第188話 お茶会

 日が昇りきってからのんびり起きだす。

 疲れが溜まっているというよりは、サボりぐせがエスカレートしてるだけの気がするな。

 まあ、寒いしなあ……。

 エームシャーラ姫からの招待は午後なので、まだフューエルも来ていない。

 そこで学校が休みで家にいた学者コンビとその弟子であるエンテル、ペイルーン、そしてアフリエールの三人と一緒にまったり朝湯を楽しむことにした。

 最近の学校の様子や、アフリエールの修行具合などを聞きつつ、華奢な彼女の体を抱っこしながら湯船に揺られていると、こんなことを言った。


「そういえば、ウクレがまたご主人様と一緒に戦ったって嬉しそうに話してました」

「ほう、そんなことを」

「ウクレは上達が早いですよね。私も時々フューエル様に教わってますけど、まだ火球一つがやっとって感じで」


 アフリエールが不満そうに話すとペイルーンが、


「ウクレは最近べったり張り付いて教わってるじゃない。家事の負担も減ったから、ちょうどいいんでしょ」

「そうなんだけど、私もご主人様と一緒に探索してみたいなあ、って」

「そんなに急にあれもこれもできるわけじゃないわよ。あなたは今、毎日勉強してるじゃない」

「そうですよね、魔法の修行をするとなると、歴史のお勉強ができなくなっちゃうし」

「そうよ。結局は何かを選択しないとダメなんだから、選ばなかったものに未練を残してもよくないわよ」


 ペイルーンのいうことはもっともだが、そう割り切るには、いくらなんでもアフリエールはまだ若すぎるだろう。


「まあやりたいことが全部できれば、苦労はないんだけどな。しいて言うなら、一番やりたいことはどれかを見失わないようにしないとなあ」

「一番ですか……」


 とアフリエールは首を傾げる。


「歴史のお勉強は面白いですけど、一番かって聞かれると、もしかしたら、まだ知らないことの中に一番があるんじゃないかって気もして、これだって決めづらいですね」

「そりゃそうだな、だいたいまだ若いんだから、適当でいいんだよ、適当で」


 そう言って柔らかいところを揉んでみると、うっとりした顔で体をすり寄せてくる。

 こういう反応だけはもう、立派な大人だなあ。


「そういえばご主人様」


 俺の正面で湯に浸かり、二の腕を揉みしだいていたエンテルが口を開く。


「例の下水場のアムハッサ君に話を通しておきました。本人は前向きな返事をくれたのですが……」

「ですが?」

「あの仕事は基本的に休みがないらしく、都合がつくかどうかわからないと」


 まじか、ちょーブラックだなあ。


「まあ、インフラの仕事ってのはそんなもんか」

「それから、例の大雨の水が引いたあと、壁に穴が見つかって、どうやら古いダンジョンが出てきたとか」

「ほほう」

「あそこは教会の施設なので、一般には公開していないのですが、神殿の大掃除が終わったら騎士団が調査すると言っていました」

「騎士団も苦労が絶えないな」

「ええ。今のところ魔物のたぐいは出てきていないそうですが、ステンレスの施設に併設する形で伸びる、鉄の層の遺跡のようで……」

「となると、森の地下基地と同じか」

「そうなりますね。位置的には神殿地下を挟んで、西側の森と、東側の下水場ではだいぶ離れていますが」

「そういえば、昨日ダンジョンでも壁が崩れて、その奥から古い天然の洞窟が見つかったんだよな」

「まあ、そうなんですか? あそこはもう何も出てこないと思ったんですが。それで、どうでした?」

「軽く調査した範囲では何もなくてな。スナヅルあたりの巣じゃないかって話なんだが、案外、両者をつなぐダンジョンが見つかったりしてな」

「ああしたカタコンベは、天然の洞窟を元に作ることが多いですし。森のダンジョンもそういう噂もありましたが、クロと出会ったダンジョンも、入り口は後年作られたものでした。あれはそうやって利用しようとして、ガーディアンの抵抗にあったのかもしれませんね」

「なるほど。しかし、ガーディアンだよなあ。アムハッサ君だけでどうにかならんかと思ったけど、別の手も模索しないとな」

「そうですね、今のうちにできる手は打っておきませんと」

「だよなあ。ダメなら力押しになるんだが、なんか今更ガーディアンとやりあうのも、ちょっと抵抗あるよな」

「そうですね、昨日来たクロックロン達もとても人なつっこいですし。私も一つ荷運びをお願いしたいと思うのですが、よいでしょうか。最近、鞄いっぱいの資料を運ぶのが億劫で、かと言ってミラーに荷運びだけ頼むのもどうかと思っていたのですが」

「ミラーはミラーで喜ぶと思うが、まあ、いいんじゃないか? 今、カプルが専用のカゴを作ってくれてるから、それができ次第、クロックロンに任せるといいと思うぞ」


 カプルはバネか何かでロックできるはめ込み式のコンテナを作ってみると言っていた。

 あいつのことだからどうせ昨夜は徹夜で作業してそうな気がする。

 あとで下を覗きに行ってみよう。

 それはいいんだが、話す間もエンテルはずっと全身を揉んでいる。


「エンテル、その揉みしだきまくってるやつ、見る分には楽しいんだけど、効果あるのか?」

「ないでしょうか? どうも揉むと脂肪がお湯に抜け出てくれそうな気がして、つい」

「スープを取ってるんじゃないんだから、無理じゃないかなあ。むしろシワが増えそうな気もするな」

「やはり無理ですか。最近デュースが毎日探索に出ているせいか、少し痩せたと言っていたので気になって」

「しかし、太り過ぎならともかく、ある程度柔らかいところは蓄えといてくれないと、俺の楽しみが」

「それはそうなんですが、学校に毎日通っていると、若い子がたくさんいてどうにも負けている気が」

「比べても仕方ないだろう。だいたいその脂の乗ったむっちり感は学生には出せんだろうに」

「仕方なくはありませんよ。むしろ積極的に意識することでかろうじて現状維持できている部分もあるんです!」

「そんなもんかねえ」

「そもそも、フューエル様とたまにお風呂でご一緒しますが、あの方、実にバランスの良いスタイルで……ほんとうに羨ましい」

「ほうほう、そこのところを詳しく」

「ご自分で確認なされたらどうです?」

「俺は奥手でなあ」

「試練を終えるまで、このままズルズルと引っ張るおつもりなのですか?」

「引っ張るというか、そういうことを前提に話されてもだな」

「先日もピューパーが、フューエルおばさんはいつお嫁に来るの? って真顔でご本人に聞いてたんですよ。私とパンテーで繕うのに随分と苦労してしまいました」

「子供は無邪気でいいなあ」

「また、そんないい加減な」

「だいたい、自分だって従者になる時は結構引っ張ったじゃないか。ペイルーンなんて一旦逃げたけどすぐに戻ってきて即決だったぞ」

「逃げたんですか?」


 エンテルがペイルーンに向き直ると、


「余計なことは思い出さなくていいのよ。だいたいホロアとプリモァじゃコアの強さもだいぶ違うんだから、従者になりたいって衝動にも違いがあるんでしょ」

「そんなもんか」

「知らないけど、たぶんよ。ましてやコアのないアーシアルだと大変よ。言ってみれば私達がご主人様に感じてる、このご奉仕したいって衝動が無い相手を好きになったりするわけでしょう? さっぱり想像できないわね」

「みんな適当だなあ」


 というか、適当でもどうにかなるのが従者のいいところか。

 それに引き換え、結婚てやつは……。




 風呂から上がって、地下室に降りる。

 魔物の死体処理は昨日で片付いてしまったので、クロックロン達は全員待機している。

 控室を除くと、多くのミラーと並んでクロックロンも縦積みになっていたが、よく見ると高さがまばらで何体か足りない。


「いない奴はどうしてるんだ?」


 と聞くと、縦積みの一番上のクロックロンが答える。


「三体ハ、カプルガ連レテッタ。二体ハ、裏庭デ、レルルト運用ノ打チ合ワセ。残リ一体ハ……」

「一体は?」

「ココダ!」


 突然天井から声がしたかと思うと、俺の目の前に落っこちてきた。


「うわっ!」

「ハハハ、驚イタカ、ボス」

「驚いたよ!」

「一日一回ハ、心拍数上ゲル。健康第一、子孫繁栄」

「そりゃどうも。暇だったらフルンたちに遊んでもらえ。今日はうちにいるはずだ」

「イイノカ? 遊ブゾ?」

「その代わり、うちから出るなよ、裏庭までだ。まだあまり人目につかないほうがいいからな」

「リョウカイ、リョウカイ、遊ンデクル」


 クロックロン達は一斉に足を伸ばしてぞろぞろと出て行った。

 それを見送って、カプルのところに向かう。

 廊下も室内同様、柔らかで一様な光源と綺麗すぎる空気で快適ではあるのだが、いささか生活感に欠ける。

 だが、仕事場としては最適かもしれない。

 実際、カプル達の作業部屋はちょっとしたデザインオフィスのような佇まいだ。

 入って右奥の一角には、サウが大きな机に挟まれて陣取っている。

 今は何やら紙に書きなぐっているようだ。


 左奥には製図用の机が並び、カプルやシャミがよく設計などをしている。

 その片隅には古めかしいソファがあって、カプルが仮眠していた。

 やはり徹夜でもしたのだろう。

 あたりには、例のコンテナと思しき木箱の試作品がたくさん転がっていた。

 その横にはイーゼルや製図板がいくつか並んでいる。

 ここでもデッサンしたり、製図を描いたりしているとか。

 左手前には長机がL字に組まれて、細かい細工物などが並んでいる。

 ここで主にシャミが炉を使わない小物の金属加工をしたりしている。

 今は針金のようなものをいじっていた。


「今日は何を作ってるんだ?」


 とシャミに尋ねると、いつもの様に言葉少なめに答える。


「バネ」

「ほほう、それにしてもいっぱいあるな」


 机の上には直径十センチ、長さ十五センチ程度のバネが大量に並んでいる。


「ポケットコイル、つくる」

「ああ、ベッドとかのやつか」

「そう。ベッド、調べたら載ってた。ボンネルとポケット。こっちのベッドは、板バネ。柔らかさは綿で出す」

「ははあ、そういや俺が故郷で使ってたマットレスはウレタンだったかな?」

「それも、調べた。ウレタン、わからない。有機化学、むずかしい」

「あー、あれな。原子価を意識して規則正しく組み立てていけばどうにかなるんだが、理論はともかく、実際に何か作るとなると大変だよな」

「ご主人様の国、なんでも石油ばっかり。石油で出来てるみたい。ないと困る。試せればわかる……気がする。裏庭掘ったら……でないかな?」

「出ないんじゃないかなあ。ここの下は魔界だし。魔界で掘れば出るかもしれんが」


 庭から石油ってロマンはあるけどなあ。


「そう……残念」

「たしかに、実験は大事だよな」

「だから、今回は、ポケットコイル」

「ふぬ、それでそのバネをどうするんだ? 並べるんだっけ」

「袋に詰めて、並べる。少し実験はした」


 そう言って小さめの模型を出す。

 何やら麻の小さな袋が並んでいる、これがバネなのか。


「一個ずつは頼りない。でも、並べてつなげると、つよい」

「ふぬ」


 そんなことを話している間に、ミラーが二人、両手にいっぱい小袋を抱えてやってきた。

 別の部屋でポケットコイルの袋を縫っていたらしい。


「完成、まだ数日先」

「そうか、期待してるよ」

「うん」


 邪魔しちゃ悪いので退散しよう。

 上に戻ると、裏口で話し声がする。

 出てみると、仕立屋のモーラがアンやモアノアと話し込んでいた。


「おはようございます、サワクロさん」


 俺に気づいて挨拶するモーラは、いつもながら色っぽい。

 フューエルやエディなんかとはまた違ったベクトルで、一般人には手が届かない雰囲気をまとってるよなあ、と思う。

 彼女に惚れている果物屋のエブンツは、ちゃんとアプローチしてるんだろうか?

 してないだろうなあ。

 などと考えながら、挨拶を返す。


「おや、いらっしゃい。景気はどうだい?」

「おかげさまで、うちもどうにか。先日も春のさえずり団の公演を見たご婦人が、私が仕立てたと聞いて、ああした衣装を孫のためにあつらえて欲しいとご依頼を受けて」

「そりゃいいな、そのお孫さんも彼女たちのファンに成ってくれるといいが」

「舞台でも当たり役が出ると、その衣装や小物を真似るということは多いものですけど、彼女たちは小さいお嬢様がたに人気のようですね」


 とのことだ。

 女の子に人気のあるアイドルは長続きしそうだよなと思う。


 話を切り上げて裏庭に出ると、クロックロン達が年少組と遊んでいた。

 クロックロンが湖に浮島のように浮かんで、その上を飛び移るという遊びのようだ。

 この寒いのによくやるなあ。

 と見ていたら、ちょうど飛び移りそこねたオーレが水に落ちた。


「あはは、冷たい! きもちいい!」


 などと騒いでいる。

 元気だねえ。

 視線をテントの方に移すと、クメトスの弟子であるスィーダちゃんが必死に素振りをしていた。

 今日もクメトスは白象騎士団としての仕事があって出かけている。


「精が出るな、スィーダちゃん」

「うん、しっかり練習しとかないと、強くなれないから」

「そうだな」

「うん、そう」


 口ではそう言いつつも、チラチラと湖で遊ぶ皆の方に意識が向いているようだ。

 まだ遊びたい年頃なんだろうなあ。

 しかし、志がある時には我慢も大切なのだ。

 人間の能力は有限で、できることは限られている。

 さっきも言ったが、ちゃんと一番やりたいことを見極めないとなあ。


「この間、一緒にダンジョンに潜ってみて、なにかつかめたかい?」

「うん……たぶん」


 スィーダちゃんは少し手を休めて、汗を拭いながらそう答える。


「何が分かった?」

「私が……すごく、ヘタってこと」

「そうか。まあ、それがわからないと、何も始められないもんな」

「うん……今までは、剣を習ったことがないからとか、背が低いからとか、いろいろ考えてたけど、それは考えてたんじゃなくて、剣がヘタな理由を探してただけで……」

「ふむ」

「けど、ヘタなのは、ただヘタってだけのことで、その……上手く言えないけど、練習するしかなくて、でも、今までは練習の仕方もわからなかったし、剣がうまいってこともわからなかったし、とにかく、なんにもわからなかったんだけど」


 そう言って、桟橋で笑ってるフルンの方をちらりと見る。


「今は、強いのがどういうのかとか、練習の仕方とか、全部わかるから、頑張る方法がわかるから、だから、ただこれを頑張ればいいんだってのがわかって、今までのモヤモヤみたいなのが……その、なんていうか、すごく目の前が明るくなったみたいな気分で……嬉しい」


 と言ってスィーダはニッコリ笑う。

 もう、俺がアドバイスすることは、何もなさそうだな。

 俺はしばらく裏庭でみんなの相手をしながら、時間を潰した。




 昼下がり。

 おめかししてやってきたフューエルは、おもわず見とれる感じの美人に仕上がっていた。


「あらー、気合が入ってますねー」


 出迎えたデュースは突っ込むが、俺は気の利いたセリフも浮かばずに、ぼーっと見つめてしまった。


「なんですか、紳士様。そんな間の抜けた顔で。どこかおかしな所でも?」


 とのいつものツッコミで、やっと我に返る。


「いやあ、今日はまた格別の美人で、見惚れてね」

「それはどうもありがとうございます。紳士様こそ、立派なスーツですこと」

「ははは、君に恥をかかせちゃいけないと思ってね」

「紳士様の問題は、主に内面に集中しているので、外見は問題ないと思いますよ」

「君だって黙っていれば非の打ち所がないのになあ」

「ありがとうございます。そう言っていただけると、ますます舌がなめらかになりますね」

「君の役に立てたと知って、俺も嬉しいよ」


 だいぶ調子を取り戻したところで、仲良く出かける。

 俺のお供はセスと紅だけで、あとは招かれたフューエルとテナと一緒に、馬車に乗る。

 フューエルの用意した馬車は、初めて見るやつだが殊の外ゴージャスだった。

 従弟のアンチムの人形趣味を非難しないのは、自分の趣味である馬車集めがあるからじゃないのかなあ。


「それで、エームシャーラ姫はどこに住んでるんだ?」

「東の高台にある、ノークラッダ公の別宅をお借りしているそうですよ。あのお屋敷は庭のシクラメンがとても綺麗だと聞いたことがあります」


 とフューエル。

 庭の良し悪しが話題になる屋敷ってどんなセレブだよ、と突っ込みたい気持ちでいっぱいだが、ここは我慢しておこう。

 フューエルもそうだが、だいたいあのへんはみんなホンマモンのセレブなんだよな。

 それはそれとして、町中でも結構馬車が揺れるもんだな。

 泥濘んだ道が、今朝の寒さで凍ったせいが、今通っている路地はガタガタで、かなり揺れる。

 石畳のない道はだいたいこんなもんだが、この馬車も見た目は立派だけど、クッションはイマイチのようだな。


「結構、揺れるもんだな」


 と聞くと、


「こんなものでしょう。この椅子も特注の品なのですが……」

「しかし、これじゃあ楽しくお喋りもできないぞ」

「馬車であまり喋ると、舌を噛むものですよ」

「そんなものかね?」

「もしかして、紳士様のお国の馬車は、揺れないのですか?」

「どうなんだろうな。ここまでは揺れないかも」

「それは魅力的ですね。一台、取り寄せたりはできないものでしょうか」

「いやあ、ちょっと無理じゃないかなあ。貿易はしてないし」

「そうなのですか。紳士様が個人的に取り寄せるといったことは?」

「いや、それもちょっと」

「そこをどうにか」


 いつもはあっさり引き下がるフューエルも、馬車のこととなると、なかなか粘るな。


「お嬢様、道楽もほどほどに。紳士様がお困りでしょう」


 とテナがたしなめる。


「ですが、あのお風呂や盾のように優れた技術がある国なら、さぞすごい馬車が……」

「お嬢様!」

「うう、わかりました」


 しょぼくれるフューエル。

 こういうフューエルも見てて楽しい。


 屋敷に着くと、見るからに執事っぽい人が出迎え、案内してくれる。

 なんか貴族って感じだなあ。

 こういう場所での立ち振舞を、テナにしっかり教わっていなければ、さすがの俺でもちょっとは緊張したかもしれない。

 まあ、あくまでちょっとだけど。


「しかし、紳士様」

「なんだい、フューエル」

「庶民の生まれだとお聞きしましたが、このような場でも本当に動じないですよね」

「そうかな?」

「おとなりの茶店のオーナーも、私が領主の娘と知ってからは、どうもかしこまってしまってかえって行きづらくなってしまいました」

「あのルチアがねえ……」

「ああいうお店も好きなのですが、身分というのは本来双方にとって障壁となるものなのですよ」


 神経が図太いとはよく言われるが、そもそもの前提として、自分はすぐにしでかす方だとわかっているので、あまり繕ってもしかたがないという諦めに似た気持ちがあるからじゃないかなあ、と思ってる。

 だいたいみんな、いい恰好し過ぎなんだよ。

 せいぜい、相手に失礼にならないような努力だけしてれば、後はそんなに気に病むようなもんじゃないと思うんだけど……。

 もちろん、その努力というのは正しい敬語だったり、立ち振舞のマナーだったりするわけで、簡単に身につくわけじゃないんだけど、簡単じゃないからこそ、誠意がこもるのかもなあ、と最近は感じている。

 そのへんは、テナの教育のおかげかもしれない。


「そこはほら、俺はあれだ、異邦人だからな。そうしたものには縛られないんだよ」

「異国の生まれとはいえ、そこまでの違いはないでしょうに……」


 だが、残念ながら、俺はフューエルが想像している以上の遠い国から来たんだよなあ。


 案内された部屋はしっかりと火が焚かれて暖かい。

 調度品も見るからに豪華で、こういう屋敷を貸す方も借りる方もどうなんだという気はする。

 女中が入れてくれたお茶を飲みながらしばらく待っていると、エームシャーラ姫が出てきた。

 ホストが直接、出迎える事もあれば、最後に出てくることもある。

 この辺は身分の違いとかお国柄とか色いろあるらしい。

 この場においては、王族であるホストのエームシャーラ姫が一番身分が高いわけだ。

 基本的には招待に感謝するスタンスで行くパターンだな。

 丁寧な礼を述べて、楽しいお茶会が始まる。


 姫のリクエスト通りに、いろんな話を聞かせたが、どれも好評だった。

 まあ、つまらなくてもこういう人種は楽しいふりぐらいしそうなものだが、俺は根が正直なので、素直に喜んでくれたのだと思うことにする。


「ところで、紳士様は赤竜騎士団団長のエンディミュウム様と懇意になされているとか?」


 話題が途切れたところで、不意にエームシャーラがエディの名を出した。


「ええ、彼女にはとてもお世話になっています」

「こちらに来る前に都でお会いしまして、今頃はあの方、私の故国にいらっしゃるのでは」

「それは初耳です」

「用向きに関しては、私もお聞きしておらぬのですが、ウェルディウス家と当家は古くからの付き合いがございまして、あの方が右腕と頼むポーズローグも、当家からあの方の誕生祝いに送ったと聞いております」

「ポーズローグ?」


 はて、誰だろうと思ったら、フューエルが、


「ポーン殿のことですよ。彼女は貴族奴隷として贈られたと聞いております」

「ああ、そうだったのか」


 うちのエクみたいなものか。

 今は首輪をつけていなかったので、もう奴隷ではないんだろうなあ。


「そのようなご縁もあり、私もこちらに来る度に懇意にしていただいていたのですが……」


 そこでエームシャーラ姫は、目元でにやりと笑うと、


「なんでもエンディミュウム様と桃園の紳士様は世を忍ぶ恋仲だとか」

「ははは、どこでそんな噂を?」

「噂とは、どこにでも溢れているもの。先日もとある舞踏会に招かれた際に、私とフムルが幼なじみだと知った者がこんな話を……」


 フューエルをちら見しながら続ける。


「家柄で言えばレイルーミアスとウェルディウスでは格が違いすぎる、故にリンツ卿は憚って娘の輿入れを先延ばしにしているのではないかとか、ウェルディウス側でも、いかに紳士とはいえ異国の者を迎え入れるのはどうか、とはいえ、この国に来訪してからの僅かの間に紳士様の上げられた実績は目を見張るばかり、などなど、実に様々な噂が尽きないものですのよ」

「ははは、噂とは恐ろしいものですね」

「時に噂とは喉元につきつけられた刃よりも恐ろしい物。私も、直接お目にかかるまでは、もう少し違った印象を持っていたのですけれど、ご本人は噂以上に素晴らしいお方でしたわ。やはり人というものは会ってみないとわからないものですね」

「ありがとうございます。ですが最近は噂が先走りしすぎて、プレッシャーになっているのですよ。なんといっても私はただの街商人のようなものですから」

「良いではありませんか。所詮人の肩書など人の関係を縛るもの。神の盟友とも称せられる紳士様にとって、この世とのしがらみはその程度で十分ではありませんか?」

「なるほど、そう言っていただけると、随分と気が楽になります」


 その後も、他愛ない雑談を続ける。


「年が明けると、国に戻らねばなりません。この土地はスペツナや私の故国と比べても、とても過ごしやすくて離れがたいのですが」


 とエームシャーラ。

 スペツナってどこだっけ?

 と思っていると、フューエルが、


「スペツナは冬の寒さは厳しいですが、内陸故にここほど雪も降らずにまだ過ごしやすいのでは?」

「私は乾いた土地が苦手なんですよ」

「アームタームも砂漠の国でしょう。あちらの人は、湿気の多い土地を不潔と言って嫌うではありませんか」

「私は幼少時に魔界で育ったので、ああいう、言ってみれば蒸し暑い土地が好きなんですわ」


 また会話がエキサイトしそうだったので、俺が口を挟む。


「姫は魔界で生活された経験がお有りなんですね」

「ええ、我が国にはトルームの階段と呼ばれる、魔界との道がありまして、ちょうど我が国の真下にあるファビッタ国とは長年の同盟関係に有りますの。そこで王家の人間は幼い頃に交換で相手国で過ごすことがあるのです。乱世の頃の人質交換の名残のようなものですが」

「なるほど、しかし幼い頃に国を離れるのは不安も多いでしょうに」

「そうですわね、幼いころは親に会いたくて、よく泣いておりました。時折遊びに来てくれる祖母だけが心の支えでしたの」

「そうでしたか。私も似たような経験がありますよ」

「まあ、紳士様も?」

「ええ、幼い頃に両親を亡くし、祖母に引き取られたのです。うろ覚えですが、私も両親をもとめてよく泣いていたものです」

「それはお気の毒に。それで、お祖母様は?」

「祖母も随分前に亡くなりました。国を出るまでは天涯孤独だったのですが、ここに来て従者という家族を得て、やっと自分の拠り所を得た気がしています」

「そうでしたの。ですが、今、幸せでいらっしゃるのでしたら、それはきっと素晴らしいことなのですわね」

「ええ、そう思います。ですが今ある幸福も、何がきっかけとなるかわからないもの。この土地に来て最初に出会った従者が差し出してくれた手を、もしもあの時、取っていなかったら、今の自分はないのではないかと、そんなことも考えるのですよ」

「きっかけ……本当にそうですわね。人が得るものと、得られぬもの。それはほんの些細なキッカケで決まるのかも……しれませんわね」


 そう言ってエームシャーラは遠い目つきで、窓の外を眺める。

 何を考えているんだろうなあ。


「それにしても、世界は広いものですね」


 とエームシャーラ。


「私、これでも随分と腕を上げたつもりだったのですけれど、祖母やテナの他にも、パエ様のような術者とお会いして、自分の未熟さを思い知らされました」

「私は魔法全般に疎いもので、術の良し悪しについて語る口は保たぬのですが、やはり姫はお祖母様を目指しているのですか?」

「ええ、私の祖母や、リースエル様、他にもシーホーズのピウロー様や、聖域の御徴みしるしと名高いラウレウラ様など、現代の偉大な神霊術師は多く居られます。その中でもやはり私は祖母を目標としておりますのよ」

「六大霊家などと呼ばれているそうですね」


 とフューエル。


「ええ、かの六大魔女になぞらえてそう呼ぶ者もいるようですが、魔導師と神霊術師を並べるのもどうかと思いますわ」

「何故あなたはそこまで魔導師を目の敵にするのです」

「敵ではなくとも、まったくの別物でしょう。同じ土俵で比べるものではありませんわ」

「別に比べてはいないでしょう。近頃は六騎鬼ききなどと称する魔族もいるそうではありませんか、それと同じです」

「フムルはあれこれと欲張るから、何でも同じに見えるんですよ」

「それとこれとは関係ないでしょう!」

「関係おおありですわ! 私は神霊術師なのですよ、あなたは何なのです!」

「私は……私は私です!」


 またエキサイトしてるな。

 でもなんか、ちょっとだけわかった気がする。

 エームシャーラ姫は、神霊術師としてのフューエルをライバル、ないしは友人と見てるんじゃないかな。

 一方のフューエルは、なんというか我が道を行ってるからなあ。

 そこまで考えて、テナの方を盗み見ると、すました顔でお茶を飲んでいる。

 ああ見えて彼女も苦労が絶えないんだろうな。


「そういえば……」


 今まで控えていたエームシャーラ姫のお目付け役ともいうべき、騎士のシロプスが口を挟む。


「紳士殿が先ごろ相まみえたというアヌマールは、その六騎鬼の一人だったのではないかという噂もありますな」

「あれが?」

「以前、とある魔族の領主に聞いたことがある。其奴はちょうどこの辺りの下にあるデラーボン自由領の領主の一人なのじゃが……」

「バッズのことですね?」


 とエームシャーラ。


「いかにも。あやつが申すには、このあたりの山間に、恐ろしい魔物が住むとか。知に優れ、世界の深淵を覗く者、魔界学士などとも称せられる魔族だとかいう話じゃな」

「しかし、その魔族も紳士様の従者が倒されたのでしょう」

「ふむ、であるならば、すでに脅威は去ったと言えるのじゃが……」


 そこで俺が、


「あそこの最大の脅威はガーディアンかもしれません。彼女達と和解できると良いのですが」

「ほう、ガーディアンはおなごじゃったか」

「そうなんですよ、うちにも何人かいますがね」

「なんと、ガーディアンも従えるとは、これは紳士殿のカリスマというやつは、余の想像を越えるものであるようじゃな」


 そう言ってひとしきり笑ったあとに、シロプスちゃんは表情を引き締める。


「地上におるとガーディアンという連中はただの遺跡の番人じゃが、魔界ではそう簡単なものではないのじゃ」

「と言うと?」

「世間では魔族は魔物の支配者、ぐらいに思っとるかもしれんが、基本的にはあやつらはまったく別の勢力じゃ。むしろ魔族は地上の民に近い。余と同様、古代種の部族や国が、たまたま地の底に住んでおるようなもの」

「そういう話は、聞いたことがあります」

「じゃが、魔物という輩は、言ってみれば知恵のついた獣のような連中で、残虐な本能のままに生きておる。ところが……」


 シロプスちゃんは顎をしゃくりながら、


「ガーディアンは遺跡の周辺の縄張りを執拗に守る。魔族も魔物もお構い無しじゃ。それでいて遺跡の近傍には太古の資源など価値のあるものも多いのでな、古くから諍いが絶えなかったのじゃが、もしもガーディアンを統べるものが現れれば、それは魔界においては非常に大きな力をもつこととなろう」

「なるほど。ですが、私の場合はとある遺跡で見つけた何体かのガーディアンが懐いてくれたまでのこと。先に探索した森のダンジョンでは、別の勢力のガーディアンとの戦いで、危うく従者が命を落とすところでした」

「ふむ、そのようのものであるか」


 ここで、なんたら自治領とやらの領主を紹介してもらうのはどうかと、一瞬思ったが、この場では口にしないでおいた。

 本屋のネトックからの依頼をこなすには、魔界にコネが必要なんだけど、こういう政治的な話はシビアだからなあ。

 前準備もなしに、いきなり切りだすものでもあるまい。

 今は彼女たちが魔界の目当ての国にパイプを持っているとしれただけで十分だろう。


 その後もたわいない雑談が続いたのちに、テナが口を開いた。


「随分と長居をしてしまいました。これ以上は明日からの探索にも差し支えるのでは?」

「あら、本当ですわね。長々とお引き止めして申し訳ありませんでした」


 とエームシャーラ。


「いや、こちらこそ、とても楽しい時間でした」

「私もですわ、紳士様。また、ぜひお越しくださいませ」


 などと言って、お開きとなった。

 なんのかんの言って、結構疲れたな。

 帰りの馬車で思わず大きく溜息をつくと、フューエルがにやりと笑いながら、


「あら、随分とお疲れのようで」

「まあね。やっぱり庶民が背伸びするにも限度があるのさ」

「では、庶民的に飲み直すとしましょうか。私もお茶ばかりでは物足りなかったのですよ」

「いいねえ」


 夕暮れの街をガタゴトと馬車に揺られながら、今日は何をつまみに飲もうかなと、思いを巡らせるのだった。

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