異様

 一階を鮮やかに彩るゲームセンターを視界の隅に納めながら、榮倉に連れられて階段を上がる。ゲームセンター――好きでは無かった。怖かったからだ。小学生の頃、クラスメイトと帰りに近所の小さなゲームセンターに行ったことがあったが、おれを放置して馬鹿騒ぎする彼らに萎縮すると共に強烈な疎外感を抱き、黙って一人で帰った。それ以降ゲームセンターには行かなかった。誘われることも無かった。

「ここ来たことある?」

「ないし、ボウリングも殆どやってない」

 まただ――小さな見栄。自分の小ささに嫌気が差し、おれは顔をしかめた。おれが友達とボウリングに行くことなんて一度もありはしなかった。それを知られると榮倉に見下されるかもしれなくて怖かった。

 二階に上がるとボウリングのレーンが視界を占領する。左端では大人がひたすらボウルをピンにぶつけている。右半分は個室のようになっており、誰がいるのか見ることは出来ない。ありふれた光景――何の経験も無いおれにとっては別世界だった。

 榮倉はカウンターの方に向かっていく。

「すいません、一人追加するんで、シューズください」

 榮倉の敬語――馴れ馴れしい響きがあった。店員と榮倉は顔見知りらしかった。おそらく、榮倉はここのボウリング場の常連なのだろう。

「こちら?」

 店員がおれを見やる。

「そうです」

 おれは硬い敬語を絞り出す。

「ご新規の方ですか」

「はい」

「ポイントカードはどうされますか」

 榮倉がおれに目配せする。おれは頷く。

「じゃあ、お願いします」

「かしこまりました」

 店員がポイントカードを作っている間に、おれは屈んでシューズを履いた。マジックテープの音が響き渡る。

「こういう靴履かなきゃいけないんだな、ボウリングって」

「初めてだったんだ、隆司?」

「ボウリングなんてずっとやってなかったからな――忘れちゃったよ」

 僅かに心にさざ波が立つ。カラオケ、ボウリング、打ち上げ、飯――おれは当たり前に皆が経験することを何一つ知らなかった。それを悟られたくなかった。榮倉だけじゃない、誰にも。

 ボウリングの一番奥――右端――のレーンに榮倉は入っていった。おれも恐る恐る、榮倉に続いてカーテンをくぐる。「長崎うめえ」囃し立てる声が漏れる。おれは個室に入った。おれと同じぐらいの年齢の男が数人。一斉に視線が集まる。おれは唇をきつく締める。

「こいつ、おれの友達」

 榮倉が笑みを浮かべて、おれを指で示す。

 友達――微かに体温が熱くなる。

 誰も反応をしない。おれは一番入り口に近い端の椅子に座った。

 手前の少年が立ち上がり、レーンの前までにじり寄っていく。ボールを腰まで入れて持ち上げる。肌が異様に白い。

 ボールを投げた――というより、落としたという方がしっくりくるフォームだった。ボールはすぐにガーターレーンに落ちる。ボールが重すぎなんだよ――おれは頭の中で呟く。誰も何も言わず、少年の様子を見守っている。少年――自分の目の前の人間に対する形容に思いを巡らせる。少年、というイメージの通りに、さっきレーンの前に立っていた少年はおれより年下のように見えた。中学生あたりに思える。番が終わったら次の奴が代わりにレーンの前に立ちボールを投げる。

 しばらくおれは一連の流れを眺めていた。

「次、隆司の番」

 おれは微かに躊躇した。ボウリング――やってみたかった。上手く出来るか不安だった。失敗するのを見られるのが不安だった。見下されるのが怖かった。榮倉の視線が気になった。

 このまま突っ立っているのも限界だった――覚悟を決め、おれはスタンバイされているボールを物色する。赤、黄、黒、茶――色とりどりのボールの持ち手に指をはめては持ち上げ、外すことを繰り替える。結局、指をはめた片腕だけで持ち上げられる重さのボールを選んだ――八ポンド。

 レーンの前まで歩き、左手をボールの底に張り付かせて支える。右手で振りかぶる。ボールが地面に落ち、よろよろと前進していく。半分進んだところでボールはガーターレーンに落ちていった。

 恥辱にくらくらしそうだった。身体が石のように硬かった。身体を動かすだけでも痛みを感じるほどの居心地の悪さだった。それでも――耐えきれず振り返った。誰も何の反応もしない。かといって、空気が気まずくなっているわけでも無い。

 誰もおれに興味を持っていないからだ――妙な寒気が身体の芯に吹き込んでくる。腹に空洞ができたかのように心細かった。

「次やるから」

 無造作に伸びた髪を金色に染めた青年がおれの隣に来て促した。入り口からして一番手前に座っていた顔だった。年齢はおれと変わらないように見える。彼が金髪だったことに、今初めて気がついた。

「なんでこいつらはこんな静かなんだ」

 適当に会話し、適当にボウリングをし、適当に飲み食いをする。

 小声で榮倉に話しかけた。

「隆司がいるからだよ。警戒してんの」

「警戒って、言い過ぎじゃね……そりゃ初対面だからよそよそしいのは分かるけど、誰も何も会話してないのは変だろ」

「普通ならね――隆司、ここにいるメンバーはさ、不登校とか、そもそも学校にいけない奴らばっかりなんだよ」

 おれは沈黙した――するしか無かった。それは奇妙な圧力を持って空間をねじ曲げる。

「まじで」

 おれはメンバーを見渡した。自分の想像以上にでかい声を出してしまった。皆の視線が集まるのを感じて、目を伏せた。

「学校にいけない? なんでそんな」

 声のボリュームを落として榮倉に話しかける。

「学校になじめなかったり、いじめられたり、親が邪魔したりするからさ」

 榮倉の喋りは滑らかだった。語彙が豊富なわけでも無いし、声の調子の節々には幼さが感じられる。それでも、榮倉の言葉は脳味噌に直接流れ込んでくるかのように聞き入れることが出来た。

「は? いじめは分かるけど、親がって、なんで」

「おまえなんか、一か月は家に帰ってないよな、遠山?」

 榮倉はおれに答えるより先に、視線を移し、言葉を投げかける。今さっきレーンにいた金髪――遠山がジュースをすすりながら頷く。目線は宙を彷徨っている。

「おれんちは金ないし、親がいっつも喧嘩してるからうざくって。でも、まだましさ。沢村に比べたらな」

 遠山がやたら色の白い顔をした少年に話しかける。沢村――さっきボウリングレーンに立っていた奴だった。沢村は席の中央に座っている。彼の手元のテーブル――数学、国語の教科書が積み上がっている。

 沢村の手の生白さが痛々しかった。

「沢村なんか親に妨害されて高校行けなくなったんだぜ――なんとかの法律で辞めさせられたんだよな」

「親権ね」

 沢村では無く榮倉が答える。何をしている最中にも遠山は落ち着き鳴く頸を巡らせたり、貧乏揺すりすることに終始していた。遠山の動作は何もかもぎこちない。榮倉の滑らかな喋りとは比べようも無い。

「今何年生?」

 無言の沢村に耐えきれず声をかけた。沢村はこちらを向こうとはしない。曲がっている背中は縮んでよぼよぼになった老人を思わせた。

「本来なら高一だけど」

 頭の中でおれは驚愕していた。自分と二歳差――そうは思えなかった。それだけ沢村の顔は幼かった。テーブルの下で膝の上にのせている拳が汗ばむのが分かった。態度に驚愕を出さぬように極力注意した。それは沢村を気遣ったからじゃ無く自分の動揺を悟られたくないからだった。

 まただ。こんな些細なことですら、くだらない見栄を張って自分を繕うのだ。自分の弱い部分を少しでも悟られるのが許せない。嘘なんか本当はばれてるんだよ――母の言葉が頭の奥で金属的に響く。

「きみも、あの人と同じで、家に帰ってないの」

 あの人――おれは遠山のことを遠山と呼べなかった。昔からそうだった。相手の名前を呼んでしまうと相手との距離感が明確になってしまい、おれの認識と相手の認識が大きくずれていた場合、「馴れ馴れしい」と思われることを怖れた。相手のとの距離感を隠し、ひっそりと波風を立たせないように生きてきた。虚しくて肌寒いだけの人生だ。

「殴られたく無いから……」

「親にぼ、虐待されてるってことだよな」

 沢村はおれの問いに頷いた。

「でも、今時児童相談所とかあるだろ」

「児相なんて何の役にも立たないし。すぐ追い返されたよ。何日もご飯貰えなくて眩暈がしたから駆け込んだけど、児相も警察も親の言うことを聞けとか躾だとかばっかり。最後にはおまえが悪いでおしまい。帰ったらいつもより酷く殴られたよ。なんで余計なことしたって」

「何をやるにもね、親が邪魔するのさ。子供を虐待するために生んだ親だっている」

「まさか。そんなわけないだろう。だって親だろ」

「本当に幸せなんだね、きみは」

 沢村がぼそりと言った。顔はこちらでは無くテーブルの上に向いている。幸せ――むかついた。後頭部がひりついた。沢村に比べたら、確かにおれは家庭も学校も円滑だ。しかし、自分の人生を振り返った上で幸せだなんて言葉を吐きつけられると、頭の奥が煮えるように熱を持った。

「今の世の中の仕組み上、親権の力は絶大なんだ。世の中は親がまともだという前提を信用しすぎなんだよ。子供が耐えきれず反抗するとすぐ補導なのに、どれだけ虐待をしてても親ってだけで許されるからね」

 流暢な榮倉の喋り――耳に入れたくなかった。想像もつかない劣悪な世界――全身が拒否反応を起こしている。

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