幽世のまれびとたち:激闘!? 二体の雷獣たち(後編・完)

 大瀧連と園田三國。いずれも強大な力を持つ大妖怪である事は、ミハルももちろん解っていた。だが、変化を解いた真の姿を見た時に、二人の強さを甘く評価していたのだと思い知らされた――獣としての、根源的な恐怖の念を揺さぶられながら。

 ミハルたちの叔父である三國は、巨大なクズリに似た獣の姿を取っていた。その身を覆う灰褐色の毛皮越しに、隆と発達した筋肉の輪郭が確認できるほどで、その体躯は秋田犬やアラスカンマラミュートなどの大型犬よりも明らかに大きかった。

 全身の毛は逆立ち八尾も天を向き、牙の生え揃った口を僅かに開けて、奇怪な吠え声を上げていた。クズリは小さな悪魔と呼びならわされているが、大きさを具えた三國は、もはや森の悪魔なのかもしれない。

 だが――だが三國の巨躯に驚いてばかりもいられなかった。小妖怪ならば踏みつぶして咬み千切れるほどの大きさの三國も、それでももう一人の雷獣に較べれば小柄なのだから。

 武闘派神使・電襲隊総長の蓮は、金色の毛並みの狼の姿を取っていた。

 狼と言っても、もちろん普通の狼の体躯などではない。何せ秋田犬よりも大きなはずの三國でさえ、蓮よりははるかにちっぽけに見えてしまうのだから。体重約九十六キロという、並外れて恵まれた体躯である事は、本来の姿からも明らかだった。体長は二メートルを易々と超え、体高も一メートル近いであろう。もはや犬や狼ではなく、虎やジャガーと比較出来てしまえるほどの大きさだった。

 そして、ああ、今の蓮の姿は、ただただ並外れて巨大な狼の姿を取っているだけではなかったのだ。金色の毛皮と筋肉の鎧で覆われているはずのその肉体の上に、更に輝く具足を纏っていたのだ。もちろん、獣用にしつらえられた鎧である事は言うまでもない。

 そう言えば彼は金砕棒を携えていたはずだが、それが見当たらない。そんな事を思っていると、長兄の雪羽が「大瀧さんの金砕棒は鎧にも変化するらしいんだ」と教えてくれた。


「ふ、ふふふ。お互いらしい姿になったなぁ、大瀧さんよぉ」

「――三國君も、妻子やら甥っ子たちやらが見てるから気合が入ってるんだろ?」


 違いない。三國がそう言ったのかどうか、ミハルには解らなかった。次の瞬間には、三國の姿は上空へと飛び上がっていたのだから。浮遊するなどと言う生易しいものではない。見えない何かを足掛かりにし、垂直方向に駆けあがっているように見えたのだった。


「おおっ。三國さんも飛んだっ。大瀧さんの飛び方と似ているような、でもなんか違うような気もするなぁ……どっちにしろ、見れて良かったぜ」

「そうやなぁ、確かに俺らも飛べるけれど、島崎先輩たちは飛ばないから、あんまり飛ぶ機会も無いんだよなぁ」

「僕も、あんなふうに力強く飛んでみたいな。そのためには、やっぱり体重を増やさないと……」

「穂村兄さん。体重が増えたら飛ぶのが難しくならない?」


 ハクビシン系雷獣の光希が感嘆の声を上げ、雪羽たち三兄弟がそれに呼応してあれやこれやと口にしている。

 そうこうしているうちに、三國は空高く舞い上がり、上空をグルグルと旋回し始めていた。体表を覆う放電が徐々に増えていき、次第に三國自身が雷の矢に変貌しているかのようだった。

 一方の蓮も、地表で様子を窺いながらも臨戦態勢を保っている。こちらも放電が増している。確か蓮は、獣形態の他にその身を雷撃そのものに変換するという離れ業も持ち合わせているらしい。雷と同等の速度と破壊力を具えるという訳であるから、強大な敵を仕留めるのであれば、必ずや雷撃に化身するのではなかろうか。

 そんなミハルの疑問を代弁したのは、鬼神の燈真だった。


「大瀧さん、雷撃に変化しないのかな。さっきまでの感じでも、三國さんは大瀧さんと互角だというのに」

「確かにそうだなぁ」


 呑気に相槌を打つ蕾花の言葉を聞き取ったのだろう。光希の姉である秋唯が、短く息を吐きながら呟いた。


「あれは雷撃に変化しようとしていないんじゃあない。出来ないんだろうな」

「雷撃に変化出来ないだって!」


 誰かが驚きの声を漏らす。だが、もう一人の狼系雷獣である真鶴は、秋唯の言葉に納得したように頷いていた。


「うちも秋唯さんの言うとおりやと思うわぁ。ほら、三國君はさっきから放電しながら上空を駆け回ってるでしょ。ああして電流の位置をかき回して、それで蓮が雷撃に変化するのを阻んでるのよ。現に今、三國君がいる所から蓮のいる所まで、電流がめちゃくちゃになってるわ」

「……真鶴さん。俺、電流がめちゃくちゃになってるって事に気付けませんでした」


 真鶴の考察に、悔しそうに雪羽が呟いた。翠眼の輝きもトーンが落ち、三本の尻尾もだらりと垂れている。心底悔しがっているのだとミハルは思った。


「落ち込まなくて良いのよ雪羽君。雪羽君たちは、むしろ蓮たちが出す妖気の圧に耐える事に必死なんだから……」

「そ、それもそうっすね」


 優しい調子で真鶴に言われ、雪羽は頷いた。それでも照れや恥ずかしさはあるのだろう。白銀の毛皮に覆われた鼻面を、右前足でしきりに撫でつけていた。

 そうだ。真鶴の指摘通り、ミハルたちは闘技場に充満する妖気の圧に耐えるのに精いっぱいだった。人型の変化を放棄して本来の姿に戻っている事が何よりの証拠だった。ミハルを筆頭に、兄弟である穂村、開成、時雨もまたそれぞれ獣の姿に戻っていた。のみならず、叔母である天水や従姉の雷園寺葉鳥、長兄の雪羽ですら今や本来の姿を取っているのだ。むしろ現世サイドで変化が解けずに人型を保っている妖怪の方が少ないほどである。それこそ、三國の妻である月華や解説係のミツコという名の妖狐、九尾の末裔たる源吾郎くらいであろう。他にも人型の妖怪がいるにはいたが、見知らぬ顔なので誰なのかは解らなかった。

 その一方で、幽世の神使たちはほぼ全員が人型のままである。そう言った所からも、神使たちの格の違い・保有し活用できる妖力量の違いをまざまざと感じられた。


「それにしても、光希さんたちは妖気の暴風雨? をマトモに喰らってるのに人型を保てるんすね。多分、俺らの中では時雨が光希さんと同じ位の強さだと思うんだけど、それでも変化を解いちゃってるし」

「そこはまぁ、環境の違いも大きいかもな。幽世ってそもそも妖気の密度が現世とは段違いだから、さ」


 そして開成は思った事を素直に口にしている。光希は優しいので、特に怒りもせずに応対してくれていたが。

 

 そんなやり取りが観客席で行われている間にも、流れが変わった。

 三國がグルグルと回遊していた上空がにわかに曇り、そこから一筋の雷光が蓮めがけて飛来したのだ。蓮はもちろん――その雷撃を横っ飛びで回避する。

 しかし三國の攻撃はそれだけではなかった。彼はもはや上空の一点に留まっていた。綿のような暗雲と、野放図に枝を伸ばす大樹のごとき雷撃をその背に頂きながら。


「――郷愁の飛梅」


 短く呟いた刹那、あまたの雷撃が蓮に向かって降り注いでいった。幾本、幾十本、あるいは幾百をも超える稲妻が、蓮というたった一人の標的に向かって牙を剥く。

 しかもそれはただ直線的に標的を狙っているだけではない。敢えて異なった場所に落ちたり、追尾しているかのように蓮の動きに応じて進行方向が変わったりしていたのだ。

 真鶴は電流の動きを三國が意図的にかき乱していたと言っていたが、蓮を雷撃に変化する事を封じていただけではなく、この大技を行使する事こそが本命だったのではないか――叔父の戦略と技の強大さに、ミハルは戦慄を禁じえなかった。


「はっはっは! 大瀧さん、俺の雷獣としての武器は、あの雷公鞭だけじゃあないんだぜ」


 烈しい雷撃が繰り出される中でも、三國の哄笑ははっきりと聞こえた。


「むしろこちらの方が本命の武器ってやつさ。後に雷神として祀られる事となった道真公、その道真公を慕った飛梅の執念を、とくと味わうと良い――!」


 雷撃が放たれる高度が、徐々に低くなっている事にミハルは気付いた。数十メートル先まで飛び上がっていた三國が、ゆっくりと降下しているのだろう。八尾の大妖怪と言えども、大技を展開しながら飛び続けるのは大仕事なのかもしれない。

 もっとも、三國の高度が下がったからと言って攻撃の手が緩んだわけではない。むしろより苛烈なものへと変貌していった。今や雷撃には、稲妻だけではなくプラズマ球のような物さえあるのだから。まるで、四方に伸ばした枝に、まんべんなく梅花が咲き誇るかのように。

 ミハルはだから、嘆息の息と共に言葉を漏らしていた。


「三國叔父さんって本当にすごいわね。これじゃあ、弾幕ゲームで六面ボスも張れるんじゃあないかしら」

「ミハルってやっぱりゲーマーなんだな」

「六面どころかそこはエキストラステージでしょ」


 もちろん、ミハルの言葉にも兄らのツッコミが入ったのだが。


「はぁ、はぁっ……これで、終わりだぁっ!」


 最後の一撃を叩きこむのと、三國が地面に着地するのはほぼ同時だった。

 流石の三國も、息が上がっていた。何せたった一人の雷獣を仕留めるために、煩悩の数の数倍を超える雷撃を錬成したのだから。なお件の雷撃は、一撃でも一般妖怪を仕留める可能性を秘めているのだが、こちらも向こうも一般妖怪の枠組みを大きく逸脱しているのでどうという話でもない。

 現に闘技場の地面はとんでもない様相を呈していた。〈庭場〉という現実世界から切り離された場所になる事を考慮しても、だ。並外れた威力の雷撃は、雪原のイミテーションを吹き飛ばし、それどころか爆撃の跡のごとき様相を示していた。そう言えばギャラリーは妙に静かだ。不自然に思って顔を上げてみると、現世サイドの妖怪たちはほぼほぼ本来の姿に戻っており、その上で平伏していた。

 現世の妖怪連中は弱いな――三國はそんな事を思っていたのだ。幽世の妖怪たちが、幼子である桜花も含めてきっちり人型だから、尚更そう思えたのだ。


 そうだ。三國はこの瞬間油断していた。そして一瞬の隙であったとしても、雷獣には十分すぎたのだ。


「グオ、オオオオォ――」


 至近距離で咆哮がほとばしる。蓮の吠え声だと気付いた時には、その吠え声に怯んで身体が動かなくなっていた。

 ここは聴覚を遮断すべきか。判断を下す間もなく、喉元に衝撃が走る。半ば雷撃と同化した狼の前足が、三國の喉元に躍りかかっていたのだ。平衡感覚がブレ、その身が宙に踊る。三國はもはや、飛ばされたのかおのれの意志で回避しているのか解らなかった。

 首に提げていた玉が、蓮の鉤爪によって粉微塵に破壊されていた。その事に気付いたのは地面に叩きつけられた直後の事だった。


「――カハッ、フッ、フーッ!」


 衝撃でペースの乱れた呼吸を整え、首をもたげる。玉を破壊されたら負けであるというルールを、三國はこの時思い出したのだ。

 蓮は狼の姿のまま、ゆっくりとこちらに歩み寄っている。無言であるが、その表情や態度にはもはや敵意や戦意は無かった。


「勝負ありだな三國君。だがいい勝負だったとおも――」


 狼の鼻面を下げて、蓮は低い声で語り掛ける。優しげなその言葉は、しかし途中で打ち切られた。彼の首に提げられていた玉もヒビが入り、粉々に砕け散ったからだ。


 大瀧連と三國。七尾の狼系雷獣と八尾のクズリ型雷獣のドリームマッチは、両者引き分けという形で幕を下ろした。結局のところ、両者の玉はほぼ同時に粉々に砕け散ってしまったからだ。

 観客たちが試合を見ている時には、蓮が三國の玉を奪い取って破壊していたように見えたため、僅差で蓮の方が先に玉を破壊したように見えたかもしれない。しかし蕾花やサカイ先輩も交えて画像を解析した結果、蓮の保持していた玉にも、既に傷が発生しているという事が明らかになったのだ。そうした事からも鑑みて、萩尾丸はこの勝負はドローであると判断したのだ。そしてこの判断を覆す事は認めなかった。

 だが源吾郎は、萩尾丸が今回の勝負を引き分けという事にしたのは、幽世サイドと雉鶏精一派サイドに妙な禍根を残さないようにするためではないかと考えていた。暴れん坊雷獣とも言われる三國が途方もない負けず嫌いである事は有名な話である。さりとて、賓客たる幽世の神使たちの面目を潰すのもそれはそれで大問題だ。となれば、どちらかが勝利しどちらかが敗北するという結果になるよりも、引き分けになる方が良かったのかもしれない。源吾郎は割と真剣にそう思っていた。

 そんな源吾郎の思惑はさておき、蓮も三國も試合後は晴れ晴れとした様子を見せ、固い握手を交わしてもいた。その後三國の子供たちが試合の最中に仲良くおネムになっていた事が発覚し三國が少ししょんぼりしていたのだが、まぁそれもご愛敬だろう。


 勝負と言えば、熊谷リンが行っていた勝敗予想の賭博はお流れになった。リンも含めて賭けていた者たちは、蓮か三國のどちらかが勝利するという方にベットしており、「両者引き分け」にベットしていた者は誰もいなかったのだ。

 従って、参加者の掛け金はそのまま返却される事になった。リンは儲けの機会がおじゃんになったとがっかりしていたが、損失自体も無かったので無問題だとは思う。そもそも、賭博を行ったとして萩尾丸にしょっ引かれれば元も子も無かったのだし。


「げんごろう。わっちはこうなることがみえていたんだよ」


 ドリームマッチもお開きとなり闘技場を去ろうとしていたまさにその時、菘が得意げな様子でそう言ったのだ。


「だからわっちはなにもいわなかったし、らすこのかけごとにもさんかしなかったの。そもそもかけごとはきょうみないから」

「そうだったんだね」


 源吾郎は菘に微笑みかけ、それから雪羽の姿を目で探した。彼も担保として預けていたペンダントを受け取っており、さも大切そうに首に提げていたのだ。

 雪羽と言えば……源吾郎はここである事を思い出した。光希がイラスト講師を行っているという事が話題に上ったとかで、二人で画力対決を行うという話が持ち上がっていたそうだ。雪羽はそこで、モデルは宮坂京子が良いだとか、そんな話をしていたのではなかったか。

 まぁ、そういう事ならば俺が一肌脱ごうではないか。

 源吾郎はその場で変化術を行使すると、殺生石の化身・那須野ミクという狐娘に変化した。そしてそのまま、雪羽の方に駆けよっていったのである。

 この時変化した那須野ミクがどのような姿なのか、二人の雷獣の画力勝負が如何なるものなのか。それはまた別の話である。

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