男装の騎士見習い

空岡

第1話


 これはまだ、男尊女卑が根強く残る、とある時代の物語。

 彼女はこの国の根幹を作り、人々を平等に導いた。


「リル・オルスタフだ。よろしく」

 世界には魔法が存在する。魔法使いは国の財産とされ、彼らは十五になると特別な学校への入学を許可された。

 王立貴族学院。名前の通り、貴族のみが通うことが許された学校だ。この世界の貴族のほとんどは、魔力を持って生まれ落ちる。力の差こそあれど、彼らは等しくギフトを有して生まれてくる。貴族とはそういうもの。貴族とは生まれながらにして特異な存在。誰もがそう信じて疑わなかった。

 そしてこの、リル・オルスタフという男もまた、貴族の両親のもとに生まれ、幼いころより剣技をはじめ魔法の力を磨いてきた一人だ。

 中世的な顔立ち、ブロンズの髪の毛は短く切りそろえられ、青い瞳はサファイヤの様に美しい。

 はた目から見れば女にも見まごうほどの美貌の持ち主だった。

 彼の自己紹介に、クラス中からため息が漏れるのが分かった。

「オルスタフさまって、あのオルスタフ家でしょう? わたくしは、フォード家の」

「ああ、フォード家なら聞いたことがある。天使のようなご令嬢がいると噂だからね」

 かあっとフォード家のアンネが顔を赤らめる。さらりと会話を交わし、リルは教室を後にした。


 生まれながらに彼は魔法を宿していた。彼の魔法の発現は三歳、彼の魔法はほかとは少しだけ毛色が違った。

 この時代、男性の職業として最も栄誉あるものは騎士とされ、貴族の多くがそれを目指した。ゆえに、魔法は攻撃系のものが有利だ。

 しかしリルの魔法は、そうではなかった。

 はじめこそ両親も落胆したのだが、リルは本来負けず嫌いだ。リルはその欠点を補って余りある剣技の才で、この王立貴族学院に入学が決まった。この学校は基本的に推薦か、実技式の入学試験が課せられている。リルは後者でここに入学してきたひとりだった。

「オマエ。女にヘラヘラして。たいした魔法もないくせに、生意気」

 教室を出てすぐに、リルに絡んできた男がいた。先ほどの自己紹介でリルと同じくらい目立っていた男子生徒だった。

 その見た目はリルとは違い、男性らしい美しさをはらんでいる。銀色の瞳と髪は、雪にように美しく儚い。しかし、その釣り目気味の瞳は鋭くリルを射止め、リルはふっとため息をついた。

「なんだよ。ルイ・ゴードー」

「はっ、気安く呼ぶな」

「ほかに呼び名もないだろ。で、用件は?」

 面倒くさそうにリルがあしらう。慣れっこなのだ。

 リルは物腰柔らかで、しかもあのオルスタフ家の跡取りとなれば、先のように女子に絡まれることも少なくない。

 だからこそ、先ほどの様に適当にあしらうすべを身に着けたのだが、同性から見るとリルはひどく不快なようだ。

 前の学校でも同じようなことは何度も経験しているが、リルはそれらをリルの才能で黙り込ませてきた。すなわち、リルの魔法の才能である。

「オマエ、オルスタフ家だか何だか知らねえけど、そうやって余裕ぶるのも腹立つし」

「じゃあどうする? オレのこと消すの? それともなに、オレと一戦交えてみるか?」

 挑発的に笑うリルに、ぶちりとルイの血管が切れた。

「上等だ! 表出ろ!」

 くいっと顎で指されたのは特別訓練室だった。この教室は実技訓練に使われる教室で、特殊な魔法が施してあり、多少の衝撃なら外に漏れない。

 ふたりは特別訓練室に足を踏み入れる。

 そこにはあまたの武器が保管してある。しかし、これらを使うには本来ならば教師の許可がいる。

 だが、今のふたりは頭に血がのぼってそこまで考える余裕がない。

 各々に合う剣を手に、ふたりは構え、そして地面をける。

「はっ、軽いな」

 キン、と衝突した金属音。そかし、リルの剣は軽い。

 体躯だけ見れば、ルイに分があった。ルイの身長は優に百八十はある。対してリルは、百六十を少し超えたくらいだ。

 しかしリルの口の端が上がった。

「油断大敵」

 がっとルイの剣をリルの手が鷲掴みにした。むろん、ぶしゅ、とリルの手からは血が流れる。

 一瞬だ。ルイの油断なんてほんの一度の瞬きの間だ。

 リルはルイから剣を奪い取る。そのままルイの胸倉をつかみ、押し倒す。

 馬乗りになって剣をルイの頸にかざす。ルイの敗北だった。

「ははっ、ゴードーくん、口だけだね」

「オマエ……ちっ、そういう」

 ルイがリルの手を見る。先ほどルイの剣をじかに握って深く切れたはずの手には、傷ひとつなかった。

「オマエの魔法。まるで聖女だな」

「……なんだと!?」

 リルの魔法、それは傷の治癒。

 だからこそ、こんな無謀な攻撃ができた。だがそれは、初見の人間にしか効かない戦法であるし、第一魔物には全く通用しない戦い方だ。

「おい、もう一回言ってみろ、負け犬」

「だから、オマエの魔法、外れスキルだろ」

 あーあ、とルイが悪態をつく。リルの顔がみるみる赤く染まる。リルにとってこれは、なによりの侮辱だからだ。自分が一番よく理解している。こんな魔法、男のリルが持っていても何の役にも立たない。

 リルが怒りから油断したすきに、ルイがリルを押し上げ立ち上がる。

 リルを後ろから羽交い絞めにし、リルの頸をぎりぎりと絞める。

「くそ、決着はさっきついただろ!」

「いや、オマエは俺を殺してない。俺は降参とも言ってない」

「屁理屈を……」

 がん、とルイの腹に肘を入れ、リルはルイからかろうじて逃れる。

 いつの間にか訓練室に人だかりができている。

 しかし、二人の目には入らない。いや、リルの目にだけ、入っていない。

 ルイはここで、自身の魔法を発動する。

 ひゅお、っと炎が巻き起こったかと思えば、氷の塊がリルを襲う。

「……!? ありえない、炎と氷は別の魔法のはず……!」

 ルイの魔法をよけながら、リルは考えを巡らせる。

 訓練室の壁がみるみる壊れていき、大勢の見物人たちも避難を始める。

 二人だけの戦い、二人のプライドのぶつかり合い。

 しかし、それを終わらせたのは、一つの大きな雷撃だった。

 ドン! バリバリ!

 二人の間に、剣戟と共も走ったのは、大きな雷鳴、すなわち魔法の力だった。

「こら! 君らこんなことして寮長の俺が怒られるってわかっててやってるのか!?」

 割り行ってきた栗色の髪の男は、ふたりをいさめるわけでもなく、ふたりともを威嚇した。

「なんだよ、オマエ」

 ルイが毒づく。

「オレたちの問題に口をはさむな」

 リルも冷静さを失っている。

 にこり、栗色の髪の男が人好きする笑みを浮かべた。

「俺の名前はフィン・ストラトフ。今日から君たちと三人で同じ寮に住む寮長で」

 フィンの持つ剣は雷をまとっていた。なるほど、彼の魔法は雷。そしてそれを剣技に昇華させた。先ほどの雷撃の衝撃を考えると、彼はかなり『できる』。

 リルはルイと同時にフィンに対しても備える。しかし、リルには自信があった。剣技の腕には覚えがある。幼いころよりリルは剣技を磨いてきた。でなければ、癒しの魔法だけではリルは生き残れない。騎士にもなれない。

 フィンが地面をける。リルはフィンから距離をとる、はずが、フィンはその身体能力の高さから、リルとの間合いを一瞬で詰めた。かなりの俊足だ。

 おそらく、雷の魔法の応用だ。雷を体にまとわせ、一時的に筋肉を強化している。

 魔法により強化された体術の前に、リルは敗北を喫した。

 一瞬でフィンはリルから剣を奪い、そのまま左右の手に剣を持ち、今度はルイのもとへ。

 しかしルイも負けてはいない。即座に剣を構え、フィンの魔法を分析した。ルイの魔法は魔法の模倣。ただし、相手の魔法を分析できた場合に限るが。

 すなわち、今の二人の身体能力はほぼ互角。

 勝敗を分けたのは、元来からの身体能力の差だろう。

 フィンにはたぐいまれなるフィジカルがあった。しかし、ルイにはフィジカルに加えてあまたの魔法を模倣してきた経験がある。

 勝ったのはルイだった。そして、リルは思い知る。ルイはリルに手加減していた。いや、油断していただけかもしれないのだが、リルにはなぜだか手加減されたように感じてしまったのだ。

「はあ、は、やるな、オマエ」

「だから、俺の名前はフィン・ストラトフ」

「わかってる。オマエはフィン。俺はルイ。で、そっちのはリル」

「……? ゴードーくん?」

 名前を呼ばれ、リルが首をかしげる。

「鈍いやつ。なあ、フィン」

「だな、ルイ」

 ああ、これが男の友情ってやつなんだと、リルもようやく理解する。

「オマエこそ、強いじゃん。ルイ」

 この後、三人そろって教師に怒られ、一週間のトイレ掃除を命じられたことは、今ではいい思い出である。


 一波乱あった入学式を終え、リルは自分の寮の部屋に戻る。シャワーもベッドも備え付けてある部屋は実家よりは狭いが、なにも不自由しないだろう。

 ルイとフィンとの戦闘できしむ体を押して、リルは何より先に風呂場へ向かった。

 窮屈な制服を脱ぎ捨てて、リルは風呂場の大きな鏡に映る自分を見て、はっと笑った。

「大丈夫。オレはうまくやれる」

 鏡に映るリルの姿は、口調や髪形に似合わない、柔らかな形をしている。

 丸みを帯びた尻、くびれてきた胴、胸も膨らみ、彼は――いや、彼女は心も体も(れっきとした)女である。


 リル・オルスタフはオルスタフ家の長子ある。

 母であるリタはリルを産んだ後、産後の肥立ちが悪く病気がちになった。必然、第二子を望める体ではなくなり、オルスタフ家はリルが最初で最後の子供となった。

 リルが産まれる前、リルは大層元気な胎児ゆえに、産婆も「元気な男の子」だと言い両親ももちろんそのつもりでいた。

 しかし、実際に生まれたのは女の子、両親、得に父親は酷く落胆した。

 イグリス王国は王族を除いて一夫一妻制と決まっており、リルの父は妾を迎える訳にも行かず、はじめは自身の子供が娘であることを認められなかった。

 女に家督を譲るなら、養子を迎える家も少なくはない。しかし、リルの家はオルスタフ家、貴族の中の貴族。この血を絶やすわけにはいかない。

 かくなる上はリルを王族と結婚させるかと父は思案していた。女に出来ることはそれくらいしかない。自身の妻は、それすら叶わなくなってしまったが。

 そこらの貴族との婚姻では血が汚れる。この血筋を遺す手立ては、他にない。

 そう思い至ったのはまだリルが三ヶ月の時だった。

「リタ。オマエは役たたずだ。女の役割である子もろくに産めず」

「も、申し訳ありません」

「おかあさま? おとうさま、おかあさまをいじめないで!」

 幼い頃から両親は喧嘩ばかりで、リルを見ようともしなかった。

 あまつさえ、こうやって母の味方をすれど、その母ですらリルを蔑んだ。

「リルは悪い子、お父様に口答えするなんて。アナタが男の子だったらどんなによかったか」

「おかあさま? リルは『おとこのこ』になれないのです?」

 嗚呼、神様。と、最後にはリルの母リタは必ず嘆く。

 叩いたりぎゅっとしたり、リタの情緒はいつも不安定だった。加えて、父は家にいつかなくなった。外で見知らぬ女と逢瀬を繰り返していると知ったのは、リルが七つになったころだ。

「お父様。僕……剣の腕を見てください」

 リルは学校には通わなかった。オルスタフ家には子供がいる。しかしその性別も年齢も容姿も、誰も知らない。父親が可愛がるあまりだとうわさするものもいたし、母親の介護で出られないからだと言うものもあった。

 リルはひとりで、剣の技を磨いた。

 昼間、誰にもバレないように屋敷を出て、闘技場に通い、あるいは街の何でも屋の技を盗み。

 齢十にして、リルの剣技は父を超えた。加えてリルには、強い魔法の才が眠っていた。

「お父様、大丈夫ですか?」

 今しがた、剣の手合わせをした父の頬にできた切り傷を、リルがするりと撫でた。それだけでぱっくり割れていた傷が治り、父はハッとしてリルの手を握った。

「流石は私の『息子』だ」

「お父様? でも僕は」

「なんだ? 私はなにか間違っているか?」

 本来なら、魔法が使える時点で女であっても国の役に立てる。聖女がその最たるものだ。

 しかし、それでは惜しいと思ってしまった。父は、リルにこの国の騎士団長までのぼりつめる才能を見出してしまった。

 そこから父は、リルをどこに出しても恥ずかしくない『息子』として育て上げた。

 リルは剣と魔法の腕をみるみるあげていき、そして念願の王立貴族学院への入学が許されたのだった。


 風呂からあがり、うたた寝をしていたようだ。今日は漸く夢への第一歩を進めた気がする。

 しかし寮制度は気をつけねばならない。リルが女だとばれた時には、この学院を追い出されるだろう。

 むろん、聖女候補として残れる可能性もあるのだが、なにぶん性別を偽って入学したため、その罪は免れないだろう。

 さらしを胸に何重にも巻き、腰には綿を巻き付けてくびれをなくす。

「し。これでいいかな」

 風呂とトイレは各部屋についているが、食事だけは共有スペースだ。

 濡れた髪を乱暴にタオルで拭いて、リルは夕食をとりに共用キッチンへと歩いた。

「うへ、オマエ帰っていの一番に風呂とか、乙女かよ」

 先客が居た。ルイだった。

 ルイは買ってきたであろうサンドイッチとコーヒーで夕食をとっている。

 昼間からはまるで想像もつかないほどに幼いルイの姿に、リルはふと気を緩めた。男の友人――そもそもリルは、こうして友人を作った経験がない。ゆえに、男同士の友情がどうあるのかとか、そもそも学校生活に不安ばかりが募っていた。だからこそ、自己紹介の後からんできたルイに、食って掛かってしまったのである。きっとルイもまた、リルのあずかり知らぬところで学校生活に不安を抱いていたに違いない。そうでなければ、寮とはいえこんな風にくつろいで、無防備な姿をリルにさらすはずがないとリルは思った。

「オマエとの決闘で汗が気持ち悪かったんだよ」

 べ、と舌を出してリルは食物庫の蓋を開ける。

 基本的に食材は配給制で、生徒が昼間授業の間に食物庫へと入れられている。それが週に二回。つまり、今ある材料で三日は持たさなければならない。

「リンゴに小麦粉、人参じゃがいも玉ねぎ。パン」

「お、何だ何だ? オマエ料理でもするつもりか?」

 ルイがちょっルイかけるように背後から覗き込む。

「『するつもりか?』じゃないだろ。毎回買い食いしてたら小遣いなくなるぞ?」

「小遣い?」

「ルイ。知らないのか? この学院は小遣い管理制。将来の勉強のためにも一ヶ月に使える金は限られてる」

 それを、ルイは高そうな白いパンのサンドイッチと、貴族でも一部しか手に入らないコーヒーを買ってくるなんて。

 サァッとルイから血の気が引く。

「平民って、金勘定しながら生きてんの?」

「……『平民』?」

 リルが怪訝な目を向けると、ルイは「いや、なんでもない」顔を逸らす。

 どうやらルイは、とんでもない世間知らずのようだ。

「一応言っとくけど、食物庫の材料は三等分するから、あとは三人が各々料理な」

「待て、料理? 俺が?」

 あわあわと慌てるさまを見て、昼間とは大違いだとリルは腹を抱えて笑った。

「わ、笑うな!」

「なに、楽しそうだね」

 そこにフィンが加わって、リルはフィンにことのあらましを説明した。

「なるほど。ルイ、君って実は魔法以外何も出来ない?」

「そういうフィンはどうなんだよ」

「俺? 一通りは出来るよ。俺は平民の出身だから」

 しん、と一瞬の間。

 フィンは変わらず笑っている。平民。

「じゃあ、フィンは平民なのに魔法が使えて、その腕だけでここに入学した、今季の期待の一年生!?」

 リルが一息に言うと、「大袈裟だな」とフィンが照れたように頭をかいた。

「俺平民って初めて見た」

「ルイ。それは盛りすぎだろ」

「いや、リル。ルイならあながち嘘じゃないよ。なにしろ」

 フィンが含みを持った笑いを浮かべる。なにしろなんだと言うのだろうか。大抵のことでは驚かない。例えばルイが本当は女の子だった、とか。いや、それはリルだけで十分なのだが。

「ルイってほら、この国の第一王子らしいから」

「おうじ……王族!?」

 一瞬理解が追いつかず、しかしリルは状況を理解するや、その場に膝をつきルイにかしずいた。

「ご、ご無礼をお許しください」

 昼間のことも、先ほどからったことも。

 しかし、ルイはケッと毒づき、

「オマエもやっぱり、そういうふうに見るんだな。俺のこと」

 分かりきったことだろうに、そろりと見上げたルイの瞳は濁り、蔑むようにリルを見ていた。

「俺が王族だと知ったら、きっとクラスの女どもは俺にまとわりつく。だから黙ってろよ」

「はい。王子様」

「……はぁ。なんだよ、名前でもう呼ばないつもりか?」

「しかし、王子様の名前を呼び捨てになど……!」

 話すあいだも、リルはこうべを垂れたままだ。

 ルイが膝をつきリルと目線を合わせる。

「フィンは納得してくれたけど」

「なにを、ですか」

「俺と友達になってくれること」

 フィンを見やると、やれやれと肩を竦めた。あれは『納得』ではなく『しぶしぶ押された』だ。

 しかし、ルイが余りにもしょげたように眉を顰めるものだから、リルもなぜだか悪いことをしている気分になる。

「友達でいたいなら、なぜ王子様であることを黙っていなかったのですか」

 自分のように、本当のことは黙っていればよかったものを。

「だって、隠しごとしてたら親友にはなれない、って。じいやが言ってた」

 変なところで素直な男だ。どれだけ周りに大事に育てられたのだろう。どれだけ周りから疎外されて生きてきたのだろう。

 寂しい。と、ルイの目が語っていた。

「……努力、します」

「敬語」

「努力……する」

 ぱし、と軽くリルの頭に手刀が入る。まったく痛くはないのだが、リルは反応することができなかった。

 隠しごとをしていたら親友になれない。ならばリルとルイ、フィンはきっと、親友にはなれないのだろう。リルが自身の性別を偽る限り、三人が真の友達になれる日はきっと来ない。

「痛いよ、ルイ」

 やっと絞り出した声に、ルイとフィンが声を上げて笑った。


「自己紹介も済んだところで」

 フィンがぱん、と手を叩き、食料庫の中身を確認する。

「材料を三等分、だと、効率が悪いね」

「……それはオレも思ってたけど」

「うん。リル。これ、三日分に分けて、三人分ずつ料理した方が効率がいいだろ」

 分かってはいる。材料を予め三等分するより、三人分ずつ三日に分けた方が料理しやすい。特に、一人分をきっちり計るくらいなら、三人分作るのと手間は変わらない。

 だが、リルが躊躇したのには理由がある。

「オレとフィンは料理できるからいいとして。三人で料理当番を日替わりで、って。ルイに出来るか?」

「俺のせいかよ! 俺だって料理のひとつくらい」

「じゃあ聞くけど。ルイは料理したことあるの?」

 リルがやや不機嫌に言い返す。ルイはムッと口を結んだ。確かに自分はキッチンにすら入ったことは無い。しかし、ルイには自負心がある。自分は何でも器用にこなせる、今までだってそうだった。なにをやってもそつなくこなす、それが自分だとルイ自身も知っている。

「最初は下手かもしれないけど。教えられたら覚えるし」

「だから! その『最初』の失敗すら許されないだろ。料理失敗したら飯抜きだぞ?」

「な……それじゃ一生できないだろうが!」

 やいのやいのとルイとリルが口論する。フィンはそれを傍から見、クスクスと笑いを漏らす。

「フィン! 他人事じゃないだろ!」

「ごめん。ふたりが余りにも自然体だったから」

「……あ……!」

 言われてみたら、さっきまでリルは、ルイが第一王子だからと敬遠していた。それが今では、まるで何事もなかったかのように口論している。

 一文字に口を閉じて、リルがそろりとルイを見やった。

「別に怒ってねえし」

「よかった」

「それで。ルイ、リル。俺から提案なんだけど」

 フィンは相変わらず柔らかに笑っている。よく笑う男だと内心でリルは思いながら、フィンの提案を聞くことにする。

「当面は料理当番は俺とリルでやって、ルイはその補佐役。俺たちの料理を実際に見て学んで覚える。どう?」

「えー、それルイだけズルくない?」

「リル、オマエさ。失敗はやだ、教えるのもヤダ。我儘すぎだろ」

「ルイに言われたくないよ」

 ふっと顔を逸らして、リルはため息をついた。現状、この案以外に道はなさそうだ。ルイは恐らく、第一王子という特殊な環境で育ったがゆえに、料理だけでなく世間一般的な常識から教えなければならないだろう。

「分かったよ。その代わり、オレの邪魔だけはしないでくれ」

「了解」

 かくして、本日の夕飯はリルが担当することになった。


 材料を見るに、まず最初に牛乳を使い切る必要があった。牛乳はいたむと腹を下す。肉と魚は干してある為、ある程度保存は効きそうだ。

「じゃがいも、人参は乱切り」

「乱切り……なるほど、回しながら切るのか」

 玉ねぎは櫛形に切って野菜を炒める。ベーコンも焼き付けたら小麦粉を加えてよく炒め、牛乳を入れて煮込めばシチューの完成だ。

「パンはなぁ、ルイの口にあうか」

「なんだよ。王族だってパンくらい食べる」

「いや、白い上等のパンだろ? 平民が食べるのは黒いパンだ。精白されてない小麦から作るから硬いし酸味がある」

 器にシチューを盛り付けて、新鮮な野菜のサラダと果物をテーブルに並べる。シチューは沢山作ったため、何日かは持つだろう。

「いいにおいだな」

「まあね。イグリス王国は冬が長いから、煮込み料理が発展したんだ」

 ルイ、リル、フィン、各々に席に着いたら、出来たてのシチューを屠り始める。

 はふ、とシチューを口に入れたルイが、ほうっと息を吐き出した。

「うま……」

「そうか? ただのシチューだろ」

「いや。これ、パンにつけたら美味くね?」

 リルとフィンは顔を見合せて笑う。

「ああ、美味いよ」

 フィンが先にパンをシチューにつけて口に入れた。酸味のあるパンと牛乳のシチューの相性は抜群だ。

 フィンに倣ってルイもシチューに浸したパンを口に入れた。パンがシチューを吸ってとろりとして美味い。

 硬い全粒粉のパンも、こうすれば十分に美味く食べられる。

「うま……!」

 あっという間に一杯目を平らげて、ルイは二杯目のシチューを堪能する。

「ルイってもっと怖いやつかと思ったけど、案外子供だよな」

 小さく、リルがフィンに呟いた。

「同意。ルイって見た目に似合わず素直だしね」

 ふ、と笑い合う食卓は、リルの知る冷たい家族のそれとは違い、リルにはそれがなぜだか悔しかった。


 寮での出来事以来、リルとルイ、フィンはいつも一緒に行動するようになっていた。学校では、『期待の一年三人衆』として名をはせるほどに三人の成績は優秀で、だからこそ、こんな無茶な任務があてがわれたのかもしれない。


 基本的に、貴族学院に入学したものは、その能力に応じて魔物討伐や規律を正すための騎士見習いとしての任務を任されることがあるが、今回の様に学生のみでそれに行かされることはほぼなかった。

「え。マジでリルなの?」

「ルイ。その言い方やめろよ」

「だって。なあ、フィン」

「ああ。驚いた」

 今回、街の風紀を乱すギャングたちを取り締まるために、潜入任務が言い渡された。その潜入先は、ダンスホール。少しばかりいかがわしい雰囲気のある場所だが、そこに出入りする若者がギャングたちから薬を持ちかけられる事件が相次いでいる。

 若者がターゲットになることが多いらしく、そこで白羽の矢が立ったのが、リル、ルイ、フィンの三人である。

「でも、女装する意味あったか?」

「ほらリル。口調」

「だってさあ」

 女装するのは、ターゲットの中でも女性のほうが目をつけられやすいからだ。

 三人のうち一人が女装するとなった時、まずルイとフィンは身長が高すぎるため無理だと判断され、抗議もむなしくリルが女装する羽目になった。とはいえ、もともとリルは女性なのだから、これが女装とはいいがたいのだが。

「てかさ、リルマジで女の子じゃん」

「だからそれやめろって」

「ほらリル。言葉遣い」

 さっきからルイは同じことばかり言ってリルをからかうし、フィンはフィンでリルの言葉遣いを正している。

「はぁ。早く終わらせてこの服脱ぎたい」

 リルにとって、スカートなんてものは屈辱以外のなにものでもない。おまけに、ダンスホールに行く手前、胸こそ出さないものの、そこそこ露出の多いドレス姿だ。

「足がすーすーする」

「女装に目覚めたりして」

「ルイ! さっきからオマエはなんなんだよ!」

 ついにリルがルイに食って掛かる。しかし、

「ほらふたりとも。目的地ついたよ」

 任務となれば、三人とも曲がりなりにも騎士見習いだ。へまなんてしないし、女装だろうがなんだろうが、うまくこなす。

「入場料金はこっちだ」

「あ、はい……」

 しおらしく笑うリル。内心でルイがべっと舌を出した。

「オマエら、見ない顔だな」

「ああ。キングスさんに紹介されて来たんですよ」

 手はず通りのセリフをフィンが吐き出す。あのルイですら、愛想笑いを浮かべている。

 出入りを管理する幹部らしき人間が、顎に手を当てて思案する。怪しまれているのだろうか。

 万が一バレた場合は、この場を素早く離脱することを上から命じられている。しかしそれはすなわち、今後このギャングたちへの潜入捜査が困難になることを示している。

 幹部がリルを見ている。上から下までなめるように見て、

「わかった。向こうにVIP室の入り口がある。オマエはあっちへ行け」

 リルだけそちらに誘導するつもりらしい。リルはそれでもよかったのだが、フィンが慌てて幹部らしき男の肩を組む。

「またまたまた。俺らも一緒でいいでしょ? 金なら用意してきたんだし」

 ちら、と懐に忍ばせた金を見せて、しかし幹部の男もいい顔はしない。

「そっちの女はボスのお気に入りになる可能性があるからVIPに通すだけだ。オマエらは普通の入り口から入って、手はずを踏んでボスに会え。そうじゃないなら、この話はなしだ」

 ええ、とルイが困ったように声を漏らす。リルがアイコンタクトする。

『オレが時間を稼ぐ』

『了解』

 リルとフィンの間で話がついて、フィンはにこやかにルイの手を取る。

「あはは。じゃあ、俺たちはこっちから入らせてもらいますね」

「なんだよフィン、はあ。もう、仕方ないな」

 ルイもすぐさま察して、ふたりとひとりに分かれてダンスホールへと入っていく。


 ひとりになったリルは、VIP室に通されるなり、ボスの男の隣に座らされる。

 ダンスホールには大音量の曲がかかっており、ボスは大きなソファに座って女性を侍らせている。

「いいねえ、君みたいな若い女の子が、なんで薬なんか?」

「ふふ。私にもいろいろあるんですよ」

「へえ。そう。じゃあさ」

 ボスが警護の男に顎で指示すると、奥の部屋からアタッシュケースが運ばれてくる。

 それをリルの前で堂々とひろげ、

「これ、ヤってみてよ」

 薬だった。違法な麻薬。

 さてどうしたものか。証拠はつかんだ。だが、何分、こちらは分が悪い。

 いくらリルが騎士見習いとはいえ、ひとり対十数人では勝てる見込みは少ない。少なくとも、相手の警護に当たる二人の男たちは、なんらかの魔法を持っていると見て間違いはない。

「えー、私なんかにこんなものくださって大丈夫なんですか?」

 時間を稼がねば。

「なんだ。怖いのか?」

「ううん。でも、私そういえば、お友達とここに来てて……そのお友達にもあげたいんだけど、ダメですか?」

「そうなのか?」

 下卑た笑いを漏らすボスは、上機嫌だ。リルの胸と太ももを撫でまわして、リルを襲わんばかりの勢いである。すでにこのボスは薬をキめているのだろう、どう扱っていいのかわからない。

「あ、フィン。ルイ!」

 時間稼ぎの甲斐あってか、フィンとルイが合流する。

 ボスの隣を立ち上がり、リルは二人のもとへ走った。面白くないのはボスである。

「なんだなんだ。俺よりもそんな若造が好いのか?」

「いえ、そういうわけでは」

「なんだよリル。言ってねえのか?」

 ルイが口をはさんだ。どうやら、リルがボスの餌食になりそうなことが気に入らないらしく、威嚇するようにうなった。

「コイツ俺の女だから」

「ルイ!?」

 ボスのこめかみに青筋が立った。

「はああ!? だったらオマエら、証拠見せろ証拠ぉ!」

 ほら、面倒なことになった。リルはルイにジト目を向けて、フィンも飽きれたように頭を抱えている。

 しかし、気に入らないものは気に入らないのだ。ルイは「上等だ!」と言い返して、リルに向き直り、そのまま。

「ん!?」

 唇を奪った。しかも触れるだけのものではない。深く舌をからませて、わざとボスに見せつけるように執拗に触れた。

「……っ、ボス、これでいいですか?」

 やけになって、リルがボスにとげとげしく言った。ボスは面目丸つぶれだ。気に入らない。だが、生意気なくらいがちょうどいい。

 高らかにボスが笑う。

「いいだろう。この違法薬物は、オマエら三人にやろう」

「はい、言質取った」

 ルイが戦闘態勢に入る。

 二人の警護人がとっさに反応する。しかし三人の連携は速い。

 瞬時に警護の男二人に魔法で攻撃を浴びせ、その間にフィンが入り口をふさぎ、リルが残りのギャングたちを捕まえ、ルイがボスである男をとらえた。

「おのれ、オマエら、警護団か?」

「いーや。俺たちはただの騎士見習いだ」

 悔しがるボスの男に、んべっと舌を出して、ルイが勝ち誇った笑みを浮かべていた。


 学院に帰って報告を済ませて寮に帰り着く。その瞬間を、リルは待っていた。

 寮に上がって、ルイが油断したすきを見て、リルは思いっきりルイの頬を殴った。グーで。

「ってーな、なにすんだよ」

「それはこっちのセリフだ! なんで、なんであんなこと」

「あんなこと? ああ、キス? もしかしてファーストキスだったわけ?」

「ちが……オマエさ、もっと後先考えろって話だよ」

 憤りをあらわに、リルはルイを叱ったつもりなのだが、ルイは顔色一つ変えない。

「別に減るもんじゃねえんだしいいじゃん」

「そういう問題じゃない。フィンもなにか言ってくれよ」

「いやあ、俺からはノーコメントで」

「フィン! 裏切者!」

 リルがぎゃあぎゃあと騒ぐ。しかしフィンとルイのふたりはさほどどうでもいいらしく、ひょうひょうとした様子で自室へと入っていってしまう。

「なんなんだよ、なんなんだよ。ルイの馬鹿!」

 しかし、自室に入ったルイが、床に崩れ落ちたことをリルは知らない。

「え。あれ。俺って男とでもできる人間……なのか……?」

 ルイの動揺を知るものはいない。


 事件はある日突然に起こった。

 リルがいくら強かろうと、風邪には勝てない。

 リルはその日学院を休んで、自室で寝込んでいた。幸い風邪は重くはないが、そう簡単に治ることもない。

 部屋着で寝込むリルは、風邪のせいで無防備だったに違いない。

「リル?」

「……」

「つらい?」

「……あつい」

「フィン、汗すごいから着替え持って来て。あっちの棚だと思う」

「了解。濡れタオルで汗も拭こうか」

 リルは知らない。フィンとルイが優しいこと。世話焼きなこと。そのせいで、

「「え……」」

 ふたりにリルの正体がバレることになってしまうこと。


 風邪のせいで一日中眠っていたようだった。寒気も引いて、リルは朝日に目を覚ました。

「……ん」

 体に違和感を感じる。昨日着ていた部屋着じゃない。そもそも、部屋を見渡せば、そこには眠りこけたフィンとルイの姿。

「え。え、え!?」

 自分の体をくまなく見渡す。胸に巻いたままだったはずの晒しがない。胸が出ている。

 早く隠さねば。

「あ、リル、熱下がったのか?」

 タイミング悪くルイが目を覚ます。

「や、あの。ルイ。なんでこの部屋に?」

「なんでって……友達が熱だしたら看病くらいするだろ」

 どこまで知られているのだろうか。まさか、体を見られた?

 リルが動揺していると、フィンも目を覚まし、困ったように笑っていた。

「ごめん、リル。俺もルイも、君の秘密を知ってしまった」

「ひ、ひみつ、って」

「オマエ、女だったんだな」

 ルイの言葉に、みぞおちがひゅっと冷たくなった。

「ち、ちが、これは、ちがくて」

「なにが違うんだよ。女なんだろ。なんで隠す。オマエの魔法なら、聖女になれるだろうに」

「ちが、オレは男。じゃないと、じゃないと父上が……」

 ひゅうひゅうとリルの息が上がる。うまく呼吸ができていない。

 フィンがすぐさま気づいて、リルのベッドに腰かける。過呼吸寸前だ。

「大丈夫。吸いすぎないで。息はいて」

「はっ、はー、ふっ」

「ごめん。リルにとってこれは、知られたくないことだったんだね」

「ぁ、オレ……は、おんなは、できそこない、だから」

「うん、いいよ、話したくなるまで俺は待つから」

「俺は今すぐ理由説明してくれないと納得できねえけどな」

「こら、ルイ」

「あーはいはい。別に、オマエが女だろうが男だろうが、俺たちの関係が変わるとでも思ったか?」

「ルイ……?」

 リルの呼吸が落ち着いていく。男でなければならなかった。男として育てられてきた。父親の期待に応えねばと気を張って生きてきた。女らしくなる自分の体を否定して生きてきた。

「フィンも俺もさ。もう親友じゃん? だったら、今更オマエが女だからって、態度変えるわけねえじゃん」

「じゃあ、クラスメイトにも黙っててくれる?」

「それは……」

 ルイが言いよどむ。正直、隠し通す自信がない。

「大丈夫。ルイひとりなら難しいけど、俺もいる。だったらこの三人の秘密を、守り通せると思わない?」

 フィンはいつも落ち着いていて大人だと思う。リルは力なく頷いて、フィンの手をきゅっと握った。

「オレ、騎士になるためにこの学院に入学したんだ。だから、騎士になれるまで、みんなには黙っていてほしい」

 フィンはにこやかに頷き、ルイはふいっと顔をそらした。


 ルイは内心で安堵していた。それは、リルが女だったからである。自分はもしかしたら男色なのかと案じたのだが、リルが女である以上それはない。

「てか。待て待て待て。それじゃまるで」

 ルイがリルを好きみたいじゃないか。

 ルイが葛藤していることを、リルもフィンもなにも知らない。


 リルが女だとばれてからも、ルイとフィンの態度は変わらなかった。

 学校ではいつも三人一緒だし、三人が三人、女子生徒に囲まれるのも日常茶飯事だった。

「リルくん、これ、作ってきたんだけど」

「お菓子? ええ、ありがとう、うれしい」

「うん」

 手渡す際、女子生徒がさりげなくリルの手に触れた。ぽっと女子生徒の頬が赤く染まり、しかしはたで見ているルイは内心で「ご愁傷さま」と悪態をついた。

 かなわぬ恋なのだ。リルは男であって男ではない。が、ここで気づく。

 リルは体は女だが、心はどちらなのだろうか。

「おいおい、リル。モテモテだなあ」

「やめろよルイ」

 ルイが女子生徒とリルの間に割って入って、リルの肩を組む。女子生徒が余計に顔を赤くして、ふたりを置いて走り去る。

「なんだよルイ。距離近すぎ」

「別に、前からこんなもんだったじゃん」

「そうだけどさ。今あの女の子威嚇してなかった?」

「威嚇ぅ? まさか」

 まさかそんなはず、ない。なにをもって、あの女子生徒を威嚇しなければならないというのか。

「おーい、リル! 今日俺と掃除当番だぞ!」

「わかった! 今行く!」

 遠くで手を振る男子生徒に、リルが手を振り返す。それを見て、ルイはどこかで胸のつかえを感じていた。

 本当のリルを知るのは、自分なのに。


 リルは夏生まれだったらしい。らしい、というのは、つい先日、リルが「そういえばオレ、十六歳になったんだぜ。もう大人」と自慢してきたからである。

 この国では成人は十六と定められており、その年になればいっぱしに職に就くものも多い。

 しかし貴族に関しては、王立貴族学院が三年制のため、そこで成人を迎えた後も学業を修めてから社会に出るのが通例だった。

 この十六歳の成人の定義は、古くからの習わしが続いているだけの、単なる飾りの通過儀礼的な部分はある。

「げ、マジで。オマエ俺より誕生日早いわけ」

「ルイはいつなの?」

「俺は一月。で、フィンは、確か十月だったよな」

「うん。俺は十月二十九」

「へえ、じゃあオレが一番年上か」

「なんだよ、数か月しか違わないくせに」

 ルイが面白くなさそうに口を尖らせた。

 リルは笑い、フィンもにこやかに会話している。

「そっか、でも。じゃあ、誕生日プレゼント、なにがいい?」

 フィンの問いかけに、リルがきょとん、と目を丸くした。

「誕生日プレゼント?」

「なんだよオマエ、知らないのか? 誕生日にはプレゼントを贈る習わしあるだろ?」

「え。ああ、そうなんだ」

 ここで、ルイもフィンも、リルの生い立ちを思い出し、しまった、そんな顔をした。慌ててリルが「ごめん、気ぃ使わせて!」と謝るも、ふたりはなにも言い返せない。

「ああ、本当に忘れて。オレってさ、ちょっと空気読めないところあるからさ。でも、誕生日祝ってくれようとした気持ちだけは受け取っておく。うれしかったよ」

「ん」

「ああ」

 いったんこの話はここで終わり。そう思っていたのは、リルだけだった。


 週末、リルはひとりで寮の談話室でくつろいでいた。今日はフィンもルイも用事があるらしく、久々にひとりでの時間を堪能している。

 思えば、四月に入学してから四か月、いろんなことがありすぎた。その中でも特に意外だったのは、ルイとフィンにリルが女だとばれたのに、いまだにその秘密が守られていることだった。

「はあ、幸せ」

 牛乳に砂糖を混ぜて凍らせて、攪拌するとアイスクリームが作れる。フィンが教えてくれたそれを、リルは楽しんでいた。

「あのふたりもいないことだし。もう一個食べちゃおうかな」

 ふんふんと鼻歌交じりに立ち上がったその時である。

 バタタ! といきなりドアが開き、そこにいたのはフィンとルイ。

「ハッピーバースデー!」

「え? は? え?」

 ケーキにろうそくを刺して、ルイがそれを運んでくる。傍ら、フィンは包みをふたつ抱えている。

 突然のことに頭が働かない。リルはその場に呆然と立ち尽くした。

「ほら、ろうそくの火、消して」

「え。あ、うん」

 ふっと吹くも、一度では消えない。二度、三度とろうそくを吹いて、やっと火が消えた。

 十六本もろうそくを刺したせいで、ケーキはぼこぼこだ。蝋が垂れてところどころカラフルになっている。

「で、こっちがプレゼント」

 ルイが促すと、フィンが二人分のプレゼントをリルに渡した。

「お、泣いてる? 泣いてる?」

「な、泣いてないし」

「こらルイ。リルいじめないの」

 フィンが苦笑して、リルにハンカチを渡した。しかしリルはそれを受け取らず、半そでのシャツの袖で涙をぬぐった。

「ありがとう!」

 笑顔でお礼を言って、丁寧にプレゼントの包みを開けた。

 もっとがさつに開ければいいのに。二人とも同じことを思ったに違いない。リルは所どころ女らしい所作が出てしまう。いくら男としてふるまっていても、心は女のままらしい。

「わ、マジか」

「マジです」

 ルイからは剣を磨く油、フィンからはそれを拭きあげるクロスを贈られた。

「大事に使う。ありがとう」

「ほらな、リルならなんでも喜ぶって言ったじゃん」

「だけどさあ」

 ルイとフィンがなにやら言い争っている。

「なに? なにかあったの?」

「いや、……フィンがさ。リルは食べ物だろって言うんだよ。でも、食べ物って食べたら消えちゃうじゃん。だからこっちのほうがいいって……な」

「うん。まあ、そんなとこ」

 本当は、リルに男物をプレゼントをするか、女物をプレゼントするかで迷ったのだ。

 二人から見てリルは、『仕方なく』男のふりをしているが、家のことがなければ女として生きていくこともできたに違いない。そう思っている。

 だがそれは、リル自身は気づいていない。リルは自分は男として生き、死ぬのだと覚悟を決めている。つもりだった。

「ま、これからもよろしくな、リル」

「うん。ルイも、フィンも。これからもよろしく」

 何気ない日常が尊かった。少なくとも、三人で過ごす時間が、なによりもリルは好きだった。

 反して、ルイの気持ちばかりが逸る。リルが女だとわかってから、ルイはどうしてもリルのことが頭から離れない。今日の誕生日会だって、ルイが提案したものだった。


 あふれる気持ちを抑えきれない。

 ルイはもともと、王族という立場上、自由恋愛は許されなかった。だが、だからと言って、父王が決めた婚約者となれ合うつもりもなかった。

 許嫁もすべて断ってきたし、自分の生涯の伴侶は自分で決めたいと思っている。

「リール! 今日の夕飯なに?」

「今日はハンバーグにコンソメスープ」

「え、俺リルのハンバーグ好き」

「そりゃどうも」

 好き、という言葉に、ルイのほうが反応してしまう。自分で言った言葉なのに、妙な気持ちになるのはなぜだろうか。

「あれ、フィンは?」

「フィンは今日は、徹夜で任務」

「あー、最近俺ら、こき使われすぎじゃない?」

 そうなのだ。フィンとリル、ルイは貴族学院の入学者の中でも優秀なため、実践を積ませようと教師や騎士団たちの計らいで、騎士団の任務への同行が頻繁に行われている。

「でも、それだけ期待されてるってことじゃん。オレはうれしいよ。早く卒業して騎士団に入りたい」

「騎士団、ねえ」

 含みを持った言い方に、リルは火を止めルイを振り返った。

「なんだよ、オレじゃ騎士になれないって?」

「いや、そういうわけじゃ」

「……じゃああれか。女が騎士になれっこないって?」

「だから、なんでそう卑屈にとるんだよ」

 卑屈じゃなくとも、今のはそう取られてもおかしくはなかった。証拠に、ルイの内心ではやはり、リルの性別のことがぐるぐると渦巻いていた。

「ルイ。言っとくけど。オレは一生男として生きる覚悟だし」

「でも、ばれたらどうする? 騎士団に入って、いざオマエが女だとばれたら」

「オレは女じゃない!」

 バチン! とリルがルイの頬を叩いて、しかしルイの頭は冷静だった。いや、最初から冷静さなんて持ち合わせていない。

 ルイを叩いた手をぎゅっと握りとって、ルイはリルを自分のほうに引き寄せた。そのまま唇と唇をくっつけて、離す。

「すきだ」

「……は?」

「あ、いや。え、あの。今のは……」

 無意識だった。こんな風に傷つけるつもりはなかった。リルを見れば、目に涙をこらえて、ルイをにらんでいる。

「オマエがオレを、役立たずの女(そういうふう)に見てるなんて、思わなかった」

「まて、俺は」

「もういい、食事はオマエひとりでとれ!」

 料理もそこそこに、リルは自室に駆け込んだ。

 ひとり取り残されて、ルイは頭を抱えた。

「なにやってんだよ、俺……」

 別に、好きだなんて言うつもりはなかった。リルに失礼だし、なによりルイは王子だ。だったら、自分に恋愛の自由なんてない。

 仮にリルと付き合えたとしても、結婚するかと聞かれたら、それはノーだ。ルイは一国の王子だから、自分の一存では結婚は決められない。

 いや、リルほどの貴族の娘なら、あるいは……。

「最低だな、俺」

 自分でもリルをどうしたいのか、わからなかった。


 翌日、リルは寮を早朝五時に出て行って、学院の自習室で鍛錬に励んでいた。

 ルイはと言えば、いつもと変わらずに七時に起きて、八時に学院に到着して、いつものようにフィンとくだらない話をしていた。

「ルイ。そういえばリル見てないけど、なにか知らない?」

「さあ。アイツだって一緒にいたくないことあんじゃねえの」

「……そう」

 ルイはリルが二人と距離をとる理由を知っているが、フィンはなにもしらない。

「あ、リル! おはよ!」

 リルが自習室から教室に入るや、フィンは手を振ってこちらに来るように促す。しかし、リルはふいっと顔を背けて、自席に座ってしまう。

「あれ。リル不機嫌? なんで?」

「オマエは知らなくていいんだよ」

 そもそも、ルイのせいだと知ったら、フィンはリルの味方をするだろう。フィンはリルを尊重したいと常々言っていた。ならば、ルイの様に愚かにも、リルに心を寄せてしまうなんてことは、絶対にしない。


 そんな生活が一週間続いて、さしものフィンも、寮でリルに問い詰めた。

「ねえ、なにを怒ってるのか知らないけど。同じ寮にいてその態度はさすがにダメだろ」

 フィンは自室に帰ろうとするリルをつかまえて、なじる。そこにはルイの姿もあって、ルイはばつが悪そうに立ち上がる。

 しかし、フィンがルイを見逃さない。

「はい、ルイ。君がリルになにかしたのはわかってるんだから。さっさと仲直りしてくれないかな」

「な、仲直りとか。俺なにもしてねえし」

「よくもそんなこと……!」

 リルが口をきいたのは、実に一週間ぶりだった。ルイがはっと鼻を鳴らす。

「別に。俺は謝んねえからな」

「な……オマエさ、オレのことどう思ってるわけ? 女だと思ってたわけ? そういう目でずっと見てきたわけ?」

 言い出すと言葉が止まらない。ここでようやく、フィンもことの重大さに気づいたようだ。

「待って。もしかしてルイ、リルに告白……とか、したわけ?」

「だったらなんだよ」

「それは……ルイの落ち度だろ」

 落ち度、という言葉に、今度はリルは、フィンにかみついた。

「なにフィン。落ち度って。オレが女だから悪いってとれるんだけど」

「そ、そうじゃなくて。リルも落ち着いて」

「落ち着け? ルイとフィンならオレのことわかってくれてると思ったのに。結局ほかの連中と同じじゃないか。オレは男にも女にもなれない。じゃあ、何者なんだ!?」

 そう言われてしまうと、フィンもルイもなにも言い返せない。何者。

 ルイにとってリルは、かけがえのない親友だった。フィンにとってもまた同じく。

 どうやったらこの気持ちが伝わるのだろう。男だろうが女だろうが、大事だと。

「あーあ、わっかんねえよ。オマエだって俺が王子ってだけで、最初あんな態度とったくせに。自分のことは棚に上げて、俺たちばっかり責めるのかよ」

「……それは……」

 確かにそうなのだ。ルイは一国の王子、しかも跡取り。だからリルは最初、ルイと距離を取ろうとした。同じ人間なのに。同じ騎士を目指す仲間なのに。

 いや、でも。それとこれとは話が別だ。ルイは自分を女として、しかも『好いた』女として、リルを見ている。

「じゃあ聞くけど。ルイはオレのこと好きでもないのに、何回もキスしたわけ」

「なん、ルイ、キス!?」

「フィンは黙ってろ。俺だって無意識だったよ。でも、俺だって馬鹿じゃない。自分の気持ちに気づいて、オマエに説明しようとも思った。けどオマエ、この一週間俺たちのこと避けてただろ。それでどうやって弁明しろと?」

 自分は一国の王子だ。だから自由な恋愛なんて許されない。それは単なる言い訳だ。

 本当に好いた人間と添い遂げたい。それがたとえリルだとしても。リルが男を自称しようが、リルが女として生きる道を選ばなかろうが。

「ルイ。リル。ひとつ俺からも言わせてもらうけど」

 リルとルイの話が平行線になりそうだったためか、フィンが途中で口をはさんだ。

「俺もリルのこと、そういうふうに見てた。けど、ルイも同じだとは思わなかった」

「な……気持ち悪いだろ。オレは男……」

「本当にそう? リルは男だと『思い込ませて』生きてきただけなんじゃないの?」

 フィンの言葉に、なにも言い返せなくなる。

 街を歩く女の子たちは、きれいなひらひらのドレスを身にまとっている。とてもきれいだと思う反面、自分にはふさわしくないのだと落胆した。

 きれいな宝石を見るのが好きだった。だけどそれを今まで誰かに話したことはない。

 料理をするのも好きだ。しかしそれは、この国では女の仕事だと揶揄される。

「オレ……」

 ルイとフィンのことは好きだ。友人として、親友として。

 だけど、ふたりはそれ以上を求めている。自分に応えられるのか? そもそも、自分は愛されるに足りる人間なのだろうか。

「オレ……は」

 涙がこぼれた。ぼた、ぼた。

 あふれる涙を抑えきれない。人生を否定されたことよりも、女を肯定されたことに、戸惑いを隠せない。

 そして思い出すのは、あの潜入任務でのことだった。

 ルイに唇を奪われて、動揺こそしたが、嫌な気持ちはしなかった。フィンとだったらどうだったのだろう。

 ルイといると、いつも笑っている自分に気づいた。時に喧嘩もするけれど、自分の知らない自分を気づかせてくれるのは、いつだってルイのほうだった。

「フィン、ごめん。オレは」

「ああ、わかってる。リルがルイを好きだって、俺は気づいていたからね。一芝居打たせてもらったよ」

 ウィンクして、フィンは自室へと去っていく。嘘だ。フィンは嘘であんなことを言うような人間ではない。

 残されたリルとフィンは、向かい合わせに立ち尽くす。

「リル。俺は」

「……ごめん、ルイ。今すぐにオマエを好きになることは、できない、と思う」

「いい。いつまででも待つ。それに俺は、オマエとなら、この世界を変えることだっていとわない」

 それは暗に、ルイが王座についたら、それ相応にこの世界の理を正す、と言っているような気がした。

「ルイ。オレだけのためにそういうことは考えないほうがいい。それに、オレとオマエが結ばれるかだってわからない。今後ルイに別の好きな人間が現れるかもしれないんだし」

「いいや。オマエ以外に好きになれるひとなんて現れない。これは誓って言える。だから俺は、オマエが笑顔で暮らせるような世界……この貴族主体の世界を、女が男に劣るという理を、すべてを変えてみせる。そのあとでもいい。俺はオマエに、改めて思いを伝えるよ」

 だから、と差し出された手。リルはなかなかその手を取ることができない。ここでルイの手を取ってしまえば、自分が女だと認めてしまう気がしてならなかった。

 なのに。

「ありがとう、リル」

「……っ」

 リルは恐れを抱きながら、迷いを抱きながら、ルイの大きな筋張った手に自分の手のひらを重ねた。

 こうやって見ると、リルの手のひらはルイより一回りも小さくて、やはり自分はか弱い存在なのだと言われている気がして、寂しくもあり、うれしくもあった。

 こうしてルイとリルの物語が廻り出す。

 これは、男尊女卑のはびこる世界から、差別をなくすために奮闘する、ルイとリルの物語である。

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男装の騎士見習い 空岡 @sai_shikimiya

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