第4話 秘密の任務と慟哭

 夜の涼しい風と共に、笛の音が鳴り響く。

 心地よいその曲に合わせて太鼓が弾んで聞こえてきた。


 煌びやかな衣装を着た女性たちが、この宴のために庭作られた敷舞台の上で舞を踊っている。

 多くの貴族様たちも出席されている祝いの席には零様と、その横に綾芽様がいらっしゃった。


 伊織様に、お二人の護衛役を頼まれたけれど私で本当に大丈夫なんだろうか。

 正座をして少し離れた部屋の隅に座っていると、視線の先の零様が私に合図を送る。

 私は急いで宴を邪魔しないようにしゃがみながら、急いで駆け付けた。


「いかがいたしましたか?」

「もっと近づけ」

「……へ?」


 きょとんとしてしまった私の胸元を掴み、零様を私をぐいっと自らに引き寄せた。


「──っ!!」


 いきなり近づく零様に私の鼓動は大きく跳ね上がる。

 その瞬間、零様の低い声が私の耳元で聞こえた。


「懐刀は?」

「……え?」


 戸惑いの声をあげる私に、鋭い視線が送り込まれる。

 無言の圧力に急いで答えた。


「持っております」

「台所へ行け」

「……へ?」


 もしや刀で魚を捌いてこいとかそういう……。


「違う」

「まだ何も言ってません」

「どうせお前のことだから、魚を捌く想像をしたはずだ」


 ば…ばれてる……!

 私は必死に頭を振ってごまかしたが、零様は信じていないようだ。


 次の曲の始まりを告げる甲高い笛の音ではっとする。

 

 そうだ、台所に向かう……!

 零様から受けた指示を思い出して彼の目をみるが、その瞳はもう舞に移されていた。

 「行け」という指示だと捉え、私は後ろに下がろうと振り返る。

 すると、後ろから声をかけられた。


「『さばく』ものを間違えるなよ?」

「……? はい」


 その声はいつもより低く、それでいて重く感じた──




 台所は確か廊下の突き当りを左に行った先にあったはず……。

 どうして零様は私に台所に行けなんて言ったのだろうか。

 魚を捌く?

 猪肉の解体だろうか?

 いや、もしかして、何かこっそり欲しいものがあったとか……!


 そう感じて先程の光景を思い出す。

 あれ……?


「あまりお善に手をつけていなかった……」


 今日は零様の生誕の宴ということもあり、めでたい料理や酒に加えて、零様の好物である海老のしんじょも出されていた。

 しんじょを召し上がっていなかったのも珍しい。

 それに先程近づいた時も、お酒の匂いがしなかった……。


 何か嫌な予感がして、私は台所へ行く足を速めた。



 台所に着くと、そこには誰もいなかった。

 明かりもつけられておらず、薄暗いそこには料理係の者が一人もいない。


 どういうこと……?


 その瞬間、奥の棚の後ろ側から何か物音がした。

 私は胸元に忍ばせてある懐刀に手をかけ、ゆっくりと静かに奥のほうを覗き込みながら進む。


 何か水のようなものを注ぐような音が聞こえてきたのと同時に、そこに何者かがいることを悟る。

 その人物の手元を見ると、酒の徳利に何かを注いでいた。

 注ぎ終えた瓶を棚に置くと、懐から何かを出して徳利に入れている。


 さらさらと粉状の何かが入れられたそれが、零様へ出される予定の食後酒だと気づく。


 まさか、毒……!?


 その瞬間、その人物の姿が月明かりに照らし出された。


「──っ!! 伊織……さま?」


 私の声を聴いた伊織様は、鋭い視線をこちらに向けてくる。

 手に持った酒を素早く棚へ置くと、懐から刀を抜いて襲い掛かってきた。


「伊織様っ! おやめください!」


 咄嗟に抜いた懐刀でその刃を受け止めると、押し負けて倒される。

 背中にひんやりとした感覚が広がると同時に、交わった刃は私の喉元のすぐそばまで来る。


「伊織様っ!」

「黙れ、邪魔をする者は殺す。お前でもだ」

「おやめください、どうして零様を……」

「どうして、だと?」


 その言葉に押し込まれる刀の威力が弱まる。

 私に馬乗りになって殺そうとするその手が、少しだけ震えだした。


「あいつは、あいつは私の弟を殺した」

「……え?」

「あいつは香月かづきを、香月を見殺しにしたんだ!」

「──っ!!」


 強められた語気は私の心に重くのしかかる。


「助けられたはずなのに、なのに殺した。あいつは! 人の心のない化け物だ!」


 その言葉を聞いた途端に、私の中で何かがはじけ飛んだ。

 違う、そうじゃない!

 あの人は、あの人は……。


「化け物なんかじゃない……」

「は?」

「零様は化け物なんかじゃありません! あの人は私を救ってくれた。妖魔から守ってくれた……優しい人だ!」


 ひどく冷たい声を放って、笑顔も見せない。

 それでも零様は誰よりも強くて、そしてみんなを守ってる……。


「はっ、はは。お前はあいつを恋い慕ってるもんな。馬鹿馬鹿しい。結ばれないんだぞ、あいつとは、永遠に! 守護王の生まれ変わりは桜華姫の生まれ変わりと結ばれる! お前は選ばれない、あいつに!」

「それでもっ!! 私はあの人の役に立ちたいっ!」


 そんなことは言われなくてもわかってた。

 零様は綾芽様と結ばれて、この国を平和に導く使命がある。

 私の想いは届かない、届くことはない。

 だからこそ、あの人の盾となり矛となって役に立つ。

 それが……。


「それが、私の生きる道だから」


 私は体を丸くさせて膝をあげると、そのまま勢いよく相手の腹部を蹴る。


「んぐ……っ!」


 苦しそうな声をあげた彼の一瞬の隙を見て、彼の拘束から逃げた。

 相手はすかさず私に大きく刀を振り上げてくる。

 その刀を懐刀で受けると、そのまま相手の力を利用してくるりと身を翻した。


「くそっ!」


 怒りに身を任せた彼の攻撃は一気に単調になり、隠し持っていた武器を今度は私の顔目がけて突いて来る。



 ──次の瞬間に勝負は決まった。

 突き攻撃をかわした私が、彼の下から喉元に切っ先を向ける。


「お願いです、罪を償ってください。伊織様」


 悔しそうな舌打ちと、鋭い視線に負けそうになる。

 しかし、そんな見つめ合いの静けさを破ったのは、あの人だった。


「終わりだ、伊織」

「──なっ! ……天城、零」


 零様と伊織様の視線が交錯する。


「お前が俺を恨むことは否定しない。だが、お前は踏み越えてはいけない一線を超えた」

「ふざけるなっ! 部下に死ねと命じるようなお前に言われたくはない! 香月にお前は死ねと命じた!」

「ああ」


 動揺することなく肯定する零様の様子を見て、大きく顔を歪めた。

 伊織様は、零様が憎らしくてたまらないというような視線を向ける。


 二人の凄まじい圧に一瞬ひるんだ私は、伊織様に反撃を許す。


「──っ!」


 弾き飛ばされた私の懐刀は、地面を滑っていく。

 伊織様はその隙に私を仕留めようと、刀を振りかざす。


「凛っ!」

「──っ!」


 私の名を呼ぶと共に零様から投げ渡されたそれは、守護王の護身刀だった。

 私はすかさずそれを抜くと、頭の上から降りて来る刃を受け止める。

 そうして、さっと身を引いて相手が自分の勢いでよろめいたところに、私は寸止めで相手の喉を狙う。


「諦めろ、伊織。お前はそいつには勝てない」

「こんな小娘に負けるわけが……」


 悪態をついたところで、伊織様は何かに気づいたように目を見開いた。


「ふふ、ふはははは! そうか、天城零、お前は俺ではなくこいつを選んだのか」


 理解ができずに私は零様を見ると、彼は静かに伊織様を見つめていた。

 そうして刀を捨てた伊織様は、手をあげて降参の意を示す。


「連れていけ」


 零様の指示を受けて、廊下に控えていた護衛兵たちが、伊織様の身柄を拘束する。

 伊織様は最後に立ち止まって笑いながら私に告げた。


「お前はいずれ捨て駒にされる。あいつに」


 そうして零様を一瞥した彼は、護衛兵に連れていかれた。


 立ち尽くす私の元に、零様が近づいてくる。

 俯く私の頭に彼の大きな手が触れた。


「よくやった」

「──っ!!」


 その言葉に私は喉の奥がツンとなって、唇を嚙みしめて感情を押し込める。


「その刀、お前に預ける。使いこなせ、それを」


 それだけを残して、零様はその場から去って行った。

 私は誰もいなくなった冷たい空間で泣く。


 零様のぬくもりと優しさを感じながら──

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