第31話

 机の上につっぷしていると、メッセージの通知で携帯が振動した。結衣からだった。

『まだ学校?』

『うん、いま図書室』

『お、偉いねー。勉強?』

『いや、ちょっと違うんだけどね』

『じゃあ、このあと暇? カラオケ行こうよ』

『ごめん、先約あるんだ』

『デート?』

『違います』

『ふーん。じゃ、また今度ね!』

 妙に頭の大きい、カートゥーン調のウサギが手を振っているスタンプが送られてきた。元ネタは知らない。携帯が示す時刻を見ると、そろそろ約束の時間だった。緋山さんからもらった表と、現時点の情報をまとめたノートを鞄にしまって、私は図書室を後にした。


 

『水無瀬君の学校についたよ。校門の前で待ってるね』

『わかりました、すぐに行きます』

 メッセージを送って10秒もしないうちに、もう水無瀬君から返信が来た。下校時間のピークも過ぎたせいか、校門を通る生徒達はまばらだった。やはり、中学生というのは、高校生の私から見てもどこかあどけなさと幼さが垣間見える。向こうからしても、私は大人っぽく見えるのだろうか。

 校門で待ち合わせをするのって、水無瀬君にとってあらぬ誤解の種になってしまわないかと心配するのは、自意識過剰かもしれない。でも、私は緋山さんに校門で待たれて、実際にあらぬ誤解を招かれたのだから、あながち的外れな心配でも無い。そんな考えを巡らせていると、校門に向かって一直線に走ってくる少年の姿が見えた。水無瀬君だ。

 彼は、私の前まで辿り着くと、ゴールテープを切ったランナーのように膝に手をついて、息を整えていた。背中に背負ったリュックの中には、例のノートPCが入っているのかもしれない。いや、学校には流石に持って行かないかな。中学校って、スマホすらダメなところがほとんどだろうし。

「え、えーと…水無瀬君、久しぶり。大丈夫? そんなに走って来なくてもよかったのに」

 彼は息も整わない内に答えてくれる。

「い…いえ……だい、大丈夫です。お待たせして…すみません……」

 マフラーが暑そうだけど、上着は学ランしか着ていない。汗が冷えて風邪をひかないといいけど。冬場だと言うのに、額に汗を光らせながら、水無瀬君は顔を上げた。その顔には、初めて会った時とは別の場所に、絆創膏と青あざがあった。未だに、彼の無傷の顔を見たことが無い。

「その顔の傷どうしたの? 初めて会った時もそんなんだったけど。まさか、虐められてるの?」

「あ、いえ、これは……その……違います。虐められているとかじゃないんです」

 困った風に目線をあちこちに向ける。そうは言っても、よく見ると腫れている箇所もある。明らかに、殴られたような顔だった。そんな顔でいじめではないと言われても、全く説得力が無い。

「あ、水無瀬さん! お疲れ様っス! お先に失礼します!!」

 やたらと気合の入った声の方に思わず目を向ける。そこには、深々と、勢いよくお辞儀する男子生徒がいた。そのがっしりとした体格、短く刈られた坊主頭には反り込みが入っており、ズボンはダボつかせている。失礼かもしれないけれど、中学生に見えないくらいに老け込んでいる。今時珍しいくらいの、絵にかいた不良スタイルだった。そんな彼が、いま、なんて言ったっけ。聞き間違いでなければ、今の挨拶は、水無瀬君に向けられていたような。

「あ、お、お疲れ様…また明日ね」

 水無瀬君はぎこちない笑顔で、不良スタイルの彼に手をふる。彼は「ッス!」と気合の入った返事をして、その場を去っていった。

「えーと……今のは、お友達?」

 私の一言がそんなに意外だったのか、水無瀬君は、ハッとした表情を見せた後、少し照れ臭そうに頬をかいた。

「友達……ですかね。はい、友達だと思ってます」

 わからない。水無瀬君は、てっきり学校でいじめられてるのかと思ってたけど、どうやらそうでもないらしい。俄然、水無瀬君の学校生活に興味が湧いてきた。その興味が、私に言葉を滑らせる。

「その傷、いじめじゃないならどうしたの?」

「どうして、そんなこと聞くんですか?」

「それは……心配だから」

 一瞬、言葉に詰まったけれど、これは本心だ。嘘はついていない。本当は好奇心に押された部分も大きかったけれど、そんな野次馬根性は表には出さない。私の良くない性分だなと思う。

「ありがとうございます。でも…これは……ちょっと言えないというか、言いたくないんです、すみません。いつか、言える時が来たらでお願いします」

 そんなに申し訳なさそうな顔をして謝られたら、頷くしかない。元が不純な動機だから、尚更だった。こちらこそ不躾で申し訳なかった。

「えーと、今日は、何やらご相談したいことがあるそうですね。近くにお洒落な喫茶店があるんです。そこでお話ししましょう」

 やや早口だった。なんだか、用意していたセリフを読み上げるような印象を受けた。水無瀬君が案内しようと前に出たので、その前に、私は彼を呼び止めた。

「あ、水無瀬君」

「はい、なんでしょう」振り返る水無瀬君。

「ずっと言いそびれてたんだけど、この前は、助けてくれてありがとうね」

「僕が香月さんを? 何か助けましたっけ?」

「覚えていないの?」

「えーと……ちょっと待ってください………あぁ、アレですか。緋山さんの依頼で、香月さんのお家のルータにハックしに行った時ですか」

「そう、それ」

「すみません、あんまり、人助けをした認識はありませんでした。単に、緋山さんの依頼に応えただけですので。バイト料ももらってますし。なので、そんな、僕なんかに感謝しなくていいですよ」

 照れ臭そうに、目の前で手を振る水無瀬君。バイト料もあげてたんだ。でも確かに、タダで人を使うのは、なんとなく緋山さんらしくないので、納得だった。

 こっちです、と言って前を歩く水無瀬君についていく。道中、水無瀬君は携帯をずっと弄っていたから、危ないよと声をかけようとしたけど、その画面にはこんな検索ワードが見えた。

『女子 喫茶店 エスコート』

 思わず、顔がほころんだ。これくらいの年頃の男の子にとって、女子生徒と2人でお茶をするのは、一大イベントなのかもしれない。私は水無瀬君が赤信号に気付かず渡ろうとしたり、道路に出たりしないように見守りながら、彼の後をついていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る