第4話 舵浦、そして宇津見征仁

「今のは、可哀想なんじゃないのかなぁ。ヒナタちゃんは、修治のことが好きじゃないから断ったの? だったら、俺と付き合う?」

 この人は、この状況で何をふざけたことを言っているんだろうと、ヒナタは思った。舵浦が、壁を背に座るヒナタの前にしゃがみ込んできて、ヒナタの後ろの壁に手をついた。


「舵浦さんって、悪い人でしょう? どうして、ヒーローなんてやっているんですか?」

「そりゃあ、モテるためだよ。それ以外に、理由なんて無いだろ。」


 舵浦が、ヒナタの顎に手を持ってくる。そのカッコつけな行為がどうにも不愉快で、ヒナタは舵浦を突き飛ばした。

「やめてください! 気持ち悪いッ。」

「酷いじゃないか。こう見えても、俺はモテる方なんだぜ。君だって、どうせ俺のことを好きになる。」


 舵浦は、後ろに尻もちをつきながら、ヒナタに鋭い視線を向けた。そして、体を起こすと、ヒナタを脅すように壁に両手をついた。


「俺のことが嫌いか? 男が怖いか?」


 舵浦がそう言って、詰め寄ってくる。中身が外里誠司のヒナタは、舵浦のことを怖いとは思わなかったが、頭に妙な不快感を覚えて、額に手を当てつつ目を瞑った。


「お前は、俺を好きになる。好きなんだ。俺に従え。」


 舵浦の言葉を聞いて、ヒナタは舵浦が何か能力を使っていると思った。この頭を圧迫するような妙な不快感は、きっとそのせいだ。ヒナタは、ゆっくりと目を開いた。そして、舵浦の額をグーで殴りつけた。


 舵浦が仰け反り、床にひっくり返った。途端に、頭に感じていた不快感が消えた。やはり、舵浦が能力を使っていたのだ。舵浦が、驚いた顔をしながらもヒナタを睨みつけてくる。立ち上がったヒナタも、舵浦を睨みつけた。


「今、私に何をしようとしましたか? そうやって、他の女の人たちに言うことを聞かせているんですか? あなたがモテているなんて、冗談ですよねッ。」


 ヒナタはそう言って、倒れている舵浦の足を踏みつけた。舵浦は、その足を引いて、ヒナタから距離を取るために、後ろを向いて立ち上がろうとしていた。――ヒナタは、その隙を見逃さなかった。心に湧き上がる怒りとともに、足に渾身の力を込めて、舵浦のケツに思い切り、蹴りをぶちかました。


「この、軟弱者がぁッ!」


 自分でも信じられないくらいに、いい感じで蹴りが入った。ヒナタは、体に漲るものを感じていた。


「アアッ!!」


 舵浦が、短い叫び声を上げて、自身のケツを押さえながら床に転がった。舵浦の目が、ヒナタの方を向いた。なんかムカついて、ヒナタはそのまま体に漲るものを手にのせて、ついでに舵浦の顔にビンタを食らわせに行った。


 パチンッと、良い音が響いた。舵浦が唖然としながら、こっちを見ている。ヒナタは、舵浦を見下ろすように、床に膝を突いたまま言った。


「この、クズが。お前みたいな、ヤル事しか考えてないクソ犬は、去勢しろ。」


 ヒナタは、舵浦と目が合っていた。舵浦の弱った心が、その目の奥に見えた。瞬間、舵浦の顔のイメージが近付いてきて頭に飛び込んだような、そんな感覚がした。目の集中力が高まったような……感じだ。見ると、舵浦は両手で自身の顔を覆って、何やら唸っている。


 これ以上、舵浦に構っていても仕方がないので、ヒナタは帰ろうと思った。ムカつきが治まらなかったので、邪魔な舵浦の足を軽く蹴ってから、ヒナタは部屋を出た。その後、とりあえずトイレの方に向かった。


「修治、まだ?」

 ヒナタが、大きい声で言うと、修治がトイレから出てきた。あからさまに、修治は落ち込んだ表情をしている。それを見て、ヒナタは言った。


「なに、落ち込んでるの。嫌いだとは言ってないでしょう。いま言われても困るって言っただけ。」

「えっ?」

「え、じゃないよ。帰るよ。なんか、疲れたから。」


 ヒナタが手を出すと、修治はその手を掴んだ。どうして、この修治は舵浦みたいなクズ男に憧れてしまうのだろうと、ヒナタは心の中で思った。そして、手を繋いで歩いてあげたら、それだけで機嫌が直るのだから、男は簡単な生き物だとも思った。


「一つ言っておくけど、私には記憶がないから、私にとって修治は幼馴染みではないからね。」

「そっか。そういうことになるのか……。出会って、まだ一ヶ月やそこらの関係ってことか。家族のことだって、覚えてないんだもんな。それは、大変か……。気付かなくて、ごめん。」

「わかってくれれば、いいけど。」


 駅へと向かい、ヒナタと修治は電車に乗って、家に帰った。夕飯時に、母親のサチからヒナタは聞かれた。


「研究所の勉強は、どう? やっていけそう?」

「今のところ、大丈夫。」

「そう、それならいいけど。記憶の方は、どう? 研究所で、催眠療法を受けているのよね?」


 当然ではあるが、家族は内園ヒナタの記憶が戻るのかが、気に掛かっている様子だった。医療業研究所に入って、これまでにヒナタが研究所の診察を受けたのは三回である。明後日、四回目の診察を受けることになっている。


「先週までは、記憶を呼び覚ませるかどうか試してきましたが、今日は前回の診察で話したように、彼の伏在能力を使って記憶を読み取れるかどうか、試してみたいと思います。記憶が読み取れれば、記憶が戻る可能性があるということになりますし、これをキッカケにして記憶が戻ることもあるかもしれません。」


 ヒナタの診察を担当している作間芳夫さくまよしおが、彼と言っているのは研究所の若い教諭の一人で、物の奥深くに潜むものを読み取る伏在能力を持った、宇津見征仁うつみせいじという名前の人物である。サイコメトリーみたいではあるが、話を聞いていると……残留思念を読み取るのとは、違うようである。


 いつもの背もたれの大きな椅子に、ヒナタは座らされている。その後ろに立った宇津見征仁が、ヒナタの両耳を被うように、頭に手を置いてくる。特に何も指示をされなかったため、ヒナタは目を開いたままでいた。作間芳夫は、椅子に座ってその様子を見ている。


 何かを考えさせて記憶を読み取るために、こういう状況ではいくつか質問をされそうなものだが、一つの質問もされることは無かった。ただ静かに時間は過ぎ、不意に音がしたかと思うと、宇津見征仁がヒナタの後ろで倒れていた。黙って見ていた作間芳夫が、慌てて駆け寄る。


「宇津見くん、どうした? 大丈夫か?」


 予想外のことが起こったため、その日の診察は中断された。その後、宇津見征仁は丸一日以上、目が覚めなかったらしい。何かの病気かと心配され、病院で検査をしたが、異常は見当たらなかったという。


 翌週、ヒナタが作間芳夫のところに診察を受けに行くと、宇津見征仁もいて、先週と同じことをもう一度試してみると言う。しかし、ヒナタの頭に手を置くと、宇津見征仁は数秒ですぐに手を離した。


「すみません。出来ません。」

「出来ない? どういうことだ? やはり宇津見くん、どこか具合でも悪いのか?」

「いえ、そうじゃないんですけど……。」


 ここに来ていながら、宇津見は出来ないと言う。作間が、宇津見の体調を心配するが、宇津見本人はそれを否定した。


「すみません。能力が、上手く使えなくて……。無理なんです。」


 宇津見は、ヒナタに視線をやりながら、横を通り過ぎて行く。宇津見の目は、ヒナタに何か原因があると、言いたげに見えた。だから、ヒナタの中身が今は外里誠司で――本当の内園ヒナタは死んでしまっている可能性があるから、宇津見の伏在能力が上手くが使えないのかなと、外里誠司は想像した。


「能力が上手く使えない? 内園さんの伏在能力と相性が悪いとか、そういうことかな?」

「そうかもしれません……。協力できなくて、すみません。」

「いや、そういうことなら仕方ないね。」


 作間芳夫が、一つの見解を口にする。宇津見征仁は、ヒナタから離れたドアの近くに立っていて、早く部屋を出て行きたそうだった。伏在能力の相性……確かにそれはありそうだと、ヒナタも思った。

 だけど、相性によって上手く能力が機能しないということはあるにしても、昨日の宇津見征仁が急に倒れて、しばらく目を覚まさなかったのは、何だったのかという疑問は残る。宇津見征仁が、そこまでの無理をしたということだろうか……。そういう真面目そうな人物には見えた。


 この日は、どうしようかということで、また催眠療法を試してみることになった。しかし、外里誠司が内園ヒナタの記憶を、思い出すことは無かった。


「うーん、上手くいきませんね。その人の過去を見る能力を持つ人もいますが、過去の状況を何となく知ることはできても、それと内園さんが自分のことを思い出すこととは、別ですからね。それじゃあ、意味が無いでしょうし。そのうちに、急に思い出すこともあるかもしれないので、長い目で見るしかないですね。」


「はい。ありがとうございました。」

 作間芳夫は、内園ヒナタに向かって、そう言った。ヒナタは、作間芳夫と宇津見征仁に頭を下げて、部屋を出た。研究棟から出ると、いつもの場所で修治が待っていた。

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