結果

 一科目目――九時半から始まる公害総論。十五問中九問正解すれば受かる。おれは家族に、先生に褒められる。おれでも何かをやり遂げられると自信を持つことが出来る――自分を奮い立たせる。

 試験官が注意事項を朗読する――適当に聞き流す。それから十分ほどで試験が始まった。全ての問題を食い入るように見つめ、汗ばんだ手で用紙を捲る。確信を持てる問題は勢いよく、確信が持てない問題はやや慎重に丸を付ける。一通り問題に丸を付け終わったら、丸が付いている番号のマークシートを塗りつぶす。二十分も経たずに、全てのマークシートに印を付けた。五十分の試験時間は有り余っていた。

 目元がかゆくなり、視界がちかちかする。時間はまだ残っているのに、不安でたまらない。何度も何度も問題文と解答用紙を視線が往復する。

 時計と問題用紙と解答用紙――目線の往復が十数回目に達したところで、試験時間が終わった。身体からするすると力が抜け、姿勢が崩れる。

 合格しているはずだった。一年生の時のようにあと一問で落とすのはもう嫌だった。しかも、あの時と違って来年はダイオキシン特論の部分合格の期限が切れてしまうのでもう受けられない。今年落ちたら終わりだ。三年間の月日と親に出して貰った金が全て無駄になる。

 試験が終わった後、回答のマークの見直しを三回終えたところで母にLINEを送った。

 休憩時間を置いて、概論の試験が始まる。去年受けたときの追憶を軽く振り払い、おれは足早に校舎から出た。最寄りのコンビニの前でスマートフォンを眺めていると、すぐに母の乗ったスパイクが迎えに来た。

「お疲れ」

「疲れた」

 一言だけ残して、おれは後部座席に乗り込んだ。何を言えば良いのかがわからなかった。

「どうだった?」

「わかんない」

 スパイクの中で解いたばかりのテキストをめくる。公害防止管理者資格は乙種危険物などと違って問題用紙を持ち替えってよいのだ。

 さっき解いたばかりの問題のことが頭にあった。問題九の三番。正しいものを選択肢から選べ。

 問いの中にあったマイクロプラスチックの項目――引っかかっていた。問題文には直径5mmのマイクロプラスチックと表記されていた。マイクロプラスチックって5mmもあったっけ? もっと小さくなかったか――おぼろげな記憶しか無かったおれは間違いだと判断し三番に罰を付け選択肢から外した。スマートフォンで検索する。マイクロプラスチック 大きさ――直径 5 mm。瞬きが痛くてできない。正解を選べ――問題にも確かに直径 5 mmと記載されている。心臓のあたりがざわざわと音を立てた気がした。

 間違えた――不吉な予感が全身に染みこんでいく。おれは他の問題用紙を捲るのをやめた。呼吸がおかしくなり震えが止まらなくなった。

「頑張ったね。お疲れ様」

 母の声が聞こえる。頭の中には入ってこない。たった一問だけじゃないか――自らに言い聞かせる。胸騒ぎを鎮めることはできなかった。途轍もなく嫌な予感がした。

「明日試験の答えは自己採点はやめとこうね」

 おれは頷いた。

 帰りにマクドナルドに寄ってもらった。ポテトとナゲットを腹が膨れるまで食べた。


 日曜日。いつもなら、今日もボウリングに行っているはずだった。今までは毎週ほぼ必ずと言っていいほどボウリングは行われていたが、金が少なくなったから、今日は行われない。

 榮倉は来週の金曜日が最後のボウリングだといった。来週の金曜日――本当に、行く必要があるのか? おれは考えあぐねていた。しかし――榮倉たちと別れたら、今後おれは、一人で、どこで生きていけばいいのか? また、疎外感だけを抱く高校生活に戻るのか? かりそめの居場所だとしても、おれは手放したくは無かった。それでも、テロを起こす――そんな勇気と悪意がおれにあるはずが無い。何より、公害防止管理者資格に受かっていれば、人生を棒に振らなくても済むじゃ無いか。

 公害防止管理者資格は、翌日の十時に試験の答えの番号が掲示される。今日おれは、母に内緒でWEBで回答発表を見るつもりだった。

 おれは八時から自然と目を覚ましていた。資格のことを考えると気が気でなかった。勉強机に肘を付いて、五分おきにスマートフォンを見つめた。

 自己採点はやめとこうね――母はそう言った。金曜日までに、ボウリングに行くか行かないかを決めなければいけない――合否結果を知っておかなければいけない。だから、我慢できなかった。十時になるまでじっと待つ。落ち着け、間違っていると分かっているのは一問だけだ。十四問の中で九問ぐらい余裕で正解しているさ。

 ホームページをクリックする。記号。3、1、2、3――自分の答案に書かれている数字とスマートフォンの画面を平行して目で追う。一問目――間違い。何で⁉――鼓動が激しくなる。理由はわからない。見直しなどする必要は無い。正解か間違いか――注目するのはそれだけだ。

 一問ぐらい落としてても仕方ない、仕方ない――膨張していく予感に全身が震えていく。二問目――正解、三問目――正解、四問目――間違い。五問目、六問目、七問目――

 十五問分の丸付けが終わる。予感は採点を始めたときと比べものにならないほど大きくなっている。正解のぶんだけ付けた丸を数える。全部で十五問。九問合っていれば六割で正解。丸は八つしかつかない。おかしい。出来たはずだ。上手くいったはずなのに。マイクロプラスチックの間違いなど取るに足らないはずなのに。どうしてもあと一つ足りない。

 そんなはずはない。

 もう一度丸を数え直す。回答と交互に見る。何度も繰り返す。一、二、三、四、五、六、七、八――次の正解が無い。一、二、三、四、五、六、七、八、一、二、三、四、五、六、七、八、一、二、三、四、五、六、七、八……。

 十回を過ぎたところで、おれは全てを察した。丸の数は何回数えても八だった。落ちた……。たまらずスマートフォン上のショートカットをタップし、小説サイトのページを開く。りそうのにんげん――いつもの小説。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 キーボードをなぞる指が滑る――無機質な文字列が打ち込まれ続ける。おれはキーボードを押しっぱなしにしたまま、天を仰ぎ呆然とする。何も浮かばない。何も書けない。頭の中に巨大な感情があるのに、それがぐちゃぐちゃになって文字にすることすら出来ない。

 おれの三年間が全て無駄になった……。

 虚ろな響きを受け止めることさえできない。

 室内の輪郭が歪む。目でものを捉えられない。あらゆる色が消え去り、眩暈だけがやって来る。

 真っ暗な頭の中におれがいる。苦悶の表情を浮かべたおれが崩れおちている。全てが無駄になったのだという実感と共に足の力が失われていく。おれは無重力感に身を任せたままへたり込んだ。

 結局、おれは一人では何も出来ない。一人で何かをやり遂げることなんかできない。誰かに馬鹿にされ、それでも一人では生きていけず媚びを売り妥協して日々を浪費していく。それしか許されないんだ。もう疲れた。そんな人生ならもうやめたかった。

 机に向かったまま、おれはしばらく動けずにいた。全身を誰にも言えない。去年一昨年と、積み上げてきたはずだったのに――すべてが崩れていく。すべては絶たれた。真っ暗なまま落ちていく。徒労が押し寄せ、思いは形にすらならずにばらばらになっていく。

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