第441話 トリカント

 明け方までハッスルして目を覚ますとすでに時刻は昼前で、音もなく走る馬車のベッドで一人、惰眠を貪っていたようだ。

 御者台に顔を出すとキンザリスとスポックロンが座っていた。


「おや、おはようございます。よくお休みになれたようで」


 とスポックロン。


「まあね、キンザリスはよく眠れたかい?」


 俺が尋ねると、少し頬を染めて、


「いえ、流石に緊張と興奮で、あまり休めたとは」

「ははは、まあそう言うウブな姿も愛らしいじゃないか」

「ご満足いただけたのであれば幸いです。それよりもまずは身支度をなさいましょう。そろそろ次の町に到着いたします、そのようなお顔では皆様の前にお出になるわけにはいかないでしょう」

「いやあ、俺はスッピンでもセクシーだと評判なんだがね」


 軽口を叩く間に、キンザリスが身支度を整えてくれた。

 彼女はテナやチアリアールに負けないぐらい女中スキルが高いようで、俺の寝てる間にみんなと相談して、しばらくは俺の世話をしてくれるらしい。

 新人は優遇されるのだ。


「キームちゃんの方はいいのかい?」

「ええ、お嬢様は手のかからないお人なので、今もお一人で家を出て勤めておられますし、向こうでの着付けなどで必要になるぐらいかと」

「育ちがいいのかねえ」

「聞けばご主人様は女神エネアルに育てられたとか。かの女神はネアル第一の使徒として近頃評判の女神様。これに勝る教育があるものでしょうか」

「女神ってのは案外奔放でね、教育という点ではいかがなものかという気はするね」

「では、この国で必要なマナーは、私がお伝えしましょう」

「あてにしてるよ。俺はことのほか、だらしない方でね」


 もっとも、キームちゃんを見てる限り、そんなに堅苦しいマナーに縛られてるようには見えないんだけど、こう言うのは個人差があるからな。


 昼になり、適当なところで休憩をとってランチにする。

 キンザリスはなかなか過保護なようで、俺の周りにべったり張り付いてあれこれ世話をしてくれる。

 といっても母親のような甘やかしではなく、こちらの望むタイミングで料理を出したり、お茶を出したりというだけのことだが、昨日出会ったばかりでこの呼吸の合い様なのだから大したものだ。

 従者の人数の割に、こういう女中スキルの高い人材は少なかったからな。

 得難い人材だと言えよう、と思っていたら、


「ご主人様、昼間からお召しになるには少々量が多すぎるのでは?」


 といって飲んでる酒を引っ込めたり、


「ご主人様、いくら己の従者とはいえ、往来でそのように舐め回すようにみてははしたのうございます」


 などと鼻の下を伸ばしていたらたしなめられたりして、まあ、こういうのもたまには新鮮だなあ、と思った。

 そんな様子を見ていたキームちゃんは、あははと笑いながら、


「キンザリスも随分張り切っていますねえ、彼女はもともと私の家庭教師として父が雇ったのですよ」

「ほほう」

「うちは何人も使用人を雇えるような家では有りませんし、住み込みの女中が一人いるのですが、宮仕えに必要な礼儀作法を教育する能力は有りませんでしたから、彼女のような人材はありがたかったのです」

「ふうん、彼女は僧侶だと言っていたが、貴族のマナーにも詳しいのか」

「他所の国はどうか知りませんが、この国のホロアはたいてい、そうした教育を受けており、奉仕誓願を立てて独り立ちしたあとは貴族や商人の食客として渡り歩くんですよ。これは双方に箔がつくといいますか、貴族の子女にとって名のあるホロアの教育を受けるというのは将来に影響しますので」

「なるほど、スパイツヤーデなんかじゃ、独り立ちしたあとも教会が旅のサポートなんかをしてくれるそうだけどな」

「そのようですね。でまあ、うちみたいなところにホロアが来てくれるという事はまずないのですが、キンザリスの場合、エリソーム氏も言っていたように、色々とトラブルを抱えていたようで」

「ここだけの話、俺と相性のいい人間は、何かしらしでかしてるもんだ」

「人の社会の枠に収まらぬ、ということでしょうか」

「無理に褒めなくてもいいんだよ」

「あはは、しかしキンザリスは実に満足そうですね。やはりホロアというものは主人を得てこそ輝くといいますか、天職なのでしょうね」

「君も今の仕事は気に入ってるんじゃないのかい?」

「そうですね、実務はおおむね満足していますが、やはりもっと基礎研究に打ち込み、工学的な発明を積み重ねていきたいという気持ちはありますから、紳士様にはぜひとも頑張っていただきたいものですね」


 頑張れと言われても、俺が頑張れるのはナンパだけなんだけど。

 むしろ頑張ってキームちゃんをナンパすれば家で思う存分研究や発明に勤しめるんだけどなあ、とは思ったものの、一流のナンパ師としてはそういう物で釣るような真似は物で釣られたい相手を除けば好むところではないので、別の手段で攻めてみよう。


 移動が馬車になって、キャパに余裕が出てきたので内なる館や輸送機などで待機していたメンツの一部も合流した。

 今も大きめのリムジン風馬車に二十人ほどが乗ってだらりと豪華馬車の旅を満喫しているところだ。

 満喫と言ってもゲストがいるので俺のもっともオーソドックスなスタイルであるおっぱいに囲まれてニヤニヤするやつはおあずけなのだが、快適な馬車で旨い酒を飲みつつ、美女と歓談するのは十分に楽しい時間だと言えよう。

 そうして俺たちが自堕落な時間を過ごす間も、馬車は南へ進む。

 半日進んでも周りの景色は砂漠のままだ。

 西に連なる巨大な山脈を超えればジャングルが広がっているのが信じがたいところだな。


「いやあ、馬車もこれだけ立派だと良いものですね。一見普通の馬車に見えて随所に古代文明の技術が垣間見えるところも実に憎らしい。紳士様はこうした技術を我がものとされているんですねえ」


 そう言って壁に設置された冷蔵庫を撫で回すキームちゃん。

 そこに少し離れた場所の酔っぱらいから催促の声がかかる。


「だれかー、おかわりをー、ほしいんですけどー」


 そう言って空ボトルをぶらぶらさせながら近づいてきたのはデュースだ。

 しばらく内なる館に引きこもっていたせいか、自堕落が極まっている。

 馬車の中は酔っ払いでも歩ける程度に安定しているのでいいんだけど、ものには限度があるようで、俺の前まで来るとぐにゃぐにゃと座り込む。


「飲み過ぎだろう」

「そうですねー、内なる館は暇だったのでー、連日ずっと飲んでたせいでー」

「むちゃするなあ、もう若くないんだから」

「おおきなおせわですよー、あらー、こちらのお嬢さんは南方では珍しい見事な金髪碧眼ですねー、トリカント人でしょうかー」


 とキームちゃんに絡む。


「いえ、私はデルンジャの……。でも祖先はトリカントの貴族で嫁いできたと聞いております」

「ははあ、そういえばシャーエイルの乱以降、あの国も混乱してましたからねー」

「そんな昔のことを、よくご存知ですね」

「まー、以前はー、よくこちらにー、来てましたからー、あの時もー、あれをー、燃やしてー、むにゃむにゃ」


 そこでデュースは酔いつぶれてしまった。

 重い体を担ぎ上げて空いた席に寝かせ、毛布をかけてやる。


「この方、だいぶ酔ってたみたいですけど大丈夫でしょうか。でも南方のことに詳しいみたいですね」

「そうなあ、ところでトリカントってのはこの辺の国なのかい?」

「ここからまっすぐ北上したところにある海沿いの国です。外デルンジャと呼ばれる一帯は、昔はカントール地方と呼ばれ、トリカント、ルスカント、ペイカントの三国があったんですが、ウェーリット海の北の運河をカジマに抑えられ、北方への出口を求め北進してきたデルンジャによって、ルスカントは滅亡。私の祖先の住んでいたトリカントも五百年ほど前ですが、黒竜会に国ごと乗っ取られそうになったところを、黒竜討伐隊の力で救われたとか。そのときにかの六大魔女の一人、雷炎の魔女が放った炎が、山上の神殿を七日に渡って焼き尽くしたと言われています」

「へえ、雷炎の魔女がねえ」

「さぞ壮観だったでしょうねえ」


 それを聞いて隣でいびきをかいてるむっちりした人物を眺める。

 確かに壮観だな、尻が波打ってる。


「うちの祖先はその後の政変やらなんやらでデルンジャに来たそうですが、今も所領もなくわずかばかりの俸禄でお目見え以下の、あ、お目見えというのは預言者に謁見できる権利のことなんですが、それも持たない貧乏貴族でして」

「なるほどねえ」

「この機会にペルンジャさんに取り入ってコネを作ればと思わないでもないんですが、まあそういう面倒なのはあとが続かないので私向けじゃないですね、あはは」


 などと笑う。

 まあ、不向きなことを避けるというのは、大事なことだよな。

 日が傾くにつれて、徐々に道が山道へと入ってきた。

 ここから海岸を離れ、山脈の合間を抜けるコースになるらしい。

 エリソームによると、


「あと一月もすると雪が降り始めますが、今のうちならローザイ山脈沿いを縦走するこちらのほうが近いので。冬になると死の谷を西に抜けて灰の森の側を通らなければなりません。この土地は古より呪われた土地として立ち入りはおろか、近づくことも避けられております」

「物騒だねえ、俺としてはなるべく楽な方で頼むよ」

「そうおっしゃられるだろうと思いました。こう見えても、身分の高い方々の機嫌を取るのは得意なつもりだったのですが、どうも紳士様が相手だと調子が狂うと言うか」

「トラブル続きで緊張してたんだろう。こうして乗り物も次々乗り換えていけば、怪しい連中に襲われる心配ももうないんじゃないか」

「そうだと良いのですが」


 そう言ってエリソームは苦笑する。

 ここから丸一日かけて山間の道を抜けると、大きな街に出る。

 そこから再び列車で一日走るとデルンジャの都ラジアージャにつく。

 つまりあと二日でこの旅も一段落というわけだ。

 そこで預言者とやらと交渉して、ペルンジャちゃんの安全を確保できたら一度ルタ島まで戻るつもりではいる。

 いるんだけど、そううまくいく自信はない。


 現在のところ、こちらでこなす必要のある予定としては、ペルンジャの護送のほかに、パシュムルの両親が塔見学するのをフォローする、あるいは諦めてもらう、列車強盗に際しての鉄道警備隊の不始末をフォローする、行方不明のビジェンと言う謎のホロアを探す、ぐらいだろうか。

 あとはせめてもう一人ぐらいはゲットして帰りたいよな。

 キンザリスはアジア風のオーソドックスな外見だったので、南国風エキゾチック美女などいいとおもうんだけど。

 ピビちゃんなんかもあと五年もすればかなりいい感じに仕上がりそうなので、今のうちに確保しておきたいみたいな気持ちが湧いてくるじゃん。

 もちろん、都に行けば新しい出会いもあるかもしれない。

 ガーレイオンを連れてナンパして歩いてもいいなあ。

 そう考えると、まだまだやれることはありそうだ。

 頑張ろう。

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