イセカイノコワイハナシ
龍田乃々介
経験値の泉 妖精ヘティカート
樹齢千年を超える古代樹だけで構成されたエンシット大古代林。そのどこかに、一面が乳白色に染まった小さな泉があるという。
そこには人の積み重ねた歴史と力、いわゆる経験値を司る妖精ヘティカートが住んでいて、彼女が愛するシロカエデの葉で作った冠を投げ入れると現れる。機嫌を良くしたヘティカートはその葉冠を贈った者に莫大な経験値を与えてくれるが、必ず一人で行かなければ出て来てくれないのだそうだ。
かつて魔王を打倒した勇者や西の国の
しかし、大古代林に生息する魔物のレベルが比較的高いことと、広大な森林のどこにその泉があるのか判明していないことから、伝説の二人以外に泉を訪れた者の話は聞かない。
経験値の泉の伝説に魅了される冒険者は少なくない。俺もそんな伝説に魅せられた男の一人だった。最も、経験値よりも泉の妖精の方に心を惹かれていたのだが。
俺は数えで十六のときに家を出て、大古代林から最も近い古城都市に移住した。そこから毎日大古代林の辺縁地域に通って大何年も戦闘経験を積んだ。まともにやりあえる強さになってからは森林内の詳細な地図を作りながら探索。来る日も来る日も大古代林に通う。パーティの誘いも、未開ダンジョン発見の噂も、緊急発注のクエストも無視して、絹白の水に満ちた泉を探し歩いた。
そして、ようやく見つけた。
「こんにちは、旅人さま。わたしはこの泉の妖精。ヘティカートと申します。素敵な冠をくださったのはあなた?」
乳白色の泉の水から現れたのは想像を超えた美女だった。背丈を上回る長さとボリュームのある真っ白なフワフワの長髪。東国の白磁を思わせるような白く滑らかな肌。ゆったりとして清らかな美しい衣。澄んでいながら蕩けるように優しくて甘ったるい声。何もかも俺の理想を上回っていた。その可憐な美しさを前に、俺は呼吸すら忘れそうだった。
「ねえ、旅人さま。冠をくれたのはあなたで間違いなくて?」
「へえっ!?ああっ、はい!」
思いきり声が裏返った。挙動不審な動きで面白みのない答えを返してしまった。俺は自分が恥ずかしい。こんなことなら女の人と話す練習も積んでおくべきだった。
「ふふふ。そんなに緊張しないでくださいな。わたしは悪い妖精ではありませんのよ。ただちょっとお話したいだけ」
泉の上の宙に浮いて、椅子に座っているかのような姿勢でふわふわと漂うヘティカート。口元を隠してくすくすと笑う仕草だけで、寿命が何年も増えたような癒しを感じた。
「そうね、それじゃあ……」
すらりと細く綺麗な人差し指を唇に当てて考えるヘティカート。とてもかわいい。
「ヒツジ肉を食べたことはある?」
「……え?」
ヒツジはこの大古代林を内包する大国家ハルバティカの一般的な家畜の一種だ。主に酪農のために飼われるその動物の肉は、非常に臭くて硬いことで知られ、食用には向かないとされている。
「ないです……食べたことは」
「卑賤身分の異性に恋をしたことはある?」
「はあっ!?」
ヘティカートは足を組んで座る姿勢でふわふわと浮いている。その表情はからかうでもなく、怒るでもなく、ただ確認がしたいだけという風に見えた。
「…………ないです」
「木の虚に身を寄せ合う大量の蟲を見たことはある?」
「ないです」
「伝染性の皮膚病に罹ったことはある?」
「ないですけど……」
「やけどをしたことはある?」
「ないです」
「お祭りでたくさんの人の波にもみくちゃにされたことはある?」
「いや、ないです……」
お話というよりは、関所で行商人が受ける質疑応答のような会話がひとしきり続いた。俺は混乱した。もしかすると俺は何かヘティカートの気分を損ねるようなことをしてしまって、いじわるをされているのだろうか。意図の見えない謎の質問に答え続けるうち、そんな不安が芽生えていた。
二十は答えただろうかというところで、ヘティカートは座った姿勢から優雅な立ち姿勢に移って言った。
「お話してくれてありがとう。あなたは良い人だわ」
やわらかな微笑みをまっすぐ向けられた俺は、照れくさくなって下を向く。
「そんなことは、へへ……っえ、うわっ」
突然体が浮かび上がる。鼻孔を濃厚な甘い香りが満たす。脇の下に細く可憐な白い手が触っている。俺はヘティカートに抱え上げられていた。ゆっくりと誘われるように泉の上へと引かれる。近くで見るヘティカートの美しさ、かわいさ、愛らしさは尋常ではなく、俺はまた目を逸らしてしまう。
ふっと、気持ちの悪い浮遊感が全身を包んで、乳白色の泉が急速に近づいてくる。
いや違う。近づいているのは俺だ。
ヘティカートが手を離し、重力を取り戻した俺の体は真っ逆さまに泉に落下していた。
成す術もなく水没し、全身を激烈な痛みが襲う。
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!
反射的に叫ぼうとして強烈な酸のごとき白濁水を口内に入れてしまった。口腔は燃え盛るごとくに痛みを発し、体の内側から無数の針が飛び出そうと暴れているような激痛に襲われる。
なにが起こったのかまるでわからず暴れる俺の腕。ほとんど感覚を失ったその腕は、こつ、こつと何度も固いものに触れた。
痛みが分泌したエネルギーによって俺の頭は回り始め、怖ろしい想像を最期に残した。
絹白の泉に棲む妖精ヘティカートは、人間を泉に溶かすことで彼らの経験値をため込んでいる。
訪れた人間にいくつもの質問をして、経験値を分け与える人間と、経験値に変換する人間とを選別している。
伝説にある勇者と軍国王はきっと、勇者だったから認められたのでも、軍国王だから認められたのでもない。偶然ヘティカートの好みに合致する答えを言えたがために、膨大に蓄えられた経験値を与えられて強大な力を授かった。
伝説になるだけの資質があったから力を与えられたのではなく、偶々伝説級の力を与えられたから伝説になったのだ。
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