ミサ ─反逆の勇者と永遠の魔王─

第1話 始まりの戦火

 秋晴れは天高く、時折冬の香りを交えて柔風が吹く。

 昨日までは小麦の穂が風の精と共に踊っていた。収穫の時が近い、今年は穂が重く頭を垂れていると村の中で期待の声が上がっていた。

 のどかな村であった。粉挽き用の風車が回り、それを中心に藁葺の民家が並ぶ。男女関係なく耕作に従事し、先日ようやく歩けるようになった子供がその風景を横目に草をむしっては風に飛ばす。

 今年も、その次の年も。連綿と受け継がれてきた時は永遠に続くと思われていた。


 その村が今は戦火に焼かれていた。

 金の絨毯は火精があざ笑いながら踊り、質素な家屋は怒りの炎で空を焦がす。

 村の中には男たちの死体が点在している。鋭利な刃物で胴を切られた者、空を切る弓矢で原型がわからぬほど射貫かれた者など。

 襲撃はまだ空に陽が高くあるうちに行われていた。最初に気が付いたのは誰だったか、野犬の威嚇のような地鳴りが聞こえた方向にある丘の先に、土煙が立ち昇っていた。

 異変を伝える前に火矢が飛ぶ。火炎の呼子は黒い煙をあげ上空へと舞い上がると、落雷のように畑を穿つ。一本ではなく二本、三本と数えるのも億劫になるほどの矢はまさに死の雨であった。

 燃えて、燃えて。収穫間際の小麦はよく燃えた。畑から風下にあった村の中枢へ火の手が及ぶのは時間の問題だった。


 消化は間に合わないと判断した村人は剣を手にする。火勢ばかりに気を向けている状況ではなかった。

 渦巻く紅蓮の壁が迫る。肌を焼き、汗を乾かす。光で目が燃えるなか、それは炎を割って現れた。

 騎馬だ。薄い鉄板を貼り連ねた鎧を着た、膨れ上がった筋肉が怪しく光る馬は駆ける。

 突如として現れた外敵に、村人では為す術なく。ある者は跳ね飛ばされ、馬上から槍で貫かれ、剣で切られと数を減らしていく。


 壊滅は時間の問題だった。速度の乗った騎馬隊の前に弱々しい肉の垣根など障害にもならない。雑多に数だけはいた男たちは、今では両手で数える程しか剣を構えられずにいた。

 その姿を後方で見つめている者がいた。焼ける村から離れたところにある、騎馬隊が来た方向とは逆の丘の上で静かに血涙を流すのは女子供、そして老人達。

 父が、夫が、息子が。無惨にも凶刃に倒れていく。しかし己の無力を呪う時間は無い。薄い防波堤を超えてしまえば陵辱の手は自分達に降りかかるからだ。

 行く宛てがなくとも逃げなければ。重い足取りを命の危機が突き動かす。一人、また一人と惨劇から目を背け、振り切り歩いていく。

 その時、血臭混じりの熱風が足元を駆け抜ける。


「魔王軍だっ!」


 何処から響く声なのか。周囲を見渡す視線が次第に上空へと集まっていく。

 家屋を焼く炎の上にそれはいた。たったひとつ、一等輝く星のように揺らぐことなく立つ者が。

 感じるのは胸を締め付けるような波動だ。脈打つ波が空気を押し、それを中心に風が走る。


「――ヘイル」


 気づいたのは丘の上の民だけでは無い。戦場を支配する侵略者も手を止めて白煙で満たされた空を見つめていた。

 射る、射る、射る。

 剛弓から放たれた矢が白煙に穴をあけそれに迫る。逆上がる矢の滝が人影を塗りつぶしていた。

 が、届かない。いや届いてはいた。その全てが貫く前にそれの頭上に吸収されていた。

 矢だけでは無い。燃え盛る作物、家屋、はたまた地に転がる錆びた武具までも。紅蓮の渦が塔を作り頂を目指す。


 そして、天にふたつの恒星が浮かんでいた。

 天蓋のように空を覆う火球は熱射と光雷を撒き散らしながら圧縮されていく。鮮やかな紅が蒼く、碧く、ついには犯しがたい白点へと移っていた。


「――全軍、突撃」


 戦場の轟音を裂いて鈴のように澄んだ声が鳴り響く。同時に地面がめくり上がる程の地鳴りが耳を打つ。

 現れたのは異形の軍勢。人のように二足歩行するものから、液状化を薄い皮膜で覆うもの。皮張りの羽を羽ばたかせ空を飛ぶもの、見上げるほど大きな、岩の装甲を着込んだ、馬とは似つかない四足歩行のサイのようなもの。

 それが村を挟撃する。小高い山から降りてくる群れは瞬く間に雪崩となって全てを飲み込んでいた。

 かくして戦は終わりを告げる。傷ついた大地を残して。



 魔王領ユナイトオブタクト。その領内にあるザイスィン村は戦後の処理に追われていた。

 村の半分が焼け、畑は三割が焼失。残った畑も踏み荒らされて、収穫量は当初の予定の四割でも回収出来ればいい程にまで落ち込んでいた。

 それよりも深刻なことが男手だった。死者多数、残りは怪我人。ただでさえ冬に向けて収穫を急ぐ必要があるのに、人手不足が懸念される。

 生殺しだ。口に出さずともそんな言葉が脳裏によぎる。ここから更に税を納めれば木の根を食む生活をしても餓死者は免れない。そんな焦りが朝靄のように村を覆っていた。


 村の外れに妙齢の女性がいた。

 ミサだ。腰にかかるほどの金糸の髪を持ち、土色の大きな瞳に麻編みの村衣装に身を包んでいる。

 彼女は井戸から水を汲み、その桶を持って一際大きな建物へと向かっていた。

 病倉である。戦争で傷ついた戦士たちが寝ているそこは元々集会所だった。幾らか焼け果てているが柱と屋根は残っていたため、そこに藁を敷いて簡易的な寝台としていた。

 ミサは桶を片手に抱え直し、無理やり矢を引き抜いた穴だらけの戸を開く。

 直後、鼻をもぎたくなるほどの悪臭が顔を覆い、しかしミサは眉ひとつ動かさず建物に入る。

 血や膿、そして糞尿。換気のために一部の壁を打ち壊したとしても黒く澱んだ空気は簡単には晴れない。ただ悪臭の中に腐敗臭が混ざっていない事だけが救いでもあった。


 苦痛にもがく呻き声は鳴り止まない。

 甲斐甲斐しく世話をする女衆が、肘まで真っ赤に染めていた。薬も満足にない状況だ、声を上げなくなればいよいよ危ない。


「替えの水をお持ちしました」


 ミサが一人の女の前に水桶を置く。

 彼女とは幼馴染と言ってもいい関係だった。今は肩から腹まで大きく切られた男、夫の傷口を洗い流し止血している。

 夫のこともよく知っている。彼も幼馴染だった。三人でよく山に入っては木の実を取って腹を満たし、くだらない話で日が暮れるまで笑いあった仲だった。

 ……あれは、助からない。

 すっかり肥えてしまった目が容体を伝えてくる。こと切れるその時まで彼女はそこから離れることはないことも。

 窪み、血走った目がミサを一瞥する。邪魔だとでも言いたいのか、ありがとうと感謝しているのか。少なくとも一睡もしていない事だけが明確に伝わっていた。


 血と肉片の入った使用済みの桶を持って、ミサはこぶしひとつ分だけ頭を下げる。やることはまだまだある、一所にとどまることは良しとされない。

 背後に怨嗟の声を置いて、病倉を後にする。井戸へはもう何度目の往復かもわからない。わかることは指の節が痺れるような痛みを訴えていることだけ。

 空は戦争から二度目の夕暮れを迎えていた。茜色に染まる雲があの日を呼び起こす。

 ……生きて何になるというの。

 ミサは自問する。しかしすぐに邪念を振り払うように頭を振っていた。

 井戸まで来て、また水を汲む。血塗られた桶は何度洗い流しても黒く濁り、その度に腰を伸ばして遠くへと汚水を投げ捨てなければいけなかった。


「ミサ」


 ようやく綺麗になった桶を持ち上げた時、背後から声が突き刺さる。

 しがれた男性の声。ミサが振り返れば、後ろに二人の男を引き連れた尊老の姿があった。

 この村の代表、村長だ。齢六十になる彼は杖をつきながらも人に支えられることなく立っていた。

 ミサは視線を地面に向けて会釈する。そして桶を抱えるが、その中に影が落ちていた。


「ミサ」


 もう一度名を呼ばれる。

 見上げると、随行していた男の片方が目の前にいた。彼はミサの持っていた桶を力強く握ると、優しく奪い取って病倉へと向かっていた。

 村長との間に風が吹く。ミサは着衣をはためかせて、風の行方に視線を流していた。

 ……なにかしら。

 用がある。そのために声をかけた。ミサは内心でよくない事だろうと推測していた。

 そしてそれは真になる。


「今年の収穫では年を越せない。冬は狩りにも行けない。男手が減ったからな」


 ……あぁ、そうなのね。

 村長ははぐらかすように村の状況だけを淡々と語っていた。

 察せよ、自発的に。命令ではなく、村のことを思って。

 要は、直訴しろと、そう言いたいのだ。

 救援に来た魔王軍、いや魔王本人が村に駐屯していた。そこへ助けてもらった恩を捨て、恥じらいもなく頭を下げ今年の税の減免を願い出よと。

 魔王への直訴は死罪だ。それを諭したものがいるならば当然同罪である。

 ……だから個人で済ますのね。


「……わかりました」


 ミサは頭を垂れる。拒否すれば村にはいられない。女一人、住む場所もなく生きていけるほどやさしい世界ではない。

 つまりは、結果は同じである。

 それならば、命を有効に使う。友が、知人が、血縁が。それで心安らかになれるなら、悪い話ではない。

 だって……。

 ミサが頭を上げると、喜色と、爪の垢ほどの申し訳なさを表情ににじませた村長が踵を返して歩いていく。

 処刑台への道は乾いた秋色の匂いがした。

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