それでも剣士が守るもの

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それでも剣士が守るもの

 夕暮れの空は穏やかなものがあった。

 街であっても太陽が遠い山の向こうにゆっくりと沈んでいく様子が美しく、空に淡い紫色の帯がかかり始めると、それがさらに幻想的な雰囲気を醸し出す。

 だが、その美しい光景も長くは続かない。

 日没とともに空の色が一気に変わっていくからだ。

 赤から紫へ、そして群青へと。

 そうしてあっという間に夜の帳がおりるのである。

 まるで魔法のように、瞬く間に夜になるのだ。

 しかし、それもまた悪くない。

 なぜなら、それは一日の終わりであり、同時に新しい始まりでもあるのだから。

 放課後の、そんな時間を少年が歩いていた。

 襟元のボタンを外した学ラン姿の少年だ。

 乱した制服はだらし無さは無く、着崩しているラフさが逆に洒落て見えた。

 高校生くらいであろか。

 長めの前髪を額にかけ、そこにしっかりとした面立ちがあった。

 だが、武骨ではない。

 顔は親から譲り受けたものだが、環境でその面立ちは変わる。

 恵まれた環境ならば、穏やかなものに。

 荒んだ環境ならば、厳しいものに。

 少年の場合は親から譲り受けたもの以上に、環境でできあがった面立ちが感じられた。ガラスのような透明で冷ややかで、浸食を受けつけない不変さを持つ。そんな面立ちだった。

 発育の良い今日日の子供は、中学生くらいでも大人と似た体格から、年齢を見誤ることもあるが、長い年月から見れば人間の2、3年の歳の違いなど取るに足らないことであった。

 だが、少年の長い前髪の奥に存在している眼に宿るものが、切った張ったの世界で生きる者さえも戦慄を憶えるものがあるとしたら、話しは別だ。未成年という青い存在としては片付けられない。

 少年の名前は、いみな隼人はやとといった。

 彼は左肩に黒い包を担いでいた。

 細長いさまは釣り竿のような棒状のものを連想させたが、軽いものではなく、ずっしりとした重さを感じさせた。

 人の居ない道を隼人が歩いていると、正面の脇道からメガネをかけたスーツ姿の中年男性が出てきた。目の細さは笑っているようにも、狐のような狡猾さを感じさせる男だ。手には小型のトランクケースを手にしている。

 男は隼人の姿を見つけると、軽く頭を下げて近づいてきた。

「諱様で、お間違いないでしょうか?」

 中年男性は、落ち着いた声でそう言った。

「ああ」

 隼人は短く答える。

「端的に、お話を致します。お持ちになっている《皿》を譲って頂けませんか? タダとは申しません。お望みでしたら、ここにある金額全てを差し出しこともできます」

 そう言って、中年男性は持っていたトランクケースを差し向けると、留め金を解除して中身を隼人に見せた。

 中には札束が入っていた。

 百万円の札が20枚、二千万円あった。

 目の眩むような金額だ。

 一般的に、収入の20~30%を貯蓄にまわすのが理想とされる。

 手取り20万なら、月に2万、6万ということだ。

 仮に4万ずつ貯金した場合、41年7ヶ月かかることになる。

 23歳から働き始めた場合、ボーナスを考えなければ64歳になってようやく貯めることができる金額だ。

 世の中にはたかが数万で殺人を犯す人間もいることを考えれば、この金額は人の心を狂わせるに値する。

 だが、これほどの大金を見ても、隼人は眉一つ動かさない。

 まるで、ティッシュの束を見るような無関心な目。その目に、男は隼人に得体の知れない怖さを覚える。

 隼人は、懐に手を入れるとジップロックに封入された小さな白磁の皿を取り出した。

 直径6cm程度の深型の皿で、何の模様無いシンプルなデザインであった。

 それを見た中年男性は、表情を明るくする。

「この《皿》は預かりものだ。数日間預かって欲しいとな……。俺に、こいつを鑑定する眼力はないが、どうみてもここ数年の間に作られたものにしか見えねえな。

 しかも陶芸職人が一個一個丁寧に作った物でもなく、大量生産されたものだろうよ。どうして、そんな金が出せるんだ?」

 隼人は問う。

「それは申し上げられません。ですが、お譲り頂けるのでしたら、このトランクケース全ての金額を差し上げます。お返事一つで、これだけの大金が手に入るのです。悪いお話ではないと思いますよ」

 すると隼人は即答する。

「怪しさ、この上ないな」

 隼人の言葉に男は落胆することなく、安堵したように微笑んだ。

 その目には諦めの色はない。

 むしろ、獲物を狙う蛇のような狡猾さを秘めていた。

「ご安心下さい。偽札ではありません。手にとって実感して下さってもかまいませんよ」

 男は、交渉を続けることにしたようだ。

 だが、次に動いたのは隼人の方だ。彼は《皿》を懐に戻す。

「悪いが契約書にサインをした以上、依頼を反故にすることは俺の信用に関わるんでね……」

 隼人は、そう言って立ち去ろうとする。

 すれ違って、隼人は男に、すぐに呼び止められる。

「お待ち下さい。これだけの金を積んでも売って頂けないのなら、別の手段を取るしかありません」

 男は目に殺意を光らせ懐に手を入れ、回転式拳銃リボルバー・コルト・ディテクティブスペシャルを掴んだ。

 コルト・ディテクティブスペシャル。

 コルト社が、1927年に開発した小型拳銃。ディテクティブとは刑事や探偵という意味で、小型で携行性が高いことからアメリカで多くの私服警察官や探偵などが護身用として使用される。

 通称、コップガン。

 使用する38スペシャル弾の威力は、威力の低さをいわれるが、それでも成人男性の太腿を貫通させるだけの殺傷能力はある。至近距離なら、頭蓋骨だって撃ち抜ける代物だ。

 男はコルト・ディテクティブスペシャルを抜――。

 その刹那、拳銃を握る男の右手は地に落ちていた。

 金属音を立ててアスファルトの上に転がる拳銃と手首を見て、男は鏡を見なくても顔色がみるみる青ざめていくのが分かった。

 男が事実を確認する為に、自分の右手を見る。

 手首から先が存在していなかった。

 代わりに、血が噴き出している。

 まるで手品のように綺麗に切り落とされていたのだ。

 男が金の詰まったトランクを捨て、次に掴んでいたのは血の吹き出す自分の手首だった。

 眼の前に、抜身の脇差を手にした隼人の姿があった。

「剣士の間合いは六尺(181.8cm)と言われていてな……。俺は仏でも鬼でも斬るんだよ」

 隼人は、脇差を構えることなく、だらりと下げたまま言う。

 その姿は何人をも迷わず斬り伏せる鬼神のごとき境地にあった。それはまさに、人外の魔性を纏う魔物の姿に他ならない。

「よかったじゃねえか。その金は接合手術をするにしても充分な金額だろ」

 そういって、隼人は脇差の刃を布で拭うと地に落とした黒い包みにある鞘に戻した。

 抜刀術というものがある。

 抜き打ちの一閃で敵を斬り伏せるという技のことだ。

 これは戦国時代、槍や刀が折れた時、とっさに腰の太刀を抜いて身を守るために使われた刀術で「居合」「抜刀」「抜合」「抜剣」「鞘離」「囲合」「鞘ノ内」など呼び名があった。

 達人ともなれば、その抜く手が見えず抜き終わってから気づく程の速度だ。

 本来抜刀術は、腰に密着させた鞘と腰の体幹力を伝えることで、独特の鋭さが生まれる。手の包に刀と脇差を隠し持っていれば、その抜き付けの鋭さを発揮させることはできないが、隼人はそれでも抜き手を見せない速度で抜いたのだ。

 男は、その場にへたり込むしかなかった。

 切断された手首からは血がドクドクと流れ出ており、地面に血溜まりを作るほどだ。

「クソガキが! 後悔するなよ」

 男は吠えた。

 そんな男に、隼人は一瞥もくれることもなく立ち去る。

 敵意を向けられた以上、自分の意思とは関係なく間合いに居る存在を敵と判断したからこその行動なのだ。

 だから一切の情けもかけなかったし、躊躇ちゅうちょもしなかった。

 だが、これが仕事だ。

 この様な事態は、この仕事を引き受けた時から分かっていたことだ。

(口入屋の奴。何が《皿》を持っておくだけの、簡単な仕事だ)

 内心で愚痴をこぼすものの、それが彼の選んだ道であることも承知していた。


 ◆


 翌日のことであった。

 隼人は自身が狙われていることを感じていた。

 姿は確認できていない。

 何者かの視線を感じるのだった。それも複数人から……。

 学校が終わり帰宅途中のことだった。

 夕暮れ時から、後ろからつけている気配があることに気付いた隼人は、あえて人気のない場所を選んで歩いていた。人目のある所に居ても身の安全は保障されないからだ。

 敵が、その気になれば群衆を巻き込んで襲撃することも厭わないことを理屈や根拠の無いままに直感していた。

 敵は走りながら追いかけるという愚行はしなかった。

 一定の距離を保ちつつ、確実に追いつめるように追跡してくる。どうやら頭数の多さが有利に働くことを熟知しているようだ。

 宵闇が訪れた頃、隼人は、狭い路地を抜けて街中にある小公園へとやってきた。

 遊具もなく、公衆トイレとベンチしかない汚らしい場所だが、ケリを着けるには絶好の場所だ。

 隼人は手にしていた黒い包みを解くと、闇となって広がる。

 中から黒塗りの鞘に収まった鍔の無い刀と脇差が現れた。

 腰のベルトに二本差しを決めると同時に、隼人は闇を翻す。

 闇が風の様にそよぎが終わると、そこに黒い打裂羽織をまとった剣士が、闇に溶け込むように立っていた。

 そこに5つの影が躍り出てきた。

 5人の男たち。

 年齢にして30代半ばから40歳手前といったところ。体格や身のこなしから素人でないことは一目瞭然であった。

 全員、手には刀を持っていた。

 隼人は柄に手を運ぶと、静かに鯉口を切る。後手に回った場合、敵に先手を譲ることは不利になるからだ。

 先に仕掛けたのは敵側だ。

 先頭にいた男が隼人に向かって刀を振り下ろす。その動作には迷いがない。実戦慣れした動きだ。

 その一撃を避けざま、隼人は抜き打ちで男の胸を薙ぐ。

 剣閃が疾る。

 右の第四、第五肋骨の間から入った切先は胸骨を断ち、心臓まで達して致命傷を与えた。

 一拍して心臓から血が爆ぜる。

 1人目。

 しかし、他の4人は仲間の死に動じることなく襲い掛かってくる。

 2人が左右から同時に攻めてくる。

 左側の男が、大きく振りかぶって上段からの一撃を見舞ってきた。

 狙いは隼人の頭部だ。

 頭蓋を叩き割るつもりなのだろう。

 まともに喰らえば死は免れない。

 隼人は半身になり斬撃を避けると、右にいる男の右脇腹から左鎖骨にかけてを一閃する。

 回避の動きを、そのまま攻撃の動きに転化させたのだ。

 流れるような無駄のない動き。

 男の内臓が飛び出すのが見えた。

 2人目。

 右側の男は絶命しており、死体が崩れ落ちる前に身体を蹴り飛ばし左側の男との距離を開ける。

 隼人は、その間に左手で脇差を抜き放っていた。

 その方が右に流れた刀を引き戻すより早いからだ。

 脇差が男の頸部を斬り裂く。

 首を落とすだけの斬撃力はなかったが、頸動脈を切断することで最小の力で最大の出血量を引き出すことができる。

 頸動脈を断たれれば、5~15秒で意識不明となり失血死となる。

 3人目。

 隼人は思いがけずに二刀となるが、彼の流儀に二刀流はない。

 戦国最強の剣士だった宮本武蔵は二刀を使う二天一流を創設するが、後世において隆盛を極めた流派にならなかったのは、武蔵以外に使えなかったからに他ならない。

 片手で刀を扱えない訳ではないのだが、両手で扱う剣術に比べると速度も威力も劣る。

 だから、隼人は脇差を手近な位置に立つ男に向かって投げつけた。

 脇差は回転しながら飛翔すると、その男は刀を使って脇差を払う。

 男は、隼人の脇差による攻撃を防いだと思った。

 だが、刀で脇差を払ったことで、隙が生じた。

 眼の前に隼人が迫っていた。彼は脇差を投げると同時に間合いを詰めたのだった。

 そして間合いに入ると、逆袈裟に斬り上げる刃は、男の左脇腹から入って右脇の下へと抜けていた。

 男は腹圧により腸管が漏れ出る感触があった。

 だが痛みはなかった。

 痛みが感じられないほど意識が一瞬にして混濁しているためだが、やがて闇に飲まれて死に至る。

 4人目。

 これで残るは1人となった。

 残った1人は、仲間の死体を見ても動揺した様子は無かった。

 隼人は肝が据わっているというよりも、感情を殺しているのかと思った。

「お前らの目的は《皿》か?」

 隼人が尋ねると、男は薄く笑った。

 それは肯定の意味だろう。

「この前の男といい、どうしてあんな《皿》に拘る?」

 隼人の言葉に、男が答えることはなかった。

(そこまでの価値があるからか……)

 隼人は嘆息を漏らすと、刀を右手に下げて構えを取る。

 新陰流で言うところの、無形の位と呼ばれるものだ。

 一見無防備なようだが、これこそ敵のいかなる攻撃に対しても千変万化・自由自在に対応できるものだ。

 隼人は、左腕を前にし、右手を下げ気味にして相手の出方を伺う。右腕を晒さないのは、利き腕を守る所作だ。

 一方、相手は正眼の構えから切っ先を小刻みに上下させて牽制していた。

 一刀流における鶺鴒せきれいの構えだ。

 鶺鴒せきれいは長い尾を上下に小気味よく振る子鳥で、切先を常に動かすことで居着く(固まる)ことを防ぎ、斬り込む隙を与えない様にするのだ。古流剣術では切先を微動だにせず構えることが多かったので、一刀流が進歩的な剣理を持っていたことが伺える。

 睨み合いが続く中、隼人は男の剣術における技量の高さを見抜く。

 刀を持った荒くれ者ではない。

 洗練された技を持つ剣士だ。

(来る)

 そう感じた瞬間、男の方から動いた。

 一気に間合いを詰めると、上段から振り上げた切先が刃唸りを上げて襲い掛かってくる。

 その一撃を隼人は身を引いて避けた時だった。

 男は切先を中段で止めると、刺突に切り替えてきたのだ。

 刀は竹刀のように軽いものではない。上段から振り落とした刀をピタリと止めるのは至難の業だ。

 それをこの男は、見事にやってのけた。

 腕力だけではない。前屈による膝のバネと腰の力で下半身を支えつつ上半身の力を分散させねばならないのだ。これを瞬時に行えるということは、並大抵の腕力の持ち主でないことが分かわかる

 しかも、このタイミングでの切り替えは絶妙としか言いようがない。

 予想外ではあったが、隼人にとっては想像を超えるものではない。

 隼人は左足を引いて半身になって、刺突を自分の右側に躱すと同時に、そのまま前に出る。

 男の刺突の一撃に対して、隼人は正面から応えるという相打ちを狙ったのだ。

 隼人の左下にある刀が浮き上がる。

 男の右側を刀と共に隼人がすり抜けた時であった。

 すれ違いざまに抜き胴の一閃を放つ。

 鳩尾と肝臓を存分に斬り裂いて、隼人は即座に反転すると、背後にいる男に向き直り残心を決める。

 残心は、敵を倒したと思っても、技を決めたあとも、いつ攻撃がやってくるか分からない。

 と油断をしない気持ちのこと。

 武道は体を動かしたり、練習を重ねて試合で勝敗を決めたりするなど、スポーツとよく似ている部分があるが、「残心」という概念があるかどうかで、スポーツとは明確に異なるといわれる。

 例えば、剣道では一本を決めたあとも喜びの声を上げたり、拳を作ってガッツポーズを取ったりといった行為があると、有効打と認められない場合がある。

 「近代剣道の父」と呼ばれる高野佐三郎氏の言葉にも

「残心は心を残さないようにして残すこと」

 であるとしており、余計なことを考えず、打つことへ集中を切らさないことによってのみ、初めて残心がかなうと説かれている。

 残心を決めた瞬間、男は口から吐血したかと思うと、前のめりに倒れていった。

 男の身体から流れ出る血が地面を濡らす。

 隼人は刃を拭って刀を鞘に収める。

 まるで舞のような流麗な動き。

 しかし、そこに達成感や満足感といったものは一切なかった。

 ただ、斬るだけ。

 そこには何もない。

 隼人は空を見上げて息を吐いた。

 闇に包まれた空は、星一つ見えない曇天だった。

 

 ◆


 うらぶれたオープンカフェのテラスでコーヒーに唇をつける一人の女がいた。

 年の頃は20代。

 美人といって差し支えのない顔立ちをしている。

 黒いチュールワンピースに、黒のブラウスを羽織り、肩にはストールを掛けていた。

 足元は白のサンダルを履いており、首元からはネックレスが覗いている。

 髪は長く、艶やかな黒い髪を腰まで伸ばしている。

 そして、彼女はどこか浮世離れしたような雰囲気があった。

 整った顔立ちをしており、目鼻立ちがくっきりとしている。

 まるで人形のような印象を受ける女だ。

 名前を月宮つきみや七海ななみと言った。

 七海はコーヒーカップを置くと、静かに吐息を漏らした。

 そして、何かに気づくと嬉しそうに目を大きく見開いて、緩める。

 彼女の視線の先には一人の男がいた。

 いや、男というよりは少年と呼ぶべきかもしれない。

 諱隼人であった。

「口入屋」

 ぶっきらぼうに話しかけてくる隼人を、七海は静かに見据える。

 口入屋とは、江戸初期から存在する人材斡旋業のこと。

 現在で言えば、人材派遣会社といった方が判りやすい。七海は、裏の解決屋として金次第で何でも請け負うというのが基本的な商売内容だ。

 今回、《皿》を預かるという仕事を、隼人に斡旋した本人だ。

「待ってたわよ。隼人」

 その声は透き通るような美しい声であった。

 隼人も思わず聞き惚れてしまうほどだ。彼は応えることなく対面の椅子に座った。

 刀と脇差の包は、右隣の椅子に置く。

 剣士が自分の右脇に刀を置くのは敵意がないことを示していた。

 すると男性店員を注文を取りに来る。

「構わないでくれ。すぐに帰る」

 隼人は拒否をするように左掌を店員に向ける。断ると、店員は会釈をして立ち去った。

 すると七海は残念そうな表情を一瞬だけ浮かべる。

「つれないわね。少しくらい私と、お茶でもしてくれてもいいじゃない」

 七海は拗ねた表情を見せるが、すぐに笑顔に戻る。その仕草一つ一つが計算されたような美しさを感じさせる。

(こういうところが苦手なんだよな)

 隼人は内心でぼやくが、言葉にはしなかった。彼は無言で懐からジップロックに入った《皿》を取り出すと七海の前に置いた。

「預かっていた《皿》だ。期日通りに届けに来たぞ」

 そう言って差し出すと、七海は嬉しそうに受け取った。

「ありがとう。これがないと仕事にならないのよねぇ。本当に助かるわ」

 言いながら、七海は《皿》をハンドバッグの中に入れて続けて訊いた。

「ところで、何か変わったことは無かった?」

 その問いに、隼人はすぐに答えた。

「あったさ。二千万円で売って欲しいと言う奴や、俺を殺してまで欲しがる奴らがな。その皿は何だ。そんな、ありふれた皿にどんな価値があるって言うんだ?」

 隼人の問に、七海の表情が険しくなる。

 七海は、コーヒーを一口啜って喉を湿らせると口を開いた。

 その表情には真剣さが滲み出ており、先程までの余裕に満ちた感じはない。

「ここ最近のニュースで資産家の家長が亡くなった。という事件を知っている?」

 隼人は、それだけで何の事件かを察した。

 報道によれば、家長の死は病死となっているが、実際は自殺と見られている。

 遺書があり、経営の全てを弟に譲ると書かれていたからだ。

 だが、家長は弁護士を通じて遺言を残しており、後継者に自分の娘を指名していたことで混乱が生じているというニュースを見た記憶がある。

 その後、事件は弁護士の自殺により遺言書の捏造が挙がり、娘による父親を殺害したとして逮捕された。

 容疑者である娘は犯行を否定しているが、警察側の発表では、彼女が犯人であることはほぼ間違いないということだった。

「事件の真相だけど、犯人は家長の弟よ。奴はグループ会社の一部門を任されていたんだけど、横領の疑いがあってね。それを告発しようとしていた兄である家長を殺害して、横領を闇に葬ったって訳。あまつさえ自分を家長に据えようと偽の遺書を作っていたものの、遺言書の存在によって狂いが生じたの」

 七海の言葉に、隼人は事件の背景が見えてきた。

「なるほど、話が見えてきた。それによって自殺から他殺に切り替えるには、犯人が必要となる。それが娘であり、あの《皿》は娘の冤罪を晴らすための証拠という訳だな」

 そう言うと、七海は大きく頷いた。

 どうやら正解のようだ。

「家長はヒ素による中毒死だった。弟は兄の食事にヒ素を混入させていたんだけど、それを調合していたのが、あの《皿》よ。事件後、屋敷に勤める女中が弟の不審な行動を目撃していたの。縦のものを横にもしないような男が、自分でゴミ袋を購入して自分でゴミを捨てに行くなんておかしいでしょ」

 そこまで聞いて隼人も得心がいった。

「口入屋は、娘の冤罪を晴らす依頼があった訳か」

「そうよ。ゴミ処分場を操業停止させてゴミの山から、証拠を掘り出したのよ。そして、裁判における証人と、証拠の保護ね。この《皿》からは事件に使われたヒ素と同一のものと鑑定されると共に、犯人である弟の指紋が検出されるわ。隼人には悪かったけれど、敵がそこまでして《皿》を手に入れようとしたことで、確信に至ったわ」

 それを聞いて、隼人は嘆息するしかなかった。ようやく《皿》の価値が分かると、金を積まれたことも命を狙われたことも納得がいったのだ。

 数百億の総資産を持つことになるのだから、二束三文の皿に二千万円を積むことも、人を殺すことも厭わない。

(まったく、人の欲というのは恐ろしいものだ)

 そう思いながらも、どこか冷めた目で見てしまう自分がいた。

「証拠は俺が裁判まで守り抜いたが、証人の方は大丈夫なのか」

「心配しないで。頼れる自宅警備員を雇っていたの。彼の自宅マンションが戦場になったけど、公判のある今日まで無事に守り抜いてくれたわ。証人と証拠の合わせ技で、確実に裁判の流れはひっくり返るわ」

 七海の言葉に、隼人は他人事ながら安堵した。

 しかし、疑問が残る。

 何故、裁判までの間に証拠である《皿》を自分に預けていたかということだ。

「どうして俺に《皿》を守らせた?」

 尋ねると、七海は少し困ったような表情をした。

 しかし、それも一瞬のことで彼女は悪戯っぽく笑うと言った。

「全て斬り伏せることができる最強の剣士だから……。何てね。私の誘いをつれない態度で裏切っても、約束は裏切らない人だからよ」

 その答えを聞いて、隼人は再び嘆息するしかない。

(この女は本当に苦手だ)

 そう思う一方で、この依頼を受けなければ良かったとは思わない自分に驚く。

「今度、ニュースを見るのを楽しみにしておくよ」

 隼人は立ち上がると店を後にする。

 背後から声が掛かったので振り返ると、七海は言った。

「次は、もっと楽しい話がしたいわ」

 その言葉に返事をすることなく微笑で応えると、隼人は帰路につくことにした。

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