されると同時にアリサは訓練用の槍を構えた。対する魔術専攻のルカーシュは武器を持たず、指輪を嵌めた右手を身体の前に構える。

 

「お姉様、勝算はあるんですの? いくらお姉様の鍛錬を受けたと言ってもたった数日では……」

 マリアナは闘技場を見下ろしながら不安げに聞く。

「どんな相手でも、勝率がゼロなんてことはあり得ないわ」

 隣のシエルは腕組みしたまま、表情を変えずに言った。

「それじゃ……」

 マリアナは期待を滲ませてシエルの方を向く。

 その少し向こうで話を聞いていたアルマとヒルデグントも表情を明るくする。

「……せいぜい五パーセントってところかしら」

「えっ……?」

 マリアナは、シエルの思いがけない言葉に唖然とする。

 

 地面が破裂し、凄まじい音がした。

 戦いを見守るすべての人間の視線が、宙に舞うアリサに向けられる。

 ルカーシュの放った雷の魔術がアリサを地面ごと吹き飛ばした。

 アリサの身体は高々と空中を舞った後、地面に叩きつけられた。

「最下位の落ちこぼれが相手なんて僕もツイてないね。勝ったところで自慢にもならないし……」

 ルカーシュは肩をすくめた。

 アリサは地面に倒れたまま動かない。

「ほら、もう、おしまいで良いだろ? 先生」

 とルカーシュは背を向けかける。

 

 その時、闘技場にシエルの声が雷鳴のように響いた。

「立ちなさい、アリサ! まだ終わってないわ!」

 アリサの身体がぴくりと反応する。

「おい! 『決闘』の最中に外から口出しするな! 次にやったら退場にするぞ!」

 審判をするラディクはシエルを指差して鋭く叫ぶ。

 シエルは謝罪のために会釈を返す。

「ったく……」

 と呆れた表情でラディクが視線を下げると、倒れていたアリサの身体がゆらりと起き上がった。

 背を向けかけていたルカーシュはため息を吐いた。

「はぁ、そのまま倒れたふりをしておけば余計な怪我をせずに済んだのに、僕の優しさが分からないの? 手加減するのも楽じゃないんだよ?」

 アリサは痛そうに顔を歪めながらも何とか槍を構えた。ルカーシュは口の端を歪める。

「そう、それじゃ。遠慮なく」

 ルカーシュがアリサに向けてかざした手中を雷電がほとばしる。彼の瞳の色のように紅に光る雷光。

 指輪に据えられたアメジストが光ると同時に雷光は放たれ、アリサの身体を貫く。

 矢継ぎ早に雷撃がアリサの身体を焼いた。

 雷撃の度にアリサの痛々しい叫び声が闘技場に響く。

「あはははっ! 諦めだけは悪いみたいだね! 面白いや!」

 ルカーシュは意識が朦朧とするアリサに何度も雷撃を放ちながら叫ぶ。

 アリサは辛うじて立っているが、手にした槍の穂先は地面に落ちかかっている。


(……倒れないように手加減してやがる。こいつぁ、なかなか性根が悪いな)

 と審判をするラディクは一瞬ルカーシュを見る。

 しかし、アリサが降参しない意思を示している以上は限界まで止めるわけにはいかない。


「も、もう、止めてください! あのままじゃ身体がボロボロになっちゃう!」

 アルマはシエルにすがりつくように言う。

「私たちに口出しはできないわ。さっきラディク殿も言っていたでしょう」

 シエルは取り合わない。

「それにブランドードの家名のためにも、中途半端な負けは許さない」

 シエルの冷淡な瞳の光を見て、アルマはぞっとする。


 闘技場のさらに別の場所。

「ロマン、あの娘がそんなに気になるのか?」

 闘技場の周りに自然に生えた雑木に「やれやれ」と背中を預けて、レオニートが聞いた。

「……ああ」

 闘技場を見下ろしているロマンは、気のない返事をする。

 すると隣で試合を見ていたオレクが、ぱあっと顔を輝かせる。

「え、まじ!? ロマンにもついに春が……」

「お前は黙ってろ、試合に集中できん」

 オレクの頭にロマンのチョップが刺さる。

「いてて……でも、あの子フラフラだよ。このままだと本気で殺されちゃうんじゃない?」

「死人は出ない。ラディク様が審判をされているからな」

 ロマンは闘技場内に視線を落としたまま、キッパリと言い切った。

「ロマンと兄貴のお師匠様ねぇ。凄いのはわかるけど、流石にもう歳じゃないの?」

「ふん、バカだな貴様は」

 ロマンは目を細めて、隣のオレクを見た。

「誰がバカだっ!? 実際そーでしょうよ! もう五十手前でしょ?」

「いや、お前はわかっていない。その程度の人なら、あの皇帝陛下がお傍に置くわけがないだろう」

「そうなの兄貴!?」

 オレクはムキになって振り返り、二人の背後に居るレオニートに聞く。

「……まあな」

 レオニートは木にもたれかかったまま気だるそうに言う。

「実際、ラディク様がこの士官学校の代表に就任なされる前は、死人が出たこともあったそうだ。だが、陛下のご意向で他国の生徒を招致することが決まり、ラディク様が呼ばれた。他国の有能な生徒を死なせては国際問題に発展する可能性があるからな」

 オレクがロマンに視線を戻すと、彼の目は既に闘技場に戻っていた。

「ラディク様は、俺以上の死線を潜り抜けて来ている。逆に言えば、戦闘における生と死の境目を、最もよく知る人だと言っていい」

 ロマンの瞳は戦いではなく、ラディクに向いている。

(師匠の目つきが変わっている)

 一番の弟子であるロマンにはわかった。この戦いの終わりは近い。


 その間、ルカーシュは何度も雷撃を浴びせ、アリサが自ら降参するのを待っている。

 しかし、頑なに降参しようとしないアリサに、面倒くさそうな顔をする。

「あー……もう、いいや。死んでも怒らないでよね。……って死んじゃったら怒れないか、あっはは!」

 目のくらむような雷の閃光が、手の中でけたたましく音を立てる。

 まばゆい閃光が衝撃で地面を割りながら、かろうじて立っているだけのアリサに向かって行く。

(あ、わたし……死……)

 目の前から迫る死にも、朦朧とした意識の中では他人事のように感じた。

 視界が真っ暗になった。

 しかし、意識を失ったわけではなかった。

 目の前に大きな背中が立ち塞がっていた。


 雷撃を見舞ったルカーシュは目を疑った。

 戦っていたはずのアリサの前に、側から審判をしていたラディクが立ち塞がっていた。

 彼は片手をこちらに向けている。

 自分が放ったはずの、紅色の雷光は小さくなって彼の手の中に収まっていた。

「そこまでだ。勝者、ルカーシュ・チェルベンカ」

 雷光を握りつぶすと、この大柄の中年の男は平静とした様子で言った。

(何が……起きたんだ……? 僕の雷撃の魔術が、吸収されたのか?)

 勝ち名乗りを受けたルカーシュが、呆然と目の前の男を睨んでいると、視界に一人の少女が割って入った。

「ちょっと! いたぶるためにわざと加減したでしょ!?」

 観戦していたアルマが、いつの間にか闘技場に下りて来ていた。

「……ったく、おい! 勝手に入ってくるんじゃねぇっての!」

 ラディクが慌てて注意するが、頭に血が上ったアルマの耳には届かず、ルカーシュと口論を始めた。

「は? 勝てもしないくせに頑張るからだよ。僕は悪くないでしょ? ねぇ、先生?」

 ルカーシュはアルマの後ろに立つラディクの方を見る。

「……ああ。戦場で敵に情けを求めるのは筋違いだからな」

 ラディクは無表情で頷いた。

「う……」

 士官学校を代表するラディクまでがルカーシュの味方に付き、アルマは悔しそうに身を震わせる。

「……でも、私はあなたのことなんて認めない。自分より弱い相手をわざといたぶるなんて!」

「君、何か勘違いしていないかい? 僕たちは全員競争相手なんだよ? 友達だかなんだか知らないけど、馴れ合いなんて荷物になるだけじゃないか」

 ルカーシュは肩をすくめる。

「おい、お前ら。口喧嘩なら他所でやってくれ。次の予定があるんでな」

 ラディクが面倒そうに頭を掻きながら言う。

「いえ、もう終わります」

 とルカーシュは目を細めて冷やかにアルマに笑いかけると、背を向けた。

「……ふーん。じゃあ、私から逃げるんだ?」

 とアルマは皮肉たっぷりに口の端を歪ませた。眼鏡の奥の瞳が冷ややかな光を放った。

 アルマの言葉がしゃくにさわったらしく、去りかけたルカーシュの足がぴたりと止まる。

「逃げる? この僕が……?」

 ルカーシュは振り返って笑顔を見せる。細めたまぶたからのぞく瞳が、怪しい光を放っている。

 しかし、アルマも引かない。

「あなたの勲章の色は赤。ってことは、私より下。そうでしょ?」

「ははっ、そんな勲章一つで僕より強いと思ってるのかい?」

 ルカーシュは手を前に構えた。

 手中に雷光が輝き始める。

「……おい、クソ餓鬼ども」

 怒りを押し殺したような静かな声が聞こえ、思わず二人はラディクに視線を向けた。

「喧嘩は他所でやれってのが分からねぇのか? 俺ァ話の分からねぇ奴は嫌いなんだが……」

 男は獣が唸るように声を絞り出した。瞳は、かっと見開き、その巨体が生気をみなぎらせている。

 獣が獲物を狙う視線。

 戦場で数えきれないほどの人間をほふった男の、嘘偽りのない純粋な殺意。

 闘技場全体が、男の発した威圧感に呑まれて凍りついた。


 言わずもがな、目の前にいる二人の怒りは鎮火した。

 ルカーシュは何も言わずに背を向け、今度こそ闘技場の階段を上って行く。

(生徒に殺意を向けるなんて、流石は噂の士官学校の代表か。滅茶苦茶だね)

 ルカーシュのこめかみから冷えた汗が流れ落ちる。

 呆然としていたアルマは、ハッと我に返ってアリサに駆け寄った。

 アリサは既に気を失っていた。

「だ、誰か! 医務室に運ぶのを手伝って!」

 すると、ラディクが振り返って、アリサの身体をひょいと持ち上げて肩に担いだ。

 そして、「残業確定じゃねぇか、クソ……」とボヤきながらそのまま医務室へと向かって行った。

 男が見せていた殺意は、まるで鞘に収められた刃のように見えなくなっていた。

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