第18話 触れてほしい
最近、一之瀬さんが変だ。
「ただいま」
「おかえりお姫さん」
おかえりを言ってくれた一之瀬さんは、すぐにドアの方へ向かった。
「……どこか行くの?」
「うん。ちょっと仕事があってね。でも夕飯は一緒に食べるから安心して。じゃあ、少しだけ出てくるね」
「…うん。いってらっしゃい」
「行ってきます。お姫さん」
そう笑って出かけてしまった。
やっぱり変。手を握ってくれない。頭を撫でてくれない。
───抱きしめてくれない。
いつもなら帰ってきてすぐ抱きしめてくれた。頭も撫でてくれたし、ずっと手も握ってくれた。それなのに……最近は全部無くて……私…………嫌われたのかな……。
真っ暗な部屋に一人うずくまる。少し開けた窓から、冷たい風が入って頬をかすめた。伝う涙も冷たくて。
寒いよ一之瀬さん……─────。
ふぅ…少し遅くなっちゃったな。お姫さん、少し元気がないように見えたから、早く帰りたかったんだけど……。
「ただいま」
その言葉の後にいつも聞こえる声はどこにもなくて。
「お姫さん?」
リビングにいないとなると、部屋にいるのかな。いつもならすぐにおかえりって言ってくれるのに…。
お姫さんの部屋に向かおうとすると、ドアが開いた。
「……おかえり…一之瀬さん…」
やっと名前を呼んでくれるようになったお姫さんが、また一之瀬さん呼びになっていた。
「ただいまお姫さん」
平静を装って笑ってみせた。けれど、お姫さんの顔はすごく暗くて
「お姫さん…どうしかしたの?」
「……最近抱きしめてくれなくなった。頭も撫でてくれないし…ねぇ、どうして?」
「……!」
泣きそうな目で見つめるお姫さんの姿に胸が締め付けられた。けれど触れるのはまだ怖くて。もし、歯止めが効かなくなったら──────。
「嫌いになった…?私のこと……」
「! 違うよ、お姫さん。君を嫌いになるなんてありえない」
「じゃあ……どうして………」
「……お姫さんのことが大好きだから、だよ。好きすぎて…制御が効かなくなって、おかしくなったら…そうなったら、きっと…お姫さんを傷つけてしまう。それだけは絶対に嫌なんだ」
お姫さんは俯いたまま、しばらく沈黙が続いた。
その時間がすごく長く感じて、不安が一気に広がった。
「おかしくなったらダメなの?……一之瀬さんは、私のことが好き…なんだよね?」
「うん、もちろん。大好きだよ」
「好きすぎるのは、いけないこと…なの?」
お姫さん……そんな風に見つめられたら……俺───っ、ダメだ。我慢……しないと。
「…いけなくは、無いと思うけど……やっぱり、だめだよ。君を守るためにも」
「……私が嫌だって言っても……?」
「え?」
嫌だって、言っても────?お姫さん、そんなこと言ったら
「ためらってほしくないって言っても、ダメなの?」
「……!」
ダメだよ、お姫さん。俺はただ───君を失いたくない。ただ、それだけで……。
「私は、一之瀬さんにならなにされてもいい。それに……ほんとに嫌なことはしないでしょ?」
「そんなの、当たり前だよ!でも……俺は、怖いんだよ。君に嫌われるのが。君が離れていなくなるのが…すごく、怖い……。どこまでなら触れていいのか分からないから」
だから、ずっと…我慢していたんだ。
それなのに───君が……
「離れないし、いなくならないよ」
君に、そう言われたら…俺は────。
「……お姫さん─────」
たまらなくなってお姫さんを抱きしめた。
「嫌ったりもしない。だって私たち……お互い大好き同士なんだから、なにがあっても大丈夫」
お姫さんが抱き返してくれて、少しだけ心が落ち着いた。
「不思議だな、あんなに触れるのが怖かったのに、お姫さんが大丈夫って言ってくれたから…もう、怖くない」
「……もう躊躇わないで。絶対に」
「大丈夫。もう我慢しないし、躊躇わない。そのほうが君を傷つけないって気がついたから」
「よかった。私の気持ちちゃん届いて」
「もちろん届いてるよ。……お姫さん、本当にごめんね。君のためだって思ってたのに、傷つけてしまって……」
少し前に見た泣きそうなお姫さんが頭によぎった。
あんな顔……もう二度とさせないって誓ったはずなのに。
「そんな顔しないで。寂しかったけど、今はちょっと、嬉しいから」
「嬉しい?またこうして抱きしめ合えたから?」
「それもあるけど……深也さんが私のことすっごく大好きみたいだから。こんなに思ってくれてるの改めて知れて嬉しいな…って……」
頬を染めたお姫さんが、また…名前を呼んでくれた。もう呼ばれなかったらどうしようって…不安で、俺が泣いちゃうところだったけれど。よかった……本当に、よかった。
「ふふ。お姫さん…俺の気持ち知れて嬉しいんだ」
「うん。ちゃんと知ってるけど、その……寂しかったから、いつもより嬉しくて……」
「俺も、今すごく嬉しいよ。名前……また呼んでくれて、すっごく嬉しい」
「…寂しかったんだから…………。もう、やめてね…」
「わかってるよ。だって俺たち両想いだもんね?」
「うん」
俺を見上げたお姫さんは頬を少し赤く染めていて。
あぁ、お姫さんはどうしてこんなに可愛いんだろう。
もっともっとお姫さんに好きだって伝えてもいいんだよね。お姫さんの言う通り、俺たちは両想いなんだから。
「……ねぇ、お姫さん。どんな俺でもそばにいてくれる?もっとお姫さんを抱きしめて、手も繋いで。頭もたくさん撫でて…そんな俺でもそばにいてくれる?」
弱い俺を見せたってお姫さんはそばにいてくれた。
「うん。一緒にいる。あなたといたい」
それはきっとこれからも変わらないんだ。臆病になりすぎてそんなことにも気づかなくなるなんて、お姫さんといなきゃ一生知らなかったな。ありがとうお姫さん。君のおかげで俺はもっとお姫さんを愛せるよ。
「お姫さん」
「ん?」
「この先の未来でもっと君に触れて、たくさん甘やかして、愛してもいい?」
「……! うん。たくさん愛して。これから先もずっと」
「愛してるよお姫さん。この先もずっと」
お姫さん ぺんなす @feka
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