後戻り
いつもと変わらぬ学校――不自由で孤独な時間。初めてボウリングに行った翌日に感じていた優越感はどこかに消え失せていた。自分が社会の中でただ孤独だという事実があるだけだった。
「三木が考えたことはチーム全体の利益だと思う」
「利益って言うより名誉やろ。学校の銅像に名前が載ることにこだわってたんやから」
登場人物の考えを隣の人と話し合え――国語の授業としては定番のテーマ。二人一組で行うペア活動――七人しかいないこのクラスで、あぶれるのは当然おれだった。先生に気づかれないように教科書を大げさに捲る。僅かに机を動かして隣の班に顔だけを向ける。学校にいる中で、この時間が何より嫌だった。
授業を受けながらも、放課後のボウリングのことばかり考えていた。速くこの場から消えたかった。買いそろえられたおやつやジュースを飲み食いしまくり、日が暮れるまでボウリングに明け暮れる。
おれはいつの間にかボウリングで半分以上の確率でストライクを出せるようになっていた。ある程度の重さのボールを地面に沿わせて転がせれば基本的にボールはレーンの中心を直進する。プロでもあるまいし、ボールを投げるように転がすのはバウンドして勢いを殺すだけにしかならない。
自分が曲がりなりにも集団に属しているという実感――学校では得られない。この安堵感を手放せそうに無い。おれ以外の連中は殆ど変わっていない。同じようにガーターにボールを落とし、ごくたまにストライク、スペアを入れる。親からまともな教育を受けられず、ボウリングすらまともに覚えられない連中。
彼らは誰も成長を求めていない。ただ、学校や家族に受け入れられない虚無感を、ボウリング場で紛らわしているに過ぎない。
その場その場で現実から逃れられて、適当に孤独を忘れられるだけの人数が集まってくる娯楽なら何だっていいのだ。それを研究する必要も、上達する必要も無いのだ。おれには長崎達が、意志を剥奪された哀れな人形に思えた。
それも全て、榮倉が与えたものだ。榮倉がボウリングに誘わなければ彼らは暇を潰す手段すらも手に入れられないのだろう。
そんなあの場所がおれにとっては安息の象徴だった――はずだった。新たな日常の隅から、また劣等感が顔を出した。
絵も上手く、学業も優秀な榮倉。小学生時代はおれと変わりなかったあいつがだ。その事実がおれを強烈に痛めつけた。なんでまたこんな思いをしなければいけないのか――答えはなく、ただ痛みが反響するだけだった。
いつの間にか授業終了まで残り五分になっていた。おれはろくに話も聞かず、授業中、ずっと物思いに耽っていただけだった。どうしようもなく無意味な時間を送っているように思えて、またため息をついた。
それでも、ボウリングという予定が出来てからはおれも周りの遊び人と同じだという感情を持てるぶん、ましだった。
一ヶ月前まではクラスメイトが遊びに行く予定について喋っているのを隅で聞き、自分の孤独に沈むしか無かった。そんな日々に比べたら、今の日常のほうがいい――言い聞かせ、おれは今日も自らの奥底には目を向けず、ただ空疎な時を滑らせる。
今までの孤独を振り切るようにボウリング場に通い詰める毎日の中で、焦燥感もあった。ダイオキシン類の試験の十月八日まで日が迫っている。孤独感を忘れさせてくれるあの場所を手放せなかった。今すぐにでも、息が詰まるような学校の人間関係から逃れたかった。机の上に乱暴な手つきでリュックを放る。受験勉強の教材は机の中に置いておく。教室を出て、廊下に出た。岸川先生とすれ違った。
「最近早く帰るようになったな、藤沢。居残りせんで大丈夫なんか?」
岸川先生が困惑顔でこちらを見つめてくる。今日もいつものようにボウリングに行く――
「はい」
また嘘をついた――気が重くなった。
「家で勉強できとるんやな」
「大丈夫です」
先生の顔を見ずに、おれは階段を降りていった。
もうあそこに行かなければ、彼らの存在を知らなかったことにして、おれの人生から閉め出してしまえば――少なくとも、この腹の底を蠢く感情の数々を抱かずに済む。ただ、今までのように、孤独に耐え、自分自身に対する感情だけを隠しておけば良いだけなのだ。
それでもおれは彼らを知ってしまった。健全な家庭環境すら与えられなかった奴ら。知ったからには、一度会ってしまったからには関わり続けなければいけない。おれはそういう人間なのだ。目を瞑って生きていくことなど出来はしない。
階段と階段の間にある空間に面している壁。わずかに開いている窓から吹き込む冷たい風。やっぱり自分は一人なのだという思いが不意に浮かび、心細くなった。
知らなければよかったのに――また声がする。榮倉の鞄をのぞき見したときに聞こえた声。今度は無視できなかった。
おれの不幸はただの甘えなのか――彼らと共に過ごし、彼らについて見聞きする度に奥底で浮かんでくる問い。孤独を紛らわせるとと引き換えにやってくる苦しみ。そして、会う度に劣等感を抱かせる榮倉遼一。小学生の時はおれと変わりない、地味な存在だった榮倉。そんな奴が高松高校に行って、おれより遥かに上手い絵を描き、他人を操っている。
腹の奥が焼け焦げるような痛み――嫉妬が骨の髄まで突き刺さる。自分の感情がコントロール出来ない。彼らに対する後ろめたさ。学校にいる惨めな自分のギャップ。榮倉のことを考えるだけで湧き上がる嫉妬心。板挟みに息が詰まりそうだった。
それでも、自分はあの場所を手放すことは出来そうに無かった。後ろめたくても、憎らしくてもあそこに行かなければおれに居場所は何処にもない。
孤独だけは何があってもごめんだった。
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