加護を失った青薔薇の聖女は悪魔将軍に溺愛される

雑食ハラミ

第1話 はじまりのはじまり

旅芸人の息子として生まれ、よかったことなんか一つもない。それでも、12歳の初夏の出来事だけは切り取られたように特別なものとなっている。


5月にしては少し汗ばむ日のこと。とある領主の城で祝い事があるとかで、そこで歌や踊りを披露するために呼ばれた。彼らは異民族で、この辺では珍しい黒い髪、黒い瞳を持ち、一目でそれと分かるので、まともな職業に就けず、旅芸人をして暮らす者が多い。


お城の内部は迷路のよう、庭園も広大で、数えきれない種類の花が咲き乱れ、どこまで行っても終わりが見えない。少年は用を足すつもりで一人離れたが、気づくと残りの者たちとはぐれてしまった。一人でいるところを見つかったら怪しまれてしまうと、焦りながら建物の中をぐるぐる回る。そのうち、狭い中庭にある小さな庭園を見つけ足を止めた。


「なんだ、これは……?」


目の前に広がる思いがけない光景に、思わず驚愕の言葉を口にする。そこは一種類の花しか咲いてなかった。辺り一面空を切り取ったような青。青い薔薇。この世に青い薔薇というものが存在するなんて知らなかった。庭園全体が薔薇の青に染まる中で、中央のガセボに一人の少女がしゃがんでいるのが見える。こちらに背中を見せ、彼の存在には気づいていないようだが、少年は好奇心に突き動かされ、半ば無意識に少女の方に歩みを進めた。


「あの……もし……」


「きゃっ!」


少女はいつまで経っても少年に気付く気配はなく、これ以上近づいたら失礼だと思い、思い切って声をかけた。呼ばれた方は、突然現れた見知らぬ他人に叫び声を上げる。少年は慌てて弁解した。


「すいません、無断で入ってしまって……仕事で来た旅芸人の者です。迷子になってさまよっていたんですが、余りに薔薇がきれいだったもので」


「あなた迷子になったの? そんなに大きいのに?」


少女は不思議そうに少年を見上げた。歳の頃は6歳か7歳くらい、ふんわり風をはらんだ亜麻色の髪が柔らかく揺れ、ヘーゼルの澄んだ瞳が少年を捕らえる。少年は、年下の少女に何をどぎまぎしてるんだと思いながら答えた。


「こんな大きいお城滅多に来ないので、つい」


すると少女はカラカラと笑った。この世の汚いものなど生まれてこの方見たことがないと言ったような、可憐で純粋な笑い声。こんなふうに笑う人を、少年は見たことがない。それから少女は、目を輝かせながら誇らしげに言った。


「ねえ、この薔薇きれいでしょう? 全部私が咲かせたのよ?」


「咲かせた? お嬢様が?」


「そう。ここにしかない青い薔薇なの。これは私にしか咲かせない花なんだって。すごく高く売れて、世界中の病気や怪我を治す原料になるんだって。知ってた?」


少年はキツネにつままれたような顔をして、首を横に振る。


「私も詳しいことは分からないけど、他に咲かせられる人は世界に数人しかいないからとっても貴重なの。私みたいのを『せいじょ』って言うんですって。あなたみたいな人が入れる場所じゃないのよ」


「そのっ、すいません!」


少年はまずいことをしてしまったと思い、慌てて頭を下げた。


「でも、ここに来れるなんてすごく運がいいから特別に一本あげる。自分以外の子供に会ったのは初めてだから嬉しいわ」


他の子供に会ったことがない? この少女は城から出たことがないのか? 疑問が次々に浮かびながらも、少年は一輪の青い薔薇を少女から受け取り、丁寧にお礼を言った。


「あのっ、これ枯れないようにするにはどうすればいいんですか?」


「花はいつか枯れるわよ。でも、薔薇の花びらは乾燥させてポプリにできるわ。お母さんにでも聞きなさい」


明らかに年下であどけない顔をしているのに、なかなか生意気な口をきく。しかし、圧倒的な身分差を考えれば妥当だろう。少年は、誰にも見られないように上着の中に薔薇を隠した。その時、遠くから誰かの声が聞こえてきた。


「セシリア様、セシリア様、どこにいらっしゃいますか?」


「あ、呼ばれちゃった。それじゃ私は行くわね。あなたも見つからないようにね」


そう言って、少女は小走りで中庭から建物の中へと入って行った。少年はその後ろ姿を見送りながら、「セシリア……セシリア……」と口の中で飴玉を転がすように、その名前を繰り返した。


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