第3話 勇者覚醒

 饒舌に滑っていた唇が止まる。

 横入りしてきた声は天蓋の外から聞こえていた。

 ……誰?

 垂れ幕の中に上半身を入れているミサは様子を見ることが出来ない。

 ただ現れた人物の声に、ミサの両脇にいる兵士が踵を返して姿勢を正していた。


「邪魔だ」


 短い命令に、兵士は過剰に反応する。背中が軽くなった直後に、ミサは両手を掴まれて無理やり立たされていた。

 幽霊がいた。アンデッド族のゴーストではなく、死んだ時に化けて出るという、長身の怨霊だ。

 そう見間違えるほどに白い、白磁器のような肌が目の前を過ぎる。足元まで伸びる頭髪は白髪混じりの濃紺で、単調な黒のローブがはためいていた。

 その人は先程まで男性が寝ていた寝台に腰掛けると、小脇に抱えていた書類の束をテーブルに投げ捨てる。そして小さくため息をつくと、色素の薄い金色の瞳でテント入口を見る。

 頭頂部から伸びる羊の角が耳のところで渦巻いている。彼はミサをしばらく眺めてから口を開いた。


「……女娼か?」


「いや賊だってさ」


「そうか、斬れ」


「――待ってください!」


 あまりに早すぎる判断に、ミサは咄嗟に言葉を作る。

 背後で兵士が剣を構える音がする。何時でも振り下ろせる体勢を取っているはずだ。それは少しだけ待って欲しい。


「私は賊ではありません。減税をお願いに――」


「領主に言え」


 にべもなく断られる。

 行政としては模範的な回答だった。


「お願いします! どうか、温情を!」


 必死の懇願にも、反応は無い。

 羊角の男性は些事には構わず書類に目を落としていた。

 ……どうしよう。

 いくら身を捩っても、鍛え上げた兵士に腕を抱えられてはどうすることも出来ない。断頭台にあがる時は足元まで来ていた。

 その時、予想外のところから助け舟が出された。


「まあまあ。こんなに女の子が頼み込んでいるんだから、魔王様の度量の広さを見せて上げてもいいんじゃない?」


 短角の男性が笑いながら言う。

 こちらの心配など、髪の毛の太さほどもしていない目は細く弓を描いている。

 どう転んでも気にしない。一波乱起こしたいだけの行動は悪辣だ。それよりもミサには気になることがあった。


「魔王……様?」


 後から入ってきた方に向かって告げられた言葉を、ミサが繰り返す。

 では最初からいた彼は誰なのか。要人であることは間違いないが、ただの村娘にそれ以上のことは分からなかった。

 魔王と呼ばれた男性は、酷く顔を歪めた後、正体不明の男を睨む。それを飄々と受け流す様を見て、言葉をなげつけていた。


「……何が見えた?」


「まだ見てないよ。見ない方が楽しそうだからね」


 符丁のような会話を続ける二人をよそに、ミサは力なく頭を下げていた。

 元から道理に外れた行為をしているのだ。免税の是非はともかく伝えるという役目は無事に完遂できた。確約まで取り付けられなかったことに悔いはあるが、もとよりそこは期待されていないだろうと考えていた。

 要は、冬の間の食い扶持が一人でも減れば村としては御の字なのだ。

 これ以上は晩節を汚すだけ。そう考えてミサは沙汰を受け入れる覚悟を持っていた。


「……娘」


 声がかかる。

 ミサははい、と返事をしながら重い頭を持ちあげる。

 金色の双眸が初めてミサの顔を見つめていた。甘くとろけそうな蜜飴の瞳が胡乱げだと語っていた。


「――なぜ、お前なのだ? 村ではそれなりに立場のある人間なのか?」


 その質問に、ミサは言い淀む。

 真実は否だ。ただ正直に告げた場合、無礼だとして村に被害が及ぶ可能性もあった。

 ……でも。

 調べればすぐにわかること。嘘が嘘とばれた時のほうが悪いと考えて口を開く。


「私は子を成すことの出来ない身体です。血の未来がないのなら、村を生かすことで未来を繋ぐ機会を得てなんの躊躇いがありましょうか」


「未来、か……」


 それは虫の音よりも小さな声だった。

 独白のように頼りない、おおよそ王には似つかわしくない細さに、皆が止まる。

 見上げるほど大きな身体が今では背の曲がった老人のように見えて、しかしそれは一瞬で終わりを告げた。

 魔王から可視できない陰気な影が吹き荒れていた。

 身じろぎひとつしていないのに、不安感が掻き立てられる。それはミサだけではなく横に立つ兵士にも伝播し、腕を掴む手に力が入っていた。


「未来が永遠にあるなどと、本気で思っているのか?」


 怒りにしては冷静というのか、冷めているというのか。身も凍るほどの威圧感に震えが止まらない。

 ……でも。

 ミサに引く気はなかった。試されていると思ったからではなく、一人の人間として爪痕を残したい気持ちがあった。


「――思っています。私という礎は血が絶えても意志として残ります。例え村が無くなろうとも、私の存在が風化しようとも。人は未来に託すことが出来るのです」


 疑いのない目でミサは魔王を見る。彼は裏の読めない無表情だったが、

 ……怯えてる?

 まさかとミサは否定する。しかし威圧感はずいぶんと薄れてしまっていることが不可解だった。

 魔王とは絶対的な存在だ。力もそうだが長寿ゆえの完璧な精神性が国家運営の柱にもなっていた。

 それが女一人の言葉で揺らぐはずがないのだ。

 魔王はかみ砕くように目を閉じる。その口の端に若干の笑みが浮かんでいた。


「自由な未来など、あると思っているのか?」


「未来は切り開くものです。たとえわたしでできなくとも続く者がいる限り必ず望む未来は作れます」


 直後、ミサの首筋に冷気が走る。

 銀に煌めく剣が今にも首をはねようと牙をむいていた。よく磨かれた刀身に映るミサの目が鏡のように見つめ返していた。

 いつの間にかに立ち上がっていた魔王が、見下していた。


「今ここで殺されても同じことが言えるか?」


「はい」


 ミサは即答する。


「……泡沫の夢だな。根拠のないただの楽観だ」


 厳しい評論だった。その分童心に帰ったような微笑が異質に映る。

 魔王は手帳に向かっていた。使い慣れているだろう、高価なペンを走らせると指先が仄かに発光する。その指を紙面に押し当てると、一ページ乱雑に引き破る。

 指さす。ミサ、ではなくその後ろ。


「この書をここの領主に」


 その言葉に剣を構えていた兵士が飛び出していた。

 宝石を受け取るかのように、恭しく手を差し出す。置かれた紙を頭より高く掲げながら、聞かずにはいられなかった。


「はっ……こ、これは?」


「この度の戦争の補填だ。国庫から出す故、被害のあった町村には手心を加えよとな」


 ……まさか。

 夢のようだ。ミサは息を飲む。

 何が彼の琴線に触れたのかわからない。しかし言葉だけでなく正式な書類まで作成して確約されていた。

 ……よかった。

 これで村は冬を越せる。見知った友が、その家族が飢える苦しみから解放されるのだ。


「あ、ありがとうございます!」


 昂った感情が口から飛び出す。


『……を殺せ』


「――えっ?」


 ミサは惚けた声を出す。

 ハープを弾いたような、それでいてどす黒い感情をまとった声。頭の後ろから突き動かすように飛ぶ罵声が命令のように身体を縛っていた。


『……を殺せ。魔族を殺せ。魔王を殺せ』


「――っ、これは!?」


 異変に気付いたのはミサだけではなかった。彼女を中心にまばゆい光が渦を巻いて吹き上がる。天蓋ごと吹き飛ばすほどの暴風に、両脇で腕を抱えていた兵士がたまらず距離を取っていた。

 小さな粒の光源が目の前で踊る。その隙間からミサは青い透明な壁を張る魔王の姿を捉えていた。

 ローブが大きくはためき、剣を構えている。


『……殺せ。魔王を殺せ』


 幻聴は無視できないほどに大きくなっていた。同時に心の中で沸き上がる感情が身体を支配しようと目論む。

 怒り。真っ赤な怒りが手を突き動かす。魔王に向かって伸びた手は当然届かず、しかし別の物を掴んでいた。

 柄。確かな握りが指を押し返す。羽のように軽く、力を込めれば込めるほどどこからか力が流れ込んでくる。


「おいおい、勇者だったとはね」


「知らなかったのか?」


「知ってたら先に殺してるって」


 雑音が耳を叩く。


『殺せ。殺せ。殺せ』


 足元から空に向かっていた光子が集まり、刀身を形作る。雪よりも純白な、透き通る薄い両刃。存在がはっきりしてくるのにあわせて突き動かすような衝動が激しくなる。


『……殺せ』


「い、や……です」


 ミサは指を一本ずつ剝ぎ取るように離していく。

 ……殺すなんて、できないわ。

 ついには支えるものが無くなった剣は地面に落ちる。からんと乾いた金属音を立てて、暴風が嘘のように静まっていた。

 ……なんだったの?

 ミサはその場に膝から崩れ落ちる。額には大粒の汗が浮かんでいた。


『……なぜ、なぜ殺さない。魔族だぞ、勇者ならばその時のちか――』


「うるさいっ!」


 ミサはいらだちをそのまま剣にぶつけるように足を踏み出す。

 見た目の気持ち悪い虫を殺すように。ただそれだけのことなのに金属でできているだろう剣は刀身が粉々に砕け散った。

 ……あっ。


「あっ」


「はっ?」


 その姿を目に収めていた、ミサを含めた三人が三様の反応を返す。


「……えーっと、それ聖剣だよね」


 短角の男性が指さしていう。


「だろう、な……だよな?」


「え、あ、いえ……よく、わからないです」


 ミサは曖昧に頷く。

 何が起こっているのか。足元から立ち上る淡い光は宙に溶けて、残滓は柄だけが地面に残っていた。


「……どうすんの、魔王様」


「知らんと言えたらどれだけ楽か……持って帰るしかないだろう」

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