第172話 女中仕事
突然やってきて、世話になるといった女性に、あっけにとられつつも尋ねる。
「失礼ですがお嬢さん、たしかに私はクリュウですが、どこかでお会いしたでしょうか?」
「あらまあ、お嬢さんなんて言われたのは何十年ぶりでしょうか、ちょっと失礼しますよ」
そう言って体よりもでかいザックをドスンと地面に下ろすと、彼女は深々と頭を下げた。
「テナともうします。フューエルお嬢様の紹介で、しばらくこちらにご厄介になります、よろしくお願いいたします」
「これはどうもご丁寧に」
つられて頭を下げるが、はて、いったいどういうわけだ?
フューエルがなんか言ってたっけ。
「立ち話もなんなので、中にどうぞ」
「では、失礼します」
「荷物を持とう」
そう言って彼女のでかい鞄に手を伸ばすが、重くて持ち上がらなかった。
「ふふ、人間には少々厳しい重さでしょう?」
「そうみたいだな、こいつはちょっと……」
歯を食い縛るが重い。
昔山小屋で年配の登山者が五十kgはあるとか言う荷物を担いでいたが、あれに近いものがあるな。
これを担いでひょこひょこ歩いてきたのか。
小さな体ですごいパワーだ。
「お心遣いありがとうございます」
そういってテナと名乗った彼女は荷物をひょいと担ぎあげた。
「とにかく、入ってくれ」
俺が促すと、彼女は重そうな荷物を軽々と背負い、ついてきた。
「おーい、アン。お客人だ」
「はい、ただいま」
奥からアンが出てくる。
「あら、テナさん。お見えになるのは年が明けてからだったのでは」
「昨日お嬢様が、伝えておくとおっしゃっていましたが」
「いいえ、昨日お見えになった時も、特には……」
「そんな気もしておりました。まあ、良いでしょう、しばらく世話になりますよ」
「部屋は開けてあるのですが、ベッドの用意などがまだ」
「そこは気にせずとも大丈夫です」
「では、ひとまず奥に」
そう言って彼女はアンが奥に連れて行ってしまった。
知り合いのようだが、なんだったんだ、彼女は。
暖炉の前に陣取って、チラチラと様子をうかがう。
うちはほとんど仕切りがないので、キッチンのある土間のあたりもここからよく見える。
どうやらアンが今のお客人と熱心に話し込んでいる。
フューエルの紹介だとか言っていたが、そんな話あったかなあ?
うんうん悩んでいると、まだ寝ぼけ眼のデュースがやってきた。
「あらー、とうとうテナが来ちゃったんですねー。大変ですねー」
「というと?」
「以前フューエルが言っていたでしょー。暇を持て余している元女中頭がいるとー」
「ああ、そういえば」
以前アンが寝込んだ時に、屋敷の切り回し方を指導するベテランを紹介してくれるとか言ってたな。
その後色々あったのですっかり忘れていたが、俺自身がフューエルによろしくと頼んでいたんだった。
「しかし、定年を迎えたベテランって話じゃなかったか?」
「そうですよー、彼女はあれでもすでに六十を超えてるはずですよー。希少種であるレッデ族は300歳を超える長命ですのでー」
「ほう、しかし長命ならそんなすぐに定年にしなくても良かったんじゃないか?」
「彼女もそう言ったらしいんですけどねー、女中の定年は五十だか六十歳までだとかリンツが言いはったそうでー、あの子も頑固ですからねー」
リンツとはフューエルの父である領主のリンツ卿のことだ。
しかしこの世界も定年があるんだな、年金とかもあるんだろうか。
「それで、彼女は大変なのか?」
「大変ですねー」
「見た目は可愛い女の子なのにな」
「そうですねー、でも彼女に睨まれれば大抵の女中は震え上がりますねー」
「怖いな」
「でもまあー、うちも数が増えてきたのでー、ここらでビシっと技術的に一本筋を通さないと難しくなってくるのかもしれませんねー。仲がいいだけでは大人数はまわせませんのでー」
などと話していると、アンが家に残っている全員をかき集めた。
今朝はまだネールも墓参りに行っていないし、クメトスも休みだからメルビエ以外は全員いる。
しめて三十六人かな。
それが一堂に会するとなかなか壮観だ。
メイド長であるアンが前に立ち、テナを紹介する。
「皆に紹介します。フューエル様のお計らいで、本日よりこちらのテナさんから女中仕事のご指導を受けることになりました。当クロサワ家も多くの従者を抱え、行き届かぬところも増えてきたかと思います。主人によどみない忠誠と奉仕を捧げるためにも、しっかりと学ばせていただきましょう」
ついでテナが挨拶をする。
「紹介に預かりましたテナともうします。短い間ですが、私の持てる技術と精神のすべてをお伝えしたいと思いますので、よろしくお願い致します」
そうピシっと言い切る姿は小さいながらも非常に貫禄がある。
うーん、大変そうだ。
またフューエルも面倒なことをしてくれたなあ。
挨拶の後は、個別の面談らしい。
店の奥の商談部屋を使って、ひとりずつテナとアンとの三者面談をするそうだ。
順番は従者になった順らしく、最初に入ったペイルーンに話を聞いてみる。
錬金術士で薬草作りと考古学が専門であるペイルーンは、およそ女中とは程遠い従者の一人だが、さてどんなことを言われたのか。
「どうだった? なんかきついこと言われたか?」
「別に? 薬草の仕事はどうかとか、学問に割く時間の比率は、とかを聞かれたぐらいよ?」
「へえ、普通だな」
ついで出てきたセスも、
「洗濯の話などを伺ったのですが、季節に応じた天気と乾きやすさの話や、黄ばみの落とし方などを教えていただきました。後日改めてご指導いただけるそうです」
などという。
普通だな。
フルンなども、
「あのねー、後で一緒にすごろくしてくれるって」
とのことだ。
それに引き換え、セスの次に入ったデュースは、出てきた時はだいぶげっそりしていた。
「はー、だいぶ絞られましたー」
「ほほう、具体的にはどういうふうに?」
「たるみ過ぎなので痩せろと言われましたねー」
「ははは、物理的に絞られたのか」
「そうですねー」
面談は昼前まで続き、最後に俺の番になった。
テーブルを挟んで座るテナは、とにかく小さい。
身長だけなら撫子並だ。
ただし、スタイル的には割りとボコボコと出るとこは出ているし、締まるところは締まっている。
ただ、手足は短いかな?
逆に頭が大きく見える。
そういう、独特なシルエットの持ち主だ。
そのまなざしは何時間も面接を続けたあととは思えないほど、力強い。
こりゃ大変そうだ。
「さて、それではクリュウ様にお聞きします。従者ではなく、女中とはどのようなものだと考えますか?」
「従者ではなく、とは?」
「言葉通りの意味です。私や、フューエルお嬢様の屋敷で働く女達のように、金で雇われ働く女達のことです」
「うーん、よくわからんが、要するに家事を専業にする職人とでも言うか」
「ええ、そうです。女中は同じ家に属する構成員ではありますが、その意味では家族でもなければ奴隷でもなく、都合のいい恋人でもなければ、もちろん娼婦でもありません。近年はその境界が曖昧になっているようですが、私が指導するのはそう言った女中の技術です」
「ふむ」
「ですが、ここにいるのはすべて従者である女達。彼女たちは皆、紳士様にとって家族であり、恋人や娘であり、金銭とは無縁の関係でありましょう」
「まあ、そうだな」
「従者とは戦の場においては朋友として共に駆け、商人であれば相棒として共に汗をかき、学徒であれば良き助手として、共に道を進むもの」
「うん」
「特に紳士の従者ともなれば、試練の場においてはあなたの剣となり盾となりてその身を捧げるのです。その点で本質的に従者と女中は異なります。当然、妻もまた別の存在と言えましょう。紳士様はまだ妻帯されておられませんが、いずれふさわしい身分あるご婦人を娶られることでしょう」
「そうかも」
「そうなると当然、そのご婦人は自分の女中を引き連れて嫁いでまいります。その者たちはあなたの女中となりますが、あなたの従者になるわけではありません。そこの違いはしっかりと自覚する必要があります。でなければ際限のない訴訟続きで、名誉も地に落ちるというもの」
「はあ」
「ましてやあなたは紳士です。並の貴族とは訳が違います。そうした名誉ある人物の、玉の輿に乗りたいなどという輩は、今後たくさん出てくることでしょう。ですから、あなたには一家の主人としてふさわしい克己心を養っていただかなければなりません」
「ははあ」
「失礼ながら世間の噂では、あなたは相当に好きものだと信じられているようです。もっともお嬢様やここの従者の皆さんの話を聞く限りにおいては、必ずしも噂は当てにならぬものと信じますが、それを落とそうとする女の手練も侮れぬもの。ですからっ!」
と語尾を強めて強調する。
「私は女中の立場から、紳士様に主人の有り様をお伝えさせていただこうと考えております。良いですか、一言で言うなら、女中に手を出しては行けません。恋愛などもってのほか。本来は女主人が厳しく管理するところですが、それがない今、私の仕事は貴方様を一家を支えるに足る立派な主人としてご教育さし上げることです。あなたにその覚悟はお有りでしょうか?」
俺の腰ぐらいまでしかないようなちんまりした美人が、鋭い眼差しで俺を見つめる。
よくわからんが、わからなくもない。
彼女は俺を一人前に仕立てあげようと言うのだろう。
何のためかって?
そりゃあ、やっぱり誰かさんのためなんだろうなあ、とそこまで考えて、俺は考えるのをやめた。
ただ一言、よろしくお願いします。
と頭を下げた。
「承りました。それでは、改めてよろしくお願いいたします」
そう言って彼女は、小さな体で深々と礼をするのだった。
それから数日が過ぎた。
テナの指導は、別に鬼教官というようなハードなものではなく、仕事の合間に挨拶の練習をしたり、客人向けの言葉遣いや、家事の指導など、女中として身に付けるべき技術を指導しているだけだった。
俺もなにかガツガツ言われるのかと思ったら、特にそうしたことはなく、せいぜい会食でのマナーや、貴人への接し方などを学んだぐらいだ。
割と付け焼き刃だったので、むしろ助かってる。
夜もご奉仕タイムになると彼女はそうそうに家馬車の二階に割り当てた寝室に引きこもるので、気兼ねなく従者と仲良く出来ている。
今夜もアンとイチャイチャしながらそのことを話す。
「テナに来てもらってよかったじゃないか。心持ち、家もすっきりした気がするぞ」
俺の言葉にアンもうなずいて、
「はい、台所仕事一つとっても、経験に裏打ちされたノウハウが非常に役に立ちます。彼女のアドバイスを受けてカプルにキッチンも改造してもらっていますし、もっと良くなるのではないでしょうか」
と満足そうだ。
「フューエル様にも、改めてお礼申し上げねば」
「そういえば、ここ数日来てないな。頼まなくても毎日のように来るのに」
「そうですね。デュースはなにか聞いていませんか?」
アンが話を振ると、
「何か領地で訴訟が起きたからー、との話は聞いてますねー。終わればまた来るでしょー」
とのことだ。
その日はそれで終わったのだが、翌日の昼前、フューエルが血相を変えて飛び込んできた。
「テ、テ、テナが来ていませんか!?」
「落ち着けよフューエル、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもありません! 数日ぶりに家に帰れば、テナが荷物を担いで出て行ったとうちの者が」
「ああ、彼女なら来てるよ。おかげでうちはすっかり……」
「ああもう、なんでそんな勝手なことばかり! テナ! テナ! いるんでしょう」
そう叫びながら家を練り歩くフューエル。
人の家で我が物顔だな。
「なんですか騒々しい。それが貴族の令嬢が人様の屋敷で取る態度ですか」
そう言ってテナが裏口から入ってくる。
「テナ! 何をしているのです!」
「見ての通りです。今はこちらでご厄介の身ですよ」
「あなたには実家の方で新人の面倒を見てもらうと言っていたではありませんか」
「旦那様の許可も頂いております。さあ、お嬢様。いくら親しいご友人とはいえ、そのように目くじら立てて人様のお宅で叫ぶものではありません。私の教えをもうお忘れになったのですか?」
「う……し、しかしですね」
「ダラートの件はもうよろしいのですか? でしたら、今日もお弟子さんの魔法の修行をなさるのでしょう。しっかりと、おやり下さいませ。私はこれより、針仕事の面倒を見なければなりませんからね」
そう言って、テナはうちの従者を数人連れて、地下に降りていった。
家もすっかり仕切られてるな。
「うぐぐ、なんてことに……」
「どうしたんだフューエル、元々彼女を紹介してくれるつもりだったんだろう」
「別に彼女と決めていたわけではありません。ただちょっと女中仕事の手助けになればと、それだけのつもりだったのです。それなのにテナときたら……」
「きたら?」
「なんでもありません! デュースはどこです!?」
「もう、下に降りてるよ」
「では私も失礼しますよ。まったく! なんで! こんな! ことにっ!」
何をあんなに取り乱してるんだか。
ああいうフューエルも面白いけど。
フューエルは、たまに癇癪をおこすよな。
その日の夜、いつもの様に奉仕を受けていると、奴隷にしてフューエルの弟子であるウクレがこんなことを言った。
「夕方、市場で先生のお屋敷の子と会ったので話を聞いたんですけど、テナさんが居なくなってみんな胸を撫で下ろしてるとか」
「しかし、そこまで厳しくないよな」
「そう思います。とても丁寧に教えてくれますし。今日は丸い袖の縫い方とかを教えていただいたんです」
「フューエルんちの女中は彼女を怒らすようなことばかりしてるんだろうか」
「詳しく聞いてみたんですけど、怒られるわけじゃないけど、彼女がいると凄いプレッシャーで息が詰まるとか」
「ははあ、まあ、わからんでもない」
うちの従者たちは俺に尽くすのが趣味みたいなもんだからな、金で雇われてるだけの女中とはモチベーションが違うだろう。
そういうところに感じ方の違いが現れているのかもしれない。
「あと、屋敷では、テナさんがうちにきたことで、いよいよ婚礼も近いのではと盛り上がってるそうです」
「婚礼って?」
一応聞いてみる。
「それはやはり、その、ご主人様と先生……フューエル様の」
「ははは、そんな風に見えるのか?」
「わ、私は、先生が奥様になるなら、とても嬉しいですけど……先生はいつも否定されますよね」
「大体、彼女の親父さんが先走り過ぎだろう。最近やっとまともに口を利いてもらえるようになったばかりだというのに」
「でも先生は、デュースやご主人様と話してる時が一番楽しそうに見えます」
「そりゃあ、嬉しいねえ」
そういえば、奴隷であるウクレは、アンの根気強い指導の結果か、俺以外の身内に様付けをしなくなった。
首輪を外す日も近いかなあ。
奴隷の印である首輪は、逆らうと輪が絞まるという仕掛けがあるのだが、今はその機能は外してある。
ただの飾りだ。
何度か首輪を外そうとしたのだが、ウクレが頑なに自分は奴隷であって従者ではないのだから、これがないと困ると言いはる。
まあ、しょうがあるまい。
「テナはフューエルが生まれる前からあの家に仕えてましてー。フューエルの兄の母親についてあの家にやってきたのですがー、リンツがまだ小さいころに婚約してましたからー、そのころからの付き合いだったはずですねー」
「ほう」
「リースエルがちょうど落ち着いていた頃でー、私もその頃にテナと知り合ったんですがー、彼女はああ見えて神霊術も巧みなんですよー。フューエルの神霊術はほとんどテナに教わったんじゃないでしょうかー。リースエルはフューエルが生まれたあとは、またあちこちを巡ってましたしー」
「ほほう」
「そんな祖母の姿を見てフューエルも旅に憧れたんでしょうねー。私についてきた理由もそれが大きかったと思いますよー」
「なるほど」
「ただ、テナにはそのことでだいぶ心配をかけてしまいましたねー。なんせ十歳かそこらの少女が旅をするわけですからー」
「そりゃそうだな」
「肉親であるリースエルはむしろ自分がほとんど旅ばかりしてましたからー、全然気にしてなかったようですけどねー」
「ふむ」
「でもまあー、テナにまかせておけばー、大丈夫だと思いますよー。ご主人様もしっかり花婿修行をしてくださいねー」
「いや、そういうのは別に」
「あははー、もう手遅れですよー」
「まじかよ」
しかしまあ、テナのレクチャはとてもためになる。
なんというか、貴族相手のマナーなんて、日本にいた時にはまったく縁のない事柄だからな。
いい機会なのでしっかり学んでおこう。
でもって、いろんなお姫様ともお近づきになりたいところだ。
いいよね、お姫様。
もっとも、俺の面識のあるお姫様はどれもこれも大変なタイプばかりな気がするけど。
最近知り合ったお姫様といえば、王族にして紳士であるカリスミュウルがまず思い浮かぶ。
俺の初のライバルだ。
次にあったら絶対倒す!
今一人、フューエルのライバルとかいう、エームシャーラ姫もいたな。
神殿地下の探索が始まれば、また顔を合わせるかもしれない。
面倒なことにならなきゃいいけど。
最近、面倒な女の子が増えてきたなあ。
もっと出会って即ピカッときて契約、みたいな感じで行きたいんだけどなあ。
いや、そもそもそんなに増えなくてもいいんだけど。
多すぎて丸一日顔も見ない従者もいたりするし。
特にサウとか、こっちから覗きに行かないと一日中机に張り付いてて、夜は机の下で寝てたりするからな。
俺も会社員時代は締め切り前によくやったけど。
机の下に寝袋突っ込んであったんだよな。
体壊す前に、会社が潰れてよかったのかもしれないなあ。
いつもの朝練を終えて一汗流し、暖炉の前で腰布一枚で体を乾かす。
隣ではフルンとエットが素っ裸で濡れた体をフルフルやっている。
髪の毛と一体化して背中にも生えている毛は、二人共冬毛なのか結構長いのだが、先日アンが切りそろえていたので、今は馬のたてがみのように整っている。
「クメトスの修行厳しい、殺されるかと思う」
エットがつぶやくとフルンもうなずいて、
「うん、セスは殺気があるのか無いのかもわからないぐらい、突然喉元に木刀があったりするから怖いと思う間もないんだけど、クメトスは構えただけでビシーッとくる。すごい気迫。向かい合うだけで疲れる!」
「そりゃあ、あれだよ。練習でも本番でもいつでも本気でやれってことだよ」
「そう思うけど、クメトスは剣以外でもなんでも本気。すごろくで負けた時もすごく反省してたりするし真面目すぎると思う。オルエンもまじめだなーと思ってたけどね、違った。オルエンはわりと冗談わかるけどクメトスは冗談が通じないから、うっかり変なこと言うと後で困る」
「そりゃあおまえ、そこは性格の違いってもんだろう」
「だけど、ご主人様は冗談しか言わないから大変そう」
「う、そうかもしれん」
当のクメトスは、まだ裏庭で騎士組とトレーニング中だ。
クメトスもせっかく休みを取ったんだから、もっとのんびりすればいいのにと思うんだけど、折角の休みだからこそ自分自身の鍛錬のために修行できるのは最高の贅沢だ、みたいなことを言っていた。
たしかに真面目だ。
まあ他の騎士連中も程度の差はあれ似たものだけど。
騎士団時代にクメトスの部下だったエーメスは、団長のメリーと一緒にクメトスに槍を学んだそうで、再び教えが請えると喜んでいた。
オルエンも同様で、最近修行に身が入っている。
どんな攻撃でもはねのける鉄壁の盾となる、とかなんとか言ってるらしい。
うちはデュースだけでなくネールも加わったことで決定打としての魔法攻撃が充実してきている。
オーレも成長著しいし、ウクレもそろそろ実戦に出られそうだという。
だからこそ、その後衛組を確実に守る必要があるわけだ。
その要となるのは、やはりオルエンだろう。
オルエンの背中が目の前にあると、とにかく凄い安心感だしな。
今一人の騎士レルルは例の事件後もあまり変わってない気がする。
あのへっぴり腰は生まれつきだったか。
と言っても、無意味に戦いを恐れることはなくなったとのことなので、今後は相応に成長してくれるかもしれない。
朝食を終えると、大工のカプルが威勢よく腕まくりをし、地下からミラーがワラワラと湧いてくる。
全員、古着のシャツに巻きスカートというシンプルな出で立ちだ。
何をするのかといえば、お風呂工事だ。
ここ数日、家の中はそれにかかりっぱなしで、今日あたりやっと完成するらしい。
図面を手にしたカプルがミラーたちの前に立つ。
「さあ、みなさん、最後の仕上げですわ。計画通りにおねがいしますわ」
家の西側、台所と店の間の一角をすべてお風呂にする。
給水は、台所の裏を通って、裏口の外に巨大な水槽を設置し、そこに水をためておく。
浴槽とボイラーは鉄パイプでつながり、そこで加熱する。
熱源は精霊石と薪の両方が使えるという話だ。
追い焚きの話をしたらシャミが興味を持ち、試行錯誤のすえに作り上げたのだ。
お風呂作成に時間がかかったのは、これが主な原因だったらしい。
土を固めて石を敷いて床にし、木製の立派な湯船も出来た。
台所の下に下水を追加して排水することで、水回りも完璧だ。
熱気を逃さないための壁と屋根もついて、待望のお風呂が完成した。
三メートル四方ほどの湯船に、その同サイズの洗い場があり、一角にはサウナもある。
完璧なお風呂タイムがエンジョイできる完璧な浴室だった。
「ふへー、極楽じゃー」
新品の湯船に肩まで使って足を伸ばし、まったりとくつろぐ。
「すごい! 泳げる!」
目の前ではフルンがバシャバシャとはしゃいでいるし、両隣にはオルエンとパンテーがでかいおっぱいを浮かべている。
「いつでも沸かしておけるのがよいですわね。気が付くと深夜でお風呂が冷めてしまい、入りそびれるということもままありましたから」
カプルもまたでかい胸を揺らしながら湯船に浸っている。
「サウナもいいよな、酔い覚ましに効くし」
「ええ、でもエンテルとデュースが入り浸っているようですわね」
そう言ってカプルは視線をサウナに向ける。
サウナは半畳ほどのスペースにベンチが置かれていて、中で別途お湯が煮立って蒸気で溢れている。
今頃はデュースとエンテルが汗だくになってることだろう。
「あそこ、ガラス張りにしてもらえばよかった。あの二人が汗だくになってる姿は、さぞ見応えがあったろうに」
「そういうご主人様の趣味を想像しておくのは難しいものですから、事前に言ってもらわないと困りますわね」
「そんなに特殊な趣味かな?」
「そうだと思いますけど、クメトスはどう思います?」
と話題を振ると、少し離れたところで湯に使っていたクメトスは、
「いえ、その、私は世間知らずなもので、そういった趣向というものはちょっと」
「なかなか奥が深いものですわ。それよりも、背中を流して差し上げますわ」
「それぐらいは自分で……」
「いいえ、そうやって洗いっこする姿を見ていただくのも、大事な従者の努めですわよ」
「そ、それもご主人様の趣味ということでしょうか」
「ええ、さすがは理解が早いですわね」
「では、よろしくお願いします」
一体どういうやり取りなんだと突っ込みたい気持ちを抑えつつ、湯気越しに立派な体を洗い合う姿を堪能したのだった。
いやあ、極楽だね。
翌日、風呂の工事が終わったばかりだというのに、カプル達は今度は家馬車の改造を始めた。
こちらの風呂を取り外すらしい。
「来る試練の際には、馬車を基点に探索するので少しでも中のスペースを確保しておきたいですし。それにルタ島では内風呂は不要らしいですわ」
どういうことかというと、ルタ島には温泉があるそうだ。
ネールの話でも、
「山裾から海岸沿いまで、あちこちでお湯が湧いていました」
とのことだ。
先の森のダンジョンもそうだったけど、魔界の山のてっぺんが天井に突き刺さってるところもあるんだとすると、地上まで突き出てるところもあったりするんだろうか。
そこが火山なら温泉ぐらい湧いててもおかしくないのかな?
まあ、火山じゃない温泉もあるはずだけど。
「とにかく、スペースを増やしませんと」
要は馬車のスペースを少しでも開けて、搭載人数を増やすそうだ。
それによって、旅の負担を減らすとか。
それでも、全員は厳しいのではないだろうか。
どうしたもんかな。
「ところで、改装するにあたって、なにかご要望はございますの?」
とカプル。
うーん、そういえば昔キャンピングカーに憧れてたんだよな。
小さい車に全部詰め込んで家族でキャンプってやつ。
実際は車じゃなくて家族でってところに憧れてたのかもしれんが、今はこれだけ家族も増えたことだし、むしろ積極的に夢を叶えてくべきだな。
「こうなんていうか、狭いところに全部詰まってる感じがいいんだよなあ。俺の故郷にはキャンピングカーっていうのがあってだな、車っていう自動で動く馬車に……」
と説明を始める。
「家馬車とコンセプトは同じですわね。ただ、このベッドスペースなどはご主人様が休まれるには狭すぎるのでは?」
そこに横で話を聞いていたエレンが口を挟む。
「旦那は狭い所好きだよね。エツレヤアンにいた頃も、狭い部屋にみっちり詰まって暮らしてたし」
「言われてみるとそうかもしれん。こう、右手を伸ばせば酒瓶が、左手を伸ばせばおっぱいが、みたいなのが理想だよな」
「話題の桃園の紳士がこんなのだと知れたら、世間のご婦人方も卒倒するかもね」
「我ながら罪な男だと思うよ」
それを聞いていたカプルも、
「ご主人様の趣味だとおっしゃるなら、構いませんわ。では御者台の上の部分をせり出す感じで、見晴らしの良いベッドスペースにしましょう。二階と繋がる形にすればよいですわね。どちらにしろ、貯水タンクも古くなっていたので外すつもりでしたし。ついでに、その上に見張りスペースを付けますわ。以前の旅の段階からの懸案事項でしたし」
そう言ってカプルは地下に篭ってしまった。
これから設計を始めるのだろう。
春までにできてればいいのかな?
馬車といえばもう一台、普段の買い出しや、森のダンジョン探索にも使った小さな荷馬車があるのだが、気がつけばもう一台増えていた。
しっかりした御者台の後ろに小さな荷台が付いている、ピックアップトラックみたいな作りの馬車だ。
こちらはシャミが色々手を加えていたので話を聞くと、探索用のものらしい。
「近場の探索用、最低限の荷物が乗る、小回りも効く」
「なるほど、あの荷馬車もいいけど、買い出しに困るしな」
「数日程度の遠征を想定、これと騎士組の馬で、荷物を運ぶ」
騎士連中は遠征の時は愛馬に乗って行くが、うちも多い時は二十人ぐらいのパーティになるから荷物も多いんだよな。
例の内なる館を使って荷物を運ぶというアイデアもあって、来るルタ塔での試練のような長期遠征では便利だろうと試してはいるんだけど、日帰りや一泊程度だと、必ずしも便利とはいえない。
なんせ俺がいちいち念じて出たり入ったりしなきゃならないからな。
力自慢の従者と一緒に入ったとしても、なかなか手間だったりする。
そもそも俺と一緒じゃないと出入りできないので、俺が潜るときはベースキャンプの荷物はその都度出さないとだめなのだ。
その辺りも考えると馬車はトータルでのバランスが良いと言える。
で、こいつもなかなか年季の入った中古品なので、以前の幌馬車のようにペンキでも塗るのかな、と思って眺めていたら、ひっくり返して車輪を外し始めた。
さらに、車軸を真っ二つにしてしまう。
「随分バラすな。どうするんだ?」
シャミに尋ねると、ゴソゴソと何かを取り出してきた。
「ディファレンシャルギア。スマホでみた。かっこいい。これ、つける」
何やら向かい合った歯車とそれをつなぐ歯車の塊みたいなものをうっとりと眺めている。
「なんか聞いたことあるな、なんだっけ?」
「ハンドルを切った時、回転数の差を埋める。かしこい。重い馬車、車軸割れるけど、これ、割れない」
「あー、車のやつな。アレってでも動力からの回転をどうこうってやつじゃないのか?」
「エンジンは、しらべた。でもガソリン、ない。蒸気機関は試作中。圧力が凄い、爆発する」
「危ないな、気をつけろよ」
でも蒸気機関ができれば、念願の動力が手に入るな。
俺が持ってきたスマホはすっかりシャミにとられてしまっていた。
はじめのうちは俺が翻訳してやっていたのだが、最近は日本語がわかる燕に言語教育を受けたミラーが専属の翻訳家としてフォローしているようだ。
シャミ自身も必死に勉強しているらしい。
偉いねえ。
まあ、俺が使ってても従者たちのいかがわしい写真を取るぐらいで、ネットにもつながらないスマホに有り難みはあんまりないんだけど。
ミラーもエンジンの仕組みぐらい知ってるんじゃないかと思ったが、エンジンはわかっても仕組みは知らないらしい。
本来、彼女たちはマザーと呼ばれるメインのサーバ的なものに情報が詰まってて、適宜参照して知識を補う仕組みらしいのだが、現在ではそのサーバは止まっているらしく、埋め込まれた情報だけだと日常生活レベルの知識しか無い。
洗濯なども概念は知っていても、たらいと石鹸で洗う方法はまったく知らなかったからな。
まあ、俺だって洗濯機の使い方は知ってたけど、手洗いとか知らなかったし、そういうものなんだろう。
洗濯といえば、エツレヤアンの頃からセスの担当で、道場が忙しい今でもなるべく毎朝やっているようだ。
うちに来た時は家事全般がまるで駄目だったセスも、今では一通りこなせるようになっている。
こなせるようになると、更に上を目指すという欲も出るようで、テナという教師を得て、このところ洗濯道の追求に余念がないようだ。
「シミが取れずにしまいこんでいたコートも、この通り綺麗になりまして」
などと嬉しそうに見せに来るセスは、剣を構えた彼女とはまったく別の魅力がある。
この顔が見れただけでも、テナには感謝したいところだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます