第2話 変わったものと変わらなかったもの

高校を卒業してから時が流れ――。


今、私は30歳を迎えようとしていた。


私の住まいは、築25年府内に建つマンションの3階の1室。


この住居は父が私の年齢が5歳になった時に35年ローンで購入した物。


理由は小学校へ上がる前に引っ越せば私に友達ができやすいとかだったと思う。


ただ、実際は転勤先と当時の私の年齢がたまたま重なっただけだった。


父はそれほでまでに仕事人間だった。


会社の為にといって、行きたくもない組合主催の飲み会にいき。


お酒も強くないのに取引先との飲み会があれば絶対に参加する。


そして、帰ってくるのはいつも私が寝た後。


たまに早く帰ってきても「勉強しているのか?」や「テストの結果は」という言葉だけ決まって掛けてきた。


絵に描いたような家庭より仕事を優先してきた人。


でも、大人になった今ならわかる。


父は父でがんばっていたんだと。


何十年も1つの会社で働き続けるなんて、私には想像できない。


たかだか10年ちょっとでも、心が擦り減る思いをしているのに……。


その上、家族の人生なんて背負うなんて……考えただけでしんどくなってしまう。


そんな父が購入したマンションも築25年ということもあり、壁にヒビ割れや変色が見られるようになっていた。


私達が居るこの部屋の中にも、同様に時の流れを感じる。


今、私と母が立っているキッチンや父が着いているリビングの長テーブルなど、25年前から変わらない物などは尚更だ。


それだけじゃない。


手の届く範囲や見える景色が全く違う。


5~6歳の頃はキッチンに並ぶ調味料に手も届かなかくて、母に手伝ってもらっていたのに、今や並び立つ母より背も高く、私が1人でキッチンに立つことも増えてきた。


「昔もこうやって私とお母さんでご飯をよく作ったよね」


「うふふっ、そうね。よく作ったわね」


「あの時はまだこんなのだったから、大変だったよ」


「ふふっ、キッチンと同じくらいだったものね。でも、今は全く問題ないわね」


私が昔を懐かしみながら、隣にいる母に話し掛けると、母はシワの増えた顔で微笑み返してきた。


それに立ち続けることがしんどいのか腰へ手を置いている。


母もすっかり角が取れて丸くなっていた。


幼い頃は、「人の役に立つような立派な人になるのよ」なんて口癖のように言っていたのに、今はそんな事一言も言わないし、懐かしむように楽しかった思い出ばかりを語る。


今思えば、仕事で忙しい父の為にも、1人で幼い私をしっかり育てないといけないという責任感からあんな態度をとっていたのかも知れない。


「私も大人になったからね」


「ふふっ、そうね。もう立派な大人ね」


私が大人と言うと母は、なぜだか嬉しそう顔をしていた。

微笑む理由はわからないが、昔のキリキリした母より、今のいつも微笑んでいる母の方が好きだ。


私が昔を振り返りながら、母と会話をしていると父が声を掛けてきた。


「ふふっ、なんだ? 30になって大人宣言か? もっと早くても良かったんじゃないか?」


父は、NutTRICKで配信されているバラエティの一挙放送を見ながら話している。


父も母と同様に丸くなっていた。


私が子供の頃ご飯の時間にテレビを見ているとよく怒鳴られていた。


だけど、今では自分が率先して配信番組をテレビに映しているし。


強面で黒黒しい髪に恰幅の良かった見かけではなくなり、穏やかで白髪の似合うほっそりとした男性となっていた。


「なんか懐かしくなってね」


「懐かしいか……そうか、そうだな」


私が懐かしいという言葉を発すると、父は何かを噛みしめるかのような表情を浮かべた。


昔は私が懐かしいなんて言おうものなら、「お前はまだ若いんだから、懐かしむことなんて1つもない」と一蹴していたくらいだ。


本当に時の流れを感じる。


改めて、父の姿を見た私は思った事を口にした。


「お父さんは、その……老けたね」


「フフッ、当たり前だろう? お前が30になるんだから」


その会話を聞いていた母が会話に参加してきた。


「そうよ~♪ あなたが大人になっていくにつれて、お父さんとお母さんはしわくちゃになっていくんだからね」


「そっか……それも、そうだね」


「ほらほら、そんなことよりも今日の主役はあなたでしょ? ケーキも用意しているんだから、早く早く席に着いて」


「あ、うん。ありがと!」


嬉しそうに微笑む母に急かされて私は父の待つテーブルに着いた。


「フフッ、やっと主賓のおでましか!」


「はーい、今日の主賓ですよ♪」


「ははっ! こらこら、自分で言うと価値が下がるぞー」


「えー、でも、お父さんが言ったんでしょ? 私が主賓だってー」


「いやいや、自分で言うのと人に言ってもらうとでは違うだろう」


「そんなもんかなー?」


「ふふっ、そんなもんだ」


昔と違い賑やかに話す私と父の前には、ずっと変わらない母お手性の料理。


祝い事には必ず揚げてくれたエビフライに、私の好きなサツマイモとかぼちゃのサラダ。


そして、値段の高い出前のお寿司、それに誕生日ケーキが並べられていた。


今日は私の人生の節目1つ。


でも、残念ながら父や母とは違い私の根っこの部分は何も変わることはなかった。


もう会社に勤めて12年になるが、上司や先輩・後輩や同僚。


昔、両親から向けられた軽蔑するような視線や圧の強い言葉をぶつけられると自分が悪くないのに、悪くないのを理解しているのに、頭を下げていた。


権力をかさに言い寄ってくる上司。


自分の鬱憤を晴らす為に怒鳴り散らす先輩。


声が小さい私を影で悪く言う後輩などに。


でも、私はなにかを変えるようなこともせず、ただただ自分に関わる人の顔色を伺いながら生きてきた。

そして、両親にも明かすことはなかった。


だから、私自身が悪い。


少しでも勇気を出せば変えれることばかりなのに、今まで通り何もしない。


なので、私は今もからっぽ。


ずっと、過ぎゆく時の中にひとりだけぽつんと取り残されたように……。


例えるなら。


そう自分以外の人達が赤、青、黄、緑、紫。


いや、もっと色んな色をその身に纏い、きらきらと星空のように煌めいていた。


でも、私だけがモノクロ。


そんな気持ちを抱えながらも、この歳まで育ててくれた両親にはとても感謝している。


だって、私が実家にこの歳まで居ようとも何ひとつ嫌な顔せず、いつも優しく迎え入れてくれるのだから。


「おかえり」と。


今日も私の誕生日を祝ってくれている。


そんな両親は共に病気もなく健在だ。

私はそれでもう十分だと思っていた。


例え毎日が辛くても、こうやって笑顔で接してくれるし、昔のように私が傷つくようなことは言わないのだから……。

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