春を望む。
アル・棒ニー
春を望む
男は輸送トラックに揺られながら、ぼんやり思う。
――――ジュリアナは、無事だろうか。
つい先日、部隊長より授かったプラスチック箱を故郷より何百キロも離れた大地へと届ける任務。
かつてないほどの大戦のさなかであったが、男にはそれよりも気がかりなことがあった。
故郷には妻のジュリアナと、幼い息子がいる。
彼らは今、どうしているだろうか。
「おい、何ぼんやりしている。」
同じ隊のエドが、肩を小突いた。
「そろそろ敵の勢力圏内だ。気を引き締めろ。」
「ああ……」
声が頭を通り抜ける、いまいち何を言っているのかは分からなかったが、男は生返事だけした。
「それにしても、まさか植物がここまで貴重になってくるとはな。」
エドは輸送トラックの荷台を振り返り、ぼやく。
「俺らが子供んときは、庭の草むしりさせられてたんだぜ?信じらんねえ。」
「ああ、まったく。どうして枯葉剤なんてまいちまったんだろうな。」
それまでだんまりだった他の兵士たちも、口々に同調する。
「戦争が始まった途端、この地球から草という草が根こそぎなくなっちまった。」
「そうさ、おかげで草むしりの代わりにこうして地球の裏側に輸送なんてやってるんだからな。」
「まあ、俺らは給料がもらえるからいいけどな。」
またしばらくの沈黙のあと、大きな爆発音が砂漠にこだました。
遅れて、地震のような振動が伝わってくる。
「新型爆弾だろうな」
なんともなしに、エドが言った。
「この辺には小さな村と、ちょっとした町しかないってのに。」
周りの兵士たちは、エドの話を聞いているのか聞いてないのか、瞼を閉ざしたままうつむいている。
そんな強烈な爆風も通り去り、静粛に包まれた車内に、にわかに閃光と衝撃が走った。
輸送トラックは、衝撃に耐えられず横転した。
荷台はめちゃくちゃに転がり、やがて逆さまになり静止した。
エドや他の兵士たちは、混乱の極致にあった。
「な……なんだ!?」
「おい!大丈夫か!?」
「誰か!!返事しろ!」
さまざまな怒号と悲鳴が飛び交い、荷台の中は瞬く間に阿鼻叫喚に包まれる。
「きっと地雷だ。ちくしょう車がだめになっちまった。」
兵士の一人がそう声を上げた。
とにかく、脱出しなくては。
きっと、生き残った兵士は皆そう思ったことだろう。男も、例外ではなかった。
「残ったのは、4人だけか…。くそ、通信機器は全滅だ。」
エドは悪態をつく。
「敵が来る前に、ここを離れよう。」
兵士の一人がそう言うと、3人は頷いた。
「ここから南に下れば、村があるはずだ。そこで今後のことを考えよう。」
3人が銃を構えて歩き出すと、その後ろを男もついていく。
その晩は、野ざらしの砂漠で夜を明かした。
朝になって、兵士の一人が口を開く。
「なあ、あの話覚えてるか?俺たちの任務の話」
男は無反応のまま、ぼうっとしている。
「ああ……草の話だろ?」
「そうそう、草だ。」
エドはそう言いながら、ポケットをまさぐり取り出したプラスチックの包装を見せた。
「おいおいまさか持ってきたのか?草を?」
エドは無言で頷く。
「今じゃこれだけの種子でも相当の値打ちになる。何かあったときに、こっそり盗み出してやろうと思ってポケットに入れてたんだ。」
「さすがエド。抜け目ねえな」
兵士の一人が、そう言って笑う。
「だが、命には代えられん。ここは敵地だ。奴らの村に行ったところで、俺らは歓迎されない。そうだろ?」
エドはそう言いながら、プラスチックの包装を開封した。
中から、緑色をした小さな種子が12粒ほど顔を出した。
「そこで、だ。こいつを引き渡す代わりに、村人たちには命を助けてもらおうじゃないか。」
「なるほどな、さすがエドだ。」
他の2人は、感心した様子で頷く。男も無言で頷いた。
「そうときまりゃ早速出発だ。少し遠いが、なるべく敵に見つからないように進むぞ。」
エドを先頭に、4人は歩き出した。
しばらく歩いた頃だった。
「なんだあれ?」
エドが遠くを指さした。
確かに、そこには何やら怪しげな影が2、3見えた。
「おいおい、あれは敵か……?」
兵士の1人が、怯えたように呟く。
「まさか……」
そうは言いつつも、皆、臨戦態勢をとった。
「いや……違う!あれは、味方の兵士たちだ!」
エドが叫ぶ。
「良かった、助かった……」
皆、どっと安堵する。4人が武器を下した時、1人の兵士の頭が吹き飛んだ。
それに遅れて、爆音が鼓膜を揺らす。
「クソッ!奴ら撃ってきやがった」
うつ伏せに倒れたエドが、息も絶え絶えに呟く。
「弾の後に銃声が聞こえた。狙撃兵だ!気をつけろ!」
先ほどの兵士の死体に身を隠しながら、兵士がエドにそう告げた。
「2人とも、伏せろ!」
男のその声に反応して、2人は地面に伏せた。
刹那、頭上を弾丸がかすめる。
男はとっさに銃を構えようとした。
「やめとけ、どうせこの距離じゃ届かねえよ。」
エドにそう言われ、男は銃を下ろした。
「ほら、見てみろ。」
双眼鏡を渡された男は、身をかがめてのぞき込む。
改造された銃、ボロボロの軍服。そんな恰好の奴らが3人いた。
「きっと軍人崩れの盗賊かなにかだろう。」
エドがそう呟くと同時に、また弾丸が死体を穿った。
「ここで耐えてもじり貧だ。さっさとずらかろう。」
「ああ、そうだな……しかし狙撃兵がいるんじゃうかつに逃げられんぞ」
残った一人の兵士が、やれやれと言った様子で口を開いた。
「奴らは盗賊なんだろ?欲しいもんくれてやりゃ満足して帰ってくれるんじゃねえか?」
エドはそう言って、先ほど開封したプラスチックの包装の中から種を二つつまみ取った。
「お前ら、これを持っとけ。俺が奴らに話をつけてくる。」
そう言って、エドは一人立ち上がって両手を上げながら
銃を捨て、盗賊たちの方へ向かっていく。
「おい、エド!やめろ!」
エドは二人の制止も聞かず、盗賊たちの前まで歩いて行った。
しばらく何か話して、口論のようにも見えた。遠目だったが、盗賊の一人がエドへ銃口を向けたことまでは確認できた。
おもむろにエドが倒れ、一瞬静寂が辺りを支配する。
パンッ
乾いた銃声の中で、盗賊たちは何かをエドの体から拾い上げて、それを袋に入れたようだった。
「ちきしょうやつら、エドを殺しやがった。」
兵士は、急いで銃を構え、撃つ。
銃弾は盗賊の一人の脳天を貫き、スナイパーは即死したようだ。
蟻のように小さく見える的を射抜いたその瞬間に、男は正しく奇跡を見た。
「やった、命中だ!」
そう男が言った瞬間だった。
兵士の顔の右半分が吹き飛んだ。
「っ……」
兵士は血をまき散らしながら、後ろへ吹き飛ばされる。
相打ちとなったのだ。
兵士は、血と脳漿を撒き散らして絶命した。
スナイパーがいなくなった今しか、脱出のチャンスはない。
仲間の死は悲しいものだったが、防衛本能の活性化がそれをいとも簡単に押し流してしまった。
男は死体の山を抜け出し、がむしゃらに走り出した。
背後から何度か、銃声が聞こえたが、この距離では当たるはずもなかった。
男は走った。走って、走って、走り抜いた。
ついには足をもつれさせ、転倒してしまったが、それでも走り続けた。
やがて音が遠ざかり、男は息も絶え絶えに立ち止まった。
思わず倒れそうになる体を、どうにかなけなしの根性で立て直す。
振り返ると、そこにはもう彼らはいなかった。「助かった、のか?」
男の頭の中には、いくつもの疑問が駆け巡っていた。
自分は今どこを歩いているのか?何から逃げているのか?奴らは何者だったのか? 疑問は尽きないが、今はとりあえず休まなければ。
ちょうど、岩肌がむき出しになった丘に、小さな洞窟が見えた。
――――あそこで休もう……
男は、重い足を引きずって洞窟へと向かう。
辺りは既に深い藍色に包まれ、青白い月がこちらを覗いていた。
支給品の小型ライトを灯し、洞窟の奥へと歩を進める。
暗闇の先から、水の滴る音が聞こえた。
ライトで照らすと、そこには小さな泉があった。
月の光を湛えた泉の水を掬い取り、喉へ流し込む。
乾いた砂漠の空気が、急に湿り気を帯びた気がした。
今日はもう休もう。
男は、荷物を枕代わりに、洞窟の地面に横たわった。
天井に、白いチョークのようなもので書かれた絵が、うっすらと見える。
おそらく、かつての原住民が男と同じようにこの洞窟で寝泊まりしていたのだろう。
犬のような絵、踊りの絵、植物の絵。
きっと、この絵が描かれたときの方が、現代よりも発展していると言えるのだろうな。
そんなことを考えながら、男は目を閉じた。
頭の上から聞こえる咆哮のような大きな音で、男は目を覚ました。
一瞬、夢かとも思ったが、どうやらそうでもようだ。
とにかく、外の様子を確認しなければならない。
男は、静かに洞窟の入り口まで忍び寄り、外の様子を窺った。
――――!!
1機の飛行機が、唯一空の蒼に染まらず、滑るようにこちらへと向かってくる。
男は、息を呑んだ。
双眼鏡を取り出し、その飛行機を見つめる。
軍用機。武器は積んでいないようである。
しかし、この飛行機はなぜ対空ドームに撃ち落とされないのだろうか。
男は、疑問に思いながらも、ライトの反射板を、機体にかざした。
飛行機は男に気づいたようで、旋回し、こちらへ向かってきた。
ややあって、飛行機は男の頭上の空を滑るように飛行し、洞窟の前で着陸態勢に入った。
エンジンを90度回転させ、垂直に降下してくる。
男は、飛行機が大きくなって着陸する瞬間、思わず目を閉じた。
「どうも、初めまして。」
男は目を開けた。飛行機のエンジンが切られ、プロペラが止まっている。
代わりに、男の目の前には人がいた。
ガタイの良い、軍人風の男である。
「いやあ、まさかこんなところで生き残りに出くわすなんて、 実に幸運でした。」
男は、飛行機から降りてきた男に、握手を求めた。
「ああ、これはどうもご丁寧に。」
握手に応じた男の手は、異様に冷たかった。
「この辺は紛争地域のはずじゃ?」防空ドームが建設されてからというもの、航空機は戦場から姿を消して久しい。
相当の内地でないと、風船さえ飛ばすのは難しいだろう。「ドームは稼働していないんですか?」
「ええ、知らないんですか?先日新型のミサイルが何万発も撃ち込まれたらしく、ドームの機能は完全に沈黙したそうですよ。
外は放射能塗れで、とてもじゃないけど出歩ける状況じゃないですよ。」
「そ、そうだったのか……」
男は、何とか声を絞り出した。
「いやあ、でも本当に良かった。まだ生き残ってる人がいたなんて!結局ミサイルの撃ちあいになって、ほとんどの都市は壊滅して…生き残った人もここにくるまで見かけなかったもんですから、人類皆死んでしまったのかと思いましたよ。」
「なんだって!?それは確かか!?」「ええ。こいつで飛び回って主要な都市を見て回りましたからね。」
妻ジュリアナは、国最大の都市で暮らしている。
男は焦った。ジュリアナは無事だろうか。
「――――ああ、首都は本当にひどいものでした。生き残っている人間はいないでしょう。」
目の前が真っ暗になって、足から力が抜けていく。男は、地面にへたり込んだ。
「大丈夫ですか!?」
声が頭を通り抜ける、いまいち何を言っているのかよく分からない。家族が死んだ!?信じられない。信じたくない。
「しっかりしてください、大丈夫ですか?」
男は、パイロットに支えられて何とか立ち上がった。
「済まない、吐きそうだ。」
「どうぞ、袋があります。」
男は、差し出された袋をひったくる様に掴むと、嗚咽と共に胃の中のものを全てぶちまけた。
涙と吐瀉物でぐちゃぐちゃになった男を見かねたのだろう、パイロットが口を開いた。
「えっと、その、もしよろしければ…」
男は、パイロットの声を遮り、死人のような顔でつぶやいた。「一人にしてくれないか?家族がそこで暮らしてたんだ」「そ、そうですか……わかりました。」
パイロットは心配な声色で答えた。
男は何も言わず、荷物を持ち洞窟の中へ入っていった。
ライトを灯し、夢遊病者患者のような足取りで洞窟を進む。
やがて、洞窟の最も奥の壁へたどり着くと、男はその壁に背中を預けて座り込んだ。
――――もうあのパイロットとは話したくないな。
男は、もう誰とも会いたくなかった。
パイロットに見つからぬよう、静かに洞窟を抜け、男は砂漠を歩き出した。
確か、南に村があるとエドが話していたな。
男は、疲労の溜まった体を動かし、南へと歩を進める。
ややあって、舗装された道に出た。野立て看板には、『ここから7km先、エンディミオン村』と書かれている。
パイロットの話では、主要な都市はすべて壊滅的だそうだが、きっと小さな村なら無事だろう。
男は、エンディミオン村への道のりを急いだ。
なんだか、具合が悪い。
男の足取りは、段々と遅くなっていた。
7kmを進み終えたころには、既に日は傾いていた。
――――冗談だろう?
やっとのことで小高い丘を登り、村を視界にとらえた。
男は絶句した。
村が、なかったのである。
道路は、まさに一寸先は闇とでも形容すべき惨状を呈していた。
道の先が、どうなっているのか。全く見えないのである。
谷底が深く、そこすら見えない渓谷があった。
男は、その場にへたり込んだ。
――妻と娘は無事だろうか? いや、きっと生きているに違いない。あのパイロットのように、生き残りがいるはずだ……
村は、巨大なクレーターに包まれていた。
男は踵を返し、あの洞窟へ帰った。
帰路の途中、頭の中をスプーンでかき回された気分になった。
地球の自転に、自分だけ置いて行かれたように目が回った。自分は、いったい何をしているのか?何のために生きているのか? 男は、何度も壁に頭を打ち付けた。
一頻り打ち付けた後、男は再び歩き出した。
いっそ死んでしまおうか? いや、だめだ。きっと妻と娘はどこかで生きているのだ。生きていてもらわねば困る。
「あああああああああああ……」
男は叫びを上げた。胃液と涙が地面を汚す。
ゴホ、とせき込んで、男はその場に倒れ込んだ。
体の具合が悪い。手のひらは、赤く染まっている。
――――放射能だ。
頭が痛い。きっと俺は死んでしまう。
――――どうして、戦争が起きたんだったっけな。
俄かに、男は洞窟の中で眠りについた。
木々が青々と生い茂る、森の中。
緑で入口を隠された洞窟の中で、一人の男の骸骨が、何かを握っていたのだろう。大事に手のひらを隠して、横たわっていた。
骸骨は、コケやツタに包まれ、手のひらからは一本の若葉が芽吹いている。
国破れて山河在り、城春にして草木深し。
春を望む。 アル・棒ニー @yabikarabouni
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