6.子どものわがままを、無邪気に言ってるだけ②
テーブルの上には、誕生日ケーキが入ってた空箱。
それを見つめながら、お兄ちゃんは膝を抱えなおして……目をつぶって、話しはじめた。
「……僕って、染色体異常の、影響で……女っぽい見た目とか、無気力なのとか……そういう……生まれつきの、性質があるって、聞いた……」
そうなんだ……無気力なのとか、引きこもってからだと思ってた。
語りだしたお兄ちゃんは、何でもない様子だけど……自分から聞き始めた私は、勝手に不穏な気持ちになっちゃう。
「……あと、その影響かは、分かんないけど……育っていっても、頭も体も、いつまでも弱くて……小学生になる前に……母さんは、家から出ていった……あの子に、苦しめられつづけて……もう、耐えられないって、言ってたらしい……」
いつもと変わらない平坦な口調は、まるで他人事を言ってるみたいで。
「……学校に入ってからは、毎年、いじめられてた……明らかに変で、それに、劣ってるから……」
「……きっとつらかったよね?」
「……ん……悪口とかは、平気だったけど……痛いのだけ、どうしても慣れなかった……無表情でも、暴力だけは怯えてるって……気づかれること、多かったし……」
お兄ちゃんは、全然つらかったことみたいに話さなくて……それを聞いてる私が、なんだかつらくなってくる。
殴られたりしてるお兄ちゃんを思い浮かべたら、息が詰まっちゃいそうだよ……。
「……けど、抵抗する力が、ないから……当たり前になってたそれを、受け入れて、学校に通ってた……」
「それって、先生は助けてくれなかったの?」
「……うん……僕が平気そうだったから……問題視、してなかったのかも……」
お兄ちゃんの声は、ずっと穏やかで……いじめられたことも、助けてもらえなかったことも、全部しょうがなかったと思ってるみたい。
「……そんな状況が、中学でも続いたけど……2年になるタイミングで、父さんの転勤があって、転校して……」
引っ越しのタイミング……偶然だけど、私と一緒。そこから、悪化したのかな……。
「……転校先では、いじめられなかった……同じクラスにいた、優等生の女の子が……僕をからかった相手に、注意したりして……誰かがいじめないか、いつも見張ってたから……それで、いつの間にか、好きになってた……」
「お兄ちゃんの、初恋……?」
中2での初恋……それも、私と一緒だ。
「どんな子だったの?」
「……ん……雰囲気は、中2のわりに、大人びてて……かわいい、っていうより、かっこよかった……背も高めで、すらっとしてて……怒ってるとき、迫力あった……」
「そ、そっかあ……!」
私と真逆じゃんっ!
見た目よりも、行動とかで好きになったんだろうけど……。
「……だけど、そのうち、ほっとかれてる間も……誰もいじめようと、しなくなってて……そしたらその子は、僕から離れようとして……一緒にいたかった、僕は……勇気を振り絞って、告白した……」
無気力なお兄ちゃんにも、そんな勇気があったんだ……!
あっ……でも前に、女の子と付き合ったことないって……。
「……まあ、振られたけど……高崎くんみたいな男の子は、女の子と付き合おうとしたら、ダメだからね……って、くぎを刺されて……」
それは……。
「そんなこと、言うのって」
そういう感性は、ありふれたものかもしれないけど……。
それでもそんな場で言うのって、ひどいよ。
「……そんなに、きつい口調じゃなかった……どっちかというと、優しく諭す感じ……けど、その様子を見てた、生徒から……噂が広まっていって……そのことで、僕はどんどん、からかわれてった……」
ずっとなんでもないことのようにしゃべってたお兄ちゃんが、ちょっとだけ、苦笑いみたいな表情をして。
「……からかわれながら、時間を過ごすのは……なんでか、けっこう息苦しくて……その子にもう一度、助けてもらおうかって、思ったけど……我慢してた……振ったこと、責めてるみたいに、思われそうで……」
お兄ちゃん、からかわれつづけるのがつらいのは、当たり前だよ……?
「……そうやって、我慢したまま、学校に通ってたら……その子に、彼氏ができたって、聞いて……付き合ってる様子を、見て、分かった……」
「分かった、って……?」
「……その子は……彼氏の隣で、とっても幸せそうに、笑ってて……その彼氏の姿は、元気と自信に、満ち溢れてて……人を幸せにできる力が、あるってことが、伝わって……その子の、言葉の意味が……そこで、分かった……」
なんで、微笑んだままなの……お兄ちゃん……。
「……間違ってたのに、助けを待ってた自分が……嫌になって……僕は、学校に行くのを、やめて……引きこもった。それが……8年前……」
その微笑みが、自分のことを責めてるようにしか見えないから。
「お兄ちゃんは……自分が悪かったって思ってるの……?」
私には、耐えられないよ。
「……ん……」
お兄ちゃんはしばらく黙り込んで。
それから、ずっと閉じてた目を、開けた。
「……悪かったとは、思ってない……いじめてきた子たちも、同じだけど……子どもが間違えるのは、当たり前のことだから……」
その目は……遠い記憶の中の自分に、ピントを合わせてるみたいで。
「……だから僕は、間違えたことを、気にせずに……先生とか、父さんとか……大人に話して、気づかせて、助けてもらえばよかった……」
「それなら、今からだって……」
「……今はもう、僕自身が、大人だから……間違えつづけた大人は……こうして生かされてるだけで、十分……」
じゃあ……お兄ちゃんはもう、お外に出るのを諦めてるの?
ずっと人と関わらずに、引きこもってるの……?
「……誰のことも、幸せにできない人間は……誰かの隣で、幸せをもらっちゃいけない。だから……僕の話は、これでおしまい……ふふ……」
……お兄ちゃんが、小さく声を出して、笑った。
「あ……」
私がこの日に求めてたことは……今、叶って。
お兄ちゃんの笑顔はやっぱり、とってもかわいくて。
でも……こんな、見てて悲しい笑顔、想像してなかったよ。
「お兄ちゃん……」
私がお兄ちゃんの隣にいつづけて、幸せにするよ。そう言ってあげたくて……でも、言えなかった。
子どもの私がそんなことを言ってしまったら、大人のお兄ちゃんは、きっと私を遠ざけてしまうから。
大人に助けを求められなかったお兄ちゃんは、せめて精いっぱい大人として、私のわがままを聞こうとしてくれてて……それで、一緒にいてくれてたんだ。
そういう関係じゃないと、誰かと一緒にいる自分のことを許せないんだ。
「……うん。お話聞かせてくれて、ありがとっ」
だけど……私は、お兄ちゃんをここまで追い詰めたみんなを許せなかった。
みんながそうしなくても、お兄ちゃん自身がそうしなくても、それでも私は、お兄ちゃんのことを大切にしたかった。
きっと心はボロボロなのに、お兄ちゃんはずっと一人で痛みに耐えてて、もう私のほうが、痛みに耐えられなかったんだ。
だから私は、後ろに回って……。
「……ん……」
「なで、なで……」
「……何、してるの……?」
お兄ちゃんが、首を反らして私を見上げてる……かわいい。
「えーっ? なでなで、って言ってるのに分からないのー?」
「……頭を撫でてるのは……言ってなくても、分かる……」
あっ、うつむいちゃった。嫌がってる感じじゃないけど……。
「これは、お話聞かせてくれたお礼! もしかして、嫌かな?」
「……別に……結華がしたいなら、してもいい……」
「えへへっ。じゃあ、いっぱい撫でまわしちゃうねっ」
撫でながら指の間に髪を通すと、とっても心地良くて……うっとりしちゃう。
「お兄ちゃん、ほんと髪さらさらだねー。どのシャンプー使ってるんだっけ?」
「……父さんが、使ってるやつだけど……名前は……分かんない……というか、覚えようとしたこと、ないし……あと、なんかたまに、変わってる……」
「そっか、一緒に使ってるんだ……それって、きっとお兄ちゃんのほうが消費してるよね、ふふっ」
もしかしてシャンプーの違いなんて、お兄ちゃんの前には関係ないのかな?
お兄ちゃんの魅力は、謎と不思議でいっぱいだなあ……。
「そういえば髪、かなり伸びてきてるけど、これってどうするの?」
「ん……そろそろ、刈るかも……もうちょっと、放置してても、いいけど……」
「刈るって……どういう風に?」
「……毎回、全部刈ってる……」
「え、ええええっ!?」
全部って……全部!? ちょっと待って!?
「丸刈り……!?」
「……そんなにしっかりは、してない……スースーしすぎても、落ち着かないから……どうせ面倒になって、こんな感じで、放置しちゃうし……短さに、こだわっても、あんまり意味ない……」
「ほ、ほんとにそんな、てきとうなの……?」
「……前髪は、もっと定期的に、切ってる……視界の、邪魔になるし……鏡で見ながら、切れるし……」
おかっぱみたいなのは、そういうことだったんだ……。
「え、えっと……私に切らせてくれない、かな……?」
「……結華、髪切れるの……?」
「自分でやるよりは、多分良くなると思う……! とっとにかく、てきとうに刈っちゃうのはやめてっ!」
「……ん……どうせ、引きこもってるから……別に、関係ないと思うけど……」
そういう問題じゃないよお!
「……まあ……でも……結華が切りたいなら、切っていい……」
「あ、ありがとっ! 良かったあ……!」
そっか……だって、散髪しに行けないもんね。私がちょっとでも勉強して、切ってあげないと!
短く切ると、美少年、って感じになるかな? お耽美っぽい雰囲気を作るには、ちょっとお顔が幼めかもしれないけど……でも、絶対かわいいよね!
逆にここからもっと伸ばしてくれたら……ああ、それってもう、とっても儚げでおしとやかそうな見た目になっちゃうよ……!? けどお兄ちゃんからしたら、やっぱり手入れも髪自体もうっとうしいかな……?
でも一番好きなのは……襟首まで伸びてた、出会った頃の長さかなあ。お顔のあどけなさが、とっても引き立ってた気がするの。ショートボブみたいにしたら、きっと最高に似合うはず!
「どんな髪型がいいかな……!」
いろんなお兄ちゃんを想像するのが止まらなくて……でもやっぱり、現実のお兄ちゃんが一番かわいいんだよね。
今の位置だと、お顔は見れないけど……。
……あれ?
「……っ……」
お兄ちゃん……。
肩が……震えてる。
「……なで、なで……もうっ、触り心地が良すぎて、手を離したくないんだけど! しつこいお礼で、ごめんね?」
「……別に……いいけど……っ……」
「えへへ、ありがとっ。じゃあ、私の気が済むまで撫でちゃうね。なーで、なでっ!」
お兄ちゃん、大丈夫。
私はいつも通り、子どものわがままを、無邪気に言ってるだけ。
だから……その涙が止まるまで、撫でさせてね。
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