第4話 我が身を捧げて済むものならば

真夜中の城に大量の人間が入り込み、にわかに場内は騒々しくなった。使用人たちはたたき起こされ、緊急で来訪者の対応に追われる。寝間着の上に上着を羽織り、髪を下ろしたままのセシリアは、農奴たちと顔を合わせた。先ほど馬に乗っていた黒髪の男が口を開く。


「話が早くてありがたい。自己紹介が遅れました。傭兵団を率いるダミアン・グレイグと申します」


側にいた者が彼の名前を聞いてはっと息を飲む。なぜそのような反応を取ったのか分からないセシリアはおやと思いつつ、ダミアンに話しかけた。


「話し合いをしたいと言いましたね。あなた達の要求は何ですか?」


「領主を出して欲しかったんだが?」


「逃亡したと言ったでしょう。まさか、我々が隠しているとでも?」


セシリアは眉間にしわを寄せて、露骨に嫌な顔をした。突き出せるものなら出してやりたいくらいなのに、痛くない腹を探られ、疑われるなんて心外だ。


「なぜ戦わずに我々を入れた?」


「無駄な流血を防ぎたかったのです。あなたたちの怒りは理解できます。領主は政治をほったらかし、領地は荒れていく一方。青薔薇の加護も最早望めない。城でも何でもくれてやるから自由になさい。私はもう疲れました。ただし、城の者には手出しをせぬように」


セシリアは自暴自棄になっていた。自分の身さえどうなっても構わない。とにかく何もかも考えるのが面倒になっていた。


「あなたは領民を捨てると言うのか?」


「だって要らないと言ったのはあなたたちでしょう!? でなければ、こんな暴力的な方法で城に押し入るものですか! 自分のやってることが分からないの?」


「そうだな。確かに平和的な手段とは言えない。だが、こうでもしなければ、俺に会ってくれなかっただろう?」


笑みを深くしたダミアンを見て、セシリアはびくっと身体を震わせた。


「あなた……何を言ってるの?」


「こいつらの望みはともかく、俺はあんたに会いに来た。もっと言うとあんたが目的だ」


「は……どういう意味」


セシリアは喉がからからになりながら、それだけ言うのがやっとだった。このダミアンという男は何者だ? 力を失った自分に何の価値があると言うのか?


「取引をしないか? こいつらの話によると、領主と違ってあんたはまともらしいじゃないか。こっちも領地経営のノウハウを持っている人間がいる方がありがたい。あんたが俺の物になれば領地の経営権の一部をくれてやる。もちろん、予算をどう使おうが自由だ。あんた自身が政治の主導権を握れる。こいつらもそれには異存ない。どうだ? 悪い話じゃなかろう」


領地経営の権限が自分に回ってくる。今まで喉から出が出るほど欲しかったものが得られるというのに、セシリアは血の気を失って真っ青になった。


「あなたの物になる……って、結婚するという意味? 私は既婚者なのよ!?」


「逃げた旦那など死んだも同然だろう? それともまだ未練があるのか?」


「まさか! あるわけないじゃない!」


セシリアは思わず口走ってからはっと口元を押さえた。


「ということは、あなたがここの新しい領主になるってこと?」


「そういう意味だ。どうする? 逃げた旦那よりはいい領主かつ、いい夫になるように努めるが? それとも、一途にクリストファーに仕える覚悟か?」


周りから「セシリア様! 早まらないでください!」などと悲痛な叫び声が上がる。しかし、セシリアの気持ちは定まっていた。何を言われようが、どんな人間に見られようが、領地の経営権が与えられるのは何物にも代えがたい。これさえあれば、窮状は改善するはずだ。そのためなら、どんなものも差し出す覚悟はできていた。


「分かりました。あなたの妻になります。それがあなたの望みなんでしょう?」


セシリアは青ざめながらも、はっきりした口調で言った。周囲ははっと息を飲み、ダミアンは満面の笑みを浮かべる。


「そうだ! 物分かりがいいな! 気に入った!」


その時、家臣の中から「こいつは悪魔将軍だぞ!」という声が上がった。悪魔将軍? 聞きなれない言葉にエレインは一瞬動きを止める。


「おお、この土地までその名が伝わっているのか。いないところで言われる分には構わないが、面と向かってだとおもはゆいな」


悪魔将軍と呼ばれた方は、怒るどころか、どこか誇らしげに笑みを深めた。戸惑いを隠せないセシリアに、ダミアンは意気揚々に説明してみせる。


「勝つためには手段を選ばないとかでそう呼ばれるらしい。正規軍に対抗するにはなり振りかまってられないからな。こちらも一戦交えるつもりで来たから、抵抗もなしに門が開いた時は、知られているのかと思ったが、今のあんたの顔をみるとどうやら初耳だったのか」


体が震えるのを必死で悟られないようにしながら、セシリアは改めてダミアンを見つめた。無造作に伸びた黒い髪、地獄の底を覗いて来たような漆黒の瞳、酷薄そうな薄い唇。底知れぬ闇をまとった顔貌を見れば、無数の屍を踏みつけて今の地位に昇りつめたのは明らかだ。この男の妻になると言ったが、それが悪魔に嫁ぐという意味だという事実を、今になってまざまざと突きつけられた。クリストファーほどひどい男はいないと思っていたのに、目の前の男はそれを遥かに越える悪魔かもしれない。しかし、決意の言葉を既に口にしてしまった。もう後には引けない。


「悪魔だろうが何だろうがどうでもいい。私には失うものなんてない。役立たずの聖女でも使い道があるのなら、喜んでこの身を差し出すわ」


殆ど顔の色を失っていたが、それでも毅然と胸を張って言うセシリアを見て、ダミアンは歓喜の雄たけびを上げた。


「やはり俺が見込んだ女だ! 末永くよろしくな!」

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