入居者全滅事故物件

春海水亭

1.メリーさん(前)


 ◆


『私、ストロング・ザ・メリーさん……』

「ストロング・ザ・メリーさん……!?」

 恐ろしい名が電話口から聞こえてきた。

 時刻は夜中の二時、私が既に就寝していた時のことだ。

 もう数年は会社以外での利用はしていないであろうスマートフォンの電話が突然に鳴り出して、私の安眠を妨げた。発信者は不明。非通知の着信だ。普段なら取ることのない電話だったけれど、寝ぼけていた私はついうっかり、その電話を取ってしまった。その結果、ストロング・ザ・メリーさんからのメッセージを受け取ってしまったことになる。


「今、東京駅にいるの……」

 現在地を伝える電話に、私は頭の中でメリーさんに関する都市伝説を思い出す。

 ある事情でメリーさんという人形を捨てた少女のもとに電話がかかってくるというものだ。

――私、メリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの。

――私、メリーさん。今、貴方の家の近くにいるの。

 メリーさんは徐々に距離を詰めていき、そして最後にこう言うのだ。

――私、メリーさん。今、貴方の後ろにいるの。

 少女がどうなったかは定かではない。

 そのような内容であった……と思う。


 おそらくその少女は死んでしまったのだろうが……この話を私が知っているということは、語り部は存在しなければならない。おそらくは作り話……だと思う。

 けれど、実際、私はメリーさんからの電話を受けてしまっている。


「その……イタズラですか……?」

 イタズラ……そう判断するのが常識的な大人というものだろう。

 電話だけならば、如何ようにも言うことが出来る。

 私だって電話だけならば、誰なのかもどこにいるのかも容易に騙ることが出来る。

 さっさと寝てしまおう、そう思って電話を切ろうとした、その時である。


「貴様を殺す」

 底冷えするような声だった。

 電話越しにもはっきりと相手の殺意が理解できる、おぞましい声。

 その電話の内容がイタズラであろうとも、間違いなくメリーさんには私に対する殺意があった。

「もっ、もしも……」

 電話は切れてしまっていた。

 スマートフォンの液晶には通話が終了したことを示す無機質なメッセージだけが表示されている。

 イタズラ……そう判断するには、相手の声はあまりにも真に迫っている。

 寒い。

 生まれたばかりの不安が私の体温を食らって、少しずつ成長していくような感覚を私は覚えた。


 私はスマートフォンのマップアプリを起動する。


 時刻は深夜二時。

 電車は既にない。

 故にメリーさんが公共交通機関を利用する場合、私の住む静岡に到着するまで最速で六時台。

 だが、メリーさんが高速道路をかっ飛ばした場合、約三時間で到着するので五時台には既に静岡入りしている可能性がある。

 だが、メリーさんが東京駅にいるという情報自体が私に対するブラフの可能性もある。

 東京駅にいると見せかけて、既に静岡入りしている……そう考えると、最早時間の猶予を考える意味すら存在しない。


 スマートフォンを握る手に力が籠もる。

 その手の中で暴れるかのように、スマートフォンが再び震えた。


「私、ストロング・ザ・メリーさん……今……」

「待って!」

 メリーさんの言葉に、私は叫ぶように割り込んだ。


「ねぇ、メリーさん!」

「ストロング・ザ・メリー」

「ストロング・ザ・メリーさん!私、アナタになにか恨まれるようなことをしたかなぁ!?」

 心の底からの叫びだった。

 幼い頃から人形とは無関係の日々を過ごしてきた、少なくとも人生の中で一度もメリーさんと名前がつくような人形と関わった覚えがない。

 集めていると言うならばぬいぐるみだが、それだって私は一人だって捨ててはいない。ぼろぼろになった子はいるが、下手くそなりに繕って、今も私の住むマンションの中にいる。少なくとも、一度東京を経由してから私の家を襲うような理由はない。

 全くの人違い……そうとしか思えないのだ。


「今、高速バス乗り場にいるの」

 私の問いに対するストロング・ザ・メリーさんからの返答はなく、告げられたのは無慈悲な現在地情報だった。

「自家用車はないのね!?」

 既に通話は切れてしまっていた。

 何もかもがブラフの可能性はあるが、私はストロング・ザ・メリーさんから与えられた情報に縋るしかない。私は乗り換えアプリを使用し、調べる。

 ストロング・ザ・メリーさんが早朝の高速バスを利用すると仮定して、出発はおおよそ六時、そこから到着まで三時間、大体九時がストロング・ザ・メリーさんが到着するまでのタイムリミットだろう。


「……どうすればいいんだろ」

 私のつぶやきを聞くものはぬいぐるみしかいない。

 こういう時は誰に相談すればいいのだろう。

 家族はいない、パパとママは去年死んでしまった。

 友達もいないし、恋人もいない。

 会社の人とは仕事の話ぐらいは出来るけど、それ以上の話は出来ない。

 そもそも、こんな話を相談されても向こうだって困ってしまうだろう。

 となると警察……なんだろうか。

 実害が出れば警備してくれるのだろうか、今のところはただのイタズラ電話で、本当に相談することしか出来ない。


 玄関に行って、自転車用のヘルメットを取り出して頭に被ってみる。

 ただストロング・ザ・メリーさんが来るのを待っているわけにはいかない、けれど……本当にどうすればいいかわからない。


 二時三十分、再びスマートフォンが震えた。

 相変わらずの非通知着信……けれど、ストロング・ザ・メリーさんからの着信だろう。


「私……ビッグ・ザ・メリーさん……」

「ビッグ・ザ・メリーさん!?」

 先程まで電話をかけてきたのはストロング・ザ・メリーさんだったはずだ。

 しかし、同じメリーさんでも声質が違う、声量が違う、テンポが違う、はっきりと電話の相手が私にはストロング・ザ・メリーさんとは違うメリーさんだということがわかった。


「今、貴方の後ろにいるの」

「えっ……」

 私は咄嗟に後ろを振り向いた。

 そこには何もいない、ただ普段通りの私の部屋があるだけだ。

 それはそうだろう、窓もドアも閉まったままだ。

 誰かが入れるワケがないし、入ったならばすぐにわかる。

 そこまで思って……私は咄嗟に視線を床に落とした。

 もしも、後ろにいるのが人形ならば……

 だが、私の予想に反して床にも何もいなかった。

 それはそうだろう、当然だ。

 であるというのに、何故か寒い。

 心臓の鼓動がやけに速いのは、何故だろう。


「もう一度後ろを見て」

「きゃあああああああああああ!!!!!!!」

 思わず悲鳴を上げて持っていたスマートフォンを落としてしまったのは、もう一度振り向いた先……玄関のスチール製のドアに、正拳突きの形の歪みがあったからだ。

 それも最上部に。

 その歪みは外側から内側に生じたもの……つまり、ビッグ・ザ・メリーさんは玄関にいたということになる。

 既に……いたのだ!メリーさん……ビッグ・ザ・メリーさんは私のすぐ近くにッ!


「私、ビッグ・ザ・メリーさん……道路から大きく跳躍し、三階にある貴方の部屋まで到達し、一瞬だけ貴方の背後を取った後、今、貴方の部屋の前にいるの」

 床に落ちたスマートフォンから、ビッグ・ザ・メリーさんの声がする。

 恐るべきトリック――これが怪異の能力なのだろうか。


「……私、ビッグ・ザ・メリーさん……今、貴方のマンションの前にいるの」

 そう言い残して、スマートフォンの通話が切れる。

 粘ついた悪意に満ちた声だった。

 そして、新しい玩具を貰った子供のように嬉しそうな声だった。

 何故、玄関まで到達したメリーさんが一度、マンションの前まで離れたのか――その声を聞いて理由がわかったような気がした。


 悲鳴を上げる気力すらなく、私はその場に座り込んだ。

 メリーさんは本物だった。

 そして、ストロング・ザ・メリーさんが東京からこちらに向かってくる一方で……ビッグ・ザ・メリーさんは既に現着している。


 呼吸が苦しい。

 鼓動が痛いぐらいに速い。

 視界が涙で滲んでいた。


 どこに行けばいいのだろう、どこに逃げられるというのだろう。

 家の中で待っていれば、いずれストロング・ザ・メリーさんがやって来る。

 けれど家の外に逃げたところで、ビッグ・ザ・メリーさんが待ち受けている。 


 どうあがいたところで死ぬしか無い。

 悪意はあまりにも理不尽で、唐突だった。


 再び鳴り始めるスマートフォン、私に取る気力はなかった。

 今すぐにでも私のための棺桶になりそうなこの部屋を、花の代わりに脳天気なスマートフォンの着信音が埋めていく。

 五分ほど何もしないでいると、着信音が消えた。

 良かった――心の中でそう思いながら、涙が込み上げてくる。

 別に、メリーさん達と電話をしなかったところで、メリーさんがこっちに来ることに何の変わりもないのに。


 リン。

 その時、インターホンが鳴った。


「ヒッ」

 小さく悲鳴が漏れる。

 電話が繋がらないと見て、メリーさん(この場合はおそらく、ビッグ・ザ・メリーさん)が直で来たのだろうか。

 油の切れた機械のように軋んだ動きでドアホンのモニターを見る。

 髪の毛の薄い、白髪のおじいさんが映っている。

 いつも困ったように眉根を寄せているその顔を、私はよく知っていた。

 

東城とうじょうさぁん……東城明子あきこさぁん」

 マンションの管理人さんだ。

 深夜に悲鳴なんか上げたから、隣の人に呼ばせてしまったのかもしれない。

 申し訳ないな……そう思うと同時に、何故かホッとした。


「東城さん、あのですねぇ……」

 モニターに映る管理人さんがスマートフォンを取り出して、言った。


「お電話ですよ」

 モニターに映る管理人さんがいつもどおりの表情で、さも当然であるかのように。スマートフォンの液晶をこちらに見せている。

 非通知設定。

 

『私、ストロング・ザ・メリーさん――』

 モニター越しの声はざらついていたけれど、楽しそうなことはよくわかった。


『――今、ヒッチハイクで東名高速道路に乗っ……ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!』

「えっ!?」

 モニター越しの悲鳴、と同時に管理人さんが大きく目を見開いて、スマートフォンを取り落とす。


『いなくなった』

 ストロング・ザ・メリーさんのものとは全く違う声がした。

 低く落ち着いた男の声。

 聞いた言葉が身体の中で柱になって支えてくれるような、そんな安心感のある声だ。


『俺は俵さん、今アンタを助けに行くよ』


【つづく】

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