終.家
◆
「――!」
自分の攻撃が通用するかと言えば、間違いなく通用している。
敵の数が減っているかといえば、間違いなく減っている。
ただ、数百万か数千万か、あるいは億か、兆かもしれない。
どれほどの数のあるのかはわからないが、独りではとても相手にしきれる数ではない。
たった独りの自分に対し、敵は常に十や二十で自分を囲んでいる、休むことは出来ない。
敵は常に自分より大きく、自分よりも硬いものもいれば、自分よりも速いものもいる、毒を持つもの、炎を吹くもの、光線銃を撃つもの、自分の持っていないものの全てを敵だけが持っている。
唯一持っていた雲は、戦いの最中で破壊されてしまった。
絶望――何度も何度も何度も頭の中にその言葉が過ぎるが、俵は無理矢理に追いやって、戦い続ける。やがて過酷化する戦闘は頭の中に浮かんだ絶望について考える暇すら俵に与えないようになった。
果たして自分は何日戦い続けているのだろうか、常に空は黒く、そして星は輝いている。だが太陽の明かりは俵を照らしてはくれない。消え失せた時間間隔で、最後に休んだのはいつなのかもわからないままに、俵は戦い続ける。
「――」
時折、自分の名前を呟こうとした。
その度に敵が襲いかかってきて、自分の名前を忘れてしまいそうになる。
「――」
言葉の出し方をわすれそうになる。
話し相手は誰もいない、軽口は無音の世界では通用しない。
何故、自分は戦っているのか。
何故、誰も助けてはくれないのか。
泣きそうになる度に思った、違う、俺が助けだ。
誰も助けてくれない、月という超巨大事故物件から何も知らない人を守るために戦いに来たんだ。
俺が殴れば、誰かが泣かなくて済む。
俺が蹴れば、誰かが笑えるようになる。
俺が投げれば、親にぶっ殺される可哀想なガキがこの世から減る。
月からは地球にいる人が――自分が戦う理由は見えない。
それでも、一秒でも二秒でも余裕があれば目を頭り――自分が会ってきた人のことを思った。その人達が救われているのなら、何度だって戦える。
骨折は怪我の内に入らない、身体が欠損して初めて、怪我に入る。
戦いの最中、常に身体のどこかは欠損していて、しかし、それはすぐに生えてくる。
俵の身体は強く、身体の傷はすぐに治る。
ただ、痛みと疲労、そして孤独だけは俵の精神に着々と沈着していった。
死者も生者も心だけは同じもので出来ている。
ただ死者は生者以上に大切なことを忘れやすいだけだ。
「――」
どれほど戦ったのだろうが、相変わらず時間の感覚がない。
やがて、俵の身体は痛みも疲労も感じなくなった。
そうだろう、本来の自分には無いはずのものだ。
それを人間の身体の感覚なんてものを引き摺っているからそういう余分なものまで身体の中に残ることになる。
そう思いながらも、俵の身体は全く動かなかった。
痛みも疲労も感じない。
俵の身体は無傷のままに横たわって、全く動かなくなっていた。
成程。
肉体はどれほどのものでも、精神は限界を迎えてしまった……そういうことなのだろう。俵は笑おうと思ったが、どうにも笑い方が思い出せなかった。
自身を囲む敵の数は四体、普段と比べればご褒美と言えるぐらいに少ないというのに、最早身体は全く動かなかった。
(まだ……なんだ……)
思考に応じるように身体が震えた。
ただ、それだけだった。
(戦わせてくれよ……こんなんじゃ誰も助けられてねぇ……)
いずれも十メートルは超えるであろう巨大な
そんな時に現れたのが、このタワーマンションロボである!
タワーマンションロボは地球より飛来し、自身を取り囲むロボを多少もたついたキックで蹴り飛ばしていく。
(は……?)
自分の目の前に現れたのはあの戦いの時と同じ人型変形事故物件、『入居者の終の棲家になるタワー』そのものだった。
タワーマンションロボはその超巨大質量で追撃を仕掛ける。
キックと同時に、敵は大爆発を起こし、月では聞こえないはずの音が俵の鼓膜を揺らした。
(何が……起こっている……?)
「俵さん……!」
(明子さん……!?)
タワーマンションロボの手が俵を掴み、最上階に収納した。
動けない俵の身体を、タワーマンションロボが身体を揺らして、コロコロと運んでいく。良く見ればタワーマンションの壁にはギメイの御札が貼られている。
俵の身体が止まったのは、明子の両親が住み、そして今は明子が所有している部屋だった。
扉が開く、タワーマンションロボが仰け反ると俵の身体は吸い込まれるように、その部屋に入り込んでいった。
タワーマンションとは思えない、小規模な部屋だった。
リビングルームには出しっぱなしの二人がけのこたつがあり、キッチンの方から流れてくる焼き立てのクッキーの誘うような甘い香りが鼻腔をくすぐる。
よく見れば、壁の一面に道場で見たものと同じデザインの御札が貼られている。
「……おかえりなさい、俵さん」
明子が横たわった俺を抱きかかえて、ベッドへと運んだ。
地球にいた時と同じ服装だ。
ベッドに寝かされると重力に従って、自分の体はマットレスに沈み込んだ。
月にいるとは思えない……この部屋には重力もある。
(明子さん……これは一体……)
「賭けでした」
明子の瞳が金色に光り、俵の思考に返事を送る。
どうやら自分のことも視ているらしい。
(賭け?)
どういう賭けをしたのかはわからないが、
ただ、一つだけわかることがある。
掛け金は命。明子は……自分が守りたかった人たちの中の一人は死んでしまったらしい。そうでなければ、宇宙服もなしに、この場所にいられるわけがない。
「このタワーマンションの自分の部屋で自殺して、このタワーマンションに取り憑く幽霊になったんです……それも、パパとママのように、かつての記憶をこの部屋に思い描いて……」
出来るのか、といえばそういうことが出来る人間はいる。
そもそも明子の両親がそうであったし、俵自身の母は自身のマンションに迷宮を描いて支配者になってみせた。
だから、出来るか――といえば、必ずしもそうではない。
ギメイの札を用いた以上、この部屋……いや、廊下の壁にも貼られていたから、おそらくはタワーマンション全体に取り憑く地縛霊にはなれただろうが、それ以上のこととなると何の保証もない。その賭けに何の意味があるのかはわからないが、その賭けに勝ち、しかもタワーマンションロボまで動かして、明子は月まで来たのだ。
「一応月に来れたのは、ギメイさんの雲を使ったからですけど……」
(そういえば二枚あったな……)
ギメイさんはあの部屋からでられないし、明子さんは宇宙服無しで月に来れないのだから特に意識もしていなかった。
(でも、なんで……)
「とりあえずはおかえりを言うために、ま、でも俵さんは多分来れないので私から行くことにしたんです。それにタワマンロボなら俵さんの助けになれるかな、って……」
嬉しいか、嬉しいに決まっている。
とうとう、あの日来なかった問答無用で助けてくれる誰かが来たのだ。
けれど……それ以上に悲しい。
俺のために、一人の女性を死なせてしまった。
明子は感情を視たのか、能天気な笑みを浮かべて見せた。
「まあ、間違ってるなって思ってても突き進んで来たんです!今更ですよ!」
(……ありがとう、明子さん。でも……タワマンロボの燃料は……)
タワマンロボの燃料は『入居者の終の棲家になるタワー』に取り憑いた魂だ。
明子しかこのマンションにいないのならば、その全てを明子が負担することになる。
「もしかしたら、すぐに消えるのかもしれませんし、あんがい保つのかもしれません……いずれにしても、俵さんがサクッと倒してくれれば大丈夫です」
「……ああ!」
「あっ、俵さん、声が……」
我ながら現金なものだ。あれだけ限界だったというのに、ただ助けてもらったというだけで、もうこんなにも身体に活力が満ちている。
「ああ!やってやるさ……!」
「ふふ……じゃあ、俵さん、いってらっしゃい」
「いってきます!」
◆
それからしばらくして、月の接近は誤報だったと伝えられ、少々時間はかかったが、地球はすっかりと以前の落ち着きを取り戻した。
もう月を見上げて、誰かが自分を見つめる悪霊に気づいてしまうことはない。
月にいた命ではない何か達はすっかり消え去ってしまった。
東京のタワーマンション『入居者の終の住処になるタワー』の消失は多少どころではなくニュースを騒がせたが、今はもう日々の新たなニュースに流されて、世間的にはすっかりと忘れさられている。
そのタワーマンションは今でも入居者の全滅した月に突き刺さっている。
ただし、その最上階にあるとある部屋は壁ごとくり抜かれて、今はもう月にはない。
【終わり】
入居者全滅事故物件 春海水亭 @teasugar3g
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