第1話 ギャンブル依存症の母と、娘。_3

母と競馬との出会い。


わたしが20歳の頃、毎週土日に新宿にあるWINSに行っていた。

金曜日の夜、土曜日の夜に母が予想した馬を、

土日に休みのわたしが新宿まで出かけて買う。


そうしたことがしばらく続いていた。

わたしはせっかくの休日を潰して馬券を買いにゆくことが面倒だった。

「当たりもしないのに」

そう思っていた。


競馬場、レース、馬番・枠番など

馬券を買うにしても、すべてを母のメモどおり買えていないときもあった。

偶然、それが高額馬券になってしまったとき、

母は怒り、落胆した。

しばらく根に持たれた。

おそらく、今でも覚えているだろう。


そうした「ミス」は何回かあった。


週末の度に遠出をしなければならない制約から解放されたい。

「ミス」で叱られたくない。

そのため、母自身に購入してもらうすべはないものかと考えていた。


そしてJRAで「電話投票」があることを知った。

専用の機器を使って購入することができた。

わたしはそれを母に進めたところ、

すこし高かったが、母はすぐ飛びついた。

「当てれば取り戻せるし」と母はいった。


当時は、電話機に有線ケーブルを繋いで、

メールの送受信をするような機器がいくつかの企業から出ていた。

「Zaurus」などはヒット商品で、多くのビジネスマンが使っていた。


JRAの電話搭乗機器は、その仕組みを利用していて、

受話器と馬券の入力画面を持つ端末で、家から馬券が買えた。


わたしは、毎週土日に新宿に出かける必要がなくなった。


また、しばらくしてJRAの「電話投票」がパソコンでもできるようになった。

シャープの「書院」というワープロと、

NECの「98シリーズ」パソコンがともに電気量販店の店頭に並んでいた頃だ。


わたしは当時から文章を書くのが好きだったので、

パソコンが文章を書く以外に、

ビッグローブやニフティにあるコミニティに参加できることに興味を持っていた。


パソコンを買ってもらう手助けをしてもらうために、

母にパソコンの方が、馬券を買いやすいことを伝えて、

NECの「98MULTi CanBe」を買ってもらった。

そのかわり、積極的に馬券の購入を手伝うことを約束した。


 *


母は、職場の同僚に競馬のことを教えてもらった。

教えてもらった、というよりは競馬が趣味の同僚がいたのだろう。

働くこと以外に特に趣味のなかった母は、

競馬をやることで、いいストレスの解消になったようだった。


まじめな母は、仕事終わりの夜、

よく電話口で姉や、友人に電話をしては、

仕事や、家庭のことについて相談をしては泣くことが多かったが、

競馬をはじめてから、こうした「泣き電話」をすることがなくなった。


わたしは母が泣いている姿を見るのがつらかったので、

競馬の存在が母を支えてくれることについて

およそ好意的に捉えていた。


ただし「ミス」をしたときに、怒られることを除いては、だ。





--

用語

ビジネスマン:1980~1990年代ごろの社会人の総称


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