第10話 対話と決闘

 雨がそぼ降る、やわらかい朝がやってくる。


 ヘドリックの言葉通り、ディアボリカ達は鍛錬所を訪ねた。鍛錬所には、雨の日にも関わらず大勢の傭兵が詰めており、剣の稽古に励んでいる。石造りの柱が並ぶ稽古場の掃き出し窓は開かれて、湿気を含んだ春風が、鍛錬で汗ばんだ身体に心地よさそうだ。


 ヘドリックは奥の間で、数人の傭兵と打ち込みを行っていた。模擬戦用の刃引きされた剣を振り上げる者を、ヘドリックは一歩も動かずに薙ぎ倒している。まさに絶対的な強者だ。彼の剛腕ぶりを目にしたモイラが、ディアボリカの背後で「ひぇ」と小さな悲鳴を漏らす。


「……来たか」


 三人を見とめたヘドリックが剣を下ろした。彼は大振りな剣を傭兵に預け、ディアボリカに視線をやって、稽古場を出て行く。ついてこいということだろう。彼の後を追い、長い廊下を渡り、応接室らしき小さな部屋に足を踏み入れる。


「話を聞こう」


 ヘドリックは布張りの椅子に腰掛け、向かいの長椅子を手で示した。座れということらしい。口数こそ少ないが、無下にされている訳ではなさそうだ。


 本題を求められた以上、回りくどい口上は逆効果だろう。長椅子に腰掛け、アルセンとモイラがそれにならうのを見届けると、ディアボリカはさっそく口火を切った。


「単刀直入に言わせていただく。卿の力をお借りしたい」


 ヘドリックが顎に手を当てる。表情は変わらないが、その瞳に怪訝けげんな色が浮かぶ。ディアボリカは唇を湿らせて話を続けた。


「貴方も聞き及んでいると思うが、リヴレグランの首都ノクイエが、エタンセルのセシル王子率いる軍に落とされた。我が父と兄……リヴレグラン王と王子は、夜襲という卑劣な手段で命を奪われた。生き残った王族は、魔姫である私一人だ」


 話すうちに、まなうらにちらちらと炎が躍りはじめる。

 ノクイエで見た戦火がまぶたに焼きついて離れない。この幻の炎は、ディアボリカのうちで燃え続ける復讐の炎だ。


「私はセシル王子を討つ。そのために、オウマで傭兵を束ね、自らも剣を振るう貴方の力をお借りしたい」


 知れず、ディアボリカの頬は紅潮していた。


 ディアボリカが話し終えた応接室は、窓の向こうでしとしとと降り続ける雨の音が、遠くかすかに聞こえるのみになる。


「……なるほど」


 しばらくの沈黙ののち、ヘドリックがつぶやいた。

 彼は足を組みかえて、向かいに座るディアボリカにゆっくり言葉を投げる。


「俺が、魔姫であるあんたに力を貸す。俺はオウマの傭兵を率いてエタンセルを攻める。他にも助力は必要だろうが、たしかにうまくいけばセシル王子を倒せるかもしれない」


 そこで言葉を切ると、ヘドリックはディアボリカをまっすぐに見据えた。


「それであんたは、セシル王子を討った後、どうするつもりなんだ?」


 真っ向から斬りこまれたような衝撃に、ディアボリカの頭は真っ白になった。


「あんたは王族の最後の生き残りだ。エタンセルを叩きのめして、その後リヴレグランをどうするのか、教えてくれ」


 ヘドリックは今、ディアボリカに国の未来を問っている。


 ディアボリカは最後の王族だ。その王族が戦のあと、王として国をになうつもりがあるのかどうか。領主たる彼が、それを知りたいと思うのは当然だった。それなのに、今の今までセシル王子を討った後のことなんて考えていなかった。冷や水を浴びせられたような心地になる。


 王族が助けを求めれば、領主が応えるのは義務だと思っていた。けれど首都が瓦解し王が敗れた今、王族の求心力は無きに等しい。それこそ落ちぶれた王族の命令など、簡単に背けてしまえるのだ。


 彼は、エタンセルが卑劣な手段でノクイエを落とした過去など見ていない。彼が関心を寄せているのは、これから誰がどういった手段で、リヴレグランを動かすかだ。


 彼は今、ディアボリカを試している。リヴレグランを、ひいてはオウマをより良く導く者ではないと判断した場合、彼は傭兵団はおろか、指の一本さえ動かすつもりはないのだろう。そしてそれは、オウマという街と人とを治める領主として正しい思想だった。


 ……復讐心に囚われて、そんな視座も持っていなかったなんて。

 喉の奥で熱いものが絡まって、うまく呼吸ができなくなる。


 うつむいて黙りこむディアボリカを前に、ヘドリックは背凭せもたれに身体を預けた。目は鋭く、ディアボリカを見下ろしている。


 ふと、隣で身を乗り出す気配がした。


「そ、そんな話っ、急に答えられるわけないじゃないですかっ!」


 モイラだ。彼女は発奮はっぷんで顔を赤くしながら、懸命に声を張り上げる。


「あ、あんただって、きのうディア様との対話を、今日に持ち越したんです! こっちだって待ってもらう権利があるはずですっ!! その権利を、行使します!」


 身体を震わせながら、唇を戦慄わななかせながら、モイラはヘドリックに挑みかかる。


 そんなモイラを見て、ヘドリックはゆっくりとまばたきした。背凭れから半身を起こし、しげしげとモイラを見つめる。

 彼の大きな手が、小柄なモイラの頭の上にずしりと乗った。


「ぴゃうっ」


 モイラが甲高い声で鳴く。赤かった彼女の顔は、一気に蒼白になった。


「私の侍女に何を……!!」


 思わずディアボリカは声を上げた。

 立ち上がり、彼の腕に掴みかかろうとすると──ヘドリックは手のひらでわしわしとモイラの髪を混ぜた。


「よく声を上げた。小さいのに、心から魔姫に仕えているのだな」

「………………は…………はあぁあっ!? ちょっ、頭撫でないでもらえますっ!? モイラは子どもじゃありませんっ!!」


 小柄なモイラが、ヘドリックの手から逃れようと身をよじる。「髪がぐしゃぐしゃになっちゃうっ!」という彼女の抗議に構わず、ヘドリックはモイラの頭に手を置いたまま、ディアボリカに視線をやった。


「良い従者だ。それだけあんたが、仕えるに足る主人だということだろう」

「は……はあ…………」


 間抜けな返事が漏れる。なんなんだろう、この空気感は。調子が狂う。


 黙って事のなりゆきを見ていたアルセンが、堪えきれないとばかりに噴き出した。ディアボリカが「アルセン!」といさめても、ヘドリックが不審そうに片眉を上げても、彼は「ごめんごめん」と軽い謝罪を挟みながら、腹を抱えて笑い続けた。


「いやー笑った笑った」


 やっと哄笑こうしょうが収まったアルセンが、目じりをぬぐう。泣くほど笑ったらしい。

 彼は「さて」と歯切れよく言って、話の主導権を握る。


「ヘドリック卿、さきほどのモイラの行動から、ディアの人となりは少しは理解していただけたかと思う。それでも、あなたの問いには答えが必要だということは分かってる。ただ、我らが魔姫はこのような会談、ましては交渉などは初めてでね。不慣れなのもあって、すぐに答えが出ないんだろう。あなたは、寄れば斬るような雰囲気を醸し出されているし」

「……余所者は警戒するべきだろう? 領主として」

「ごもっとも」


 アルセンは得心しているとばかりに、深く頷いた。


「だからね、あなたほどの人に、信頼足り得ると思ってもらわなければならない、ディアの負荷をおもんばかってくれないかな。モイラの言う通り、時間が欲しい。必ず答えは返すから」


 ヘドリックはアルセンを見て、それからディアボリカを見た。彼の視線が、腰にいている銀の剣に注がれる。


「魔姫。あんたは剣をたしなむのか」


 突然の問いかけに驚きながらも、ディアボリカは頷いた。


「あ……ああ。護身のために、兄王子と共に剣術を習ってきた」

「そうか」


 ヘドリックが再び背凭れに沈み込む。彼の手から逃れたモイラが、急いで身を引く。

 彼は腕を組んで、ディアボリカを見下ろした。


「ならば明朝、俺と剣を交えてもらおう」

「なっ……」

「な、何言ってるんですかこの唐変木とうへんぼく!?」

「オウマ傭兵団は、剣の交わりを心の交わりとする。俺と戦い、あんたの心を示してくれ」

「あ、あんたとディア様が戦う!? そんなの無理に決まってるじゃないですかっ!」


 モイラが叫んでも、ヘドリックは揺るがない。彼はじっとディアボリカに視線を注いでいる。


(──勝てるはずがない)


 ディアボリカは歯噛みした。

 剣を交える前から勝敗は見えている。いくら剣術を習っていたとはいえ、百戦錬磨のヘドリックにディアボリカが勝てるわけがない。


 けれど、ここで彼の申し出を断るわけにもいかない。ディアボリカは、ただでさえ先ほどのヘドリックの問いへの答えを待ってもらっているのだ。これ以上彼の提案を蹴るような真似をすれば、彼の助力を得るという目的は叶わないだろう。

 ディアボリカは拳を握りしめ、覚悟を決めた。


「……分かった」

「ディア様っ!?」


 悲鳴のようなモイラの呼びかけを聞き流し、ヘドリックに挑むような視線を向ける。


「あなたと戦う」


 ディアボリカが言い切ると、ヘドリックはわずかに唇を上げた。彼が表情を変えたのを見るのは、これが初めてだ。


「よく言った。ここには模擬試合を行う簡易闘技場がある。そこで剣を交えよう」


 ヘドリックは席を立った。椅子が悲鳴のような音を上げて軋む。


「明朝また、この鍛錬所を訪ねてくるといい。試合の準備は俺がしておく」


 そう言い残して、彼は応接室を出て行った。

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