第257話 番外編 二人の美姫 後編
エンシュームが用意したのは四人乗りの小さな馬車で、エンシュームと侍女のハシュー、それに我が子を抱いた母親にメリエシウムが乗ると一杯だった。
馬車には多めにランプを灯す。
夜道にこれだけ灯せば目立つが、月明かりも満足にささぬ田舎道を進むには心もとないぐらいだ。
屋敷に詰めていた警護の兵士も四人、馬に乗って松明を片手に同行する。
魔物の小隊でも攻めてこないかぎりは、まず大丈夫だろう。
もっともメリエシウムがみたところ、兵士たちの質は程々、といったところであった。
馬車の中で、メリエシウムはさほど得意とはいえない回復呪文を病気の子供にかけるが、効果はないようだ。
重い病気か、毒にでもあたったのかもしれない。
彼女に判断がつく症状ではなかった。
それはエンシュームも同じことで、こう言って嘆く。
「ああ、結界ばかり学ばずに、回復呪文も身につけておくのでした」
「ですが、魔法というのは、剣の道と同じで一つに専念するのが王道だと聞きます」
「ええ、私に術を教えてくれるパエもそのように言っていました。ですが……」
街までの道中は、そろそろ中盤に差し掛かっている。
森が少し切れて、崖沿いの道に出た。
メリエシウムが窓から見下ろすと、遠くに街明かりが見える。
あれが目指す麓の街だろう。
崖を抜けると再び森の道だ。
窓の外は深い闇。
馬車から漏れる明かりに照らされる僅かな範囲のほかは、何も見えない。
馬車の揺れる音と、幼子の荒い呼吸音だけが、夜の闇に響いていた。
突然、馬車が止まる。
「まあ、何事でしょう?」
侍女のハシューが御者に声をかけるが、返事がない。
「確認してきましょう、しばしお待ちを」
メリエシウムは室内に吊り下げたランプを一つ手に取り、馬車を降りる。
御者台を確認するが、そこに御者の姿はなかった。
周りを警護していたはずの兵士たちも姿がない。
メリエシウムは、左手にランプを持ち替え、右手を空ける。
次の瞬間、目に見えぬ速度で振り返り、背後から忍び寄った何かを手刀で打ち据えた。
「ぎゃぁ」
と絶叫したのは、灰色のフードを身に着けた男だった。
体を覆っていた布切れを剥ぎ取ると、どうやら山賊のようだ。
となると、すでに同行の兵士たちはやられたと見るべきだろう。
しかし、メリエシウムに気配さえ感じさせずに、四人もの兵士をどうやって?
「エンシューム殿、敵は山賊! 気をつけられよ!」
そう呼びかけるが、こちらも返事がない。
慌てて馬車の扉を開けると、中はもぬけの殻だった。
「まさか!」
いかに姿を隠していても、これだけそばにいて、四人の人間を運び出せば、メリエシウムが気づかぬはずもない。
そうは思うが、現に目の前から全員姿を消している。
そこに再び殺気を感じて剣を抜き打とうとした瞬間、
「いけません!」
呼びかける声にはっと我に返ったメリエシウムの前には、母子をかばうエンシュームの姿があった。
「こ、これは……幻術か!」
「よかった、正気に戻られたのですね。この地には事前に強力な結界が張られていたようです。解除するのに時間がかかってしまいましたが」
「なんと、危うくあなたを傷つけてしまうところでした」
「しかし敵の正体はなんでしょう? 行きずりの山賊とは思えませんが……」
最初にメリエシウムが倒した相手は本物だった。
幻術のせいで姿が見えなかった御者は、御者台に崩れ落ちていた。
どうやら毒で痺れさせられているようだ。
命にかかわるかはわからぬが、こちらも放っておくわけにはいくまい。
「護衛の兵士たちも見えぬようです。無事だと良いのですが」
エンシュームはそう言って心配しているが、メリエシウムは別の心配をしていた。
先ほどの兵士の誰か、あるいは全てが賊の仲間である可能性だ。
エンシュームと違い、騎士団長として世の中の色々な側面を見てきたメリエシウムだ、味方が常に味方であるなどという願望にしがみつくことはない。
あるいはこの母親も賊の仲間である可能性を考えたが、メリエシウムにはとても演技とは思えなかった。
「とにかく、急いでここを抜けましょう。エンシューム様は、結界を張り巡らし、新たな攻撃を防いでください、お願いできますか?」
「やってみましょう。メリー様は?」
「御者が動けぬ以上、私が馬を使いましょう。その母子をたのみます」
「かしこまりました」
母親は怯えるばかりだが、まだ幼さの残るエンシュームは、肝が座っているのかこの状況でも動じる様子は見えない。
先ほどの解呪の術といい、見かけ以上にできるようだ。
今一人の侍女ハシューはと見れば、主人の心配をするばかりで、能力のほどはメリエシウムにはわからなかった。
馬車が進む。
パエやコンツ無しでの冒険など、エンシュームにとって初めての経験である。
それはとても不安で、そしてそれ故に、自分は今、己の力と判断で行動しなければならぬのだという決意を、彼女にもたらしていた。
そして、さっき知り合ったばかりの旅の巡礼者。
彼女はなぜだか、長年の友のように、無条件で信頼できると思えた。
コンツの恩人である雷炎の魔女に言わせれば、それが相性というものですよー、と答えたであろうが、今のエンシュームには知る由もない。
真っ暗な夜道を、馬車が進む。
母親は青かった顔が真っ白になり、今にも倒れそうだ。
何かしなければとエンシュームは気ばかり焦るが、こんな時の対処法など、彼女はまだ誰にも教わっていなかった。
それでもどうにかしようと、必死に考える。
エンシュームは思い立って、馬車の中を漁ると、ブランデーのボトルとグラスがあった。
それをいっぱいに注いで、母親に手渡す。
「さあ、気付けにこれを飲んで、気を落ち着けて。何より母親のあなたがしっかりしなければ、誰がその子を守るのです」
母親はうなずき、小さなグラスを一気に煽った。
酒の味を覚えたばかりのエンシュームでは、こんなに濃いお酒を、一気には飲めないだろう。
思わず笑いそうになるところを、ぐっと我慢した。
そしてその行為によって、彼女自身も冷静さを取り戻すことができた。
「エンシューム様、後方に追っ手の気配があります。速度を上げますから、お気をつけを」
御者台から響く声に、エンシュームは力強く返答する。
「分かりました! そちらも気をつけて」
ムチのしなる音とともに馬がいななき、馬車の速度が上がる。
窓から外を見ると、馬車の明かりに照らされた森の木々が、次々と後方に流れていく。
ゆらゆらと波のように揺れるその景色は、とても不確かで、エンシュームは取り戻した冷静な心で、いいようのない不安を抑えつけていた。
一方、頼りないランプの灯りだけを頼りに、馬車を走らせるメリエシウムは、不意に騎士団時代の夜駆け訓練を思い出した。
馬術一番であるエーメスが先頭を駆け、ついでクメトスが、そして他の仲間達が続く。
あの時は真っ暗な闇の中でどれほど速度をあげようとも恐ろしさはなかった。
何かあれば前を駆けるエーメスが気付くであろうし、彼女の真横にはクメトスがいた。
だが、今の彼女の周りには深い闇しか存在しない
あの頼もしい仲間たちを捨て、私はこのような山奥で何をしているのだろう。
真っ暗な闇の中、一人ぼっちで馬を駆る私は、何をしているのだろう。
人生の大半を掛けた使命を果たし、おそらくは残りのほうが長いであろう人生において、何を我が使命として、私は前に進めばよいのか。
湧き上がる不安を抑えられない。
気がつけば周りは全て闇だ。
我が進むべき道を示す灯火は何処に。
灯台の明かりがなければ、湖上の船は、いたずらに舳先を惑わすばかり。
私は名も知らぬ湖に浮かぶ、ちっぽけな小舟だ。
風を受ける帆も無ければ、水をかく櫓もない。
ただ流されるままに、永遠にここで漂うのだ。
そのとき、ふと小指になにかの感触を覚えた。
そうだ、この感触はあの時の……。
あの人と約束を契った、あの時の感触だ。
――私のエルダーナイトに、なってもらえませんか――
秋深い森の奥での、神聖な誓い。
今でも、あの人の声をはっきりと覚えている。
ああ、私はあの時、確かに誓いをたてたのに、あの人のそばを離れ、一体何をやっているのだろう。
一度湧き上がった後悔は、たちまち彼女の心を捉え、深く暗い方へといざなっていく。
だが、その時再び、あの人の声が聞こえた気がする。
不意に景色が御者台の上に戻った。
眠っていたのか?
いや、これは敵の術だ!
我にかえると同時に、闇夜を切り裂く弓弦の鳴る音。
とっさに身をかわすと、メリエシウムのいた場所に、矢が突き刺さる。
火矢だ。
素早く火を打ち消し、結界を張るが、続けざまに矢が襲いかかる。
彼女の張る結界では、矢までは防げない。
そのうちの何本かは、馬車に火をつけることに成功したようだ。
「襲撃だ!」
メリエシウムは襲い来る矢をなぎ払い、手綱を握りしめて馬車を走らせる。
やはり、この道中には罠が仕掛けてあったようだ。
行きずりの山賊ではあるまい。
おそらくはエンシュームを狙って、周到に準備していたのであろう。
彼女を狙う理由は?
そんなものはいくらでも思いつく。
キッツ家ほどの大貴族ともなれば、身代金だけでも山賊が命をかける価値があるだろう。
メリエシウムの声は、キャビンに居たエンシュームにも届いていた。
ドンッ、と大きな音とともに馬車が揺れる。
あわや転倒するかと身構えたが、どうにか持ちこたえたようだ。
「ハシュー、母親と赤子を守りなさい」
侍女にそう言い捨てて、窓から様子をうかがうと、馬車に火を放たれたことがわかった。
「伏せて!」
再び声がして、エンシュームは身構える。
どうっ、っと大きな音とともに、激しく馬車が揺れた。
車体が傾いたまま、しばらく進み、そこで止まる。
どうやら、車輪をやられたらしい。
火も付けられている、いつまでもここに隠れているわけにはいかない。
私は、どうすればいいのです?
エンシュームは自問する。
あのお方なら、どうするのです?
エンシュームは問い直す。
あのお方であれば、きっと母子を助け、自分も守り、敵を打ち払うだろう。
贔屓目に見ても、あのお方自身にその力があるとは思えない。
コンツのような豪剣も、パエのような術も持たない。
だが、あのお方には優れた従者と知恵がある。
それによって、どんな豪傑にも成し遂げられない、偉大な成果を達成されるのだ。
貴族である自分に求められているものも、同じではないか。
その万分の一でも、あのお方から学ばなければ。
であるならば、考えなければならない。
なぜ、このような自体に陥ったのか。
犯人の意図はどこにあるのか。
次に取る行動は何か。
敵はあとどれだけ居るのか。
見えない敵をおびき出すために、あの時、あのお方はどのような行動を取ったのか。
考えを巡らせるうちに、ふいにあのお方の姿が心に浮かぶ。
それでエンシュームの心は決まった。
エンシュームは懐から秘蔵の札を数枚取り出すと、一枚を自らの懐に忍ばせ、母子を伴い燃え上がる馬車から飛び出す。
外ではメリエシウムが山賊二人を相手に斬り合っていた。
相手は二メートルを越す大男だが、メリエシウムの剣捌きは凄まじく、瞬く間に一人を切り捨てた。
達人であるコンツを見慣れていたエンシュームだが、メリエシウムの腕は、それに引けを取るものではない。
戦況はこちらのほうが有利と見たエンシュームは、一歩下がって母子の護衛に徹する。
そこに、遠くから近づく馬影があった。
駆けつけたのは、同行した兵士の一人だった。
「無事だったのですね、よく来てくれました」
とねぎらうエンシューム。
「遅れて申し訳ありません、姫さまこそよくご無事で」
「他のものは?」
「それが、突然前後不覚に陥り、気がつけば茂みの中に倒れていて。ひとまず私が駆けつけた次第」
今一人を切り捨てたメリエシウムは駆けつけた救援者を見る。
言葉の割には、革鎧には草のシミひとつついておらず、走ってきたにしては汗ひとつ書いていない。
まさか、とメリエシウムが思った瞬間、兵士はエンシュームの首元にナイフを突き付けていた。
「う、動くんじゃねえ。おめえは人質だ」
しかし、囚われたエンシュームは、眉一つ動かさず、冷徹にこう言ってのけた。
「やはり、あなたが山賊の仲間だったのですか。他のものはどうしたのです?」
「へへ、今頃谷底でおねんねしてるだろうさ」
「なんということを……、何が不満だったのです?」
「うるせえ、てめえみてえなお姫様に言ってわかるかよ!」
「確かに、私にあなたのことはわかりませんが、あなたも私のことがわかっていなかったようですね」
「なに?」
あっ、と兵士が叫ぶと、エンシュームだったものはたちまち煙と消え、兵士はさっき倒した山賊の死体にナイフを突き付けていた。
そしてどこからともなく、声が聞こえる。
「あの状況で、あなた達を微塵も疑わないとお思いですか?」
「なに!?」
「真実も見えぬあなたの眼で、いかにして我が姿を捉えようと言うのです」
「ち、ちきしょう!」
逆上した兵士は、山賊の死体を突き飛ばすと、夢中でナイフを振り回す。
だが混乱した兵士一人、メリエシウムの敵ではない。
簡単に打ち据えられ、捉えられた。
メリエシウムが兵士を縛り上げ、エンシュームの名を呼ぶ。
「エンシューム殿、もう出てきてもよろしいかと」
すると、さっきの山賊の死体が、再びエンシュームへと姿を変えたではないか。
自らの身体を死体と見せかけて、敵の目をくらませたのだ。
「なんと……」
「とっさの変化でしたが、上手く行ったようですね」
「危険なことを」
実際、腕に薄い傷がついていた。
「必ず敵には内通者が居るであろうと思っていましたが、うまく炙り出せたようです」
「確かに。あなたの勇気ある行動のお陰で、片がついたようです」
そう言われたエンシュームは、急に恥ずかしくなって頬を染めた。
「ごらんなさい、麓の見張り台に火が灯りました。おっつけ、警備の兵士が駆けつけるでしょう」
そう言ってメリエシウムが指差す先には、街の明かりがきらめいていた。
生き残った兵士や山賊の証言で、事件のあらましが明らかになった。
兵士の一人が、山賊と内通してエンシュームを誘拐する計画を立てていたらしい。
目当ては金だ。
パエやコンツがいないこの時期を好機と、罠を仕込んでいたのだ。
本来は週に一度、エンシュームが教会を訪れる際に襲撃するつもりだったが、今回のことでとっさに事を起こしたのだとか。
結果的にこの偶然は、メリエシウムという助っ人を得たエンシュームに味方したのだった。
もし当初の予定通りに決行していれば、誘拐は成功していたであろう。
件の兵士は、出発前に景気づけと言って薬入りの酒を仲間に飲ませ、山賊に合図を送りながら罠に馬車を誘導する。
同行した若い巡礼者のことは、まったく気にしていなかったという。
細面で頼りない印象の、若い娘だ。
うまく生け捕れれば、慰みものにした後に売りさばこう、ぐらいに考えていたようだ。
赤子は処置が早かったお陰で一命をとりとめ、二人の姫は母親から伏し拝むようにして感謝された。
エンシュームは、自分の行いが誰かの命を救ったという事実に気が付き、思わずのぼせ上がってしまったが、それを顔に出さないようにするのは、まだ難しいようだった。
メリエシウムも、騎士として何度も人々の役には立ってきたが、名も無き一巡礼として、無事に幼子の命を救えたことに、大きな満足感を覚えていた。
つまるところ、無心で誰かの役に立つという行為の尊さを、二人は再確認したのだった。
「ピンチの時に、あの方のことが、必ず心に思い浮かぶのです」
とエンシュームが言うと、メリエシウムも頷いて、
「私も、何やら耳に語りかける声が聞こえた気がしました」
「きっと、その声の主があなたにとって大切な人なのですわ」
「ええ、私もそう思います」
「ふふ、メリー様のお相手がどんな方か、とても興味があります。女の子ってそういうものでしょう?」
「お気持はわかりますが、口に出すのは……恥ずかしいものです」
「あなたほどの腕をお持ちでも?」
「それとこれとは別物。こと、恋心などというものを前にしては私などは赤子同然。むしろあなたの教えを請いたいぐらいです」
「まあ、未だ私の恋は、目も開かぬ雛鳥の如き未熟なもの。いつか大空に羽ばたく日まで、胸の奥の小さな巣で、温めておかねばなりません」
「いや、あなたはもう、一人で飛び上がるだけの翼を持っている。私もそろそろ、生まれ育った巣に帰る頃合いかもしれません」
「せっかく、お近づきになれたのに……」
「大丈夫です、一度芽生えた友情は、決して枯れることはありません」
「私には、家族や恩師はいても、それを確かめるだけの友はいないのです」
「では、私が生涯をかけて、それを証明して差し上げましょう。あなたの友である、この私が」
その言葉を聞いたエンシュームは、ぽっと頬を染めて、うなずいた。
「信じます、友の言葉ですもの」
それから数日を置いて、メリエシウムは再び、巡礼の旅路に付いた。
別れしな、二人は念入りに封をした手紙をかわす。
エンシュームの提案だった。
「ここにお互いの想い人の名前をしたためておきましょう。そうして、あなたがここを去ったのちに、お互いにそれを読むのです」
「それは、とても素敵なアイデアです」
「では、またの再会を誓って」
お互いが受け取った手紙に、同じ名前が書かれていると知った時の二人は、どんな顔をしたのだろう。
それは当人たちしか、知らぬことだ。
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