第2話 記憶喪失

 とにかく、この世界の人々がどのような生活を送っているのかを含め、情報が必要なことは間違いない。そこで、外里誠司は考えた。白石と舵浦の話が一段落して、外里誠司を白石が振り返った。

「ヒナタ、俺は少しここで鍛錬して行こうと思うけど、一緒にやる?」


 外里誠司は、白石から言われて迷った。鍛錬というのが、能力の使い方の練習をするということであれば、それも情報として知りたい部分ではある。しかし、空手のような武術や体を鍛えるだけだとすると、それが終わるまでタイミングを待たなければいけなくなる。そんなには待てない、そう思った外里誠司は――このタイミングで言うことにした。


「ここはどこ? 私は誰?」


 外里誠司が言うと、白石がきょとんとした顔をする。舵浦も、首を傾げた。その反応を見て、今のはちょっと言葉の選択を誤ったかなと、外里誠司も自分で思った。なので、普通に説明することにした。


「すみません。言いそびれていましたが、私は記憶が無くなっているみたいで、ここがどこなのかも、あなたたちが誰なのかも、分からないんです。白石さんは、私のことをご存じなんですよね?」


「え、どういうこと? 記憶喪失ってこと? さっき、頭を打ったから?」

「そう、かもしれません。」

 白石が、一気に不安そうな表情になる。外里誠司は、頭を打ったという状況についても把握していなかったが、頭に怪我をしていたことは確かで、話を合わせた。


「まず、私の名前はヒナタ……で、いいんですよね?」

内園うちぞのヒナタだけど……。」


「ヒナタって、苗字じゃなかったんですね。」

「本当に、記憶喪失?」


 白石は、半信半疑なようだ。舵浦も、奇妙なものでも見るような目をしている。とりあえず、外里誠司は……これからは内園ヒナタとして行動しないといけないんだなと、そのことを覚悟した。そして、外里誠司は内園ヒナタとして、白石に頷いた。


「記憶喪失って……どうすればいいか分からないんだけど、とりあえず病院に行ったほうがいいのか?」


 白石は、どこかに電話を掛け始めた。どうやら、内園ヒナタの母親と話している様子だった。母親は、状況が分からずにいるものの、病院で落ち合うという結論になり、白石と一緒に内園ヒナタは病院に向かうことになった。

「舵浦さん、そういう事なんで、今日のところは失礼します。」

「おう、気をつけてな。」

 内園ヒナタも、軽く礼をして部屋を出た。駅で電車に乗り、病院に着くと、程なくしてヒナタの母親と思われる人物が、遅れてやって来た。


「電話で話は聞いたけど、外傷は無いのよね?」

「瓦礫が飛んできて頭は打ったんですけど、今は怪我は治っています。」

「そのショックで……ということ、かしら。」


 原因は、ほぼ特定されたも同然だったが、念のために医師に診察してもらうことになった。医師からは、もう少し詳細な状況の説明を求める質問があった。その質問には、白石が答える。

「その頭を打った時に、気を失いませんでしたか?」

「一度、地面に倒れました。それで、心配したんですけど、少ししたら起き上がって、その時はまだ怪我は治っていなくて――。立ち上がってから、ヒナタが自分で怪我を治しました。」

「つまり、内園さんは治癒能力があると。」

「はい、そうです。」


「もしかしたら、記憶に関わる部分に怪我が及んでいたのかもしれませんね。怪我自体は、ご自身の治癒能力で治すことが出来たけれど、失われた記憶までは戻せなかった。思いの外、深い傷だったのかもしれません。頭部のCT検査をしてみますか?」


 内園ヒナタの中の外里誠司は、その話を聞いて、内園ヒナタが一度死んだ可能性――を考えた。自身の治癒能力で途中まで回復はしたものの、治癒が間に合わず死んでしまった。そこに、どういう理由かは分からないが、外里誠司が入り込んだ。


 その事象を引き起こしたのも、内園ヒナタの能力だった可能性もある。とはいえ、事実は分からない。


 検査の結果は、すべて正常だった。記憶喪失の治療方法が無いわけではないが、まだ治療方法が確立されているとは言えず、内園ヒナタの場合は、状況から考えて――治療の効果は望めない可能性が高いと、医師からは言われた。日常生活を送っているうちに、記憶が戻ることはあるかもしれないと言う。だが、確かなことは言えない――という結果だった。


「すみません。俺が付いていながら、ヒナタをこんな目に遭わせてしまって……。」

「仕方ないわ。インサニティが現れたんでしょう。生きていて良かったわ。」

 白石と内園ヒナタの母親は、そんな言葉を交わしていた――。白石修治しゅうじと内園ヒナタは、家が近所で年齢も同じで、幼馴染みであった。現在は、高校の卒業式を終えたばかりの時期だった。


 この世界には、大学というものは存在していない。その代わりに、職業ごとにジャンル分けされた研究所があり、職業の更なる発展のために、その職業に関わる研究をしつつ、仕事に必要な知識や技術を学ぶ場所がある。もちろん、高校を卒業して、そのまま就職することも出来る。ただし、そこにヒーローになるための研究所というのは、存在していない。


 白石修治と内園ヒナタは、試験に合格して医療業研究所に入ることになっている。同じ研究所ではあるが、白石修治は医療機器系、内園ヒナタは治療系と分かれている。


 病院を出た後、母親のサチとヒナタは家に帰り、初めて鏡で自分の姿を見た。なかなかに、可愛らしい娘であった。胸も、ほどほどにある。しかしながら、中身は四十五歳の外里誠司である。外里誠司は、鏡に映る自分を見て妙な気分になったが、これからはこれが自分の体だと思うと、イタズラをする気持ちにはならなかった。


 内園ヒナタには、ウララという名前の二歳下の妹が一人いる。妹のウララは、美人で可憐だった。母親のサチと、父親の透と、家族四人で仲良く暮らしていたのであろう様子が、見て取れた。この家族の中に、偽者が紛れ込んでもいいものかという気持ちに、外里誠司はなった。とはいえ、今の自分は内園ヒナタなのだから、仕方がない。


「お姉ちゃん、記憶喪失って……私が妹ってことも覚えてないの?」

「ごめん、覚えてないんだ。」


 ウララは、姉であるヒナタにそう言うが、ショックを受けているという様子ではなかった。日常生活について分からないことがあれば、この妹に聞けば教えてもらえた。外里誠司がいた世界では無かった犯罪や事件が起こる――という社会の大きな違いはあるものの、人々の生活そのものに大きな違いは無いようで、その点の苦労は無かった。


 女として、生きなければならないこと以外は……。

 内園ヒナタの中身が外里誠司であることは、バレていなかった。外里誠司は、もともとの内園ヒナタの性格を全く知らないため、演技はしなかった。会社で仕事をしている時のように、淡々と目の前の出来事に対応した。記憶喪失ということになっているため、大人しくしていれば誰も疑わなかった。


 また、学校を卒業したばかりで、これから新しい生活が始まるタイミングであったことも、都合が良かった。記憶喪失だからといって、家に閉じ籠っていることはなく、医療業研究所に行く準備を、白石修治と共に進めた。幸い、内園ヒナタが行くのは医療業研究所の治療系である。そこでは、催眠療法などの研究も行っていた。

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