22.迷子のごあんない【呪文】

 さて、その後です。現実の世界に何事もなかったかのように帰ってきた、無事生還した、という実感が不思議なほどにありません。なんだか頭が痺れています。

 おばあちゃんの家にお泊りしてそのまま置いてきた荷物があるので、ひとまずはそちらへ帰ることにしました。雨合羽はすっかり乾いています。

 百々ヶ峰さんは「おばあさんによろしくお伝えください」と言ってそのまま仕事モードに。すでにスーパークラガリの戦闘服、陳列担当の店員さん用の黒いエプロンをしていました。

 わいわいがやがやした店内では立ち話程度になったものの、あのバックヤードは、不思議な空間の一部を切り取った、ぼくらの“表”の世界と区別がなされたお隣さんな存在だとか、チョウチンアンコウは幻を見せて獲物を誘い込むおそろしい捕食者だとか、お客さんを増やすために連れてきたのは店長だけど管理は店員に任されていたとか、とても少し前の百々ヶ峰さんや大野さんの口からは想像できない言葉が飛び出して面食らいました。

「でもお客さまと接触はさせるなって……あたりまえですけどそういう決まりがあって。あー、気が重いな」

 店長さんに叱られる百々ヶ峰さんと大野さんを想像するといたたまれない気持ちになります。ふたりはぼくらを助けてくれたのに……いや、さっきどさくさに紛れて言っていた「やましいこと」が、お客さんに幻を見せて店に誘い込むことだとしたら、叱られて当然でしょうか。

 家に帰る前に見送りをしてくれた百々ヶ峰さんと大野さんに「カボチャの荷台とか、チラシ配りの怪しいバイクとかも、チョウチンアンコウの幻?」と尋ねると「きっとそうでしょう。お姉さんの身体を見つけたい、と望む気持ちが強くて珍しいものだっただけに、チョウチンアンコウは執着したのかもしれません」と百々ヶ峰さん。ぼくが見たのはずいぶん物騒なものだったけれど、ほかのひとには何を見せていたのでしょう。

「基本は当たり障りのない風景なんだと思いますよ。美味しい夕飯を囲む自分や家族の姿が見えて、ああ今晩はクリームシチューがいいな、なんて購買意欲を高める。もともとそのためにバックヤードで飼い始めたのであって、本当にお客さんを餌で釣って食べようとしてしまったのは初めてです」

「オレあいつに幻見せられたことないなあ……そもそも、“表”に居れば出遭うこともないですからね」とぎりぎり聞き取れるくらいの小声で大野さん。

「いえ、ぼく一度だけお店のなかであのチョウチンアンコウを見ました」

 え、と大野さんが目を剥き、百々ヶ峰さんはすこし居づらそうに肩を竦め、「クリーンタイムの放送がかかると消えるので、まあ良いかと思って……」「そんなに接近してたなら報告してくださいよ」「まさか、拾史郎くんたちが標的になっているとは」とふたりのやりとり。

 小競り合いめいた応酬が苦手なぼくは、人のまばらな日用品棚の角をひょいと曲がってみました。タッパーとかラップとか、主に台所で使う食品以外のものが陳列されています。とても日常的な風景。

 ここはスーパークラガリの西端のほうで、陳列棚を通り過ぎると小さなギフトコーナーがあります。まっすぐ通過すればレジで混み合う人たちとかち合うことなく店の外へ出られるよう動線が引いてあるようです。

 気になってギフトコーナーをちらりと覗いてみましたが、バックヤードで見聞きした怪しい手と声の主らしきひとは見当たりません。穏やかそうで人当たりのよい店員さんふたりが世間話をしていました。

 首を捻りながら、開いた自動ドアの先を見ると、さらに戸惑うようなことが起きていました。いつもと違う出入り口とはいえ、目の前に広がるのはまったく知らない景色だったのです。白い砂地。よくテレビで見る鳥取の砂丘とか、はたまた遠い国の砂漠のような。けれど、そもそもこれは現実なのか。現実だとしても、広がる砂の景色はどうも奇妙です。あまりにも真っ白すぎて、作りものめいて、見慣れた土の色ではありません。いつもの町の景色も消えており、この砂に飲み込まれたにしては、店内の人びとはふつうな様子です。ちょっとでも雪が降ったら空を見上げるひとが外へ出てくるのに、人っこひとりいません。

 おかしいね、とぼくの腕のなかのおねえちゃん。

「百々ヶ峰さんたちが言っとった世界の切り取りって、これのことかなあ」

「元の町はどうなってまったんやろう?」

 お互いの疑問に答えてくれるひとはいません。まったく知らない土地ですから、おばあちゃんの家も見つけられそうになく、とにかくぼくらは一度スーパークラガリに引き返すことにしました。百々ヶ峰さんたちに相談しようと思ったのです。

 そして振り返ったクラガリにも、誰も居ません。あれだけ賑やかだったBGMも、ギフトコーナーの店員さんたちもふっつりと消えています。奇妙なぶつぶつ呟くような音声が低く聞こえる気がしますが、耳を澄ましてもなにを言っているのか、人の声なのかすらよくわからないのです。

 ブツッ、と鋭い店内スピーカーの音が鳴り、思わず肩が跳ねます。奇妙な甲高い声。

〈インフォメーションカウンターより迷子のおしらせです。上村拾史郎くん、上村拾史郎くんの保護者の方、拾史郎くんがお待ちです〉

 ぼくらは怖くなり早足で、誰でもいいから人の姿を探しました。かあさん、おばあちゃん、鬼頭さん、百々ヶ峰さん、大野さん、鶴見さん、誰でもいいから。

 迷子のおしらせです。迷子のおしらせです。そこからはもう、耳を塞ごうとどこまで遠くへ行こうと、アナウンスがずっとずっとずっと、呪文のように響いて、ぼくらを追いかけてくるのでした。

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