第228話 手本
朝、いつもどおり惰眠を貪った挙句にのっそり起き出すと、ミラーが報告に来た。
「紅からの定時報告です。現在、デラーボン自由領の南、カラーブの柱を東廻りで南下中、追跡対象から二日遅れ、とのことです」
「ふむ」
「未確認ながら、同行する案内人の情報によると、錆の海の南岸に住む魔界学士と呼ばれる賢者の元を目指しているのではないか、とのことです」
土地勘がないのでどこをどう動いてるのかさっぱりわからんが、エレン達はだいぶ深入りしているんじゃないかな。
「三人共、大丈夫そうなのか?」
「健康面での問題はないようです。安全面においては、アウリアーノ姫から提供を受けた案内人がいるので魔族とのトラブル対策は大丈夫であろう、ただし魔物は強いので極力戦闘は避ける、と紅は言っていました」
「ふむ」
気になるなあ。
俺も行けばよかったか。
もっとも、俺がいたんじゃあいつらの足手まといにしかならないだろうが。
それにあの三人はうちでも特にドライな性格だから、無茶はしないだろう。
そんなことを考えていると、シルビーがやってきた。
「今日もお世話になります」
と頭を下げて、クメトスのところに行く。
実家の方はもう全部うまく片付いたんだろうか。
貴族の社会ってのも、全然わからんから想像もつかんのだよな。
まあ、特に悩んでいる様子もないし、最近はいつも明るくしているようだけど。
シルビー達は、今日はクメトスの元部下だったエーメスを交えて二対二で練習しているようだ。
エーメスはクメトスをちょっとグレードダウンした感じでオールマイティな騎士だ。
グレードダウンと言っても、相当なものだが。
クメトスとエーメスのコンビは若年層向け剣術大会の仮想敵としては強すぎると思うが、フルンとシルビーは頑張って特訓している。
頑張る少女たちの姿を見ていると、おじさんもなんだか心がポカポカしてくるよ。
さっきから飲んでる酒のせいかもしれないけど。
朝から飲む酒は格別だよな。
つまみが汗を流す娘達とくれば、なおさらだ。
その日の午後。
特訓と昼食を終えたクメトスたちは、少し日差しが暖かいこともあって、裏庭で火を焚き、湖を眺めながら剣術談義に花を咲かせている。
クメトスは現場の経験が豊富なので、振る舞いは地味だがいろんな状況も経験しており、話す内容はバリエーションに富んでいる。
まあ、話す内容も地味なんだけど。
それでもフルン達は熱心に耳を傾けていた。
そう言えば、俺もエツレヤアンの街でセスに稽古をつけてもらい始めた頃、いろんな剣士の話などを聞かされたもんだなあ。
そうした手本話を聞いて想像するというのも、立派な修行のうちなのだろう。
などと考えながら引き続き酒を飲んでいたら、ノコノコとパロンがやってくる。
「はー、あかん、わしゃ才能ないわー」
今日はテンションが低そうだ。
三日に一回はへこんでる気がするな。
思い込みが強すぎるのかなあ。
当り障りのないように励ましておくか。
「どうした、今日はご機嫌斜めだな」
「斜めどころが真っ逆さまにどん底じゃい」
「まあ、そういう時は酒でも飲め」
俺が空いたグラスに注いで差し出すと、パロンはひっつかんで一息に飲み干した。
「かーっ、きっついの飲んどるのう」
「もうちょっとゆっくり味わって飲むんだよ」
「チョコの味も良うわからんわしに、酒の味がわかるかい」
「あんまり悲観的になるもんじゃないぞ、お前のチョコはすごくうまいからな」
「そ、そうかの?」
と一瞬顔が明るくなるが、またすぐにへこむ。
忙しいな。
「いったい、何が不満なんだ? お前のチョコは十分うまいだろう」
「そりゃあのう、そこいらの街のチョコと比べりゃ十分うまいんじゃけどな。われに教えてもろうた技もあるしのう。でものう……」
「うん?」
「むかーし、一度だけ食べたチョコはもっとすごうてのう、アレをもういっぺん食べたいおもてここまで色々やってきたんじゃが、何を頼りにつくればええのんか……はぁ、ぐびぐび」
ぐだぐだと酒を飲むパロンを眺めながら、どうやって励ましたものかと考えていると、今度はパン屋のエメオがやってきた。
彼女も最近、毎日来るな。
「パロンさん、どうしたんですか、そんなにぐにゃーっとして」
「ぐにゃーっともなるわい、今のわしは干上がったクラゲみたいなもんじゃい」
「クラゲって干物にするとコリコリして美味しいんですね、こっちに出てきて、はじめて食べました」
「なんじゃい、最近の人間はクラゲまで食うんかい」
「最近の人間って、まるで自分は魔物か何かみたいな言い方して」
「はん、自分の舌も満足させられんようなもんは、魔物以下のこんこんちきじゃい」
「じゃあ、これでも食べて再確認してください」
と巻き貝型のチョココロネを取り出す。
「頼んでおいた型が出来たので、焼いてみたんです。パロンさんが気に入れば、これで一度お店に並べてみようと思うんですけど」
差し出されたパンを魚が死んだような目で眺めるパロン。
のっそりと手を伸ばし、ぱくりと一口。
「ンまーい!」
ぴょーんと飛び上がると、パロンはくるくる回りだした。
「なーんておいしいのかしらぁ、このサクッとしたパンに絡まるチョコクリームのしっとりとした甘さぁ、ほんのり舌にのこるカカオの渋みと焼き立てパンの香ばしさが合わさって更に甘みを引き立ててるわぁ。これわぁ、なんて素晴らしいハーモニーなのかしらぁ」
鳴いたカラスでもここまで笑いはしないだろうが、こうもテンションの幅が広いと疲れないのかなと余計な心配をしてしまう。
「大丈夫みたいですね、明日から出して見ようと思います。みなさんも食べてみてください」
パンを並べると、近くで談笑していたフルン達も寄ってくる。
みんなが美味しそうに食べる姿を見てパロンも機嫌が良くなったのか、歌って踊りながら作業場に戻っていった。
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