第7話 ビギナーアットガール

「面倒を見ると言ったのを訂正したくなってきたわ」


 ウィンネスが呟く。


「あなた達だけじゃないの。いろんな場所で何か起こるたび、その都度私が呼び出されているのよ?」


 てんは申し訳無さそうな顔で聞き役に徹する。やたらと愚痴っぽい。いまもどこかで誰かの世話をしているところなのだろうか。


「で、どうなの?上手く出来た?」


「あ、うん! ありがとうウィンネスちゃん!スーツが消えたし、ちゃんと下に服着てたよ!」


 調光ガラスのようなもので中が見えないよう遮蔽されたシャワールームの中からおやつの声がする。


「スーツを脱いでも丸裸というわけではなかったようね。そこに関しては私も預かり知らないところだったから」


彼女もなんでも知っている、というわけではない。脱ぎ方はわかるが、脱いだらどうなるかまでは知らない。全裸になってもらっては困るのでおやつには中が見えない個室の中で先に試してもらっていたのだ。


「あなたも、今のでわかった?」


「うん。ありがとう、助かったよウィンネス」


「はぁ……もう少し可愛げがなければ無下に出来るんだけど」


 なんだかんだいいつつ、彼女はちゃんと宣誓者の面倒を見てくれている。今もこうして膀胱の緊急事態なんていう、彼女にとっては馬鹿らしいであろうことにも即座に対応してくれている。


「じゃあ確認よ。やってみせなさい」


「あ、うん」


 てん達が着用している特殊なスーツはこれ自体も宣誓者に与えられた能力の一つで、気密性や耐衝性に優れた超高性能宇宙服だ。オースバンドを通じて展開収納が可能。てんはウィンネスの説明通りに挑戦してみる。

 オースバンドのある左手を胸に当て、全身のスーツの分解と収納をイメージする。

するとスーツの表面上にいくつもの光るラインが現れて、結合が解かれてパーツごとに光になって消えていった。

 

 スーツが消えると、先程まで全身をくまなく覆っていた安定感が失われ、全く違う感覚が一気に押し寄せる。

 

 下から現れたのは、Vtuberとしての美那星 てんの衣装だ。全身は白基調。スカートとニーソ、袖だけ通して着崩されたボレロパーカーのようなトップスから覗くのは無防備に背中と肩まわりを露出した形状の服、首元にチョーカー。


「へっ?」


 胸に当てたままだった手をのけて、自分の姿を見下ろす。

生まれて初めて履くスカートの感覚だけでも十分に衝撃だったが、背中や二の腕が丸出しになっているのがその肌で感じられるのも非常に良くない。そう、これは単純に恥ずかしかった。


「あら、男の子にしては随分と可愛いらしい趣味をお持ちのようね」


 使徒様の意地悪な表情と言い草はただでさえ羞恥心に支配されかけていた少年の心を大きく煽った。


「————ッ!!」


 顔を真赤にしたてんはすぐさま胸に手を当て直してスーツを再度着用する。


「あら、恥ずかしがることないじゃない」


 ウィンネスは不満げに口にする。もっとよく見せろ、そう顔に書いてあるようだ。


「ほら、私の格好とさほど違いはないでしょう?」


 くるくると周り彼女はドレスを見せびらかす。確かに背中は見えているし、胸元も少し開いたデザインだ。総合するとてんのものより露出が激しいかもしれない。


「でも……人に見られるのは恥ずかしいよ」


「人に見せる活動をしていたのに? 不思議なことばかり言うのね」


 確かにそうだが、状況が違う。ただ配信をするのと、男である自分が実際に女の子の服を着てる姿を人に見られるのとではまるで訳が違う。そんな事態は想定外だ。


「とにかく、恥ずかしいの! ウィンネスにもそういう事だってあるでしょ?」


「私には羞恥心とかそういった類のものがないから、心当たりはないわね」


 羞恥心は無いそうだが、嗜虐心はありそうだ。


「おまたせ! てんちゃんも我慢してたのにごめんね!」


 おやつが個室の中から飛び出してくる。てんはその姿を見て目を丸くしてしまう。

クロスストラップの短いチューブトップにスパッツ、その上から少しオーバーサイズのジャージのトップスだけを羽織っている。てんからしてみれば下着と何が違うのかわからない服装だ。


「ちょ!おやつちゃん!!だからだめだって!」


「ん?なにが?」


「あら、羞恥心が無いのは私だけじゃ無かったようね」


「もう!」


 見ないようにして、入れ違うようにてんは個室に飛び込んだ。


「どしたの?」


 おやつが目をパチクリさせる。


「あの子が出てくるまでに、またスーツを着ておきなさい」


 ウィンネスはそう言うと、個室のドアに近づく


「どうかしら?上手にできそう?」


 それは心配からでた声ではない。完全に面白がっている。

実際、てんは中で硬直していた。スーツの脱ぎ方はマスターしたが、その下の衣装は別だ。自分で着たわけではないのでどこがどうなっているのか手探りで調べないといけない。

 

 可愛い衣装だと気に入っていたが、このときばかりはデザインをした彦斗を恨む。八つ当たりだが。


 そしてそれ以上の問題がある。今の自分は翔ではなくてん、女の子の体になっている。


(よくないことしてるみたいじゃん……!)


 自分の体とはいえ、下着に手をかけたり、脱がせる、用を足すという行為にかなりの心理的抵抗がある。


「返事がないわね。私には生理現象がないしあなた達の服の知識もないから助けになれない。かわりにこの子に見てもらいましょうか?」


「……へ? いや!ちょっとやめて!いいから!!」


 おやつを投入しようとしてくる。使徒様は暇つぶしに良くない遊びを覚えてしまったようだ。


「てんちゃん大丈夫?」


「だいじょぶ!そっとしておいて!」


 これ以上なにかされたらたまらない。てんは気合を入れてトイレに対峙した。





◆◆◆◆◆





「えー、私も見たかったな……ねぇ、だめ?」


「だめ」


 てんが出てからも談笑が続く。ウィンネスは立ち去ることなくそこに混ざっている。


「見せてあげなさいな。別に減るものではないでしょう?」


「いーやーだ」


 てんの衣装のことをウィンネスから聞いたおやつは、どうしても見たくてたまらない。


「私のは見たじゃん……あ、じゃあ今からもっかい見せるしてんちゃんも見せてよ」


 立ち上がって胸に手を当てるおやつをてんは慌てて静止する。


「だめだめ!さっきも言ったけど僕男だから!」


「そっか、でもすごく可愛いね!」


 全然気にしていない。そしてそのままぱっと光ると、先程の衣装に早着替え。


「あぁ……もう」


 てんは顔を背けるも、おやつはそちらにわざわざ回り込んでくる。


「私は気にしないよ?」


「僕がそういうの、どうしても気になっちゃうの」


 そう告げられて、おやつはハッとした表情でまたスーツを着用する。


「そっか、ごめんね。嫌なことしちゃった」


 しゅんとした顔を見て、てんは安堵よりも申し訳ない気持ちになってしまう。

自分でも何故ここまで女性の肌に慌ててしまうのかわからない。何か、こうなるきっかけがあった気がするが。


「ううん、こっちこそなんかごめん。心の準備できたら見せるから、そのうちね」


「ほんと!? 待ってるね!」


 譲歩すると一瞬で詰め寄ってくる。喜怒哀楽が激しい、コロコロと表情が変わる忙しい子だ。

そう思ったところでふと感じる。おやつは可愛らしい少女の姿だ。身長も今の自分より低い。この姿から勝手に心のなかで子供みたいな印象を受けているがそうではないのかもしれない。

 逆に自分の姿は女の子。中身は男ですよと説明しなければ周りは当然女の子だと思うだろう。

ただそういうことを異常事態とはいえおいそれと確認していいものなのか、少し悩んでしまう。

 Vの触れてはいけない領域だ。


「そういえばさ、てんちゃんそれ地声? 女の子にしか聞こえないよ! まだ声変わりしてないとか?」


 遠慮してたのが馬鹿らしくなるくらい向こうからぶっ込んでくる。まぁ気にしなくて良い、というならそれはそれでありがたいことではあるのだが。


「あはは…もう高1だから終わってると思う。これでも昔より少し低くなってるみたいだし」


「こういち…高校生!」


 おやつが大きな声で反応する。


「うん。おやつちゃんは?」


「……」


 にこにこしているだけで答えない。


「おやつちゃんは?」


「……」


 口笛を吹く仕草をしているができていない。


「言わないんだ?」


「……服見せてくれたとき言う!」


 今度は交換条件を出してきた。てんはなんだかおかしくなって吹き出すと、おやつも笑い出す。

不安が払拭されることはない。ただ、おやつやウィンネスと友人のように他愛のないやりとりをしたおかげか、いくらか緊張が抜けて思考が巡るようになってきた。

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