第292話 ヒールオール。ダンジョン管理庁


 救護室から出てきた医師に、無資格者の医療行為は違法だと言われてしまったのでどうしようかと考えてしまった。

 その間にも救急隊員たちがストレッチャーを運んできて負傷者を運び出していく。


 氷川見ると、黙ってヒールで治療を続けていた。

 俺も氷川を見習って治療するしかないか。


 しかし、ここにいる負傷者をまとめて治せないものか?

 聖女マリアーナはヒールではなく祈りだったが患者をまとめて治すこともできた。

 それができるようになってマリアーナは神官マリアーナから聖女マリアーナと呼ばれ始めた。


 俺は聖女ではないので祈りで人を治すことはできない。

 賢者オズワルドでさえヒールの全体魔法化はできなかった。

 当時の俺にそれができたかと言えば、もちろんできるわけないと答えるしかないのだが、今の俺にはフィオナがいる。


 右肩でフィギュアしているフィオナを見たら、ニッコリ笑った。他人に見られたらマズいが普通は目の錯覚だと思うハズ。

 今さらどうしようもないし。


 やってやろうじゃないか。ヒールオール。

 イメージは『治癒の水』の雨だ。雨が降る、雨が降る、雨が降る。

 いっけー! ヒールオール!

 声は出さなかったが俺は廊下に座って治療を待つ負傷者に向かって『治癒の水』の雨を降らせた。気持ちになった。のか?

 どうだ?

 全くと言っていいほど手ごたえはなかったし、もちろん何かの効果が表れた感じは皆無だった。

 いくらフィオナでブーストしたとしても俺には無理なのか?

 何かが足りない。何が足りない?


 一番足りないのは魔術に対する造詣。賢者オズワルドのような先生がいない以上これはどうしようもない。


 次に考えられるのは魔力の量。

 俺は今まで魔力の量など意識したことすらないので自分がどの程度魔力を魔術に込めているのか全く分からない。


 魔術の造詣も魔力に対する感覚も足りないというより皆無だ。これではヒールオールは無理だろう。


 ヒールオールができれば、目の前の負傷者全員を一気に治すことができる。そうすれば、さっきの医師も自分が治療すべき負傷者がいなくなり驚くだろう。ザマー見ろだ。


 俺が法律的リーガルリスクをとる必要などさらさらない以上、最後にもう一度だけヒールオールを試してみて、それでだめならそれまでだ。


 と、思ってもう一度ヒールオールを試そうとしたところ防刃ジャケットに入れていたスマホが震えた。


 スマホを取り出してみたら、サイタマダンジョンセンターのからの安否確認の連絡メールだった。

 負傷等無くダンジョンの外にいると返信しておいた。

 氷川もスマホをいじっていたから、同じ連絡が来たのだろう。


 それでは改めてヒールオールだ。


 俺のありったけを持ってけー! ヒールオール!


 俺の体の中から何かが抜け出ていき、それが目の前の負傷者たちに吸い込まれて行く。そんな感覚だ。実際見えているわけではないのだが、キラキラしたものが負傷者たちを覆っていく感覚、手ごたえがあった。

 その感覚が30秒ほど続いた。


 明らかに廊下に並んだ負傷者たちの顔色が良くなり、それまでの患部を触ったり動かしたりした。

「何だか分かんないけど痛くなくなって腫れも引いてる」

「治った?」

「腕が動くぞ!」

「なんで?」


 これでひとまず安心だ。


 目の前の負傷者が急に治ってしまった氷川が俺のところにやってきた。

「長谷川。じゃなくって、一郎、お前今何をしたんだ?」

「全体魔術、いや全体魔法でいいか、全体魔法ヒールオールを唱えた」

「詳しくはわからないが、それでここにいた負傷者全員が治ったのか?」

「そういうことになる」

「一郎はとどまるところを知らないみたいだな」

「たまたまさっきの医師に反発してみんなを治してしまおうと思ったらできたんだ」


「ふーん」

「反発心は時として飛躍を生むってことだな」

 実践できてしまった自分が怖い。

「ほう、なかなかいい言葉だな。

 わたしも一郎に反発すればもっと強く成れるかもしれないってことだな」

 選手のパフォーマンスで最も重要なのはコーチと選手の信頼関係なんだ。

 反発などもってのほか。

 とは言えず「そうかもな」と当たり障りのない言葉を返してしまった。


 そしたら、今度は応急手当をしていた看護師さんAがやってきた。

「今いる負傷者全員フィギュア男さんが治してしまったんですか?」

「一応」

「後はわたしたちで治療できますからフィギュア男さん、赤い稲妻さんありがとうございました」


 ふー。

 ちょっと疲れてしまった。

「氷川、それじゃあ行こうか?」

「ああ。で、どこに行く?」

「少し疲れたから、外に出てどこかの店でお茶でも飲むか?」

「そうだな。

 じゃあ武器を返して着替えてくる」

「分かった、俺は玄関ホールで待ってる」


 礼を言う冒険者たちを置いて俺たちは廊下を歩き、氷川は2階の武器預かり所、俺は専用個室に向かった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 今回の地震により死傷者が発生した。

 現在各ダンジョンセンターを管轄する消防で死者を含む重軽傷者数を集計中だが、時間を追うごとにその数は増大していった。

 まだ遭難したと断定はできないものの多くの冒険者がダンジョン内に残留しており、その中のある程度の者は死傷しているのではと懸念されていた。


 時刻は午後2時。既に地震発生から2時間近く経過している。


 ここはダンジョン管理庁の一室。現在この部屋は「特殊空洞地震対策本部」が置かれている。

 対策本部長は特殊空洞管理庁長官。対策副本部長は特殊空洞管理庁副長官。

 本部員として特殊空洞管理局局長、特殊空洞管理局企画課課長。

 内閣府との連絡要員として内閣府参事官。

 実働部隊として特殊空洞管理局企画課員たち。もちろん河村課員もその中に含まれている。



 対策本部では今回の地震災害について、特殊空洞管理庁長官による記者会見を3時に予定している。

 記者会見へは長官のほか副長官、そして状況説明係として小林企画課長が出席予定だ。


 

 現在小林企画課長は管理局会議室で対策本部長を初めとしたお歴々の前で今回の地震による被害などを報告し、その報告に対して長官が都度質問していった。


「現在全ダンジョンへの冒険者の進入を禁止しています」

「了解」

「地震の規模については現在各ダンジョンからの報告をまとめている段階です」

「了解した」

「死傷者数についても集計中ですが、13時30分現在、死者6名、重軽傷者3456名です。ダンジョン深部からの移動には時間がかかりますからこの数字は今後増大する見込みです」

 長官は黙ってその報告にうなずいた。


「現在各ダンジョンセンターから、地震発生当時にダンジョンに進入中の所管の冒険者に向けて安否の確認メールを送っており、そちらも集計中です」

「ダンジョンセンターの所管というのは?」

「そのダンジョンセンターに付属する免許センターで免許の取得を含め最新の更新を行なった冒険者を、そのダンジョンセンターの所管の冒険者と呼んでいます」

「なるほど。

 自衛隊への災害派遣要請は必要ないかな?」

「現在、各ダンジョンセンターから所在の都道府県知事に自衛隊への災害派遣要請をしてもらうよう連絡しています」

「了解した。センターの救護隊の方はどうなっている?」

「既に各センターで救護隊を出しています。

 1階層の天井の崩落は今のところ確認されていませんが、確認されていないだけですからくまなく捜索する必要があります。とは言え、1階層については少人数でも回れますから、主力は2階層から5階層にかけての捜索がメインになると思われます」

「了解。冒険者にも手伝ってもらうことはできないかな?」

「救護については冒険者は素人ですから、いわゆる動員は難しいかと」

「そうか。そうだな」


「先ほども申しましたが、現在分かっている範囲で、1階層の天盤の崩落は全ダンジョンで確認されていません。しかし、1階層においても側壁が各所で崩落しています。また2階層以深の坑道内各所で側壁、天盤などが崩れているとの報告が入っています。

 以上です」


「小林くん、ご苦労さま。記者会見の時はよろしく頼む」

「はい」


「他の人で何かあるかな?」

 一通り長官が見回したが発言はなかった。


「とにかく情報の収集と負傷者の一刻も早い救助が必要だ。みんなもそのつもりで頑張ってくれ」

「「はい」」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る